2015.10.19

「自己責任だ」と説教しても、貧困問題は解決しない

大西連×柏木ハルコ『すぐそばにある「貧困」』刊行記念対談

社会 #ホームレス#すぐそばにある「貧困」

20代にしてNPO法人「もやい」理事長になった大西連氏の初の単著『すぐそばにある「貧困」』が上梓された。生活困窮者支援の現場をありのまま描くノンフィクションだ。今回は、刊行を記念して『健康で文化的な最低限度の生活』(小学館)作者である柏木ハルコ氏と対談を行った。(構成/山本菜々子)

「貧困」を描くむずかしさ

大西 今回は、ぼくのはじめての本『すぐそばにある「貧困」』の記念対談ということで、漫画家・柏木ハルコさんとお話していきます。

柏木 よろしくお願します!

大西 柏木さんは、生活保護に向き合う新米ケースワーカーを描いた『健康で文化的な最低限度の生活』をお描きになられていますが、実はもやいにも取材にいらっしゃったんです。とにかくすごい取材量で、今や生活相談手帳まで読めるようになっている。もやいの生活相談に入っても即戦力でしょうね。

柏木 いえいえ(笑)。ありがとうございます。大西さんは、初の単著なんですね。おめでとうございます。貧困の問題を扱っているのに、とても読みやすい本でした。

大西 ありがとうございます。今回、読みやすさを意識しました。実は、シノドスでもおなじみの日本近現代文学をやっている荒井祐樹さんに、「大西さんの書いたものは読みづらいです」と言われたとこがあって(笑)、すごくその部分は意識したんです。

初の本なので、新書的に制度を説明したり、理論を紹介する本にしようかとも考えていたのですがそうではなく、「貧困」や「生活保護」のような普通に書いたら難しくなってしまうテーマを、入門編として読みやすく書こうと挑戦しました。

柏木 高校生の大西さんが終電を逃した日の出来事からはじまるのですが、物語にスッと入れました。生活保護制度の説明だけではなく、エピソードが中心になっていますよね。今まで興味を持てなかった人も読みやすいでしょうね。

しかも、深刻なテーマなのに、エピソードもすごく面白かったです。特に、7章のネコの話(笑)。笑っちゃいけないんだけど、笑っちゃいました。

大西 いやぁ、もうあれは、本当に大変だった……。

柏木 私も漫画を描くとき直面しているのですが、貧困って、頭では分かったつもりになっても、リアリティを感じにくい。それに、ひとりひとり置かれている状況がぜんぜん違います。

その点、大西さんの本は、ネコの話もそうですが、大西さんが出会った方とどう関わったのか具体的に描かれているところ、「大西さんと○○さんの物語」になっているところが、今までに無い点だとおもいました。

大西 今までの「貧困」の書き方は、悲劇に見舞われ続けたかわいそうな人だったり、貧困状態から脱却できたぞ!といった成功事例を書きがちです。分かりやすいし見せやすいですから。NPOなどでの発信でも、成功事例を大きく取り上げることにより新聞等に掲載され、多くの方に情報を届けることを優先してしまうこともあります。

でも、そういった「成功事例」というのは必ずしも多くの相談、多くの人の出来事ではなくて、特別な事例だったりもします。当たり前なんですが、支援の現場は、キレイな話ばっかりじゃない。成功事例や良い話に落とし込めないむずかしさとか、上手くいかなさとか、面白さの方が大半ではないのかなと。

柏木 よくわかりますよ。

大西 誰が悪いってわけでもないのに、どうして上手くいかないんだろうって。いったい答えってなんだろう。それを、そのまま書いてみたいと思ったんです。

ぼく自身、説教臭いのが嫌いなんですよ。たぶん、中二病だからかもしれませんけど(笑)。貧困系だとどうしても「政府が悪い」みたいなメッセージなっちゃいがちで。政府は確かに悪いとは思いますが(笑)、どう悪いのか、何がうまくいかない原因なのか、メッセージを入れないことで、よりメッセージが伝わる気がしています。

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個人じゃ限界があった

柏木 なにも知らない若者である大西さんの周りでどんどん事件が起き、それと一緒に、貧困問題について考えていけるような本になっていますよね。いまは、もやいの理事をされている大西さんも、はじめは生活困窮者の支援を「甘く考えていた」というのが興味深かったです。

大西 ぼくは、貧困のことについて全然知らずにこの世界に入りました。生保=生命保険、だと思っていたタイプです。実際に支援に参加するまでは、ホームレスの人が「支援受けたい」と言えば、ちゃんとしたアパートに入れるんじゃないかと思っていました。「どうにかなるでしょ。日本だし」って甘く考えていたんですね。

で、実際に役所の申請に同行したら、窓口の人は冷たいし、ぼくのような同行者の存在も疎まれる。しかも、すぐにアパートに入れるわけじゃない。まずはシェルターに入れられて、がんばって仕事を探したり、いろいろな環境を整えると、より環境の良い施設やアパートに入居できる……。

一般的におこなわれている運用だとすぐさまアパートにはなかなか入れない。決していい環境だといえないシェルターや施設に耐えられなくて、せっかく支援につながったのに、路上に戻ってしまう人が沢山いる。

柏木 取材して感じたのですが、大人数の部屋に押し込めるような施設だと、せっかく支援につながれたのに、嫌になって逃げてしまうことも多い。それって、意味が無いですよね。私たちが「ここで暮らしたくないな」と一般の感覚で感じたら、当たり前ですけど、ホームレスの人も嫌なんですよ。

大西 おっしゃる通りです。しかも、役所以外で相談できる場所が少ないことを知りました。困った時にどこに相談していいかわからないんですよね。だから、ぼくは路上で知らない人にどんどん「困ったら連絡してね」と連絡先を渡していたんですね。

柏木 それ、すごい。勇気がいることじゃないですか?

大西 今思うと、なにも考えてなかった。目の前のできごとに何とか取り組んで、毎日役所に同行して、ってやっていました。でも、個人の関係でやるのは無理がありました。

柏木 個人では限界があったんですか?

大西 そうですね。ぼくが忙しいだけならいいんですけど、「力になって欲しい」と思ってせっかくぼくに電話をかけてくれた時に、たとえばぼくが電話に出ることができなかったとして。

公衆電話からだと折り返せないし、すぐさま連絡ができないこともある。そうなると、せっかく勇気を出して相談したのに対応してもらえなかった、裏切られたという経験が出来てしまう。ぷつっと心の糸が切れてしまうかもしれませんよね。

個人で相談を受けるというのは、特に相談が増えてくると、どうしても受けきれない部分が出てきます。だから、ちゃんと時間を指定したり、相談機関としてやっているのがすごく大事。そのような仕組みをつくっていこう、貧困問題を社会化する活動をしていこうとおもい立ちました。

柏木 それで、もやいに関わっていくのですね。

大西 とはいえ、もやいの相談機関だって、来年つぶれるかもしれないし、ずっとある保証はありません。その人が困るタイミングはいつか分からない。だから、本来ならば、安心して相談できる公的機関があった方がいいと考えています。

「ズバズバ聞きますね」

柏木 それと、本を読んでいると、大西さんって人懐っこいのかなっておもいましたね。稲葉剛さん(もやい前理事長)を、本人が嫌がっているのに、「ラビちゃん」って呼びつづけたり(笑)。支援に関わる人ってそういう人懐っこさが必要なんですかね。

大西 善し悪しはあるでしょうね。ぼくは、正直コミュニケーションが得意な方ではないとおもいます。だから、ちょっと失礼になってしまう時もあるのかも。上下とか関係なく、みんなに一定の距離感で接しています。

柏木 わたし、大西さんの相談に同行したことがあるんです。「死のうと思って東尋坊に行ったんです」という人に「飛び降りちゃいました?それともそこにうずくまった?」って淡々とした感じで聞いていて。うわ、聞くんだ!ってびっくりしたんです。でも、滞りなく相談は進んでいったと。

大西 そうですか(笑)。「ズバズバ聞きますね……」ってよく驚かれます。もちろん、踏み込んだ方が楽になるとおもったからやっているんですよ。でも、基本的にサラッと聞きたいって気持ちはあります。

たとえば、相談を受けるとき、職歴、家族歴、犯罪歴、病歴、家族のDV、セクシャリティのことも聞きます。なんでそこまで聞くかというと、病気があるかないか、セクシャルマイノリティかどうかでつなげる支援も活用できる制度や窓口、公的機関に求める合理的な配慮も違ってきます。ですから、すごく必要な情報なんですけど、だからといって、はじめて会った人に言いづらい話ばかりです。

でも、役所ではそれを言わないときちんと対応してもらえないわけですから、どうせ聞き取るのであれば、重いムードで聞くよりも、サラッと聞きたいんです。意外と、みんなサラッと答えてくれます。

だから、「言いづらそうだな」って感じたら、むしろ積極的に聞いてみる。1時間後に打ち解けてから聞こう、みたいなことをしていると、お互い「いつ聞くんだ」「いつ聞かれるんだ」と変な探り合いみたいになっちゃうこともあるんですよね。もちろん、なぜそれを聞くかをきちんとお伝えしたうえで、ですが。

柏木 なるほど。漫画家と編集者も、そういう関係があります。特に私は性的な漫画を描いていたので、編集者が相談できる人かどうかが大事でした。踏み込んでくれるんだけど、価値観を押し付けてこないとか、私が描こうとする内容に興味を持ってくれているんだろうかとか。編集者の方に聞く準備があるとわかって、ようやく話せる。

大西 興味の有無っていうのはよくわかりますね。夜回りをしていてもそうなんですが、事務的に声をかけてもしょうがないんですよね。「こまっていることありますか」と声かけても「ないよ」って言われるだけです。

でも、そこで一歩踏み込んで相手に興味をもって「顔色悪いですけど、体調はどうですか?」とか「足引きずっているけど、痛いですか?」って声かけするだけで、ぜんぜん反応が違うんですよね。

柏木 それって、面白いですよね。やっぱり人対人なんで、「この人いいな」と思えないと、シャットダウンしちゃいますよね。

大西 本来は当たり前な話なんですけど、自分が支援する立場だと思うと構えてしまうんですよね。「聞かなきゃいけない」とか「間違っちゃいけない」とか自分自身のことでいっぱいになっちゃう。

柏木 わかります。取材で人から話を聞かなければならないのに「わたし、こんなにおどおどしていて恥ずかしい」と思ったりする。相手の話題じゃなくて「こんな態度でバカにされてないかしら」っておもいはじめて、自分のことばっかり考えちゃう。

大西 そうですね。ぼくたちができるのは、関心を示すことなのかもしれない。「誰かに監視されている」と言われて、「じゃあ、精神疾患の可能性があるので、病院へ行きましょう」って言うんじゃなくて。結論は一緒でも、「ちゃんとご飯食べられてる?」とか「相談できる人いる?」って一歩踏み込んでいくことが必要なのかもしれません。

過程を丁寧に

柏木 そう考えると病気に対する正しい知識も必要ですよね。窓口にきた方が「全般性不安障害と統合失調型人格障害と解離性障害を患ってまして……」みたいに病名をズラズラっと並べたら、自分だったら聞いたこともない病気の方にどうやって接していけばいいんだろうってすごく焦ってしまうと思うんです。

大西 『健康で文化的な最低限度の生活』の1巻にもありましたね。

柏木 制度もいっぱいあるし、正直な話、福祉事務所によって対応もバラバラですよね。「大丈夫ですよ」って言ってあげたいんだけど、言えない。そういう時って大西さんはどうしているんですか。

大西 今は少しずつ知識も経験も積み重なってきましたからだいたいの予想はつくようになりました。でも、最初からそういうわけにはいけません。最初から自分も分からない前提で、「一緒に聞きに行く?」みたいな話をしていました。

柏木 ああ、一緒に考えるんだ。それはいいですね。

大西 ホームレス支援もそうですが、ちゃんとやろうするとかなりハードルが高い。制度のことをはじめ覚えることもいっぱいあるし、つながりみたいなのも必要。だから、次の世代が育たないのかもしれません。

だから、ぼくは「素人」であることを大事にしているんです。目の前に「お腹が痛い」と困っている人がいたら、「病院にいく?」って声をかけるとか。一般の常識レベルからはじめるのが必要だと思っています。

今になったら詳しくなっちゃうので「幻聴が聞こえるんだね。じゃあこの病気だね」と決めつけがちです。「引越ししたいって言うけど、厳しい交渉になるだろうな」とか。でも、それって自分の脳内で話しているだけで本人と話していないんです。そういう専門的なジャッジはお医者さんがやることだし、役所の方たちがやることだし、ケースワーカーなど制度を運用する人が判断することです。

ぼくたちの仕事は、その人がなにをやりたいのか聞くことです。制度上難しいと思っても、「ダメです」とぼくたちが言うことには意味がないと思っています。やっぱり、「無理」って言われ続けると疲れちゃうでしょう。制度上どうしても制限をつける必要があるから仕方ないんだけれども、ぼくらまでそれをいう必要はない。もちろん、無理なことを「できる」と言うことはしませんが、「難しいかもしれないけれども聞いてみようか」が大事なのではないかと思っています。

柏木 すごくよく分かります。でも、その「話を聞く」というだけのことが、本当に難しいんですよね。

ある人が「引っ越したい」と言った時に、「無理だと思うよ」と返せば、その会話はそこで終わってしまう。「ああ、ここでも無理なんだな」って。しかも、「もっとこうしないと」と気が付いたら説教したりして。でも、もしかしたらその先に他の思いや言葉があるかもしれない。

たとえば、施設をしょっちゅう脱走する人っていますよね。「そんな脱走なんかしていたら、役所の信用が下がるから、いつまでたってもアパートに入れないよ」って傍から見ていると言いたくなるじゃないですか。アパート入居の能力が無いと思われてしまいますからね。

もうちょっと我慢したら……って支援の側は思うわけでしょ。そこで、「なんで脱走したのか」と責めずに聞くのは難しい。

大西 「なんで出たの」って聞くとだいたい「合わなかった」って言うんです。そこで、「みんな合わないけど我慢してるよ」と叱っても意味が無い。

「なにか嫌なことあったの?」「同部屋の人と上手くいかなかったの?」と角度を変えて聞いてみると、お金せびられたとか、たかられたとか。その人自身に発達障害があり周りと衝突しやすかったり。「出てけ」と言われていないのに「出てけ」って声が聞こえていて、統合失調症の症状だったとか、そういう問題が出てくることもあります。

やっぱり、相談されると立場が上になってしまいますよね。説教したくなる。同級生が会社やめても「なんでやめたの」「我慢できなかったの?」「そんな上司文句言えばいいじゃん」とか、励ましているようで、でもそれは上からの指導なんですよね。それって対等じゃない。

相談にくる方や、困窮されている人のなかにはずっと説教されてきた人も多い。何かの理由があって、仕事が出来ないから困窮している。それなのに出来ないことだけを見て責めても問題は解決しません。みんなに責められている人をこれ以上、ぼくたちが責めても仕方ない。ぼく自身が、学生時代「もっとちゃんとしなさい」と怒られ続けられたのかもしれませんが(笑)。

結果をみて判断して説教するのは簡単です。なぜそうなったのか。過程を丁寧にみていかないといけない。説教をして自己満足しても、その人の問題解決につながらない、貧困問題も解決しないんです。

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「自己責任」ってどうおもいますか?

柏木 貧困に陥った人と常日頃接しているひとって少ない。だから、多くの読者は「自業自得じゃないか」と言う。でも、本人にとっては不遇な状況だったりする。大西さんは、そういう「自己責任論」ってどうおもいますか。

大西 ぼくは、自業自得じゃない要素を持っていない人って少ないと思うんですよ。みんなが思い描くような、「完全潔白な困窮者」っていない。

柏木 自業自得の部分もあると?

大西 でも、それって当然ですよね。誰だって、「もっと勉強していればよかった」とか「あの時、就活頑張っていたらもっといい企業に入れたかも」「あの人と結婚しておけば……」って人生の選択に失敗はつきものです。自己責任って言いだしはじめたら、誰も反論できません。

柏木 そうですね。人間ってそんなもんですからね。

大西 助けを求める人に対しては、粗さがしをしてしまう。でも、そうやって粗さがしをすることで、自分は不正をただした気持ちになるかもしれないけれど、貧困問題、ホームレス問題は解決しないんですよね。自分自身の考えや感情とは別に、解決する道を模索するのは実はすごく勇気のいることだとおもいます。僕も説教したくなっちゃう気持ちになることはありますし。

ただ、生活保護制度は努力の成果、結果や過程は問わず、単純に一定程度困っていたら必要な支援を支給する制度です。『健康で文化的最低限度の生活』の中でも、昔は年収2000万円なのに、生活保護を受けている人がでてきます。「なんで貯金してなかったの」っていう視点は入らない。いま困っているから保護を受けられるんです。そういった、感情や価値観、情緒的な判断が入らない、ということは実はすごく重要なんだと思います。

「自己責任」って言うのは、最強の言い訳ワードなんです。その一言で見ないようにできる。「自己責任」と言われて言い返せる人なんてほとんどいません。自分自身の生活が100%高潔な人はいないと思うので。

柏木 言われてみれば、本当にそうですね。

大西さんの本に、暴力団の方の話が出てきますよね。あとちょっとで、ってところで、寂しくなって昔の兄貴の誘いにのってしまう。もうちょっと頑張れば……って思っちゃうわけです。あれも、本人の自己責任でしょって言ってしまえばおしまいなんだけど、更正したい気持ちも絶対本当なんだよね。

大西 そうなんですよ。更正したい。でも、「自分らしく生きたい」ってみんなおもっている。だれだってそんな感情はありますよね。

ちなみに、柏木さんは、ぼくたちからするとカウンターの向こうにいる福祉の生活課の取材も行っています。取材の中で感じられたことはありますか?

柏木 若い人の方が、偏見が大きい印象をうけました。やっぱり自分たちは頑張って安定した仕事を得たと。でも、なんで頑張っていない人にお金をあげなきゃいけないのと感じている。でも、年を取るにつれ、「人生いろいろ」って分かっていく。

大西 若者の方が、貧困にリアリティがあるのかと思っていました。

柏木 もちろん、ケースワーカーさんはきちんと教育を受けているので、一般の人よりは勉強しています。それでも、入ってすぐのワーカーさんは「なんでお金がないのにスマホ持っているの」と言う。でも、だんだんスマホがないと仕事ができない状況が分かってきます。外から非合理に見えても、きちんと見ていけば、それぞれの行動にはきちんと理由と合理性があるんです。

大西 よくわかります。この本でも言いたかったんですが、誰かが悪いってことじゃないんですよ。困っているその人が悪いとか、その人に対してうまく支援できない行政が悪いって話じゃない。それぞれが一生懸命やっているんだけど、うまくつながらない。

柏木 実際はそんな感じなんでしょうね。いろんなところですれ違ったり衝突が起きたりしているけど、誰もが完璧ではないし、誰もが一所懸命やっている。

大西 だからこそ、ぼくたちのような「素人」が間に入る意味があるのかなっておもいます。それでも、上手くいかないことの方が多いんですけどね。

柏木 うんうん。よくわかります。大西さんの『すぐそばにある「貧困」』はその上手く行かなさを含めたリアリティを描いているから、貧困を身近に感じられる。

大西 ありがとうございます。貧困を「すぐそば」に感じられるような本になっていると思うので、ぜひ読者のみなさんも手にとってみてください。

プロフィール

柏木ハルコ漫画家

漫画家。1994年小学館ヤングサンデーでデビュー、主に青年漫画誌で執筆を続ける。現在小学館の週刊ビッグコミックスピリッツ誌上にて生活保護のケースワーカーの日常を描く「健康で文化的な最低限度の生活」連載中。

この執筆者の記事

大西連NPO法人自立生活サポートセンター・もやい

1987年東京生まれ。NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長。新宿での炊き出し・夜回りなどのホームレス支援活動から始まり、主に生活困窮された方への相談支援に携わる。東京プロジェクト(世界の医療団)など、各地の活動にもに参加。また、生活保護や社会保障削減などの問題について、現場からの声を発信したり、政策提言している。初の単著『すぐそばにある「貧困」』(ポプラ社)発売中。

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