初詣は新しい参詣スタイル!?――鉄道が生んだ伝統行事

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鉄道による参詣客争奪戦

 

ところで、現在の首都圏の初詣の賑わいをみてみると、大正時代に創建された明治神宮を除けば、川崎大師と成田山が圧倒的な参詣客数を誇っている。郊外鉄道路線の沿線にはこの両寺院のほかにも無数の神社仏閣があるにもかかわらず、なぜこの二つの寺院にかくも人気が集中しているのであろうか。

 

「御利益」「信心」「由緒」といった要因も否定はできないが、その点で川崎大師や成田山にひけをとらない神社仏閣は他にいくらでもあるのだから、この要因だけで説明するのには無理があろう。

 

実は、首都圏だけではなく、愛知の熱田神宮と豊川稲荷、京都の伏見稲荷、大阪の住吉大社のように、各都市圏で突出した初詣客数を集める神社仏閣の多くには、共通する明白な特徴がある。それは、単一ではなく複数の鉄道がアクセスしているということである(表1)。

 

 

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表1 三が日の初詣の人出(全国上位10位、2009年、警察庁まとめ)
(出所) 『読売新聞』2009年1月9日夕刊「初詣で9939万人 明治神宮トップ」
(注) ★は「複数の鉄道路線がアクセスしている郊外の社寺」を示す。

 

 

これらの神社仏閣は、ただ単に鉄道がアクセスしただけではなく複数の鉄道路線がアクセスするようになったために、私鉄同士、あるいは私鉄と国鉄とのあいだで激しい乗客争奪戦が生じ、乗客(=参詣客)が激増したという共通の歴史を有しているのである。

 

以下では、成田山の例をみてみよう。成田山では、まず明治期に成田鉄道と総武鉄道のあいだで競争が生じた。この両社のサービス競争の過熱のなかで、日本の鉄道史上初となる列車内喫茶室が成田鉄道に登場したことは、鉄道史研究者にはよく知られたことである。だが、ここではそれよりもはるかに大きなインパクトをもたらした国鉄VS京成電気軌道(現在の京成電鉄)の競争をみてみたい。

 

「京成」という社名が示すとおり、この私鉄は1909年の創立当初から東京~成田の開業を目指していたが、1926年12月になってようやく押上~成田間が全通した。国鉄の二つの成田行き路線(前述の成田鉄道・総武鉄道を国有化した区間を含む、上野~我孫子~成田、両国~佐倉~成田の路線)よりも短い路線を走って運賃が安いうえに、電車による便数の多い運転(フリークエントサービス)をおこなうこの電車路線の登場によって、成田山参詣が大いに便利になったのは言うまでもない。

 

さっそく、1927年の正月には京成成田駅の元日乗降客数が16,000人という成果をあげた(以下、京成成田駅と国鉄成田駅の元日乗降客数については表2を参照)。

 

 

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表2 京成成田駅・国鉄成田駅の元日乗降客数(拙著『初詣の社会史』p.225)

 

 

こうなると国鉄側も黙ってはおられず、正月三が日の成田臨時列車を例年より増便して京成に対抗したのだが、その結果がたいへん興味深い。京成が新規参入して国鉄の取り分が減ったのかといえば、結果はその逆で、国鉄成田駅の元日乗降客数は前年より2,600人増加して27,000人となったのである。

 

つまり、この国鉄の増加分と新規参入の京成の数をあわせて考えると、元日の成田乗降客数はわずか一年で18,600人も増加したわけである。この初詣客の急増によってまさに「成田はこの数年来にない景気」(『東京日日新聞』1927年1月4日)となった。

 

翌年からは京成の攻勢がいよいよ本格化する。京成はメディアでの宣伝を大幅に強化したほか、正月三が日に押上~成田間を5分間隔で運転するという大胆なフリークエントサービスを実施し、国鉄に電車の有利を見せつけた。その甲斐あって、京成利用客は年々増え続け、1931年には元日の京成成田駅乗降客数が35,000人に達した。1927年からわずか4年で倍以上に膨れ上がったわけである。

 

対する国鉄も指をくわえて黙ってみているわけにはいかない。京成のような電車によるフリークエントサービスはかなわないものの、臨時列車を年々増便していったほか、1929年には新しい試みとして両国・上野から臨時の「特別急行列車」を運行した。

 

「所要時間は普通片道二時間二十分であるが此列車は片道一時間半で賃銀は二割引の大人往復二円となつて居る」(『読売新聞』1928年12月26日)。つまり、運賃が割引になるうえに、所要時間が通常よりなんと50分も短縮されるというのであるから、国鉄もずいぶんと頑張ったものである。

 

政府の鉄道が私鉄を相手に喧嘩するのは大人気ないなどという批判も一部にはあったようだが(青木槐三『国鉄』新潮社、1964年)、現場の関係者たちはそのような悠長なことは言っていられなかったようである。

 

両者の競争は1931年に京成が念願の日暮里駅乗入れを果たして山手線と接続してからピークを迎えた。その模様をセンセイショナルに報じた当時の新聞記事を引用しておこう。

 

「成田山の初詣客を当て込んで早くも成田行を持つ省線〔国鉄〕・私鉄は火の出るやうな旅客争奪合戦をはじめた。まづ省線は東京―中山〔下総中山〕の各駅から成田山まで往復賃金一円五十銭と奮発すれば、これに並行線をもつ京成電車は〔中略〕押上、日暮里及び中山駅までどこから乗つても往復賃金一円三十銭、省線よりも二十銭安いといふことで、省線には一人の客も渡さぬといふ寸法。それでもまだ足りないとあつて〔中略〕「純金」と「純銀」の不動尊像と開運御守りを乗客に抽選で出さうといふ計画、更に大晦日の終夜運転等、等、省線をペシャンコにしようと文字通りの大馬力とある」(『読売新聞』1932年12月28日)

 

かくも熾烈なサービス競争が繰り広げられたのであるから、当然人々にとって成田山は時間的にも運賃的にも格段に行きやすくなったわけで、1940年には元日の京成・国鉄両成田駅乗降客数は合計243,000人となった。わずか14年のあいだになんと約10倍(!!)にまで膨れ上がった計算になる。

 

実のところ、このように同一の社寺にアクセスする複数の鉄道路線同士で乗客=参詣客を奪い合う競争が生じ、その結果として乗客=参詣客のマーケットが拡大するという変化は、成田山にかぎらず全国の都市圏で共通して生じたものである。

 

それゆえ、今日の初詣の人出ランキング(上位10位)に名を連ねる社寺のうち複数の鉄道路線がアクセスする郊外の社寺が7つにものぼるというのは(表1)、偶然ではないのである。

 

 

おわりに

 

以上、初詣の成立過程について主に鉄道との関わりに注目して述べてきたが、初詣の近代史にはもう一つ重要な論点がある。それは、ナショナリズムとの関わりである。初詣は明治期に庶民の娯楽行事として誕生したはずなのに、大正期以降になると、皇室や「国体」と結びつけて初詣を語るナショナリスティックな言説が新たに生じてくるのである。

 

だが、残念ながら本稿はすでに依頼された字数を大幅に超過している。上記の論点も含めて、初詣の歴史についてもっと深く知りたいという方は、拙著をお読みいただければ幸いである。

 

なお、『鉄道が変えた社寺参詣』と『初詣の社会史』の二冊の違いを簡単に述べておくと、初詣が鉄道の発達とともに娯楽的な行事として成立していく過程について、前者で一般向けにやわらかく、後者(第1部)で学術的な体裁で説明している。

 

一方、後者(第2部~第3部)では、庶民の娯楽として成立した初詣が、大正期以降知識人層に波及し、「娯楽+ナショナリズム」の二面性をあわせもった「国民」的行事として展開していく過程について論じている。読者各位の御関心に応じて書店で手にとってご覧いただければ幸いです(レジまで持っていってくだされば、なお幸いです)。

 

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