田舎で育ち、都会で老いる ――「孤族の国」を考える(3)

急速に進む都市型高齢化

 

『朝日新聞』連載の「孤族の国」が大きな反響を呼んでいるとのことだ。この大きな反響にはいくつか理由があるだろう。誰でもいずれは死を迎える。しかし、今を生きる自分自身が現在営んでいる生活様式が、どのようなかたちの末期につながりうるか、必ずしも自明ではない。しかし連載記事を読んだ読者には、現在の生活が孤独な老後と末期に直結しうることを確認し、少なからず狼狽しているのではないか。

 

十分な医療や介護も受けられず、人知れず一人ひっそりこの世から姿を消す孤族の姿は、核家族化や都市化、あるいは社会安全網が脆弱なまま貧困化してしまった日本社会の抱えるさまざまな問題を反映している。原因も解決方法も多岐にわたるが、ここでは主として地域を軸に孤族問題を考えていきたい。

 

地域政策からみる理由は、田舎で育ち、都会で老いることが孤族のひとつの特徴だからだ。孤族問題は、その問題のすべてとはいわないものの、戦後日本社会を支えてきた地域的再分配、再循環のメカニズムが抱える構造的な問題が表出した側面がある。

 

つまり、東京をはじめとする都会に人もモノも金もいったん集中させて、地方に分配するモデルのしわ寄せが、孤族の出現というかたちで現れたのである。ある意味で、高度経済成長の裏側に横たわっていた地方経済の停滞、地域政策の失敗が、孤族問題の背景にあることは間違いない。

 

大量の孤族が発生し、その行く末を悲観する事態が発生した理由のひとつは、人口の急速な都市化である。総務省統計局や国立社会保障・人口問題研究所の資料によれば、2005年から2015年のあいだに、高齢者人口がもっとも急速に増加するのは埼玉県であり、つづいて千葉県、神奈川県である。増加率首位の埼玉県では、およそ55%の高齢者人口増加が見込まれ、全国平均でも30%を上回る。一方で高齢者人口増加率を下位から並べると、すでに高齢化の進行していた鹿児島県、山形県、秋田県が並ぶ。

 

つまり、「金の卵」と持て囃され、集団就職で上京した団塊世代(1940年代後半生まれ)と、これに引きつづくかたちで都市部に流入した人口が、退職し老後を送ることで都市部が急速に高齢化するのである。しかも都市部での高齢化にあっては、深刻ながらも緩慢なかたちで進行してきた地方での高齢化とは、まったく異次元の問題が発生するであろう。たとえば、多くの高齢者が認知症を抱え、地域的な相互扶助の基盤が脆弱ななかで、孤独な末期のときを迎えることになる。

 

 

経済の「55年体制」と急速な都市化

 

このように30年から40年前に起こった現役世代人口の急速な都市化が、これから急速に進む都市高齢化の直接の原因である。それでは、日本列島の都市化はどのような仕組みで起こったといえるだろうか。

 

日本だけでなく一般的に、経済が未成熟な段階での経済成長は、農村部から都市部への急速な人口移動を伴う。生産性の低い農村部門から、高生産性部門を抱える都市部への労働力移動をうながすことは、とくに労働集約型製品を輸出しながら経済成長をする局面において、必ずといってよいほど発生する。

 

たとえば、国勢調査で就業者総数に占める第一次産業の比率をみると、戦後初期でおよそ半数を占めていたが、この数字は70年代初頭にかけて2割を切るまでに急速に下落し、80年に11%、2005年の数値で4.8%である。同時期、都市部人口は一貫して増加してきた。

 

開発経済学の教科書に必ず登場するモデルのひとつに、アーサー・ルイスの二重経済モデルがある。ルイスは西インド諸島出身の経済学者で、1979年にノーベル賞を受賞しているが、彼の議論は途上国経済が生産性の高い近代部門=都市と、生産性の低い生存維持的部門もしくは伝統的部門=農村に分かれるとの前提に立つ。このモデルで経済発展のカギになるのは、農村部から都市部に、安価な労働力がほぼ無制限に流入することである。これを促進するためには都市部で経済インフラへの投資を行い、賃金インセンティブを通じて農村部から、労働力人口を都市部に吸い出すことが重要になる。

 

もちろん、こうした政策を取ることには一定の経済合理性がある。グローバリゼーションの進む世界で、競争力を保持するためには大都市という集積の利益が働く地域をもつことが重要だ。しかし、経済学の教科書で「投入労働量」と、抽象的な概念として導入される労働力とは異なり、現実世界の労働者はやがて老い、終末のときを迎える。つまり、大多数の労働者が出身地に帰り職業を探す行動を取らないかぎり、高度経済成長と急速な都市化の代償として、都市部の高齢化は急速かつ劇的に訪れるのである。

 

戦後日本経済が成長軌道に乗ったのは1950年代前半の朝鮮特需以降のことだ。経済が軌道に乗りはじめた55年には、保守政党が合併することで自民党が結党され、政治の安定性も確保された。ここでいわゆる55年体制が確立される。当時、自民党の前身となった保守政党の得票率を合計すると6割近く、たとえ急速な都市化を経験したとしても、自民党が容易に政権を維持するであろうことは自明であった。

 

政治の55年体制は、経済の55年体制と表裏一体であった。データの存在する1958年以降の都道府県別行政投資実績をみると、当時は大都市圏での経済インフラへの支出が目立つ。本格的に経済成長を促進するための政策が取られたのである。当時、太平洋ベルト地帯を中心に新幹線や高速道路が開通し、その建設資金として世銀からの融資が用いられた。1960年代、日本の人口一人当たり所得の成長率は年率で9%に達し、人口も急速に都市化を遂げたのであった。

 

 

 

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