ムスリムは何を信じているのか?

現在、地球上には16億人ほどのムスリム(イスラーム教徒)がいると言われる。このうちの五分の一前後は、イスラーム教が支配的な宗教ではない国の中で、マイノリティとして暮らしている。当然、日本にもムスリムがいる。正確な統計は存在しないが、十万人前後の外国人ムスリムが日本に居住していると見られている。日本人のムスリムもおり――これも、正確な統計は存在しないが――その数は1万人から2万人程度であると筆者は考える(注1)。

 

(注1)これよりも少ない数を示す調査結果もあるが、それらの調査では、イスラーム団体と深くかかわらずにムスリムとして生活する日本人の多さを全く認識できていない。

 

ムスリムの動向は今や、グローバル化された世界の情勢を考えるための不可欠な要素のひとつである。のみならず、ムスリムが増加傾向にある現代の日本を生きる上でも、イスラーム教の世界観への理解を深める必要がある。

 

かかる背景から、「イスラーム」という言葉を冠した本が次々に出版されている。ただ、イスラーム教の歴史的展開や、戦争についての考え方、あるいは、中東諸国の政治情勢などに焦点をあてた本が多く、「イスラーム教の宗教としての教義はよく理解できなかった」という感想を持つ人も多いのではないだろうか。

 

この記事は、「イスラーム」という言葉が冠された本を読んでみたものの、ムスリムが何を信じているのかは結局よくわからなかった、という人のために執筆したものである。ここでは、イスラーム教の教義を説明する際に一般的に用いられる、「六信五行」――イスラーム教を特徴づける六つの信仰対象と、五つの宗教行為――を形式的に説明する方法をあえて避けて、そぎ落とせる部分をできるだけそぎ落とし、ムスリムの世界観の核を説明した。イスラーム教を理解するためのひとつのヒントとしていただければ幸いである(注2)。

 

(注2)イスラーム教に帰属意識を持つ宗派は複数存在するが、この記事は、多数派であるスンナ派の教説に依拠して書いたものである。

 

 

創造主以外のものを崇拝しないこと

 

イスラーム教の教義の中で最も重要なことは、世界の創造主を唯一の崇拝の対象と信じることである。

 

創造主ではないものは何であれ――人間であれ、天使や妖魔であれ、国家や貨幣であれ、世間や自分自身であれ――崇拝し、服従するに値するものではない。世界に存在するものはすべて創造主によって創られた被造物であり、神ではありえない(注3)。被造物ではなく、それらを創り支配する者をこそ崇拝の対象とすべきである。

 

(注3)この記事では、「神」という単語をアラビア語における「イラーフ=真に仕えられるべき/崇拝されるべき者」の意で用いる。

 

これが、アーダム(アダム)創造以降、地上のあらゆる民に遣わされた使徒(人々に創造主の使信を伝えることを命じられた預言者)が訴えた、「タウヒード(唯一なる者となすこと)」の教えである。使徒たちがもたらしたこの教えを受け入れ、創造主のみを崇拝する者を、アラビア語で「帰依(イスラーム)する者」、ムスリムと呼ぶ。

 

 

「われらは、われらに下され、あなたがたに下されたものを信じる。そしてわれらの神とあなたがたの神は一つであり、われらは彼に、帰依する者(ムスリム)である」(クルアーン29章46節)

 

 

最終啓示『クルアーン』

 

創造主を唯一の崇拝の対象とみなしたとしても、自分勝手な方法で崇拝行為をしてしまえば、神を正しく崇拝したことにはならない。

 

イスラーム教では、神を崇拝する方法として、人間への最終啓示である『クルアーン』と、その啓典を与えられた最後の使徒ムハンマドの言行に従うべきだと考える。

 

もっともムスリムは、有史上、地上のあらゆる民族集団に対して何万もの使徒が遣わされ、いくつもの啓典がもたらされたこと、そして、いずれの使徒も同じ教え――タウヒードの教え――を説いたと信じている。しかし、これらの教えは、人々に拒否されるか、あるいは一度受け入れられても後の時代に歪曲され、正しい教えが保持されなかったとされる。つまり、現在、創造主の言葉を正しく伝えている啓典は、『クルアーン』ただ一つということになる。そのため、最後の預言者であるムハンマドに与えられ、歪曲されることなく、啓示されたままの形で現在まで保持されている『クルアーン』と、この『クルアーン』を完全な形で世界に体現したムハンマドの生き方を、教えの源泉とみなすのである。

 

 

「ムハンマドはおまえたちの男のうちの誰の父でもない。しかし、アッラーの使徒であり、預言者たちの封緘である」(クルアーン33章40節)

 

 

別添資料:クルアーンの写真

 

 

死後の審判

 

すべての人間は、死後、創造主によってよみがえらされ、楽園か地獄のどちらかに振り分けられる。この審判において考慮されるのは、各人の生前の信仰の有無と、生前に為した行為である。この審判は公正かつ厳密であり、人間が為した善行と悪行が「公正な秤」によって比べられる。

 

 

「一微塵の重さでも善を行なった者はそれを見る。一微塵の重さでも悪を行なった者はそれを見る」(クルアーン99章7‐8節)。

 

「彼らは言った。『誰が朽ち果てた骨を生き返らせるのか。』言え。『それを最初に成した者が、それを生き返らせる』」(クルアーン36章78‐79節)。

 

 

では、誰が楽園に入り、誰が地獄に入るのだろうか?【次ページにつづく】

 

 

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