震災後の日本社会と若者

好きなことを続けられる環境はない

 

古市 『希望難民ご一行様』で書いた問題意識とつながってくると思いますが、みんなが夢を追えばいいとか、好きなことをやったらいいといったメッセージが世の中には溢れています。だけど、当たり前のことながら、誰もが夢を叶えられるわけではない。結局は社会的弱者にならざるをえない可能性が、今の日本社会においては高いということですね。

 

小熊 ニューエコノミーと非正規の増大という先進諸国共通の現象と、いったん正規雇用からあぶれると復活のチャンスがないという日本独自の現象とが複合していますが、今のところはフリーターに将来のモデルはない。今の40代以上だったら、その道をあえて選んだ人たちも多いかもしれませんが、30代半ばぐらいだったら、就職氷河期で否応なく漏れおちてしまった人たちが多いです。今これらの人たちは大変です。今の20代の人たちは、繰り返しいいますが、そのことがあまりよくわかっていないと思います。

 

古市 だけど「画期的な生き方」や「一部の成功例」にばかりスポットライトが当たります。たとえばシェアハウスにしても、本当は貧しくて住居をシェアせざるをえない人がいるにもかかわらず、メディアが注目するのは、先進的な高学歴の人たちが集まったシェアハウスばかりです。こんなクリエイティブなことが起こるんですよ、とか。そうせざるをえない人を無視して最先端だけが注目されてしまう。

 

小熊 まあそうですね。どの業界でももちろん成功者はいますから。弁護士でも医者でもミュージシャンでもなんでも、一番成功した人を拾ってくれば輝かしいです。もちろん学問業界のなかで、あなたが一番下に入る可能性ももちろんこれからいくらでもあります。

 

古市 小熊さんが26歳のときはどのような人生を描いていましたか。その頃は岩波書店にお勤めされていたと思いますが。

 

小熊 古い体質の会社勤めにありがちな悩みでしたね。命令通りに人事異動を受け入れて、明日から営業に行ってくれといわれたらその通りにしなくちゃならないので、自分のキャリアプランが立たない。それで得意分野を身につけないと消耗品になってしまうと思って、30歳のときに大学院へ行きました。結果として学問方面へ進んでしまいましたが。

 

古市 多くの人は限界があると気づいても、結局はそこの企業にしがみつくか、せいぜい転職するしかない。20代に将来の展望を持てというのは、そもそも難しいと思います。

 

 

日本でやれることは何か

 

古市 20代のうちは、やっぱり将来のことをそこまで真剣には考えられないと思うんです。もちろん漠然とした不安はあるんだろうけど、それは分節化されないもやもやした不安に過ぎない。雨宮処凛さんや赤木智弘さんが自分たちの不遇な状況を訴えはじめたのは、彼らが30代になってからです。20代のときではない。しかし、そうしたことを意識せずにいる20代が多くいる現状において、一体何ができるのでしょうか。

 

小熊 包括的な案が出せれば私は救世主になれます。最低限日本でやれることは、雇用慣行を変えることでしょう。それが変わらないと、敗者復活できる目処がない。それが変わっても救われない人は出ますが、モデルプランが立てられる分だけ、今よりましにはなります。ただそうなれば、低賃金で展望のない非正規職なんかで働くより、職業訓練でも受けて正規職を狙うという人が増えるでしょうから、若年失業率は上がると思いますが。

 

古市 上がらざるをえないということですか?

 

小熊 そうなればヨーロッパ、アメリカ型に近づいてくる。そして日本の若者が敬遠する低賃金非正規労働市場に、移民が入るでしょう。

 

古市 しかし、雇用があまりにも流動化して、会社をどんどん変えていくような社会において、果たして人は幸せでいられるのかという問題もありますよね。

 

小熊 流動化せざるをえないのはニューエコノミーの必然です。日本の場合は、その潮流に抵抗して、正規職の流動性を低く抑えている分、しわ寄せで非正規の不安定性が高すぎる。

 

 

若者論はなぜ繰り返されるのか

 

小熊 ところで、若者論というものが今どういう意味を持つかを話しましょう。「若者はだらしない」の類の言辞は太古の昔からあるといわれ、あなたも書いているように、戦前も戦中も戦後も若者論はありました。しかしそれが定着したのは、これもあなたが書いているように、日本では高度経済成長期からです。これは階級要因が退いたからです。

 

これは同じ頃に、フェミニズムやリブが台頭したのと似ています。つまり一億総中流意識が広まり、階級要因が目立たなくなったことで、大奥様であろうと女工であろうと農村婦人であろうと、「女」としての共通の問題があるんだと語れるようになった。1970年代から80年代半ばまでのリブやフェミニズムの議論を見ると、ほとんどが都市部の高学歴中産階級女性の問題を論じている。バリエーションがあるにしても、職業に就くことを選んだ女性と、専業主婦になる女性の違いくらいだった。農村女性や女性工場労働者がいるとしても、やがて都市部の高学歴中産階級になっていくんだろうと思われていたのでしょう。

 

「若者論」も同じだったと思います。1960年代には大学進学率がどんどん上がっていき、みんな大学生になって、終身雇用でサラリーマンになって、中産階級になるんだろうと思われていた。ブルーカラーであっても職業欄に会社員と書くというような時代でしたからね。実態よりも意識がそうなっていた。その時期に、大学生を典型的な「若者」とみなして、それを論じることが栄えたんです。

 

古市 しかも、日本には移民が少ないから人種で区切る意味もない。若者論は特に70年代以降流行しましたが、不思議なのは、2000年代以降も若者論が続いていることです。格差社会というリアリティを人々が感じるようになって、一億総中流だとはもはや誰も思わなくなったのに、それでもなお、若者論は続いています。

 

もう一度階級というものが前景化してきたにもかかわらず、若者論が繰り返されている。それは個人のレベルではわかる話です。コミュニケーションツールとして若者論はすごく使いやすいものだからです。歳をとって時代についていけなくなっただけなのに、「最近の若者はこうだ」というと、さも一端の社会論に聞こえる。その意味で若者論というものが、若者ではなくなった人たちにとってのある意味自分探しだとか、社会と自分の認識作業として残ってしまうのはわかります。だけど、世代一般を語る「若者論」が今でも量産されています。

 

小熊 一つは単純な理由で、まだ階級でものを語るのに慣れていない人たちが多いから。特に年長の人はそうです。

 

二つ目は、時代の変化というものは確かにあるからです。敗戦後すぐも若者論、というより世代論が栄えました。この時点では、階級があることはわかっていたけれども、戦争を何歳で経験しているか、あるいは大正デモクラシーの時代に教育を受けているか、というような人間類型論でした。

 

そういう違いは今でもあると思います。今40代後半以上で、80年代までに人格形成した人は、若者は車を買って当たり前、終身雇用が当たり前、日本は製造業の国だ、といった感覚が染み付いている人が多い。それ以後に人格形成をした人は違いますね。

 

 

若者バッシングと移民排斥運動

 

小熊 そして三つ目は、先ほどあなたがおっしゃったように、日本には移民が入ってこないから、「人種」ではなく「世代」で語られるのだと思います。先ほどもいったように、外国だったら移民が働くような職場で日本の若者は働いています。ヨーロッパだったら本国人の女性や若者が就かないような時給700円のマックジョブですね。東日本大震災の被災地では、津波で壊滅した町の部品工場で、農家の中年女性が時給300円で働いていました。そういう人たちがいるかぎり、日本で移民は大量には入りません。

 

こういう状態の社会で、ニューエコノミーで変動した社会についていけない中高年の違和感と反発がどこに向かうか。どこの先進国も、製造業が衰退し、男性の平均賃金が低下し、女性が働きに出ざるをえなくなり、家族が揺らぎ、結婚できない若者が増えている。それでヨーロッパの場合は、移民が入ってから社会が悪くなったんだ、と語られる。ところが日本の場合は、こんな社会になったのは若者が悪いんだ、携帯いじってモラルが低い、意外と豊かそうなのに生活保護をもらっている、我々を脅かす連中で社会を不安定化させる、といった言説が流行る。これはいわば、日本における移民排斥運動の代替版です。

 

古市 若者バッシングは、ある種、移民排斥運動と同型だということですか。

 

小熊 ヨーロッパなら移民が入るはずの労働市場で若者が働いているわけですから、社会的な代替物になりやすいのでしょう。

 

古市 移民は排斥というゴールがありますが、若者に関しては日本人である以上排斥はでききれないわけですよね。ということは、移民排斥運動みたいなかたちでの若者バッシングや若者論というのは、今後も続いていくのでしょうか。

 

小熊 日本から追い出すことはできないから、しっかり教育して立派な日本人にしろ、という教育論というかたちで出てくるでしょう。歴史を教えろとか、ボランティアやらせろとか、いっぺん軍隊に入れろとかね。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

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