震災後の日本社会と若者

若者語りをしたい人は多い

 

古市 『絶望の国の幸福な若者たち』は自分が思っていた以上に話題になりました。もはや若者論なんて流行らないと思っていたからこそ、エッセイとして自分たち語りをしてしまったところもあります。若者論をやる意味は、僕にとっては自分探しというか、自分はこう思っていてこんなふうに今の世の中を見ていて、どうやら世の中の同世代もこうらしいという程度のものでしかなかったんです。

 

しかし、それ以上に若者語りをしたい人が多くいるということに、この本を出して気づかされました。ということは「若者論に意味がない」とだけいっていても仕方がない。一つのリアリティに回収されないかたちで、ちょっとでもましな「若者像」を出していくことが大事だと思うようになりました。

 

小熊 この本が注目されているとするならば、確かに若者論のニーズというのはあるのでしょう。教育社会学や格差研究の要素を組み込んでいる若者論はそんなに多くはありませんので、それはこの本の優れた点だと思います。また、若者論は年長の人が論じることが多かったので、20代が書いたということが新鮮だったということもあると思います。

 

古市 ただ、僕自身は若者論を40、50歳にもなってもやるつもりはあまりないんです。そもそも若者論の学術的な意義はこれから縮小せざるをえないという認識は変わりません。これから階級が前景化せざるをえないとすると、ますます「世代」で語ることは難しくなってくる。大人たちのコミュニケーションツールとしての若者論は続いていくと思いますが、アカデミックな文脈で考えれば、ヨーロッパのようにトランジション研究などが中心になっていくんでしょう。さらにその先にはイギリスのように、アンダークラス研究が盛んになるという未来像もありえますが。

 

一方で、小熊さんがおっしゃったように、人々がまだ「階級」語りに慣れないのならば、一般向けの「若者論」はまだニーズがあるということですよね。そのとき、研究者にできることがあるとすれば、個別の領域で論じられてきたことを「若者論」として組み替え直すことだと思います。

 

たとえば、社会政策の分野における結婚や出産をしない若者を論じた少子化の議論、あるいは教育社会学における若者が正社員になりにくいことを論じた労働問題などを、「若者論」とパッケージし直すことで、少しでも多くの人に伝えていくということです。

 

小熊 あなたがまさにこの本でやったことですね。

 

 

フリーの学者は成立するか

 

古市 僕はたぶん、アイデンティティが研究者じゃないところにあるんだと思います。たとえば1章で書いたような若者論の変遷は、もっと緻密に研究すればそれだけで一冊の本になるような内容だと思います。そして研究者として若者論を書こうとすれば、2章以降の時代のスケッチというのは無駄だったのかもしれない。だけど、若者論の変遷など歴史言説を追う作業は僕よりもたぶん得意な人がいるだろうし、そういう人がやるべきだと思っています。それが、こんな構成の本になった理由の一つです。

 

小熊 せっかく学問的なトレーニングを積んで知識もあるのだから、それを生かしていったほうが得ではないですか。ジャーナリスティックなライターとして、生き残っていけるかどうか。はっきりいってフリーの学者なんて成立しないですよ。たとえば『絶望の国の幸福な若者たち』は1800円で、印税率が10パーセントとすれば、1冊あたり180円があなたの収入ですね。1万部売れたら180万円ですが、親と同居ででもないと、180万円で生きていけませんよね。

 

古市 確かに物書きとして食べていくのは難しいですよね。ただ、僕は友達と会社をやっていますので、そちらのほうがメインです。

 

小熊 それがうまくいくならいいでしょう。しかしもしフリーの物書きで生きていくつもりなら、毎年1万部以上出る本を2冊ずつ書いても年収360万。それを20年も30年も続けられるなんて人は、日本社会で数人しかいない。しかもこれから出版市場も縮んでいくし大変難しいといわざるをえません。

 

古市 本を書くって、本当に費用対効果が悪いと思います。そんなに売れたわけでもないのに、みんなから批判もされますし(笑)。

 

 

1968年、読書は若者の一番の趣味だった

 

小熊 日本の歴史でいえば、昔は、物書きはいい商売だったんです。原稿料も戦前はすごく高かった。たぶん400字で3万円くらいだと思います。岩波新書一冊出せば家が建つといわれた時代ですから。

 

それに、1960年代は出版市場が急膨張したので、作家専業でも食べていけたんです。私は『1968』で、1968年に行われた、過去三ヶ月で経験したレジャーおよび趣味をあげてくださいという調査を引用しました。1位は読書だったんです。ちなみに、2位は国内一泊旅行。3位は手芸・裁縫。4位は自宅での飲酒。5位が映画・演劇です。

 

もちろん読書が趣味といっても、そんな高尚なものを読んでいたわけではないでしょう。小説を読むとか、週刊誌を読むとかだったと思います。それでも本は売れたし、小説も売れた。新築の家を買ったら平凡社の百科事典を本棚に入れるという時代だった。だけど今は、純文学の作家は大学の人文系の先生になって生計を立てている人が多い。ライトノベルの世界とかはかなりよくない労働条件のようです。

 

古市 そうなんですか。

 

小熊 単純に計算すればわかります。たとえば600円のライトノベルの本を書き下ろし、挿し絵の人と分け合いだから印税率5パーセントとすれば、一冊30 円ですから1万部売れても30万円にしかならない。年間10冊以上書かないと生活が成り立たないでしょう。だから掛け持ちでバイトをやって書いているという人も多いと聞いています。

 

古市 『フクシマ論』を書いた開沼博さんと、今ノンフィクションライターが新しく生まれてくる余地がないという話をしたことがあります。調査には取材費がかかるのに、それを出してくれる媒体が減った。そして本を出してもそこまで売れるわけではないから、専業のノンフィクションライターはもはや成立しにくい。それはたぶん研究者も同じですよね。

 

小熊 学問の本はそれだけで食えるようには売れないのが普通ですから、フリーの研究者というのは、日本ではたとえば柳田國男とか、そういう人はいましたけれども、資産家でもないと成り立ちにくい。研究するには、食べられる職を得ることです。大学の先生のように時間があるか、調査職のように仕事が研究に結びつくのがベターです。大学院でアカデミックな修行の投資をしたなら、それを生かす職を目指すほうが堅実でしょう。ライターの道で生きていくのは、かつては成立したモデルかもしれませんが、これからはけっこう大変です。

 

学問がかった本を、ちょっとポップな味付けにして売って食べていこうというモデルは、バブル期だけ一時的に成立するかに見えただけで、今やるのは時代錯誤だと思います。今では数が売れない新書なんか出しても、著者に入るのは30万円くらいにしかなりません。出版界のマックジョブです。定職のある人が啓蒙書として出すならいいですが、とくに若い人はそんなことをやるより、地道な研究をしたほうが将来につながると思う。マックのバイトをやるために高校を中退するより、学校は卒業したほうがいいよ、今はよくても先がないよ、という平凡なことですが。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

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