震災後の日本社会と若者

デモによって「空気」が変わる

 

古市 一方で、デモがただのガス抜き装置になってしまって、投票行動を妨げるような逆機能を持つこともありうると思います。現実には代議制民主主義が続いている以上、それがすべてではないとしても、法律や社会制度など、投票行動などの選挙という制度を通してしか動かない部分もあると思います。

 

小熊 もちろんそれは否定しません。ただ投票行動につながらなければデモが無意味だというわけではない、ということです。

 

デモで何が変わるのか、とよく聞かれます。とりあえずいえるのは、日本でデモを経験した人が大幅に増えたことです。3月以来脱原発のデモに来ている人たちは、のべ人数で10万人は超えている。もちろんこれは、投票数に直せば、比例代表区で一人当選させるくらいです。しかしそういう数字には還元できないものが変わる。

 

デモで世の中が変わるとかいうと、みんなものすごく大袈裟なことしか思い浮かばないみたいで、一気に100万人が集まって革命が起きるみたいなものしか可能性として認めないみたいだけれども、そういうものではない。何が変わるかというと、社会が変わるんです。

 

古市 そのときの社会というのは、どの意味での社会ですか。

 

小熊 デュルケム的な意味での社会です。個人の頭数の総計に還元できない、あるいは企業にも村にも還元できないものです。それはたぶん、「日本人の好きそうないい方」であえていえば「空気」ですね。

 

古市 デモによって「空気」が変わるということですか。

 

小熊 そうです。デモは投票行動に反映するんですか、法案が通るんですかみたいな問題の立て方は、あまり意味のあることだと私は思っていない。法律だけで社会の全部が決められているのだったら日本に自衛隊はありません。では何が決めるのかといえば、それは「社会」です。そういうものが移り変わっていくという可能性はあるわけですよ。

 

10万人という数は別に多くありませんが、全体が移り変わっていく場合の局部表現としてある。それはたとえば、原発に対する世論の局部表現です。10年ほど前、少年犯罪が注目された時期がありましたが、少年犯罪の数自体は大したものではなかった。けれどあれは、社会全体の不安の局部表現だったから注目されたんです。それが注目されることで、明らかに社会のほうが変わっていった。さらにいえば、10万人の経験者ができたということは、デモがこれから政治文化として定着していく可能性がある。

 

だから、代議制民主主義で法律を通すか、革命が起きるかしなければデモは自己満足だ、といったものではない。政治というものをとても狭く考えているから、そういう発想しか浮かばないんですよね。

 

古市 しかし古い枠組みでしか捉えられない人が、大多数かある一定数いるとしたならば、古い枠組みで説明していくことも必要なのではないでしょうか。

 

小熊 もちろんそうです。統計数字とか、雇用状況の変化とか、世論調査とかを入れて、「社会の変化」を納得してもらう必要があります。

 

 

科学とは何か

 

小熊 そういう対話のために、社会科学も含めて、科学というものが手段として必要になる 。私は大学の講義で西洋近代思想の話もしますが、近代科学というのはルネッサンス期の、カトリックとプロテスタントの血で血を洗う宗教戦争から発生したんですね。神を前提にしていると、絶対正義の対立になって戦争が終わらない。それでもお互いに対話しましょうというときに、こういう実験結果があります、あなたも実験してください、同じ結果がでますよ、というかたちで近代科学がはじまったんです。信じる神が違っても、同じ結論にたどりつくはずだと。

 

科学がそうあるためには、反証可能性がないといけない、つまり「科学的真理」を絶対のものとして振りまわすのは科学ではないというのは、ポパーがいっている通りです。だから科学的な対話術では、必ず典拠を示して、この統計数字の出処はここですから、私の読み方がミスリーディングだと思うんだったら原典にあたってください、他のリーディングがあるんだったらあなたがやってください、それから話し合いましょうというように、対話をするわけです。

 

その点からいえば、私は『絶望の国の幸福な若者たち』は科学ではないと思いました。街頭でインタビューして、仮名で21歳男としか書いてない数人しか例に出ていない、母数もサンプル抽出の方法も書いていない場合には、検証と反証ができないわけですよ。

 

古市 デモの話にも通じてくると思いますが、逆に検証と反証を前提にしない方法でしか捉えられないこともあると思います。まさにそれは「社会」といってもいいのですが。

 

小熊 もちろんあります。でもその場合でも、できるだけ再検証可能な、多くの人に開かれたやり方をとるのが科学というものだと私は思っています。

 

もちろん、科学が絶対真理を振りまわす新しい信仰になってしまうということはよくある。今の原子力業界の人などはそうですが、自分たちが認めない人間による反証を許さないし、固定的なものの見方しかできなくなってしまう。だけど科学の歴史を見れば、19世紀にはニュートン力学と電磁力学だけで全世界を解明できると思ったのに、実験結果で光の速度が変わらないということがわかって、相対性理論が出ました。つまり、現実に適応できなくなったら、事実の前に謙虚でなければいけない。そのためには現実をよく見て調査をしたり調べたりすることが必要なんです。

 

自分の思い込みだけで語っていると信仰から出られない。その意味で、『絶望の国の幸福な若者たち』は、あなた自身の枠組みを当てはめているだけで、現実からあなた自身が正された経緯が見えないから、科学ではないと思ったんですよ。

 

 

おわりに

 

小熊 あなたは、若くなくなったら若者論はやらないとおっしゃった。私なりに定義をすれば、未来で評価される人が若者、現在で評価される人が大人、過去で評価される人が老人です。18歳で引退したスポーツ選手は老人です。あなたはたぶん、今は若者のつもりでいるのでしょう。

 

古市 そうですね。

 

小熊 しかし経験からいっても、いろいろな人の事例を見ても、未来で評価される期間はそんなに長くないんですよ。気づいたときには、もう未来に向けて蓄積する余裕がなくなっていることも多い。

 

古市 余裕もなくて、すり減ったただの大人になってしまうということですか。

 

小熊 どんな関係でもそうですけど、この人はまだまだ未来があるという期待があるうちはうまくいくけれども、この人は今後はよくて現状維持だなと思われたときから、いろいろな問題が露呈しますね。自分自身との関係もそうです。しっかりした仕事をしてください。これは期待しております。

 

古市 まだ未来があるうちに、早く大人になろうと思います(笑)。対談というか小熊さんの個人ゼミになってしまいましたが、とても勉強になりました。今日はありがとうございました。

 

 

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(2011年11月18日 古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント)

 

 

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