なぜ沖縄の若者たちは、地元と暴力から抜け出せないのか?

『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』を書く

 

――博士論文を『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』として書籍化すべく、現在、クラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/22308)に挑戦中です。

 

博論では、暴走族の子たちがめちゃくちゃな先輩たちから、めちゃくちゃな暴力的仕打ちを受けているのに、なぜ地元に住みつづけるのかという話をしています。それを建築系と風俗系という、ある程度締めつけがないと回せない業界の仕事の構造から説明しました。鵜飼いのように地元の後輩との関係性をつくって、彼らを雇用するかたちが、沖縄の下層社会で定着しています。

 

その結果、仕事のまわし方が人間関係まで規定してしまうので、階層移動も社会移動もしにくい。独特な関係性が沖縄の下層社会に定着している。これは、都市部の貧困層のあり方とは対照的です。

 

たとえば内地の製造業だと、派遣労働に典型的に見られるように、雇い主は労働者を流動的に配置転換します。固定して雇うのは育てることが前提となりますが、ここではそうではなく、完成品を使い捨てることが起きています。そのために生活面では、個人が分断されていた方が適合的であるというのが、都市の製造業の実態です。そうした流動性や分断とは対照的に、雇用は固定的で生活も集団的なかたちが沖縄にはあります。

 

沖縄と内地とのこのような違いは、しばしばいわれるようには、沖縄の共同体のあり方や生活様式といった固有の文化によるものではありません。産業構造やそれに方向づけられる相互行為によるものなのです。こうした視点は、岸政彦さん(龍谷大)と上原健太郎さん(大阪市立大大学院)、上間陽子さん(琉球大)たちとの共同研究から示唆を受けました。

 

岸さんは沖縄研究でいろいろな立場があるなか、どれも沖縄の文化(生活様式)から議論を始めていることを指摘します。それに対し私たちの共同研究では、公務員の安定層、自営業者の中間層、建築業の下層といった階層から、共同体のあり方を描き直そうとしています。

 

 

――そもそも沖縄の下層の若者たちは、暴力が支配する固定的な関係からなぜ抜け出そうとしないのでしょうか?

 

内地と比較すると沖縄では、暴走族の若者の就労環境をめぐって大きな違いがあります。内地ではたとえば、電気や建築関係の仕事を紹介できる親戚のおじさんがいたら、暴走族を抜けるという選択肢が生まれます。沖縄の場合は、親も含めて就労環境が非常に厳しい状況にあります。そういう選択肢がほぼありません。あったら、その親がその仕事に就いていると思います。  

 

また、沖縄の男の子たちはちがう地域に行けば仕事があるとしても、生まれ育った地元以外の場所で、暴力を受け続ける関係に取り込まれることに抵抗があります。暴力を回避する見通しを持てないからです。

 

 

――地元の外だと、暴力の将来予測が不透明ということでしょうか?

 

そうです。日雇いの飯場のシステムとは異なり、たとえば建築会社では、若者たちは地元の人間関係をベースとして仕事に就いています。建築業では、先輩後輩の層じたいも暴力を含みこんでいるのですが、従業員は時間の経過とともに能力を身に着け、職場の人間関係が落ち着いていく見通しがある。

 

その見通しをより安定的にもつには、後輩として(不特定の先輩ではなく)特定の先輩につくほうが有効です。また使いまくる先輩も、後輩を意のままに使えることも含めて仕事を続けているので、地域間移動や転職はきわめて困難な状況です。結果として、地元とか、知っているところで探すほうが、相対的にましになっているわけです。

 

こうした理由から、私が見てきたような沖縄の若者たちは、そのような、よりましな選択肢をとらざるをえません。一見すると、心機一転、住む場所や仕事を変えるという選択肢があるように見えます。しかし、彼らの感覚からすると、建築業で転職するというのは相当むずかしいものなのです。

 

自分の地位や境遇などを求めて10年間おなじ現場でやってきたので、簡単に隣町の同業者のところで働けるわけではないんです。また、「兵隊」として動いてくれる後輩たちも込みで日々の仕事をまわしているので、個人で動くことはきわめて難しい状況にあります。ゆえに地元の人間関係で仕事に就き仕事をまわします。そしてそれは、この業界の再生産に寄与していることも事実です。

 

 

――きわめて狭く固定した人間関係のなかで、それとして合理性をもった世界のなかに生きているのですね。

 

私は4回ほど、建築現場で参与観察をさせてもらいましたが、剝き出しの暴力、過酷な上下関係がその世界の特徴でした。その暴力を正当化はできませんが、その行為の合理性をつかむことは必要なことだと考えます。それによって、沖縄社会の、とくに下層の人びとの生活の特徴やその変化をつかむことをつながるからです。

 

ある建築会社での話なのですが、沖縄の建築現場では、先輩たちが後輩たちを暴力でもってシゴくことが日常的に行われていました。とくに10代の従業員は失敗することが多く、ミスをおかすとやられます。30代の従業員はこの様子を以下のように語っていました。

 

 

「俺も若い時はやられた。ただ(10代の頃は)あと5年踏ん張ればこういうことがなくなると思ってふんばった」

 

 

ここからは、しごきという名の暴力は、10代の5年間程度で終わること。そしてそのモデルケースもあり、そのような将来への見通しを持って、10代の頃はしごきに耐えて今があると話してくれた。実際この従業員は5年踏ん張って殴られなくなっていました。

 

 

――そして、暴力による関係の構造化は「文化」ではなく、「経済」によるものなんだと。

 

彼らは中学時代の関係性のまま、年齢を重ねていきます。その過程で自分のステージを変えていく通過儀礼の機会が圧倒的にない。たとえば、仕事に就く、仕事に慣れて地位や給与が上がる、使っていた後輩にことあるごとにおごることで後輩から尊敬される存在となる、そして結婚や子育てをする、このような機会が通過儀礼として機能しないのです。

 

彼ら自身も、地元の後輩たちから尊敬されたいし、暴力以外のかたちで、多少マッチョですが継続的に支配下に置きたい。だけど、それができない。なぜなら、後輩におごることさえむずかしいお財布事情だからです。このような通過儀礼の機能不全が生じた理由は、沖縄的な生活様式、つまり文化によってではなく、ただ単純に沖縄の産業構造や経済、つまり先輩のお財布事情によって生じたものと、私は見ています。

 

彼らの多くは、沖縄的な「ゆいまーる」のつながりをもとうとしていますが、それがむずかしい状態にあります。仕事で稼いで、疎遠だった家にお金を入れたい。ビーチパーティをするときにつながりをたどって、血縁関係にない父親の製氷工場でくず氷を無料でもらって、「打越、ゆいまーるってわかるか。困ったときはおたがいさまよ」と話してくれる。ただし実際のビーチパーティは「ゆいまーる」とはほど遠いです。30時間ほどやってもほとんど後輩たちは来ません。来ても30分程度顔を出してすぐに帰ります。

 

こうした環境にあるために、沖縄の場合、暴走族から抜けることはあまりない。そのつながりのなかで、ちょっとずつ、いい意味で落ち着いていくのが、考えられる方向性だと思うのですが、それがむずかしい。そのつながり自体は強いものがあります。ただし落ち着いていくための資源が圧倒的にないわけです。

 

 

――打越さんは沖縄の下層若者の調査を通して、どのような気づきをもたらそうとしているのでしょうか?

 

暴走族やヤンキーの若者たちの生活や就労環境がしんどいことの要因を突き詰めると、沖縄社会における階層格差、沖縄の産業構造、とくに建築業における内地ゼネコンとの力関係、基地の存在、そして最終的には内地と沖縄の植民地主義的な差別構造に行きつきます。加害の立場にある内地生まれの私がどのツラさげて沖縄で調査してるんだという気持ちはつねにあります。

 

そのうえで、私がやっていることは、沖縄の若者たちの「しんどさ」を理解し、それを彼らが主体的に選ぶにいたる図式を抽出し説明することです。岸政彦さんは「他者の合理性の社会学」といっていますが、つまり、自分とは異なる他者の一見するとわけのわからない言葉や行動を、一般の人びとが理解できるように説明すること、その精度と質にこだわっています。

 

他者の行為の説明の精度と質が悪いと、別世界のビックリ話で終わってしまいます。「へー、こんなひどい世界があるんだ、かかわらないでおこう」と。それに対して、精度と質が高いと、そこに大きな歴史とか社会構造とかが必ず入り込みます。そして、一般の人びとに「もし私がその歴史と社会構造に存在したら…」という想像力が生まれます。

 

共同研究者の上間陽子さんが、沖縄の女の子のインタビュー調査をもとに書かれた『裸足で逃げる』は、その成功例です。女の子たちは基地について何も語りませんが、基地の存在が彼女たちの生活に間違いなく大きく刻み込まれている様子が読み取れます。そして多くの読者に、沖縄の女の子への想像力を生み出し、そういう女の子が実際に「いる」という感覚を提供しています。

 

私が進めたいことは、沖縄の下層の男の子たちの生活と就労世界が再生産される過程の説明です。読者の想像力を生み出せるようなエスノグラフィを書くこと、そこに懸けています。それが私の仕事だと考えています。

 

 

ご支援ください!

 

打越正行氏によるクラウドファンディング「『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』を書く!」をどうぞご支援ください。⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/22308

 

 

[付記]

このインタビューでの回答は、以下の文章にもとづいています。快くご協力いただいたナカニシヤ出版の酒井敏行氏、太田出版の柴山浩紀氏に感謝申し上げます。

 

打越正行,2016年7月25日,「暴走族のパシリになる――『分厚い記述』から『隙のある調査者による記述』へ」木下衆・朴沙羅・前田拓也・秋谷直矩編著『最強の社会調査入門』ナカニシヤ出版,86-99.

打越正行,2016年8月6日,「動く人(第8回)――暴走族のパシリになる」『atプラス――思想と活動』29: 110-127,太田出版.

 

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vol.2019.4.15 

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