2011.01.05

「ロスト近代」の到来

橋本努 社会哲学

社会 #ポストモダン

時代のモードは「ポストモダン」から「ロスト近代(ロストモダン)」へと移りつつあるのではないか。「ロスト近代」の到来。私たちの意識は、追いつけるだろうか。

暗礁に乗り上げる議会政治

ノーベル経済学者として知られるポール・クルーグマン教授は、去る12月31日付けの『ニューヨーク・タイムズ』の「論説」で、莫大な赤字を省みないアメリカの財政政策が、「偽善(ヒポクラシー)」に満ちていると告発した。現在のオバマ政権(2009-)のみならず、政府介入を批判してしかるべきはずの、共和党の前ブッシュ政権(2001-2008)からして、そうだった、というのである。

他人事ではないだろう。日本の財政赤字は、現在、1123兆円をこえる。日本人ひとり当たりの額になおすと、881万円弱の借金となる。来年度(2011年度)の日本の国家予算は、92兆4116億円。おそらくその半分は、国債の発行でまかなわれることになるだろう。

これほどの財政赤字を抱える日本政府は、クルーグマンのいう「偽善者」ではないのだろうか。民主党政権による改革は、遅々として進まない。安全保障、税制改革、自由貿易を進めるための環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加、社会保障制度の見直し、等々。どれをとっても急を有する課題であるが、議会政治は、暗礁に乗り上げてしまったかのようにもみえる。

地盤沈下していく日本経済

機能不全は、政治だけの問題ではないだろう。経済においても、いわば「大国病」といわれる兆候があちこちにみられる。昨年を振り返ってみると、ショッキングだったニュースのひとつは、テレビモニターの生産シェアにおいて、ソニーが3位に転落したことであった。2009年全体の金額シェアでみると、1位はサムソン電子(22.6%)、2位はLG電子(13.2%)で、いずれも韓国勢。これに対してソニーは、約2%シェアを落として3位(11.5%)に甘んじたという。

パソコンや携帯電話向けの「リチウムイオン電池」のシェアにおいても、2010年の第三四半期の出荷量では、韓国サムスン電子グループ(サムスンSDI)が、三洋電機をわずかに上回って首位になった、と報じられている。

こうした日本勢の競争力低下の背景には、もちろん「円高ウォン安」という貨幣要因もあるだろう。だがこのままでは、日本経済は地盤沈下していくのではないか、との危機感もある。

「ロスト近代」の到来

どうも先行きは暗い。しかも日本社会はこれから、予想される人口減と少子高齢化によって、いよいよ衰退期を迎える。社会は全体として、高度経済成長期のパワーを失い、あるいはポストモダン期の栄華を失いはじめている。そんな「喪失感」によって特徴づけられる現代を、私は、「ロスト近代」社会と呼んでみたいと思う。

「ロスト近代」は、「ポストモダン」の次のモードである。それはさしあたって、労働力人口の減少、少子高齢化、経済力の低下、技術競争力の低下、欲望消費の喪失、等々の「ロスト(喪失)」によって、特徴づけられるだろう。

「近代(モダン)」とは、戦後日本社会においては、高度経済成長とともに、欧米的な価値観を吸収していく時代であった。ところが1980年代以降に「ポストモダン」が訪れると、日本人はきらびやかな記号消費(各種ブランド商品)を謳歌した。

90年代の終わりから、時代はさらに変化した。経済成長は低迷し、消費生活を謳歌できる層はかぎられてきた。00年代を通じて大きな関心を呼んだテーマは、「格差社会」論であった。グローバリゼーションと新自由主義の政策によって、社会は高所得層と低所得層に分断されるのではないか。もはや低所得層は、グローバル化によって置き去りにされてしまうのではないか。そんな不安が社会を覆ってきた。「ロスト近代」の到来である。

資本主義の新しい駆動因とは?

時代を大局的にみると、これからの数年間で、大きな世代交代が生じるであろう。「団塊の世代」(戦後の第一ベビー・ブーマー)は、しだいに定年退職を迎える。1947年生まれの方は、今年で64歳。若き日に「高度経済成長」の担い手となり、30代にしてポストモダン消費社会の到来を経験したこの世代は、いま新たな人生に差し掛かっている。

代わって台頭するのは、青春時代にポストモダンを謳歌した世代である。第二次ベビー・ブーマー(1971年から1974年に生まれた世代)は、「アラフォー」(40代前後)と呼ばれる時期を迎えている。この世代が新たな家族を育み、持ち家を購入するなら、日本経済はしばらくの間、ちょっとしたブームを迎えるかもしれない。

ところがその次の世代になると、人口は一気に減少する。80年代生まれの若い世代は、第二次ベビー・ブーマーよりも25%くらい少ない。すると経済社会は、どうなるだろうか。国内需要に頼るかぎり、日本経済はジリ貧にならざるを得ないだろう。

そこで問うべき問題は、こうである。いったい「ロスト近代」の資本主義は、どんな駆動因によって動くのだろうか、と。長期的にみて、それを探し当てることは、現代人に課せられたひとつの課題ではないだろうか。以下に紹介するポール・ホーケンの著作は、ひとつのヒントになるかもしれない。

推薦図書

環境に対する漠然とした不安が、わたしたちの生活を覆っている。地球温暖化、異常気象、有害物質による汚染、大量死、等々のニュースに、人々の関心が集まっている。「環境を守りたい」という意識が高まれば、わたしたちは、おのずと不安に駆られるだろう。はたして、いまの生活スタイルを維持できるのだろうか、と。

不安の意識は、しかしポール・ホーケンのみるところ「祝福された不安」であり、望ましい感情である。自然環境に対する不安こそが、わたしたちの実践を新たな生活スタイルへと駆り立てるからである。不安を通じて、わたしたちは消費のスタイルを、環境意識の高いものへと転換していくことができる。そのような意識をもった「環境市民(生活提案型のリーダー)」の活動に、ロスト近代における「環境駆動型資本主義」の希望を見出すことはできないだろうか。この問題に対して、わたしも微力ながら応じていきたい。

プロフィール

橋本努社会哲学

1967年生まれ。横浜国立大学経済学部卒、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、北海道大学経済学研究科教授。この間、ニューヨーク大学客員研究員。専攻は経済思想、社会哲学。著作に『自由の論法』(創文社)、『社会科学の人間学』(勁草書房)、『帝国の条件』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)、『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、『自由の社会学』(NTT出版)、『ロスト近代』(弘文堂)、『学問の技法』(ちくま新書)、編著に『現代の経済思想』(勁草書房)、『日本マックス・ウェーバー論争』、『オーストリア学派の経済学』(日本評論社)、共著に『ナショナリズムとグローバリズム』(新曜社)、など。

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