沖縄の夜の街に生きる少女たちの現実

「自分で実現できる」という感覚を得ていく

 

荻上 カウンセリングに近い機能があるのかもしれませんね。具体的な取材経験を伺いたいのですが、実際にどんな方にどのようなお話を聞かれましたか。

 

上間 取材をしたのは、未成年のころからキャバクラで働いているシングルマザーの方が多かったです。たとえば、本にも書いた翼さんという方は、中学を卒業してすぐにキャバクラで働き始めます。それまでは親のネグレクトを受けながら育ちました。彼女はお店に入ってすぐに、ボーイをしていた年上の男性と付き合いはじめ、のちに結婚します。彼女曰く、「家族を早く作って、ちゃんと子どもを育てたい」という希望があったのだそうです。

 

しかし、結婚相手とは上手くいかなくて、ひどい暴行を受けているんですね。4年間殴られ続けて、最後は彼女と同じキャバクラで働く友達が助けてくれて、別れることができました。そういった危機的な状況をどうやって乗り越えてきたか、という話も聞いています。

 

荻上 そもそもキャバクラや性風俗以外の労働の選択肢が少ない状況があるのですか。

 

上間 はい、それも実際問題としてありました。ただそれよりも調査をしてみて手強いなと思ったのは、彼女たちが欲望を口にできないということなんです。私たちは、「自分はこれをやりたいと思っている」と滑らかに言うことができますよね。それは常に自分の意見が尊重されている環境の中に育つからこそ、できようになるんです。しかし、貧困の中で育つということは、欲望の萌芽を作りきれないことなんですよね。

 

たとえば、先ほどお話した優歌さんは妊娠されたときに、最後まで「子どもを産みたい」と言えなかったんです。でも、彼女と二人でご飯を食べにいったら、これまで吸っていたタバコを吸わなくなっていたり、野菜が多めの料理を注文していたりして、それを見て、「ああ、この子は産みたいんだな」って分かりました。でも、「産みたい?」って聞いても、「分からない」としか言わない。自分が「産みたい」と口にして、そこにたどり着くまでのさまざまなことを引き受けることができないと思っていて欲望を語れない。

 

あと、この本にも書いた鈴乃さんという方は、現在は看護師をされているのですが、彼女もずっと自分から「看護師になりたい」と言えなかったんですって。彼女はもともとシングルマザーの家庭で育ち、中学生のときに付き合い始めた彼からずっとDVを受けていました。高校2年のときに妊娠して子どもが生まれたのですが、それでも暴力は止まなかった。

 

そのような環境の中で、自分ができることがすごく少ない状況に追い込まれていたんです。「これは自分で実現できそう」という感覚を持てない。彼女たちの話を聞いていると、「頑張っているな」と思うのですが、本人たちは「自分が頑張っている」という感覚は全く持っていないんですね。

 

荻上 人と比べたり、人から褒められることを通じて自己評価を獲得することがないまま、生きてきたということですか。

 

上間 そうですね。結局、鈴乃さんの場合は、恋人と別れて、キャバクラで働きながら子どもを育てて、高校にも入り直して、そこで友達もできて、先生たちがみんな応援してくれて……そういうことが積み重なって、初めて卒業のときに「看護師になりたい」と口にすることができるようになりました。

 

荻上 鈴乃さんは、どうやってDVから逃れることができたのですか。

 

上間 彼女は、散々殴られた後に一人で街をずっと歩いて逃げて、24時間やっている病院の待合室で朝を迎えて……という日々を繰り返していたそうです。警察にも何度も行ったのですが、「入籍していないから」ということで保護しなかったんですね。

 

ようやく保護されたのは、子どもが退院して家に帰ってきたときでした。パートナーが子どもの前でいつものように自分を罵りはじめて、彼女はそれが許せなくて、子どもをおぶって警察に行ったんです。そこでようやくシェルターにつながることができました。

 

荻上 数年前の話とは言え、警察の対応が鈍いなという感じはしますよね。子どもがいなくても個人が暴力の被害者であるという段階では、なかなか支援につながらないという実態が浮き彫りになりますね。

 

上間 はい。彼女がすごいのは、そうした制度のあり方だったり、社会のあり方が脆弱であることに対して、すごく怒っているんです。彼女のお子さんは、生まれた時から重い脳性麻痺があります。だからこそ、「自分たちが生きているんだってことを見せなくちゃ」と言って、お子さんを連れてデパートにも行くし、海にも行く。毎日が戦いなんです。

 

鈴乃さんは、「この子を産んで良かった。この子がいなかったら、私はずっとあほだったはず」と言います。医者から「この子はいつまで生きられるか分からない」と言われて、なんとか子どもを救いたいと、少しずつ周りに助けを求め始めました。彼女が暮らしていたシェルターの人たちにも話を聞いてもらいながら、だんだんとエンパワーメントされていったんですね。そういった積み重ねがあって、ようやく、「私はやりきれている、日々をちゃんと過ごしている」という感覚を得ていく。その過程で、DVからも抜け出すことができたんです。母になるということと、周りからの支援とのセットの中で、「自分は大丈夫」という気持ちを見つけていったのだと思います。

 

 

貧困層の二層化

 

荻上 調査を続けていく中で、貧困と暴力に晒されても学校空間にコミットできず、文科省も厚労省もどちらも救ってくれない、という現実を濃厚に感じられるものなのでしょうか。

 

上間 本当に感じますね。スーパーバイザーの仕事には中高生のケースも多いので特に感じることなのですが、保護してくれる場所が本当にないんです。たとえば、親から「産まなきゃよかった」というような暴言を毎日言われているという場合では、児童相談所は動いてくれません。まだ今は殴られていないし、生命の危機はないという理由からです。

 

私は特に、学校が問題だと思っています。今、沖縄は学力テストの対策にすごく力を入れています。ずっと成績が全国最下位だったので、何としてでも点数を上げようと熱心になっているんです。それで短期的には学力テストの成績は上がりましたが、そもそも暴力を受けている子たちの問題は、言葉がない問題だったりするわけです。苦悩を言葉にできない。そして自分の苦悩が人に分かってもらえると思えない。誰にも話を聞いてもらえないまま、外に押し出されていく。その先でどれだけ支援体制をつくろうとも、メインの居場所である学校が押し出していると、そこから救い上げるのはすごくハードルが高いと感じます。

 

ですから、まずは学校の外に押し出さない。その上で、地域の中にも居場所がたくさんある、というのがベストだと思います。私からしてみると、いまの貧困施策はとりあえず問題のある子は学校の外に出してしまって、その後でどうにかしようとしているように見えます。学校や家庭に居場所がない子は子ども食堂に行かせましょう、無料学習塾に行かせましょう、地域で“ゆいまーる(沖縄の言葉で「助け合い」の意味)”で頑張りましょうと言っても、もうその子たちが学校で排除されて傷つきを抱えていたら、難しいんですよね。県としては学力テスト対策に力を入れる一方で、貧困対策には十分に取り組んでいるとは言えない状況です。

 

荻上 以前、NHKと共同して不登校の子ども400人にアンケートを取ったところ、半数近くの方が家庭学習できる状態ではなかったことが分かりました。支援へのつながり方も各家庭の自助努力に求められ、自分で窓口に行って時間をかけて相談を重ねなければならない、という実態がありますよね。

 

そもそも、全国学力・学習状況調査(学力テスト)は子どもたち一人一人の学力を測るためのものではなく、調査をするためのものです。たとえば、子どもの貧困率と学力との相関関係などを明らかにすることで政策につなげていく。しかし、テストの点数を上げようというおかしな動機付けを現場に与えてしまっているわけですね。

 

上間 分析させてもらった沖縄県のデータは、解答データと階層調査の結果を照らし合わせたかったんです。階層問題と点数問題は関係するものなので、どの学校を重点的に対策にあてるかを明らかにしたかった。しかし、県は階層データを出さなかったんです。それまで県が取り組んでいたのは、早寝早起き朝ごはん運動です。「早寝早起きをして朝食をとる人は学力が高いというデータがある、だからお家で頑張れ」と宣伝しているわけですが、もちろん疑似相関にすぎません。学力が低いことには貧困の連鎖などさまざまな要因があるにもかかわらず、それを分析するためのデータは出してもらえなかったのです。

 

荻上 上間さんが取材された方々の中にも、家庭の外では支援につながりにくい環境に晒されている、というケースはありましたか。

 

上間 貧困といっても、やはり一枚岩では語れなくて、貧困層の中でも二層化していると思いました。中には自律的に生活を作れる層もいる。共同研究者の打越正行さん曰く、「この暴力を振るうと数ヶ月後の生活が見えない」とか、「数年後、自律的に生活を作っていくことができなくなる」というように、先々のことを想像できる層はいます。その一方で、暴力が吹き荒れる中ではどうせすぐにルーティーンが崩れるから、ルーティーンを作らないほうがまだマシ、と思っている方もいました。

 

特に、子どもを育てる時にこの差が出てくるなと感じています。たとえば保育園に入れるか入れないかという選択で、前者の場合は、数年後子どもがどう育つのかと考えて、集団生活をした方がいいだろう、大人の目は多い方がいいだろう、その間に自分は外で仕事をしよう、とある程度予測することができます。しかし、後者の場合、「いま、とにかく、月に3万近くお金を払うのはもったいない」という考え方が勝ってしまう。この差は子育てにおいて大きな差になってしまうなと思います。

 

荻上 こういった貧困層の二層化の問題は他にもあって、たとえば親が高卒でも、子どもには大卒を希望する人もいれば、高卒でもいいという人もいる。つまり、「子どもには自分のような苦労をさせたくない」という人と、「自分もこれくらいで生きてこれたし、高校卒業したら自立してほしい」という人、こういった差はグラデーションのように存在しますよね。

 

上間 そうですね。そういった場合、日々の生活の作り方そのものが違うなと思います。やっぱりルーティーンは大事なんですね。たとえば、この本に出てくる京香さんは、家で海水魚を飼っているんです。二日おきに海に水を汲みに行かないといけないのですが、それを全然苦労とは思っていなくて。そうやって日々の生活を作っていける人は、日々の生活の先にある数年後を見通している。ママ友もいるし、育児不安がある時にどこに相談すればいいかも分かる。

 

一方で、相談できる人を見つけられなくて、もう考えること自体がものすごくしんどい人もいるんですね。ですからインタビューの中では、できるだけその人の頑張りを拡張していくようにします。実際にその人が自分の足で前に進んでいる部分はあるので、そこにスポットを当てて話を聞いていく。とは言え、「間に合うかな」という不安はあります。子どもが虐待に合わないか。この先も大丈夫か……。ずっと心配しながら関わっている方もいます。

 

 

他者への想像力をどう育むか

 

荻上 こんなメールをいただいております。

 

「『裸足で逃げる』の話は沖縄に限定される話でしょうか。また、私たちはこの本を読んだ後、何をすべきでしょうか。」

 

上間 まず、沖縄に限定される話ではないと思います。まだ語られていない体験はどこにでもあります。特に暴力を受けた経験は、受けた方は自分が悪いと思っていたり、その体験がいたたまれなかったり、悲しかったりするので、なかったこととして封印することも多いのです。

 

二つ目の質問ですが、私はこの本を読んだ方に直接の支援者になって欲しいとは思いません。むしろ、自分の体験を思い出したり、自分にもそんないたたまれない時があったかもしれない、と豊かに考えること。それが、彼女たちを想像することにつながっていくと思うんです。そして、自分の経験をだれかに語りたくなるようになるといいなと思っています。もちろん制度の課題もあります。でも制度をつくるためにも、自分の想像力を拡張し、他者とのつながり方、みんなが健やかに生きられる方法とはなんであるかを考えることは必須だと思います。

 

荻上 自分だけの問題ではなく、他者と分かち合いながら別の人生も生きられるんだと気づいていく。当事者同士が繋がって、他人の言葉も借りながら外に発していく、そういった自助グループや支援団体とつながることは大事だと感じる一方で、その数があまりに少ないですよね。子どもが「親から逃げたい」と思っても、「自助、共助、公助の順番だ」と言われてなかなか支援にアクセスできない。さらに最近は家庭教育支援法が掲げられ、家庭の絆を取り戻そうという動きもありますよね。

 

上間 家族は非常に美談化されやすいですが、本当はそんな場所ではありません。彼女たちがいかに殴る親を抱えようとしてきたか。いかにして、自分の子どもを抱えていくのか。家族というのは愛憎入り混じった世界なんですよね。だから、できるだけ風通しを良くしていくべきですし、親を捨ててもいいと思える場所がなければ、自分がどう生きたいのか考えることはできないと思います。でも学校の先生方は、家族を支えようと頑張っている女の子のことを美談として語ります。そこは学校関係者として絶対に止めないといけない、と思っています。

 

荻上 たとえ家族であっても、やはり有害なものからは離れる、縁を切る権利はあるはずです。そこは「家族はこうあるべき」という考え方に蓋をされてはいけないですよね。しかし、国としてもなかなか貧困問題に本気で取り組む姿勢にはならない。まずはこういった現実に光を当てていくことから始めたいですね。

 

上間 そうですね。他者への想像力というものは、自分と繋がっているという認識がないと作っていけないものだと思っています。そこをどうやって耕していけるのか、今は考えています。

 

 

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裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (太田出版)
上間陽子 (著)、岡本尚文 (写真)

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

・坂口緑「生涯学習論にたどり着くまで──人はいかにして市民になるのか」
・平井和也「ジョージ・フロイド殺害事件から考える米国の人種差別問題」
・野村浩子「日本の女性リーダーたち」
・安達智史「「特殊」を通じて「普遍」を実現する現代イギリスの若者ムスリム」
・太田紘史「道徳脳の科学と哲学」
・石川義正「「少女たちは存在しない」のか?──現代日本「動物」文学案内(2)」