変わる沖縄——失われる心と「沖縄問題」

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変わる価値観、変わる社会

 

——ご著書の中でも仲村さんのお義母様が「東京に来ると緑を感じる」とおっしゃっていることが紹介されています。

 

そのくらい、今の那覇には自然がないんです。そして風景の変化と共に、沖縄の人たちの心にも変化があったと思っています。

 

 

——心、ですか。

 

ええ。本土復帰前の沖縄は、斎場御嶽や久高島のように、民族学者も注目する上代の自然崇拝の慣習が残っていました。この信仰は自然への感謝が基本で、海の幸、山の幸をもたらしてくれる自然の神々を尊崇するというものでした。沖縄では海の向こうにはニライカナイという楽土があると考えられ、ノロと呼ばれる巫女たちはその海を拝み、人々は豊穣をもたらす海を大切にしてきた経緯があります。ですから復帰前はのべつ幕なしに海を埋め立てるという乱開発はそれほど見当たりませんでした。復帰後、自然への畏怖の念が薄れていく中で、海を埋め立てたり、山林を削ったりするような公共事業が加速していったのです。

 

それまでは御嶽(うたき)信仰という自然信仰があったおかげで、人間の欲に歯止めをかけることができていました。地域の海があり、農地があり、地域全体がその土地の自然に支えられて生きているという価値観です。しかしこうした御嶽信仰は薄れ、残ったのは先祖崇拝のみになりました。これは家一門の繁栄を願うもので、私的な信仰です。以前はこの先祖崇拝と自然信仰がバランスよく成立していて、公と私をわきまえて大切にする価値観がうまく共存していた。先祖崇拝のみが残るということは、一門の繁栄が最重視され、欲の暴走が発生するということです。欲が欲をよび、歯止めが利かなくなる。結果として、今の沖縄では格差が深刻な問題になっています。

 

 

——価値観の変化が、実際に社会問題として可視化してきていると。

 

そうです。沖縄は今、子供の貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困という状態です。沖縄は確かに都市化されて、住みやすくなったように見えます。しかしその内情は、内在していた諸問題が解決されずに圧縮されて爆発寸前まできている。特に貧困や格差は重大な問題です。

 

沖縄には復帰後、基地負担の見返りとして政府から振興予算が配分されています。その総額は通算で11兆円に達しました。しかし振興策の約9割が公共事業です。これによって空港や港湾などの生活インフラはかなり整備されましたが、一方で、その巨額なお金が海の埋め立てだったり、山を崩して道路を敷設したりといった「事業」に回りました。そしてその「恩恵」に預かる人が富裕層や既得権益層を生み出し、反対に「恩恵」にあやかれない人たちが貧困化する。つまり、政府がお金を落とせば落とすほど、沖縄県内での格差は広がっていくという構造です。

 

そうすると、政府の方針を容認する人たちとそうでない人たちの間に対立が起こります。内地の人からは沖縄はよく一枚岩と捉えられがちですが、実態はそうではありません。国と沖縄の対立が深くなればなるほど、それを支持するか否かで沖縄内での溝も深まるんです。

 

 

——ご著書を拝見して、私も沖縄の抱える問題の複雑さを感じました。

 

沖縄の問題は、複合的かつ重層的に増幅しています。国にとっての沖縄問題ではなく、「沖縄内の問題」という意味での沖縄問題を改善しないと、沖縄の未来は見えてこないでしょう。沖縄の現状は深刻で、たとえば母子家庭の自己破産件数も高く、1997年には県司法書士会から非常事態宣言が出されたくらいです。DVや少年犯罪の発生率も全国ワーストクラス。進学率は都道府県の中で最も低く、高校や大学の中途退学も社会問題化しています。

 

教育水準の低さは更なる貧困を生みます。十分な教育を受けられないと安定した仕事には就けません。そうすると土建や建設業に就く人が多くなるのですが、彼らの仕事は政府からの振興費で賄われる公共事業が主です。そうやって貧困世帯の若者が海を埋め立てていく。要するに貧困の連鎖が公共事業に頼る構造も作るわけです。沖縄ではそうした社会問題が深く進行していて、いまや爆発寸前の状況です。しかし基地問題という大きな問題が覆いかぶさってしまっているために、外からはその問題が見えません。NPOなどの市民団体がこども食堂やその他の貧困対策で活動をしていますが、より大きなスケールでの対策が必要です。

 

 

——国や県レベルでの対策ということでしょうか。

 

そうです。例えば政府から下りる振興策の予算は、何度も述べているように、公共事業が中心ですから、教育や貧困対策に回せる予算が十分ではありません。国や県、市町村といった行政のレベルで、そうした部分に予算を組んでいく必要があると思っています。もっとも、県も子供の貧困問題の深刻さについては認識していて、その対策の必要性は県民ぐるみで共有されるようになってきましたね。

 

 

「本来の沖縄」をめぐって

 

——今後格差による分断が少しでも緩和されていけばいいですね。

 

ええ。しかし、沖縄の分断は格差だけではありません。世代間にも断絶があり、これがまた複雑です。現在基地に反対している人の多くは、本土復帰前に生まれた人たちです。彼らは米軍統治下時代に銃剣とブルドーザーによって土地を取り上げられた世代で、彼らにとっての本来の沖縄の姿というのは、米軍によって基地化される前の牧歌的な田園風景です。一方、復帰前後に生まれた世代は物心ついた時から基地を見続けているので、基地とフェンスが自分たちの見慣れた「沖縄らしい風景」です。そして基地が返還されたらそれがショッピングモールになる。そういう若い世代、10代〜20代をはじめ、30代〜40代のなかにも基地を容認する人が増えています。これまで沖縄は「抵抗の島」などと呼ばれてきましたが、今後こうした世代が社会の中心層を築くようになると、基地問題は大きく変化していくでしょうね。

 

 

——沖縄戦や本土で差別を受けた世代の中には、ヤマトに対する反発感もあったと思いますが、若い世代にはそうした反ヤマト感情はもうほとんどないのでしょうか。

 

ないといっても過言ではありません。今の10代や20代にとって、沖縄は頼もしい存在です。高校野球でも沖縄尚学高校が1999年に優勝して以来、沖縄は強豪県ですし、沖縄出身のプロゴルファーや芸能人も目を見張るほど活躍しています。こうした時代に幼少期を過ごした世代にとっては、ひ弱で虐げられていた沖縄は想像がつかないでしょう。

 

これは言い換えれば、沖縄戦や基地問題も含めて、上の世代が次の世代に語り継ぐべきことが残念ながら伝わらなかったことを意味します。加えて、伝え方もあまりに紋切り型で、子どもや孫の心に響かなかったのかもしれません。やはり頭ごなしに「沖縄はヤマトにひどいめにあわされたんだ!」と怨嗟の声ばかり聞かされるのは、子どもにとっていい気分はしないものです。そんなことを言われても、見慣れているのはフェンスのある風景だし、「沖縄を取り戻そう!」と言われても、どこに戻ろうとしているのか想像が及ばない。若い世代にとっては今の沖縄が「本来の沖縄」の姿で、原風景です。大人がいうところの沖縄問題に関心を寄せず、新基地を容認する人が増えるのはある意味自然なことかもしれません。

 

開発が進み、地域が発展して生活が便利になることは誰も否定できません。風景は沖縄に限らずどこでも変わっていくものでしょう。しかし、際限なく開発を進めることは考え直さなければならないと思います。

 

沖縄は地政学的にも重要、つまり危険な場所に位置しています。米軍基地がありますから現在のように東アジア情勢が緊張すると、神経を尖らせなければなりません。加えて沖縄は産業構造がいびつで、お米や食糧はもとより生活物資の多くを本土や海外からの輸入に頼っています。自分の土地で生産しているものがないということは、有事の際に非常に弱い立場に立たされるということです。それだけ、沖縄は不安定な立ち位置にあるという事実を理解しなければなりません。沖縄の未来を考える上で、こうした問題に何らかの対処を打っていかなければならないでしょう。

 

 

——具体的にはどのようなことをしていかなければならないのでしょうか。

 

やはり問題は基地ですね。もちろん軍事の標的にされる危険性はありますが、何より基地は何も生産しない。これが一番の問題です。物を生産しないのに、基地を置く見返りによって国からどんどんお金が入ってくる。その結果格差が広がり、世代間には溝が深まり、土地不足で地価が急上昇している。どう考えても基地は減らしていかないといけない状況にあるといえますね。

 

基地が返還されたら、例えば跡地を農地にして地産地消ができるようにするのも一法です。これからの農業はとても有望な産業ですし、沖縄の強い紫外線のもとで育った野菜やハーブは味も濃く品質がいいと評判です。六次産業化も含め沖縄ならではの地場産業やアジアに直結する物流機能を構築し、自立した沖縄になっていかなくてはならないと思います。

 

繰り返すようですが、沖縄の内部は爆発寸前です。ギスギスした空気が充満しています。沖縄社会が内部に抱え込んだ圧縮熱が、DVやいじめ、少年犯罪、離婚率の高さに表れている。離婚が多いということは、ひとり親世帯が増え貧困率の高さにもつながります。こうした沖縄に内在する諸問題に、沖縄の人自身がもっと目を向けなければならないでしょうし、政府も県と連携して対策をとっていかなければならないと思います。

 

 

歴史を失う沖縄

 

——ご著書『消えゆく沖縄』は、変化し、失われていく沖縄の姿に憂慮して書かれたと伺っています。仲村さんが伝えていきたい沖縄、次の世代に残していきたい沖縄とは、どんな沖縄でしょうか。

 

僕は移住するまで、那覇がどんなふうに発展してきたのか全く知りませんでした。今は久茂地というところが官庁街で、僕はずっとそこが戦後の那覇の中心だと思っていたんです。しかし実際には、那覇の戦後復興は焼き物で有名な壺屋地区から始まりました。壺屋は戦争の被害が比較的少なかったので、自然と人が集まるようになり、そこに闇市が立った。その名残が農連市場になり、現在へと続いているのです。

 

そういう意味で農連市場は戦後復興の象徴でした。生産者は野菜や果物を直接持ち込んで、値段は売り手と買い手が話し合いで取引する。農連市場はコミュニケーションの場でもありました。戦後男手を失った沖縄の女性たちは、この市場で稼ぎ、人脈を築き、家族を養っていました。

 

現在この農連市場は取り壊しが始まり、その周辺は再開発でなくなることが決まっています。これは、戦後沖縄がどういう歴史をたどってきたのか、目で確かめる場所がなくなってしまうということです。例えば僕たちは伏見城や大阪城を見れば日本の戦国時代をより身近に学習できますよね。同じように、戦後の沖縄の歴史を理解する上で、この農連市場は目に見える生きた教材だったのです。

 

沖縄本島の中南部は米軍統治下時代に基地の利便性を高めるために改造された街です。ただでさえ、戦争で全てが破壊され、昔を伝える風景が残っていない。しかし短いながらも戦後70年の歩みを示す根拠として、農連市場やその周辺は存在してきました。これがなくなるということは、戦後の厳しい時代を人々がどう乗り越えてきたのか、男手をなくして復興を支えたオバァたちのバイタリティや歴史を語り継ぐ「物的証拠」がなくなってしまうということを意味しています。

 

語り継ぐべき物証を自ら破壊しておきながら、戦争でヤマトの防波堤にされたとか、米兵が土地を強制的に取り上げたなどと言われても、風景がなくなれば説明するのが困難ですし、もとより説得力がない。特に農連市場は那覇だけでなく、沖縄全体の戦後復興の象徴です。沖縄を離れた那覇の人が故郷を思うときにまず思い出すのが農連市場のある開南地区やその界隈といっていいでしょう。再開発の名のもとに景色を一変させてしまうと、原風景を振り返る場所がなくなり、故郷がなくなってしまうということではないでしょうか。沖縄の人たちは本当にそれでいいのでしょうか。僕にとっては哀しいことですし、もっといえば愚行だと思います。

 

 

——仲村さんにとって、沖縄はどんな場所ですか。

 

僕にとって、故郷に繋がる地、ルーツでもある場所でした。しかし、たび重なる再開発で沖縄はもうかつての沖縄ではなくなり、過去を憧憬していく島になりつつあります。

 

消えゆく沖縄を目の当たりにするというのは非常に辛い。移住したころはまさか自分が20年後にこんな気持ちになって、『消えゆく沖縄』を書くとは露とも思っていませんでした。いまは自分の中で、言葉にできないほど複雑でモヤモヤとした感情が渦巻いています。この「モヤモヤ感」を県民にも、内地から沖縄を訪れた人にも感じてほしい。メディアを通じて見える「明るい沖縄」とは全く違う、八方ふさがりで行き場を失った「暗い沖縄」があることを知ってもらいたい。この本がそのきっかけになればと思っています。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

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