日本社会の隘路を考える――三重苦はいかにしてもたらされたのか

シノドス国際社会動向研究所(シノドス・ラボ)ではシリーズ「来たるべき市民社会のための研究紹介」にて、社会調査分析、市民社会の歴史と理論、政治動向分析、市民運動分析、地方自治の動向、高校生向け主権者教育、などの各領域において、「新しい市民社会」を築くためのヒントを提供してくれる研究を紹介していきます。

 

今回は『福祉政治史: 格差に抗するデモクラシー』著者、田中拓道氏に日本のレジーム転換をテーマにご寄稿いただきました。

 

 

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日本社会の三重苦

 

現在安倍政権のもとで、総額2兆円を超える子育て支援や教育支援の導入が議論されている。高齢者向けに偏ってきた日本の社会保障のあり方が変わるのかどうか注目される。とはいえ、今日の日本が直面しているのは子育て・教育支援には限定されない。それはより複合的な問題、いわば「三重苦」である。

 

第一に、日本の財政は過去20年にわたって歳入と歳出の不均衡を続けてきた。現在の政府債務残高はGDP比で約240%と先進国で突出した値になっている(2番目はイタリアの130%)。深刻な財政状況のもと、安倍政権ではすでに2014年、2016年の二度にわたって消費税増税が延期されてきた。今回の子育て・教育支援策の財源は、主に2019年から予定されている10%への消費税引き上げの増収分を充てるとしており、財政再建への道は見えていない。

 

第二に、日本社会は今後長期にわたる少子化と高齢化に直面していく。日本はすでに世界でもっとも高齢化の進んだ国となっており、65歳以上の人の割合は約1/4である。今後この割合は上昇をつづけ、2055年には約4割に達すると推定されている(国立社会保障・人口問題研究所の推計)。さらに、総人口は2010年前後から減少を始めており、2050年代半ばには1億人を割り込み、生産年齢人口(15~64歳)は現在の2/3以下の5000万人程度になると予測されている。

 

高齢化とともに社会保障支出は毎年5000億~1兆円の規模で増えつづけている。政府が採れる政策は限られているにもかかわらず、第三に現在の日本では、さまざまな格差や分断が顕在化している。相対的貧困率は2015年で15.6%と、先進国ではアメリカに次いで高い。全体の約4割を占める非正規労働者と正規労働者との処遇や給与の格差も相変わらず大きい。都市と地方の格差、男性と女性の格差も深刻である。とりわけ若年層や女性の間で不安定な暮らしに直面する人が増えており、多くの人は家庭を築くことにも困難を感じている。

 

財政赤字、少子高齢化、格差の拡大という「三重苦」はそれぞれ結びついている。ではなぜ、日本はこうした行き詰まりに陥ってしまったのだろうか。他の先進国とどこが異なっていたのだろうか。現在の悪循環から抜け出す手がかりはどこに見いだせるのだろうか。この小文では、これらの問いを考えるためのささやかな手がかりを提供することを試みたい。以下ではまず、先進国との比較の中で日本の戦後の仕組みを考えてみる。ここで手がかりとするのは、比較政治経済学で用いられる「レジーム」という概念である。次に、戦後のレジームが行き詰まり、さまざまな改革が試みられてきた過去20年の流れを振り返る。最後に日本の現状と今後の展望について簡略に触れてみたい。

 

 

戦後の政治経済の仕組み

 

比較政治経済学では、政治と経済、つまり国家と資本主義がそれぞれ異なるメカニズムによって動いており、相互に影響を与え合っていると考える。国家の政策は市場によって拘束されるが、市場の動きもまた制度や政策によって規制される。これらの制度の組み合わせを比較することが比較政治経済学の課題となる。

 

まず戦後の先進国に共通する政治経済の仕組みを、「ブレトンウッズ体制」と「フォーディズム」という二つの概念によって説明しておこう。

 

ブレトンウッズ体制とは、1944年に連合国によって定められた国際通貨体制を指す。アメリカのドルを基軸通貨とする固定相場制が採られ、為替の安定のもとで自由貿易が推進された。ただし国境を超える資本移動は厳しく規制された。この体制のもとで、先進国は完全雇用政策(ケインズ主義)と社会保障政策(福祉国家)の二つを担い、いわば市場に深く介入することを通じて貧富の格差を抑制した。その結果、購買力を持つ中産階級が生まれ、大量生産―大量消費の好循環が実現した。戦後の経済成長を支えた国内の仕組みは「フォーディズム」と呼ばれる。

 

このうち福祉国家のあり方は、各国の労働者・使用者の権力関係と、この関係を反映した左右の政党競争によって分岐していった。大ざっぱに言えば、企業の権力が強く、主に右派政権のもとで公的福祉の水準が低く抑えられ、自由な市場を中心とする仕組みを作っていったのがアメリカ、イギリスなどの自由主義レジームである。反対に、労働組合が強力に組織され、左派の社民党政権のもとで普遍主義的な手厚い福祉を実現していったのがスウェーデンなど北欧諸国の社会民主主義レジームである。その中間として、中道右派・中道左派政党のもとで職域ごとに分かれた社会保険を導入したのがドイツ、フランスなどの保守主義レジームである。以下、これらとの比較から日本の戦後レジームの特徴を見ておこう。

 

戦後の社会科学では、日本は長らく近代化の遅れた国、あるいは欧米と比較できない独自の文化や仕組みを持つ国、という見方がなされてきた。しかし、国際的なブレトンウッズ体制に組み込まれ、国内では大量生産―大量消費を循環させることで長期の経済成長を実現したという点で、日本は他の先進国と多くの共通点を持っている。日本の特徴は、独特の文化や伝統によってではなく、労使関係と政党システムによって把握することが可能である。

 

まず労使関係を見ると、日本では戦後直後を除いて労働組合の組織率が30%台へと低迷した。右派と左派の分裂や、企業別労働組合という組織形態のため、労働者の横の連携は弱かった。とりわけ1970年代以降は民間企業の使用者が主導する労使協調が根づいていった。

 

以上の権力関係を背景として、政治の世界では保守政党である自民党が1955年以降に一党優位体制を築いていく。左派の社会党や共産党は万年野党となり、戦後の制度形成に直接の影響を与えることができなかった。

 

使用者優位の労使関係、右派政党の長期支配という特徴を見るかぎり、日本は自由主義レジームにもっとも近い。実際、1960年前後に国民皆保険、皆年金が実現した後も、政府の社会支出は先進国で最低水準に抑えられ、1990年に至ってもGDP比公的社会支出が11.1%と、他の先進国よりはるかに低いままだった(アメリカ13.2%、ドイツ21.4%、スウェーデン27.3%、OECD Statistics)。一般の通念とは異なり、日本は典型的な「小さな(福祉)国家」だったのである。

 

ただし、自民党が企業の利益を代弁する自由主義政党であったかというと、必ずしもそうではない。むしろ自民党は、高度経済成長から取り残されていく中小企業や自営業への保護・規制を強め、地方農村部に対しては公共事業を増やしていった。いわゆる「利益誘導」を通じてこれらの人々を保守の固い支持基盤へと組み込むとともに、事実上の分配政策によって国民統合を成し遂げようとした。職域ごとに分かれた社会保険、男性が外で働き女性が家で家事労働やケア労働を担うという役割分業を前提とした家族の重視という点でも、保守主義レジームとの共通点は多い。

 

こうして戦後日本は、社会的な権力関係では自由主義レジームに近いが、それが政治を媒介して制度に反映されるときに保守主義レジームの性格を併せ持つようになった。職種、住む場所、ジェンダーによってまったく異なる生活保障の仕組みが築かれていったのである(政治学者の宮本太郎は、この仕組みを「仕切られた生活保障」と呼んでいる)。公的福祉は低い水準のままにとどめられたが、中小企業主・自営業者には保護や規制が与えられ、地方の人々には公共事業を通じて働く場所が提供された。民間企業のサラリーマンは企業による手厚い福利厚生を享受し、女性は結婚すると男性の稼ぐ所得と企業福祉によって生活の安定を得た。これらの制度の組み合わせはおよそ1980年代まである程度機能し、経済成長と社会の安定を両立させた。この時期には「一億総中流」という意識が抱かれるまでになった。【次ページにつづく】

 

 

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