2018.02.01

日本社会の隘路を考える――三重苦はいかにしてもたらされたのか

田中拓道 政治理論、比較政治

社会 #「新しいリベラル」を構想するために

日本社会の三重苦

現在安倍政権のもとで、総額2兆円を超える子育て支援や教育支援の導入が議論されている。高齢者向けに偏ってきた日本の社会保障のあり方が変わるのかどうか注目される。とはいえ、今日の日本が直面しているのは子育て・教育支援には限定されない。それはより複合的な問題、いわば「三重苦」である。

第一に、日本の財政は過去20年にわたって歳入と歳出の不均衡を続けてきた。現在の政府債務残高はGDP比で約240%と先進国で突出した値になっている(2番目はイタリアの130%)。深刻な財政状況のもと、安倍政権ではすでに2014年、2016年の二度にわたって消費税増税が延期されてきた。今回の子育て・教育支援策の財源は、主に2019年から予定されている10%への消費税引き上げの増収分を充てるとしており、財政再建への道は見えていない。

第二に、日本社会は今後長期にわたる少子化と高齢化に直面していく。日本はすでに世界でもっとも高齢化の進んだ国となっており、65歳以上の人の割合は約1/4である。今後この割合は上昇をつづけ、2055年には約4割に達すると推定されている(国立社会保障・人口問題研究所の推計)。さらに、総人口は2010年前後から減少を始めており、2050年代半ばには1億人を割り込み、生産年齢人口(15~64歳)は現在の2/3以下の5000万人程度になると予測されている。

高齢化とともに社会保障支出は毎年5000億~1兆円の規模で増えつづけている。政府が採れる政策は限られているにもかかわらず、第三に現在の日本では、さまざまな格差や分断が顕在化している。相対的貧困率は2015年で15.6%と、先進国ではアメリカに次いで高い。全体の約4割を占める非正規労働者と正規労働者との処遇や給与の格差も相変わらず大きい。都市と地方の格差、男性と女性の格差も深刻である。とりわけ若年層や女性の間で不安定な暮らしに直面する人が増えており、多くの人は家庭を築くことにも困難を感じている。

財政赤字、少子高齢化、格差の拡大という「三重苦」はそれぞれ結びついている。ではなぜ、日本はこうした行き詰まりに陥ってしまったのだろうか。他の先進国とどこが異なっていたのだろうか。現在の悪循環から抜け出す手がかりはどこに見いだせるのだろうか。この小文では、これらの問いを考えるためのささやかな手がかりを提供することを試みたい。以下ではまず、先進国との比較の中で日本の戦後の仕組みを考えてみる。ここで手がかりとするのは、比較政治経済学で用いられる「レジーム」という概念である。次に、戦後のレジームが行き詰まり、さまざまな改革が試みられてきた過去20年の流れを振り返る。最後に日本の現状と今後の展望について簡略に触れてみたい。

戦後の政治経済の仕組み

比較政治経済学では、政治と経済、つまり国家と資本主義がそれぞれ異なるメカニズムによって動いており、相互に影響を与え合っていると考える。国家の政策は市場によって拘束されるが、市場の動きもまた制度や政策によって規制される。これらの制度の組み合わせを比較することが比較政治経済学の課題となる。

まず戦後の先進国に共通する政治経済の仕組みを、「ブレトンウッズ体制」と「フォーディズム」という二つの概念によって説明しておこう。

ブレトンウッズ体制とは、1944年に連合国によって定められた国際通貨体制を指す。アメリカのドルを基軸通貨とする固定相場制が採られ、為替の安定のもとで自由貿易が推進された。ただし国境を超える資本移動は厳しく規制された。この体制のもとで、先進国は完全雇用政策(ケインズ主義)と社会保障政策(福祉国家)の二つを担い、いわば市場に深く介入することを通じて貧富の格差を抑制した。その結果、購買力を持つ中産階級が生まれ、大量生産―大量消費の好循環が実現した。戦後の経済成長を支えた国内の仕組みは「フォーディズム」と呼ばれる。

このうち福祉国家のあり方は、各国の労働者・使用者の権力関係と、この関係を反映した左右の政党競争によって分岐していった。大ざっぱに言えば、企業の権力が強く、主に右派政権のもとで公的福祉の水準が低く抑えられ、自由な市場を中心とする仕組みを作っていったのがアメリカ、イギリスなどの自由主義レジームである。反対に、労働組合が強力に組織され、左派の社民党政権のもとで普遍主義的な手厚い福祉を実現していったのがスウェーデンなど北欧諸国の社会民主主義レジームである。その中間として、中道右派・中道左派政党のもとで職域ごとに分かれた社会保険を導入したのがドイツ、フランスなどの保守主義レジームである。以下、これらとの比較から日本の戦後レジームの特徴を見ておこう。

戦後の社会科学では、日本は長らく近代化の遅れた国、あるいは欧米と比較できない独自の文化や仕組みを持つ国、という見方がなされてきた。しかし、国際的なブレトンウッズ体制に組み込まれ、国内では大量生産―大量消費を循環させることで長期の経済成長を実現したという点で、日本は他の先進国と多くの共通点を持っている。日本の特徴は、独特の文化や伝統によってではなく、労使関係と政党システムによって把握することが可能である。

まず労使関係を見ると、日本では戦後直後を除いて労働組合の組織率が30%台へと低迷した。右派と左派の分裂や、企業別労働組合という組織形態のため、労働者の横の連携は弱かった。とりわけ1970年代以降は民間企業の使用者が主導する労使協調が根づいていった。

以上の権力関係を背景として、政治の世界では保守政党である自民党が1955年以降に一党優位体制を築いていく。左派の社会党や共産党は万年野党となり、戦後の制度形成に直接の影響を与えることができなかった。

使用者優位の労使関係、右派政党の長期支配という特徴を見るかぎり、日本は自由主義レジームにもっとも近い。実際、1960年前後に国民皆保険、皆年金が実現した後も、政府の社会支出は先進国で最低水準に抑えられ、1990年に至ってもGDP比公的社会支出が11.1%と、他の先進国よりはるかに低いままだった(アメリカ13.2%、ドイツ21.4%、スウェーデン27.3%、OECD Statistics)。一般の通念とは異なり、日本は典型的な「小さな(福祉)国家」だったのである。

ただし、自民党が企業の利益を代弁する自由主義政党であったかというと、必ずしもそうではない。むしろ自民党は、高度経済成長から取り残されていく中小企業や自営業への保護・規制を強め、地方農村部に対しては公共事業を増やしていった。いわゆる「利益誘導」を通じてこれらの人々を保守の固い支持基盤へと組み込むとともに、事実上の分配政策によって国民統合を成し遂げようとした。職域ごとに分かれた社会保険、男性が外で働き女性が家で家事労働やケア労働を担うという役割分業を前提とした家族の重視という点でも、保守主義レジームとの共通点は多い。

こうして戦後日本は、社会的な権力関係では自由主義レジームに近いが、それが政治を媒介して制度に反映されるときに保守主義レジームの性格を併せ持つようになった。職種、住む場所、ジェンダーによってまったく異なる生活保障の仕組みが築かれていったのである(政治学者の宮本太郎は、この仕組みを「仕切られた生活保障」と呼んでいる)。公的福祉は低い水準のままにとどめられたが、中小企業主・自営業者には保護や規制が与えられ、地方の人々には公共事業を通じて働く場所が提供された。民間企業のサラリーマンは企業による手厚い福利厚生を享受し、女性は結婚すると男性の稼ぐ所得と企業福祉によって生活の安定を得た。これらの制度の組み合わせはおよそ1980年代まである程度機能し、経済成長と社会の安定を両立させた。この時期には「一億総中流」という意識が抱かれるまでになった。

1980年代からのレジーム転換

同じ1980年代に、他の先進国は戦後レジームの転換を迫られていく。そのきっかけとなったのは、国際的なブレトンウッズ体制の崩壊と、国内のフォーディズムの変容であった。1970年代に固定相場制から変動相場制への移行が起こり、国境を超えた資本移動の自由化が進んでいく。金融を中心とした「グローバル化」の時代が幕を開ける。

この動きと並行して国内の産業構造も変化する。製造業が途上国へと移行していくと、先進国内では情報・サービスなどの第三次産業が中心となっていった。大量生産―大量消費の循環は機能しなくなり、失業率が上昇していく。さらにサービスセクターを中心として女性の就労が進むと、家族のあり方も多様化していった。

グローバル化、産業構造の変化、家族の変容は、それぞれ先進国の社会に複雑なインパクトを与えていく。ここでその全体像を詳述することはできないが、一つ確認しておくべきことは、どの国でも財政・雇用・社会保障を横断する「レジーム」全体の転換が迫られた、ということである。

大きく見ると、その後の先進国ではおよそ二つの方向で改革が進められた。一つは新自由主義と呼ばれる方向である。アメリカやイギリスで見られたように、ケインズ主義からマネタリズムへの転換が起き、雇用の規制が緩和され、減税や社会保障の削減によって経済を活性化することが試みられた。特に貧困層向けの公的扶助(生活保護)、失業給付が大幅に削減され、就労を条件とした給付へと変えられていった(ワークフェア)。

一方、スウェーデンやフランスでは福祉の一律削減ではなく、その中身を修正することが試みられた。高齢者向けの医療や年金は抑制される一方、失業層への就労支援、子供や若者への公教育や職業教育、女性の就労支援、育児支援などはむしろ拡充された。職種・年齢・ジェンダーによる線引きをなくし、すべての人が社会に参画し、就労できるよう国家が積極的に支援する政策が進められた(社会的包摂)。

日本はこれらの変化にどう対応しようとしたのだろうか。少しタイムラグがあったものの、日本も1990年代には他の先進国と同じ問題に直面していった。金融の自由化が進み、1990年代初めのバブル崩壊以降は低成長期に入った。グローバル化の圧力のもとで国内産業への保護・規制は徐々に撤廃され、2000年代には地方への公共事業も減らされていった。民間企業では「日本型雇用」の見なおしが進み、長期雇用の対象となる労働者が絞り込まれることで、不安定な非正規労働に従事する人が増えていった。働く女性が増え、家族のあり方が多様化するとともに、仕事との両立に苦しむ女性も増えた。1990年には「1.57ショック」と呼ばれたように少子化問題が顕在化する。1990年代の半ばごろには、日本の戦後レジームがうまく機能しなくなっているのは明らかとなっていた。

なぜ日本では改革が進まなかったのか

小さな公的福祉、民間の企業福祉、中小自営業への保護規制、地方への公共事業、そして男女役割分業を前提とした家族という組み合わせは、1990年代には行き詰まりを迎えた。これらの区分が維持されたまま、それぞれの中で保護や規制が縮小していったため、既存の制度によって守られた「インサイダー」(特に中高年男性の正規労働者)と、そこから排除された「アウトサイダー」(若者、女性、非正規労働者など)との亀裂が顕在化していった。

それでは日本でも他の先進国と同様に、財政・雇用・社会保障を横断する「レジーム転換」が進んだのだろうか。結論から言えば、アメリカやイギリス型の新自由主義改革、あるいはスウェーデンやフランス型の福祉改革、どちらも体系的に行われることはなかった。むしろ過去20年の日本では、一貫したビジョンのない場当たり的な「改革」が積み重ねられてきた。なぜそうなってしまったのかを考えるために、この間の政治の動きを振り返っておこう。

過去20年の日本政治を特徴づけるのは「政治改革」であった。大きく二つの側面を挙げることができる。一つは選挙制度改革による二大政党制の実現という目標である。自民党の長期支配のもとで「利益誘導」が腐敗を生み出しているという批判が高まり、1994年には衆議院選挙制度が改革された。中選挙区制に代わって小選挙区比例代表並立制が導入され、二大政党を軸とした政権交代によって「政治のダイナミズムを取り戻す」ことが目指された。その後、自民党に代わって政権を担いうるもう一つの政党を作り出すことが試みられてきた。もう一つは、トップダウン型の意思決定を可能にするための統治機構改革である。内閣府の機能が強化され、首相直属の会議体が設けられ、幹部官僚の人事権が官邸に集約されるなど、過去20年にわたって「官邸主導」「政治家主導」を実現するための改革が繰り返されてきた。

これらの改革に対する評価は、今日でも政治学者や専門家の間で分かれている。2009~2012年の民主党政権への交代を評価する声もあれば、今日の「一強多弱」を嘆き、政治改革の失敗を指摘する声もある。首相権力の強化を評価する声もあれば、その行きすぎを危惧する声もあり、まだ改革が不十分だと指摘する声もある。とはいえ、過去の経緯を振り返ると、少なくとも次の二つの点を指摘することができるように思われる。

第一に、過去20年の日本政治のエネルギーは、政界内部の離合集散や、統治機構・制度の改革に向けられてきた。「どのような社会を目指すのか」という大きなビジョンをめぐる議論はきわめて乏しく、財政・雇用・社会保障を横断する一貫した政策のパッケージを実現しようとする動きも乏しかった。むしろ時々の世論の動きにしたがった場当たり的な改革がくり返されてきた。

第二に、この動きに拍車をかけたのが「トップダウン」の強化であった。強いリーダーシップを実現すること自体は重要であるが、この間の首相や官邸への権力集中が、中長期的な課題に取り組むリーダーシップをもたらしたとは言いがたい。むしろ時々の首相個人の関心による短期的な支持を見込んだ「改革」競争が続いてきた。小泉政権での「構造改革」や郵政民営化は、福田・麻生政権の路線転換によって修正され、民主党政権期に導入された子ども手当や高速道路無料化は、自民党の政権復帰にともなって廃止された。第四次安倍内閣では保育無償化、高等教育一部無償化が突如浮上したが、他の政策や財源などの調整は進んでいない。

冒頭に述べた「三重苦」に対応するには、中長期的な視野に基づき、短期的には不人気に見える政策を含めた一貫したパッケージを実施する必要がある。不人気政策とは、財政再建、高齢者向け支出(医療・年金)の伸びの抑制、若年層向け支援への財源の振り向け、労働市場の柔軟化などである。さらに就労形態・年齢・地域・ジェンダーなどによる線引きをできるかぎり取り払ったうえで、どこまでを自由な市場に委ねるのか、どこからを国家の責任とするのか、将来の社会ビジョンを改めて議論しなおし、決定しなければならない。これらの要請に応えるためには、中長期的な視点をもって政策の優先順位を決めることのできる政党同士の競争を実現することが不可欠である。また、単なるトップダウンではなく、社会の中のさまざまなニーズを集約できるような、社会に根ざした政党を育てることも重要になる。

はたして今後、日本の政治はこれらの条件を満たせるだろうか。政治を機能させ、「三重苦」に対応することはできるだろうか。私たち自身の政治の見方、政治との関わり方が問われている。

プロフィール

田中拓道政治理論、比較政治

1971年兵庫県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業、フランス社会科学高等研究院DEA課程修了、北海道大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(法学)。北海道大学法学部講師、新潟大学法学部准教授などを経て、現在、一橋大学大学院社会学研究科教授。専門は政治理論、比較政治。主な著作は『貧困と共和国――社会的連帯の誕生』(人文書院、2006年、社会政策学会奨励賞)、『よい社会の探求――労働・自己・相互性』(風行社、2014年)、『承認――社会哲学と社会政策の対話』(編著、法政大学出版局、2016年)、『福祉政治史――格差に抗するデモクラシー』(勁草書房、2017年)など。

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