「街」を歩き、声を聴く――『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)刊行記念対談

「問われながら、出す」という難しさ

 

藤井 戦後の週刊誌や新聞をかなり読んだのですが、それにしても昔の沖縄の週刊誌や新聞って、売春女性に対する書き方とか、離島や奄美から来た人たちに対する書き方が差別的ですごくひどいじゃないですか。

 

岸 ひどいひどい。「堕ちた女」みたいな。60年代だと、朝日新聞でも相当ひどいですよ。とくに「水商売の女性」に対する偏見が半端じゃないです。当時の新聞を調べていると、殺人事件の犯人が逮捕されたという記事に、犯人は「やはりスナックの女」っていう見出しが付いてたりする。あと、60年代の沖縄タイムスの記事を大量に集めていて、それもまた本になる予定なんですが、事件もハードなら記事もハードです。

 

藤井 そうそう。「辻パンパン座談会」みたいなタイトルを平気でつけている。言葉づかいふくめて、蔑視がすごい。いま読むとひどい記事なのだけど、当時の沖縄のリアルがよく見える。そういう資料は慎重に読みながら取材は進めていきました。

 

岸 開き直ったらいけないと思うんですよね。やっぱりマジョリティの側から入っていくので、そこは土足で入っていってはいけない、ということは常に問われるんです。

 

でも、問われながら、ぼくたちはデータや事実を集めて蓄積する。沖縄のひとに「なりかわって」語ることはできないけど、立場を問われながらも、それでも地道に調査してデータを集めるんです。そういうかたちで結果を出さないといけない。

 

藤井 「問われながら出す」って難しいですね。議論で問われるというよりも、意識や身体感覚として問われるということ?

 

岸 もちろんそうですよ。私自身はそういうことを「直接」言われたことはほとんどありませんが、いつも沖縄の空気のなかで痛感しています。

 

藤井 ヤマトンチュを受け付けないようなバリアみたいな抵抗感を、ちょっと深く分け入れば、絶対にマジョリティの側として感じるものがあると思う。普通に観光しているだけじゃわからないと思いますが、逆にそれを感じない観察者だったり取材者だったらマジョリティとしての意識がなさすぎる。というより、記者や調査、研究をする者として沖縄と向き合ったときに鈍感すぎます。

 

岸 当事者と非当事者って、議論が袋小路なんです。結局、超えられるの、超えられないの? どっちなんって。当事者と非当事者という立場の差は、固定しているわけじゃないという議論があり、また同時に、当事者と非当事者の壁は乗り越えられないんだよという議論がある。こういう話がずっと続いていて、まったく前に進んでいない感じがする。

 

だけど思うのは、そういう議論は「前に進む」ような種類のものじゃないんです。当事者か当事者じゃないかという壁は絶対に乗り越えられない。もう答えは出てる。ぼくは一生ウチナンチュにはなれない。

 

だけど、ナイチャーであることが問題になる状況と、それほど問題にはされない状況がある。ちゃんとした「仕事」をしてるひとは、この沖縄にも居場所が見つかるんじゃないかなと思います。

 

藤井 なるほど。仕事というのは、沖縄に何らかを還元しているか、していないかってこと?

 

岸 還元かなぁ。ちゃんと沖縄に関わって仕事しているって感じ。藤井さんもそうですけど。「問われながらも関わる」ことができるかどうか、ですかね。どう言ったらいいのか、難しいですけど。

 

藤井 ぼくは一ライターですが、もちろん沖縄の役に立ちたいという気持ちはあります。仕事場をかまえているぐらいだから、いまでも沖縄は好きです。でも、当事者か非当事者かでいったら非当事者に決まっているし、取材者が当事者になることはめったにないことだと思う。ぼくはそのグレーゾーンみたいなところを動き回っていたいという、ずるい立場かな。

 

岸 ぼくはあくまでもマジョリティの側だなというのが譲れないところなんですよね。開き直れないんです。

 

あるとき、東京から移住して沖縄で頑張っている平和ガイドの方が、学生の前とかで、「わずかなお金であの美ら海を売り飛ばした沖縄の人には反省してもらいたい」って言った。辺野古の埋め立て受け入れの話ね。ぼくは結構怒りました。怒ったというか、なんか傷ついたというか。ナイチャーとして。

 

政治的立場に寄らず、そういう視点が出てくるんじゃないかな、ナイチャーというのは。当事者性関係なしに、政治的意識だけあって、本人は良心的で、心から沖縄のためを思って言ってるんだけど、とても乱暴な言い方だと思った。

 

その方も現場では貢献しているんだけど。でも当事者、非当事者という意識がないと、そういう発言をしてしまうんだと。

 

藤井 内地からきた活動家たちが、沖縄はいまたいへんな時期なんだからもっとがんばって反対してくださいって演説している風景をたまに見るけど、それをどういう思いで沖縄の人たちが聞いているのかと思うとね……。

 

 

当事者か非当事者か

 

藤井 とても大事な点ですよね。ある離島で環境保護を訴えているのは内地からきた移住者で、地元の人たちと対立している話をよく聞きます。当事者性と政治性との関連は辺野古や高江の反対運動にもつながっていく問題だと思いますが、岸さんにはそのあたりをつきつめて研究し、議論をしてほしいです。そうとうキツい議論になりそうだけど。

 

岸 そういうことを『沖縄アンダーグラウンド』を読んで久しぶりに考えました。そこまでこの街に入りこめた人は、ほかに誰もいなかったわけだし。

 

藤井 沖縄の恥部を出されたと思う人もいるでしょうね。雑誌に書いた記事に対しては、沖縄では大方は好評でしたが。じつはクラウドファンディングで取材経費集めをやったときに──序章と第一章を無料で読めるようにしましたので──真栄原新町ではたらいていた女性(いまは札幌在住)から連絡があったんです。

 

よくぞ記録してくれたと言ってもらいました。売春街には沖縄の女性もいれば、内地の女性もいましたし、いまもそうです。真栄原新町や吉原などにいた女性って、自分の履歴書から沖縄での売春生活を抹消して生きていくしかない人が多いから、誰かに話を聞いてほしいというかんじでした。

 

岸 そういうことありますよね。ぼくも、語り手の方からお手紙をいただくことがあります。ほんとに背中を押してもらってるなと思います。だからほんとにこの本、久しぶりに自分の仕事を振り返りながら読んだんですよ。俺はなにをやっているんだろうと思いながら。面白かった。一番単純にいったら、一人で入っていくのがかっこいい。

 

藤井 ぼくは基本的に一人です。データマンは使っていません。こういうナーバスな問題って、何か取材相手とトラブルがあったときに一人で責任が取れるほうがいいです。が、地元の友達のクルマに乗せてもらって、そのまま取材に同席してもらったりとか、けっこうありましたから、感謝しています。

 

岸 そういう、取材のときの経費は持ち出しでやるんですか。

 

藤井 もちろん持ち出しです。9割以上は。最終段階になって経費をクラウドファンディングで集めたりしましたが。

 

岸 持ち出しかー、すごいなあ。まあ大学の経費も、最初に教員が立替払いすることが多いですが……(笑)。

 

ちょっと記述の問題に戻りますけども、例えば、そこで働いている女の子をどう描くのかって、すごく政治的な選択じゃないですか。わかりやすくいうと、かわいそうに描くのと、自己決定したたくましい主体として描くのと、どちらかによりがちなんだけど。

 

藤井 そこははっきりと決められないですが、沖縄の今回取材した街で「自己決定」という言葉はあまり思いつかなかったです。働いていくうちに気持ちも変わるものだし、どれが自分の「意思」なのかわからなくなっていく感覚といったらいいんでしょうか。

 

街ではたらいていた女性の呼称をどうするのか、でもいろいろな人に相談しました。たとえば、「売春婦」と書くのか、「売春」か「売買春」と書くのかとか、いろんな人の意見を聞いて考えました。どれも一番ぴったりとは思わない。今でも結論は正直出ていないです。

 

ぼくはたくさんの──とはいっても何百人と取材したわけではないので分母が少ないという問題はありますが──街の女性に会ってきました。売春をやりながら、お金を貯めている子もいるし、ずぶずぶとやめたいのにやめられない子もいたし、沖縄の子も内地の子もいた。人身売買みたにして沈められた子も少なくない。

 

沖縄の女性でいうと、ほぼ間違いなく借金づけになっていて、夫のDVがあった。一回、意に沿わないかたちで裏性風俗に落ちたら、彼女たちの借金をする相手が同業者やヤクザみたいなやつになる。身内から借りられない。お互い保証人になりあって転落していく。最初は昼間の仕事をしていたけど、だんだんそうなっていくパターンが多かった。

 

そこも従来的に言われる「ゆいまーる(助け合い)」的な沖縄のイメージとは違う世界がありました。今でこそ沖縄の子どもたちの貧困率が日本一だということが問題化してきましたが、街の存在や裏性風俗はそことも直結していました。

 

岸 貧困から押し出されて、親族から排除されて、社会的排除になって、どんどん売春の方に追いやられる。一連の過酷なシステムが、世界中どこでもあるんだけど、沖縄の経済的に厳しい状況だと露骨に出てきますね。

 

藤井さんが女性を描くときは、すごく淡々と描いている。それってめっちゃ取材しているからなんです。取材を重ねていくと、実はどんどん自由に書けなくなっていくんですね。ああいう形でしか書けない、というところまでいく。自分のもっている部分がどんどんはぎ落されていって、こういうことが起こったんだよということしか言えなくなる。

 

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち書籍

価格¥ 2,160

作者藤井 誠二

発行講談社

発売日2018年9月6日

カテゴリー単行本(ソフトカバー)

ページ数347

ISBN9784065128275

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沖縄の土地利用を考え直す

 

藤井 膨大にインタビューして、使うのはそのごく一部ですなんですが、なんかもやもやした思いもあります。ノンフィクション作品ですから、読み物として何字以内にまとめなきゃならないのだけど、そぎ落としたところに、もしかしたら相手の本質みたいなもの、いちばん言いたかったことがあるような気もしてならないんです。

 

今回、直接インタビューした人は最高でも70代でしたが、長く話しをしてくれたのは3~50代がメインでした。ですから、沖縄戦はリアルには体験していない人が多かったけど、戦後の鬼畜みたいな米兵が沖縄を占領していた時代の話は必ず出てきました。『沖縄アンダーグラウンド』にも書いたけど、それが社交街や特飲街が生まれる背景の一つにある。

 

岸 もうひとつ、60年代の高度成長も背景にあると思うんです。復帰前の生活史をよく聞いているんですが、復帰前ってすごいみんなノスタルジックに語るでしょ。復帰しないほうがよかったくらいの。「あの時は儲かって」みたいな話とか。実際に統計データをみると、意外なほど景気が良かった時代です。失業率はほとんどゼロだし、毎年の県内(域内)総生産は急激に上昇している。人口も爆発的に増えてます。

 

藤井 言いますね。あのときは本当に儲かったと。当時の売春していた女性の話がポジティブに語られるときには、数か月働いたら家が一軒買えたとか、今や誰でも知っている会社を立ち上げたとか、都心の土地を買いまくったとか。当時はあれでよかったと語る人も少なくなかったです。主に語るのは、男性だったけど。

 

岸 それで儲かったといっても、そこで働いていた女性は誇らしげに語らないでしょうね。それはそれで辛い経験をしているはずだから、いい風にばっかりは言えないですよね。

 

藤井 ぜったいに語らないですね。かつては奄美や離島出身の女性がすごく多かったんですが、みなさん沖縄から出てしまったり、米兵と結婚してアメリカに渡った人も多い。体を売ってお金を離島の故郷に送り続けたけど、帰ってみたらヘンな目で見られて、最後は狂い死にしたという話もいくつか聞きました。

 

岸 地元にいられなくなったこともあるでしょうね……。

 

復帰前がノスタルジックに語られるときに、沖縄らしさの本質とリンクさせる語りがすごくあって。このあたりはちょっと、藤井さんにも聞いてみたい。

 

たとえば、最近、普天間の土地利用の資料を集めているんですけど、あれで描かれている完成予想図がほんとにどうしようもない(笑)。いかにも行政が描いた、イオンとホテルとビルと駐車場と病院と、みたいな絵。こんなんしかつくられへん。

 

たとえば大阪の天満とか那覇の栄町みたいなものを人工的につくるのは無理なんだろうかっていつも考えます。『那覇の空間構造』(吉川博也 : 1989)という名著があって、戦後に米軍が土地計画しなかったこともあるけど、那覇の複雑な地理的構造は、沖縄社会の構造そのものでもあるっていうんですね。上から整備されていない街、自分たちで自分勝手に作り上げた街。つまり、街の空間構造が、社会構造をそのまま表している。

 

普天間の跡地利用みたいなのって、結局「おもろまち」でもそうだけど、あんな風になるしかないのか。普天間の跡地利用に欠けているものは酒なんですよね。酒を飲む場所をつくっていない。住む場所もあるし、働くところもあるし、買い物をする場所もあるけど、唯一飲み歩くことが計画に入っていない。でも飲み歩く場所があるって、いい街の本質だと思うんです。

 

桜坂は道路が通っちゃったけどね。ジャングルの中に広い道が通って、周りの葉っぱが日差しに焼けて枯れていく感じ。

 

藤井 なるほど、酒を飲むところが欠けているか。名言だ。ショッピングモールだとゆっくり静かに酒を飲めない。あとは緑も圧倒的に少ない。日陰がない。暑い日に年寄りが「おもろまち」を歩くのを嫌がる理由の一つだし、クルマしか頼れないふうになる。

 

あと、猫の轢死体が増えたって仲村清司さんが言ってた。彼らの空間が急に変えてしまうわけだから。コザはまさに米軍がつくった巨大な街ですけど、そうやって勝手につくられた街はいたるところに痕跡がありますが、そうやって「手作り」に近いかたちで米軍と巧みに折衝しながら、土地の起伏なども利用して街をつくっていった。それは一つの沖縄的な「貌(ぼう)」だと思います。

 

 

変わりゆく沖縄の街をどう考えるのか

 

岸 街って生態系なんだなと思いましたね。日が射すとか簡単ななことですごく変わるのがよく分かりました。

 

ただね、ごちゃごちゃした那覇らしい街、そういうのが本当の沖縄らしさで、そういう沖縄らしさが失われていくというのも、それはそれでよくある語り方なんですよね。昔ながらのごちゃごちゃした街っていうのは、要するに昔ながらの沖縄の生き方、あるいは本来の沖縄の共同体のあり方の、ひとつの象徴なんですけども。

 

でもそういう共同性の中に女性への暴力があったりとか、貧困があったりするわけでしょ。そこをロマンティックに語っていいのか。このあたりのことは、藤井さんも問われることになると思います。真栄原みたいな街を、どのように捉えるのか。それをノスタルジックに、ロマンティックに描いてないだろうか、と。

 

とか言いながら、栄町とかで飲むのが大好きなんですが。

 

藤井 ぼくももっぱら栄町ですが(笑)、そのあたりの答えはぼくにはまだ出せていません。仕事場から徒歩で行けるからだけなんですが。岸さんのおっしゃるところは複雑な問題ですよね。

 

いっしょに本を書いている建築家の普久原朝充君とは、なんでも壊すんじゃなくて、スージグワ(路地)のある街に合う、景観をおおきく損ねない現代の建築についてよく話します。赤瓦を一部に取り入れたりして、街全体をリデザインする方向。

 

古い赤瓦の家はもう管理・維持がはんぱなくたいへんなので、建て替えたい気持ちもわかる。戦後沖縄の復興の象徴の一つだった農連市場が壊されて、ビルができます。あれを懐かしむ声も理解手きるし、でも実際には台風がくると大変だし、使い勝手はいいとは言えない。ノスタルジックな風景がなくなるのは今の沖縄の確実な変化なのだけど悩ましいところ。

 

岸 もちろん地元の人がどういう決定をするかの問題なので、外に住んでいる研究者がいいとか悪いとかいう問題でもないんですけど。やっぱり、古い赤瓦の家を残そうという単純な語りにも抵抗感があるんです。マンションの方が住みやすいに決まってるわけじゃないですか。

 

今回、藤井さんが真栄原新町を過度にノスタルジックにロマンティックに語らなかったところが安心したんだけと、随所に出てはくるんです。端々に、それを惜しむ気持ちが。ああいうものをみて切なくなっている藤井さんの気持ちとか、なくなっていくんだなという感覚。

 

藤井 沖縄には25年以上通っているから、少しは出てると思います。でも、ジュンク堂那覇店の裏のあたり、美栄橋の駅から見下ろせるこんもりした緑の小山がどんどん取り崩されているでしょう?  岸さんもああいうのを見ていると溜め息でないですか。

 

ぼくはよそ者ながらツラい気持ちになります。あのあたりは古いお墓がいくつもあって、沖縄に陶工の技術を持ち込んだ中国から渡ってきた人たちが眠っている歴史ある一帯。だから、複雑なんです、そのあたりが。

 

観光資源や文化財的なものとして残すという次元なら話は別かもしれないけど、『BRUTUS』の台湾特集表紙問題があったでしょう。撮った場所が「今」の台湾じゃないっていう批判。ただの日本人の懐古趣味じゃないかって。2006年から台湾に在住しているライターの栖来ひかり氏が、

 

「昔の台湾をよく知る日本人が、「昔の台湾はもっとめちゃくちゃでパワーがあって面白かった」とか「今の台湾はきれいになって面白くない」と言うことに、私は疑問を感じてきた。日常生活を「快適・健康・便利」に暮らしたいのは人の常だと思う。それが未発達なところを「面白い」と思うのは個人の勝手ではあるが、実際に不便と思いながら暮らしている人に「変わらないでいてほしい」と要求するのは理不尽なことでしかない。」

(『BRUTUS』台湾特集表紙問題:台湾人が不満を感じた理由https://www.nippon.com/ja/column/g00425/

 

と書いていて、それもその通りだと思うんです。外から見る目と、内側の実感というのは乖離するのは当然といえばそうなのだけど、那覇の古い地域にどでかいホテルが建っていくことで街が壊されていく感覚は否めないんです。

 

今回の『沖縄アンダーグラウンド』では、社交街で生きてきた人ばかりに取材をしてきたから、街がゴーストタウンになると自分の人生も壊されていくように感じているかれらの気持ちにぼくが同調しているところはあると思います。

 

岸 そういうふうに怒っている地元の人でも、残ったほうがいいとは言わないでしょ。「なくなるのはしょうがないけど」と。

 

藤井 そこはいろいろでした。ヤクザの幹部は「しょうがない。時代の流れ」と諦観してましたし、年寄りは残してほしいという人もいました。栄町のように外面は昔の面影を残しながらリノベーションでやっていけないかと考える人もいたし、全体としては岸さんが言うように「なくなるのはしょうがない」という、まああまり関心ありませんというような意見も多かった。

 

けれど、「浄化」するとは何事だという怒りのようなものは底流にあった。いまは真栄原新町で、ちょんの間という特殊な間取りの建物をリノベしてギャラリーにしたり、カフェにしたりして、若い世代が集まってきています。

 

先日、栄町で知り合いの居酒屋のおやじに連れていかれてスナックに行ったら、そこはかつてぼくが取材で出向いたことがある店だった。スナックだけど、奥に小部屋がある。そういう店です。カウンターがあって。小部屋はそのままだった。

 

ぼくが「ママ、前に雑誌のコピーもってきたやついなかったですか」って聞いたら、「読んだわよあれ」と。そこで盛り上がったんだけど、まわりが警察の摘発を受けて長期拘留されたり、なかには実刑うたれた人もいたから、潮時かなと言ってました。彼女たちは売春防止法の「勧誘」行為や「場所提供」の罪で挙げられるわけ。だから、スナックはつぶして、いまはマンションになっています。

 

女の子たちを束ねていた人たちもより地下に潜って、無届けの派遣型の性風俗を続けています。女性はほぼシングルマザーですから、子どもを預けて働いています。一概には括れない。沖縄の経済状況をみても、女の子たちが売春する絶対数は変わらないし、むしろ増えていると思う。

 

岸 沖縄の観光的なイメージの語り方がここ10年でだいぶ変わった。南国のリゾートから、昔ながらのレトロでノスタルジックな沖縄、みたいな売り方に変わっている。そういう店は儲かっていて、やっているのはナイチャーだったりするんですけど(笑)。

 

藤井 だいたい、そうですね。

 

 ほんとうの昔の沖縄はどんどんつぶされていく一方で、もう一回それが、イメージとして再構築されてきている。中身は全然変わっているんだけど、箱だけ残したり。復帰前のイメージをうまいことつかって、ナイチャーの若い子たちがリノベーションで店を立てる。ちょっと前に、浮島通りに「琉球政府」という居酒屋もあった(笑)。

 

藤井 すごい名前だなー(笑)。 ぼくが仲村清司さんと普久原朝充君と書いた『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)という本の取材でも、沖縄はイメージとしては豚肉大国だけどふたを開けてみたら、戦後以降どんどんそれがなくなって、ステーキとランチョンミートやハンバーガーが中心になってた。昔は捨てることなく使っていた内臓類は料理ごとほとんど消えているのが現状です。いまの沖縄の食のイメージは戦後、アメリカ占領になってからのものだという印象です。

 

 

再編されていく沖縄イメージ

 

岸 沖縄の観光のイメージも、昔ながらのものが解体されたあとにイメージとして再編成されている。風俗でいうと、真栄原新町がつぶれて、松山のデリヘルになっていくのと並行している。社会全体の変動の中にあるんです。街が消えていってきれいになる。

 

ぼくは一番大きな衝撃、印象的なものは、イオンライカムなんです。イオンが象徴しているものと、ライカムが象徴しているものがものすごくぶつかってできた、曲がり角というか。ライカムという名前が、ああいうかたちで復活するとは思いませんでした。ライカムという名前が、気軽に商業施設に使えることになった。商業施設が使っていい言葉とあかん言葉があると思うんですよ。気軽に使えるようになったっていうことは、要するにその意味が薄れたっていうことでしょうかね。

 

藤井 「ライカム」は琉球米軍司令部 (Ryukyu Command headquarters)の通称ですから、その名称を使ったのには驚いた。アメリカの占領時代の象徴です。ぼくも何度か行きましたが、海外からの観光客も地元の人もいて、すごくにぎわっていた。沖縄はそういう矛盾したものが絡まりあって表出してきちゃうところがある。ひめゆりの塔の横で軍服とか売っているアーミーショップがあるでしょう。

 

岸 ひめゆりの横に放出品があるのは古い沖縄らしさの表れだと思うんです。沖縄の庶民の、バイタリティやたくましさ。イオンライカムは、内地の大企業がライカムの名前を使っていて、地元でひろく受け入れられている。良くも悪くも今の沖縄の象徴的なものだと思いました。

 

藤井 それが今の沖縄の姿なので、すごいスピードで変化する。

 

岸 沖縄らしさって複数あって多層的で、どこを沖縄らしさにするのかでいろいろ変わる。いわゆる昔の真栄原を沖縄らしいというのか、いま沖映通りで中国人が並んでいるラーメン屋が、あれがいまのリアルな沖縄なのか。

 

藤井 観光に来ている中国人観光客にとっては、それも沖縄なんだし、むしろ日本なんです。いろんな層は残していったほうがいい。世俗化、内地化は止められないけれど、沖縄らしさは残ったり、あたらしく外側から付与されたりするじゃないでしょうか。

 

岸 内地の学者とかがここは残せとか残すなとか言わなくても、沖縄らしさはなくならないんです。わりと素朴な信念を持ってます。沖縄が全部おもろまちみたいになっても、たぶんどっかに、ぼくらが思ってもみなかった沖縄らしさが出てくる。

 

藤井 その萌芽は栄町みたいなところに出ていると思うんです。ぼくは別に栄町観光大使でもなんでもないけど(笑)、大開発をしないで、適度に町並みを残しながら人が増えて活気づいている。ウチナンチュもヤマトンチュも、外国籍を持った人たちもごっちゃになって、おもしろい街がつくられつつある。「ウチナンチュック」はなくなりつつあるけど。

 

岸 沖縄らしさは再編成されるとは思うけど、なくならないっていうことですね。

 

藤井 再編成中の過渡期ですよね。コザ(沖縄市)の商店街もイオンライカムができて、さびれかたに拍車がかかったと思う。地元ではいろいろ町おこしを画策しているけど、かつて米軍がつくった街はこのまま過疎化していくのだなと思わされます。

 

岸 そこはさびれていくかもしれないけど、古いところが残ったり。ライカムの状況もある意味では沖縄らしいし。沖縄らしさを守ることは、必ずしも赤瓦の古民家を残すことだけじゃない。今あるがままの沖縄に沖縄らしさを見出していくことも大事だと思います。いろんな沖縄を、沖縄の多様性を知りたいなと思います。

 

そういうなかで、今回、人びとが何十年もそこで暮らしてきて、そして消えてしまったひとつの「街の人生」が、藤井さんの取材によって残されることになったのは、とても素晴らしいことだと思いました。できれば私も、過度にノスタルジックにもロマンティックにもならずに、消えていく沖縄の姿を書きとめていきたいと思います。

 

藤井 今回はありがとうございました。本の帯文もいただいたし、光栄ですし感謝しています。

 

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち書籍

価格¥ 2,160

作者藤井 誠二

発行講談社

発売日2018年9月6日

カテゴリー単行本(ソフトカバー)

ページ数347

ISBN9784065128275

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