「バブル」が「バブル」でなかった頃  

テレビを見ながらツイッターをしている人はけっこう多いらしい。先日テレビで映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」(2007年公開)が放映されたが、その後ツイッター上の私のタイムラインは、一時、映画の舞台となったバブル期に関する思い出話で埋め尽くされた。

 

それを眺めながら思ったのは、「バブル期」の「バブル」という言葉は、多くの人にとってまず、あの頃のばかばかしい浪費やハイテンションなどんちゃん騒ぎをイメージさせるものであるらしいということだ。なんだかんだいって、経験者には楽しい思い出なのかもしれない。

 

 

「地価高騰」としてのバブル

 

当時そうしたものとはあまり縁もなく過ごしていた、わたしにとっての「バブル」のイメージは、その「語源」により近い。ご存知の方も多いだろうが、この「バブル」は、当時不動産をはじめ、株やゴルフ会員権などに広くみられた資産価格の「バブル」からきていて、元をたどれば18世紀イギリスで起きた投資ブームとその崩壊後の一連の金融スキャンダル、世に言う「南海泡沫事件」(the South Sea Bubble)に由来する。

 

当時もブームに乗って浮かれた世相がみられたそうだから、それもまた「バブル」のひとつの顔ではあろうが、個人的にはやはり、「バブル」でまずイメージするのは実体を離れて高騰した資産価格、なかでも当時の仕事に直接関係していた不動産価格の高騰のことだ。

 

実際これは当時、社会的にも大問題だった。それを反映してか、NHKはこの時期、地価高騰問題を取り上げた連続ものの特集番組を二度組んでいる。最初は1987年9月から3回にわたって放映された「土地はだれのものか」というシリーズ、2回目は1990年10月10日~14日まで五夜連続で放映された「緊急・土地改革 地価は下げられる」というシリーズだ。どちらも書籍化されている。このうち後者については、少し前に自分のブログで取り上げた(http://www.h-yamaguchi.net/2010/11/post-8c0b.html)ので、ここでは最初のシリーズを書籍化したものを取り上げたい。

 

本のタイトルは「NHK特集 緊急リポート 世界の中の日本 土地はだれのものか」。元となった番組は、「世界の中の日本」という大きなシリーズの一部だった。1987年10月30日に刊行されたこの本は、3回分の放映内容に合わせて、「第1部 地価高騰が日本を変える」「第2部 国際比較・これが地価対策だ」「第3部 土地問題をどう解決するか」の3部で構成されている。

 

第1部、第2部ともなかなか興味深い内容なのだが、もっとも面白いのは第3部だ。ここでは、番組の一環として開催された、政治家や学者などの識者と視聴者代表の計450人が、激論を交わす討論会の模様が収録されている。

 

討論が行われたのは1987年9月13日。10月19日のいわゆる「ブラックマンデー」の約1ヶ月前にあたる。経済指標や世論調査ではなく、また政治家や学者の意見だけでなく、庶民を含むさまざまな人びとが、実際に当時考え発言していた内容を、そのまま知ることができるのがよい。個人的に興味があったのは、当時、地価「バブル」はどうみられていたのか、また、誰がどんなことをいっていたのか、といった点だ。

 

1987年後半といえば、ちょうど東京の地価が急激にはね上がり、行政がその抑制に躍起になっていた時期にあたる。自治体が民間の土地取引に際して価格を審査する監視区域が都内ではじめて指定されたのが、同年1月1日だった。このときは500㎡以上の土地取引が対象だったが、その後この面積は2度にわたって引き下げられ、11月1日からは100㎡以上が対象となる(討論会時点では300㎡以上の土地取引が対象)。

 

また、金融機関へも、大蔵省から不動産関連融資の抑制を求める行政指導がたびたび行われていた。地価高騰の地方への波及はまだ一部ではじまったばかりだったが、都内では1年で70%以上地価が上昇し、まさに抑制策が目の前で進行していく最中だった。当時の人びとの目に地価の「バブル」はどう映っていたのだろうか。

 

先にちょっと種明かしをしてしまうと、じつは、この本のなかに「バブル」という言葉は一度たりとも登場しない。念のためこの年の「経済白書」(正式には「年次経済報告」)をみてみたがやはり同様で、「バブル」という言葉が登場するのは、翌88年8月に刊行された昭和63年版からだ。

 

記憶が定かでないが、たしか誰かが「バブル景気」「バブル経済」などと表現したのが定着したのではなかったか。それがこの間の時期だったのだろう。ともあれ、いまやこの時代を語るには欠かせないキーワードとなった「バブル」という形容は、まだこの時点では存在していない。いわば、当時バブルはまだ「バブル」ではなかったのだ。

 

では何と呼ばれていたかというと、文字通り「地価高騰」。当時すでに株価はかなりのスピードで上昇し、ゴルフ会員権や美術品などの高騰も伝えられ始めていたが、人びとがまず懸念したのは地価だった。一般的には、株価や美術品価格が上がって困る人より、不動産価格が高騰して困った人の方がたくさんいたということだろう。

 

しかし、それより重要な点は、地価高騰という表現が、「バブル」とちがって「やがて下がるべき」というニュアンスを必ずしも含んではいない、という点だ。このことは、一見同じように地価高騰を懸念している人たちの中に、「地価を抑制すべき」、つまり地価を下げるべきと考えている人と、「地価高騰を抑制すべき」、つまりそれ以上上がらないようにすべきと考えている人がいたということを示唆する。

 

当時この差に言及する人はあまりいなかったように記憶しているが、じつはここにカギが隠れているのではないかと思う。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.278 

・山本貴光+吉川浩満「人間とは衝動に流されるものである」
・熊坂元大「培養肉――クリーンミートあるいは現代のプロメテウス的産物」
・伊藤隆太「進化政治学と政治学の科学的発展――社会科学の進化論的パラダイムシフト」
・鈴木公啓「ひとはなぜ装うのか?」
・平井和也「新型コロナウイルスの世界経済への影響」
・石川義正「ミソジニーの「あがない」──現代日本「動物」文学案内(3)」