安倍能成をダシにして日本における保守とかリベラルとかを考えてみる

まずは忘れられたアンバイさんの紹介から

 

安倍能成という名前を題に入れてしまいましたが、いまの若い世代にはほとんどなじみがない人だと思います。明治16(1883)年に生まれて、昭和41(1966)年に亡くなった方です。あ、安倍晋三の親戚ではありません。でも、アベにはいろいろな漢字があって迷うところを晋三サンのおかげで、このアベがメジャーになったような気もします。安倍能成によりますと、「アンバイ」と書く安倍、と説明するそうですが、これは夏目漱石の妻、鏡子の発案によるものです。漱石の「修善寺の大患」(1910)のおり、師の危篤を聞きつけて最初に修善寺に到着したのが安倍で、鏡子は、これで大丈夫だ、縁起がいい、「あんばい(塩梅)よ(能)く成る」だ、と喜んだとか。この逸話からわかりますように、安倍能成は、小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平と並んで、漱石門下の四天王と呼ばれました。

 

もう一つの呼び方は「セカンド・アベ」です。これは、安倍が東京帝国大学文科大学の哲学科に進んだあと、ドイツ人教師のケーベルからもらった名前です。二学年先輩で友人の阿部次郎(同い年ですが、セカンドのほうは浪人や落第で遅れました)と区別するためです。「ファースト・アベ」こと阿部次郎と言えば、これももういまでは忘れられた大ベストセラー、そして教養主義と来れば必ず挙げられる『三太郎の日記』の著者という話になるでしょうから、ここからわかりますように、安倍能成はいわゆる大正教養主義・人格主義を先導した書き手のひとりでした。

 

「セカンド」というのは、はからずも安倍能成の位置をあらわしていたのかもしれません。有名文化人だけれども、実は生前からすでに少し軽く見られていた。漱石門下としても若干、特色に欠けます。そして、どの安倍への追悼文を見ても、学者としては見るべきものを残さなかった、というような一文が入ります。むしろ安倍の大らかな性格を感じさせるくらいですが、たとえば清水幾太郎はこう言っています。「院長には何冊かの著書がございます。しかし、正直に申しますと、その中で今後も大いに有意義であるようなものは、殆んどないのではないかと思います」。

 

うーん、お別れ会でそこまで言うか。ところで、「院長」と呼ばれているのは、安倍が1946年から死ぬまで学習院の院長を務めたからです。そこから、明仁皇太子(現・上皇)の教育に携わることになりました。安倍の『戦後の自叙伝』には、1946年の誕生祝のおりに「私は大分酔って、東宮様の手を握ったまま、「煙も見えず雲もなく」の軍歌を終まで歌い、殿下は手が痛かったと後でこぼされたと聞いて、恐縮したこともあった」とあります。ほほえましい話、というより、大きな混乱(敗戦直後、皇室は危機にさらされていました)のなかで、父母とも別れて暮らしている孤独な少年を励ます老人の姿が目に浮かびます。東宮御教育参与になった小泉信三、学習院長の安倍、そして安倍の友人で、敗戦後に象徴天皇論を展開した和辻哲郎東大教授(同じく大正教養主義の花形)は、結婚問題も含めて、皇太子の精神面を支え、この三老人の影響がいかに強かったかは、「お言葉」のなかにも感じられたところかもしれません。安倍能成が典型的な保守と見なされる理由の最も大きなものは、こうした皇室との関係から来ています。

 

清水幾太郎の「安倍学習院長追悼の辞」は『世界』の1966年9月号に掲載されています。もちろん、あの『世界』です。ちょっと脱線しますが、『正論』の2014年12月号・翌1月号に、保守の論客として知られる平川祐弘さんが「昭和を貫く自由主義者の系譜 安倍能成と竹山道雄」と題するエッセイを書いていますが、こちらは順当な組み合わせでしょう。平川さんは出身校の旧制第一高等学校(現・東京大学教養学部)へのオマージュから書きはじめていますが、『ビルマの竪琴』の作者竹山道雄は一高の人気ドイツ語教師、そして安倍は1940年から46年まで校長を務めています。それで、若い高校生たちに慕われた安倍校長は、先の戦争と旧制高校生たちが紡ぐ物語の大事な脇役でもあります。

 

さて、『正論』から『世界』に慌てて舞い戻りまして、1966年8月号の『世界』には丸山眞男と吉野源三郎の追悼対談「安倍先生と平和問題談話会」が載っています。安倍能成は最初の最初からの「岩波文化人」でした。最初の最初から、つまり岩波茂雄が神田の古本屋さんを脱して出版業をはじめた時から、です。安倍は一高時代の親友岩波茂雄を漱石に紹介しました。漱石に看板の字を書いてもらったり、『こころ』の自費出版を任せてもらったりして、岩波書店が伸びていったことはよく知られていると思います。安倍は戦前に雑文集の類いを次から次へと岩波書店から出していますが(安倍自身、『岩波茂雄伝』で「私は著者として、岩波書店を重からしめる名著や力作を寄与したことはない」と断言しています)、ひょっとすると安倍の無意識のなかでは、岩波書店はいつまでも、友人がやっている小さな個人商店だったのかもしれません。

 

で、敗戦直後に、安倍は自分たちのグループの同人雑誌のようなものとして雑誌を計画し、親友の本屋さんから出すことになったのが『世界』(1946年1月発刊)だったと、安倍の側から言えばそうなります。安倍によれば、そのグループは終戦直前に重光葵外相のもとに集められて、陸軍に知られないように和平工作の案を練っていたそうで、敗戦後はメンバーを増やし、雑誌を創刊してこれからの新しい日本の再建のために尽くそうということになったと。ありがたいことですが、何だかものすごいエリート意識ではあります。

 

こうして誕生した『世界』でしたが、発刊とほぼ同時に安倍は幣原喜重郎内閣の文部大臣となったので(約4カ月で内閣解散のため辞任)、『世界』から手を引き、あとを労農派マルクス主義者の大内兵衛東大教授が引き継ぎます。編集長は吉野源三郎でしたし、この時期の『世界』を代表する論文「超国家主義の論理と心理」(1946年5月号掲載)を、まだほとんど無名であった若い丸山眞男に書かせた編集者、塙作楽は共産党員であったし、安倍能成らのグループとはやはりソリがあわず、岩波茂雄も亡くなっていたこともあり、結局、安倍能成らは1948年7月に自分たちの雑誌『心』を創刊し、『世界』から離れます。いわゆる「進歩的文化人」(いまや完全に侮蔑語)の雑誌『世界』と、保守派の代表的な雑誌と見なされた『心』のこうした経緯は、敗戦直後の進歩派と保守派の一つの関係を描きだす格好のエピソードですので、いろいろな場所で紹介されています。

 

とはいえ、ケンカ別れではありませんから、安倍は『世界』の有力な書き手でもありつづけました。後でまた触れますが、安倍は『心』の数多いさまざまな同人たちのなかで代表的な執筆者であり、且つ『世界』の数多い著者のなかで中心的な人物だったわけです。何より、丸山・吉野の追悼対談の題名に出てくる「平和問題談話会」の議長を、安倍は吉野から頼まれて引き受けています。この会は、いよいよ冷戦時代に入った1948年12月に中立や世界平和を掲げた宣言をまとめ、1950年には全面講和、非武装中立、軍事基地撤廃の主張を展開しました。いまの感覚で言えば、左派とかリベラルとか呼ばれる立場です。

 

丸山眞男は追悼対談で、「安倍先生がなくなられた報道記事のなかで、ある新聞は、「平和論の流行にたいして再軍備をとなえ硬骨ぶりを発揮した」(笑)と解説していたのには、呆れかえったな。硬骨にはちがいないけれど(笑)これはひどすぎる」と言っていますが、おそらくこの記事は安倍能成と小泉信三を取り違えているのでしょう。皇太子との関係や反共・ソ連嫌いなど、似ているところが多いですし、小泉は安倍よりほんの1カ月前に亡くなっています。何より小泉も『心』の同人で、むしろここから、同人たちも決して一枚岩ではなかったことがわかるくらいでしょう。2018年に中公新書で小泉信三の伝記が出ていますが、そこに「しかしいま、時代は、日本は、小泉信三を忘れつつある」と記されています。安倍も小泉も忘れられた。冷戦も遠くなりにけり、ということなのです。

 

それにしても、このようにさまざまな体制側の要職につき、天皇制を擁護し、且つまた、(現実主義者として単独講和を主張した小泉信三とは違って)理想主義的な平和運動のリーダーも務めた安倍能成は変な人物にはちがいありません。昔風に言うと、保守反動なのか進歩的文化人なのか、わからんじゃないか! 今風に言うと、保守かリベラルか、どっちなんだ! というわけで、拙稿の題名になりました。

 

 

若い世代に悪口ばっかり言われて

 

2、3年前から、保守とリベラルの意味が、とりわけ若い世代にとって、曖昧になってきていると指摘されています。このシノドスでも、山本昭宏さんの「「リベラル」は、ほんとうに「うさんくさい」のか?」、「「保守/リベラル」という図式ははたして有効か」、高山裕二さんの「リベラルとは何か?――その概念史から探る」などを読むことができます。わたしには、たいへん参考になりました。

 

小熊英二さんは朝日新聞の論壇時評(2017年11月30日)で、あえてこんなふうに言っています。「ああ、つまらない。何が? 論壇上の「保守とは何か」「リベラルとは何か」といった議論が、である。(中略)私も学者だから一応の知識はある。アメリカと西欧で「リベラル」の意味が違うとか、昔の日本では「保守」「革新」の方が一般的だったとか、冷戦が終わったあとから「革新」がすたれて「リベラル」が流行りだしたとか。そうした知識を踏まえた上で、「そもそもリベラルとは」とか「本当の保守とは」といった議論を……ここではやらない。不毛と思うからだ」。

 

なぜなら「実は昔から、そんな区分に実体はなかったかもしれないから」と続ける小熊英二さんが問題にしているのは日本の諸政党の性格ですが、生きて動いている人間ひとりを取りあげれば、当たり前と言えば当たり前ですが、その区分はますます微妙になってきます。政治学や法哲学によるリベラリズムの定義なんかブッ飛ばしてしまうのが生きた人間です。その一例として安倍能成を見ていこうというのが本稿の主筋です。【次ページにつづく】

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シノドス国際社会動向研究所

vol.273 

・山本貴光「語学は裏切らない――言語を学び直す5冊」
・片岡栄美「趣味の社会学――文化・階層・ジェンダー」
・栗田佳泰「リベラリズムと憲法の現在(いま)と未来」
・渡邉琢「介助者の当事者研究のきざし」
・松田太希「あらためて、暴力の社会哲学へ――暴力性への自覚から生まれる希望」
・穂鷹知美「スイスの職業教育――中卒ではじまる職業訓練と高等教育の役割」