安倍能成をダシにして日本における保守とかリベラルとかを考えてみる

というのは、リベラルと保守の区分の曖昧さを提示した第一号が、安倍能成たち、戦後にオールド・リベラリストと呼ばれた戦前の自由主義者たちの振舞いだったからです。このオールド・リベラリストの多くが『心』の同人でした。すでに言いましたが、明仁皇太子の教育のところで名前を出した小泉と和辻も同人、すなわちオールド・リベラリストと呼ばれる人です。

 

久野収、鶴見俊輔、藤田省三の『戦後日本の思想』では、こう書かれています。「戦前、このグループは意識した保守主義者ではなかったように思われる。それがオールド・リベラリストと呼ばれる理由で、この人たちはむしろ自分はリベラリストだと思っていた。しかしこのグループの人々の果たした思想的、政治的機能からいえば、リベラリズムというより、むしろ保守主義といったほうが一層あたっているように思う」(「日本の保守主義:『心』グループ」『中央公論』1958年5月号)。

 

これは久野収の言葉ですが、久野は学習院に勤務していましたので、東京新聞(1966年6月9日)に院長の追悼記事を書いています。「アカデミズムの解説的、翻訳的仕事は、先生の得意とされる方面ではなかったように思える」という必須事項明記のあと、こう言います。「文化上の自由主義と政治上の保守主義との良識的ミックスが、先生の立ち場であり、この立ち場の分析は『戦後日本の思想』の中で、私は私なりにやったつもりであるから、ここではくり返さない。ただ、先生の個性は、この良識が理念と経験、思考と情念の両足でバランスをもって立っているところにある」。

 

この「文化上の自由主義」は、昭和10年代にマルクス主義者の戸坂潤が「文学的自由主義」と呼んで鋭く批判した自由主義に近いでしょう(「「文学的自由主義」の特質」1935)。要するに経済とも政治とも思想とも関係ない。それほどの文学的あるいは哲学的才能もなく、「さりとて又意識的に反動の陣営に投じるだけの悪趣味を有つ気にならぬ者達が、その人間的感官を初めてノビノビさせることの出来る唯一のエレメントが、自由主義の名を以て天降って来たのだから、誰しも自由主義者であり又自由主義者であったことを、喜ばない者はないわけになる」。かなり辛辣ですが、戦前の自由主義者の「ノビノビ」のありようを的確に捉えていると思います。

 

で、安倍先生追悼に戻りまして、東京新聞を出したからには、産経を登場させてバランスを取るしかありません。サンケイ新聞(当時)では大宅壮一が追悼記事を書いています。「元文相で学習院長の肩書をもつ人物が、日本の反体制イデオロギーを完全に掌握し、リードしている出版社の重役、もしくは最高ブレーンとしての地位を確保しつづけてきたということは、驚嘆に値するアクロバットである。相反する二つの最高権威を両手ににぎって、綱わたりをしているのだともいえる。それができたというのは、安倍氏が岩波茂雄との多年にわたる個人的なつながりに基づいているのであるが、この形態は、きわめて日本的であり、封建的である」。

 

こうした「アクロバット」が、「きわめて日本的であり、封建的である」かどうかは俄かに判断できませんが、安倍の行動が、自分が相手を個人としてどう思うかに基いていたことは確かです。自分の正直はもとより、相手の人間が正直で信頼できるか、にかかっていたのです。「正直という自己同一性」と清水幾太郎は皮肉を込めて表現しています。安倍先生にとっては「動機の純粋」が重要なのだと、吉野源三郎も竹山道雄もこの点では、イデオロギーを超えて足並みを揃えます(竹山「安倍能成先生のこと」1981)。

 

大内兵衛は戦前からのマルクス主義者ですが、大内の正直さ(実際、善人だったみたいですね)にたいする安倍の信頼は篤く、なんと大内は『心』の同人です。「座談会などで大内氏の発言はいつも不協和音にひびく」と久野は言いますが、その不協和音を平気で呑みこんでしまうのが『心』の「保守主義」の特徴です。吉野源三郎については、安倍はこう評価します。「吉野の思想と行動とに同意しかねても、むしろその内攻的に過ぎる程の真面目さは、今も信用している」(『戦後の自叙伝』)。安倍が一高で若い非常勤講師として「倫理学」を教えたさい、一番熱心に最も優秀な答案を書いた生徒は吉野だったと。

 

先ほど言及した戸坂潤(敗戦の6日前に獄死しましたから戦後の状況はもちろん知りません)の文章では、日本の自由主義は個人主義であり、個人と個人の「パトス的な結合」を重んじる自由主義者は、ただそれだけの理由で「超党派的」であると述べられています。「こうやって、この自由主義者によれば、人間は或る一定の人間達だけと、一定の結合関係に這入るのである。それはどういうことかというと、人間学的趣味判断の上から、好きな人間同志が、一つの社会結合をするのである」(黒字部分は原文傍点)。

 

そして安倍能成の「社会結合」には、いつも一高とか東大とかが絡んできて、きわめてエリート主義的なのです。『心』もエリート主義的な雑誌で、その点では当時の『世界』と似ていなかったわけではない。法哲学者の井上達夫さんは『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』のなかで、「リベラルとエリート主義が結びつき、嫌われているのは日本だけではないけどね。アメリカなどでもその傾向は強い」と言い、リベラルが信用を失って当然の部分として「エリート主義で偽善的なリベラル」(ああ、朝日岩波的なものが非難されるときの言葉ですね)を挙げていますが、安倍能成は堂々と悪びれることなくエリート主義的です。しかし断じて偽善的ではない。安倍は当時の進歩派学者にたいして偽善的なものを感じ、それを持ち前の正直さで口にし、そのせいで保守反動と見られたということがありました。大きな勢力となり過激になった(と安倍は見ています)労働運動や組合活動を、ただただ褒めそやしているように見える進歩派学者たちに疑問をぶつけます。「天下の学者は警察力の弱い政府に対してのみ勇敢であって、いやしくも勢力のある所に対しては、かつて軍部に対してやったと同じ忍従と沈黙とを守り、そうして反動的保守的といわれる不名誉を免れようとしているのかという感じが起った」(「教員組合の要求について」『朝日新聞』1946年11月)。

 

安倍能成のこの批判は現在でもリベラル批判の一つとなっているかもしれませんが、ここではもう一度オールド・リベラリストへの批判のほうに戻りましょう。中国文学者の竹内好は、「かれらは日本の一番めぐまれた時代に人となったので、その幸福という外的条件が、結果としてかれらの批判力を弱めているように思う」(「リベラリズムの天皇制」)と述べています。これがオールド・リベラリストへの非難の定番となっています。というより、時代に恵まれた能天気なエリートというのがオールド・リベラリストの定義なのです。

 

この貶称の発祥の地は、敗戦直後、川島武宜を議長とする若い世代の研究者や芸術家たちが立ち上げた「青年文化会議」の設立宣言(『大学新聞』1946年2月11日号)です。軍部とファシズムに抵抗しえなかった「かゝる一切の旧き自由主義者との袂別」が、ここで高らかに宣言されました。そして、自分たち若い世代は「新なる民主主義建設の軌道を拓かんとする」と。「新なる民主主義」はやがて戦後民主主義と呼ばれるものです。

 

青年たちから見ると、戦後すぐにバーッといろいろな雑誌などが出てきても、安倍能成のような老人たちばかりが復帰してきているように思えたわけです。というか、事実そうだった。その意味でも、若い丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」は画期的でした。

 

その丸山も青年文化会議の運営委員でしたが、この宣言を「戦後世代論の最初の提起」と位置付けています。そして、世代の区切りを作ったのが軍隊体験(戦争体験ではない)と特高経験の有無だと。「我々は兵隊にとられたという、被害者意識です。オールド・リベラリストたちは空襲ではやられていますけれども、兵隊にはぜったいに行かないし、その点は安全なのです。もちろん特高経験がない。そういう思想問題の経験がない。(中略)世代論をやれば、そういうのはぼくらの世代のことであって、その前のリベラルには全くわからない経験なのです」(『丸山眞男回顧談 下』)。

 

余談ですが、戦後民主主義者たる川島武宜も丸山眞男も、東大闘争のおり、戦争を知らない子どもたちの世代に、気楽なエリート東大教授としてコテンパンにやっつけられます。

 

 

特権的少数者ゆえの被害者意識?

 

軍隊体験、正確に言えば陸軍二等兵としての内務班体験は戦前の若いエリートたちに大衆との接触をもたらしたとしばしば指摘されています。もちろん丸山眞男などにも、全共闘が批判したような大衆蔑視のありようを見てとることはできますが、オールド・リベラリストたちの大衆あるいは大衆民主主義への嫌悪、というより恐怖は、わたしたちには少し奇異に映るほどです。これを見ると、やはり彼らは保守的だなと思うわけです。

 

小熊英二さんの『〈民主〉と〈愛国〉』は、こうしたオールド・リベラリストに厳しい目を向けています。すでに言及した『世界』の編集者、塙作楽の『岩波物語』から、小熊さんは次のような部分を引用しています。『心』の同人で、著名な白樺派画家であり美学者であり東京帝国大学教授であった児島喜久雄に、塙は超満員電車で偶然出会います。1948年1月のことです。世が世ならこんな満員電車に詰めこまれるはずもない児島先生の愚痴を聞いていると、塙は「このような考え方、「貴族趣味」を、安倍能成と会ったときにも感じた覚えがある」と思いました。と、電車が急に止まり、人びとがドッと揺れて倒れかかってきました。

 

 

児島さんは、「君、もっとふんばりたまえ」と、見知らぬ一人の青年に言った。その青年は、児島喜久雄の顔を振り仰いで、何か言いかけたらしいが結局黙っていた。驚いたのは、ぼくの方だった。「人は生まれながらにして、夫々の天分と身分とを持つ。それを無視して、万人平等を主張するのは誤りである。この頃の世の中は、猫も杓子も民主主義を叫び、労働者までもが人なみの賃金を獲得しようと己れの主張をわめき立てている。恐ろしい世の中だ」と言いつづけた。ぼくは、ただ黙っていた。(黒字部分は原文傍点)

 

 

塙のほうが戸惑ってしまった気持ちはよくわかります。ただし、児島は学習院から一高に入り、家柄もよく、若くして才能ある画家として認められていましたから、オールド・リベラリストのなかでもちょっと特別です。成績もよい白樺派といったところでしょうか(武者小路実篤や志賀直哉も『心』の同人)。それと、ここで重要なのは、塙は口にしませんが、児島や安倍が若い塙を自分たちの仲間と見なして、つい愚痴を言っていることのほうでしょう。塙も一応は一中・一高・帝大です。

 

安倍能成は松山の医家に生れました。変わり者の父が医業を早く畳んだために、貧しかったわけではありませんが、中学生のころから少し新聞配達をしたり、高校入学前に中学の臨時教師をしたりして、それなりに苦労しています。明治末期の不況期には帝大を卒業してもすぐに正業に就けず、安倍の言葉を使えば「金に困るほうの高等遊民」(「文壇の高等遊民」1911)になりました。安倍は阿部次郎の本の書評で、「君と僕とは東北と四国と地を隔てても同じ年に生れ、共に豊かではないが必しも無教養でない家庭に多くの兄弟と一緒に育ち」(「『秋窓記』の著者へ」1937)とその境遇をまとめていますが、だいたいこんな感じの教育熱心な地方の名家出身が多いと思います。東京のお金持と言えば、コペル君こと吉野源三郎のほうが裕福な家に育っているでしょう。

 

塙の言う「貴族趣味」は、戦前における階層差から生まれたものですが、経済格差というより(もちろん大きな経済格差もしくは生活格差はあったのですが)、教育の圧倒的格差から来ていると思われます。大正後期に高等教育を受けた吉野源三郎、昭和前期の一高生だった塙や丸山に比べ、19世紀生まれの安倍能成のようなオールド・リベラリストたちは圧倒的な少数のエリートでした。もちろん、現在のいわゆる高偏差値大学出身者なぞとは比べようもない、社会の極少数派だったのです。

 

オールド・リベラリストたちは特権的少数者だけが享受できたものを無自覚に幸福に享受してきた世代で、これが彼らへの批判になっている。その特権的少数派意識が敗戦直後には、圧倒的多数の労働者と数多くの天皇制反対者と大勢の日本共産党員およびそのシンパたちのなかの年老いた極少数として(と彼らは恐怖とともに感じていた)、被害者意識に変わっていったのです。先に引用した安倍能成の言葉(「教員組合の要求について」)からもわかりますが、小熊英二さんは、オールド・リベラリストたちに「戦後の民主化や労働運動などを、軍部独裁と同一視する傾向」があることを指摘しています。これは、いまとなっては少し不思議にも滑稽にも思えてしまいます。安倍能成は労働者たちによる「内乱」を本気で恐れています(「日本の独立と平和」1952)。1960年になっても、『心』の座談会「学生の政治運動について」のなかで、安倍や和辻、竹山道雄や鈴木成高が全学連の学生たちをかつての過激な「青年将校」にたとえている。何かが軍部にたとえられるとき、彼らは迫害される少数者の気持ちになっているのでしょう。塙が安倍能成に感じた「貴族趣味」は、戦後の安倍の発言にたしかにあらわれていますが、それは恐怖や被害者意識でもあるのです。

 

自分を少数派と見なしている者の被害者意識について、丸山眞男の『日本の思想』(1961)の説明を借りてみようかと思います。丸山が批判した日本の各組織や集団の「タコツボ」化というのは、よく知られていると思います。現在でも日本社会批判のキーワードになりうるでしょう。丸山はさらに、それぞれの「タコツボ」が「社会が厖大化するに従って、実質的には大きな勢力をもつものも、その集団自身の眼には非常に小さなものとして受けとられてくる」と言います。「おのおののグループがそれぞれ一種の少数者意識、やや誇張していえば強迫観念――自分たちは、何か自分たちに敵対的な圧倒的な勢力に取り巻かれてるっていうような、被害者意識」をもってしまう。その例としてまず、「自分たちが日本で圧倒的な力をもつ進歩的勢力に取り巻かれている」と思いこんでいるオールド・リベラリストたちを挙げています。「ところが反対の立場から見ると全然事態は逆」となる。「こういうふうに保守勢力さえ被害者意識をもっているのですから、進歩的な文化人の方はなおさら、マイノリティとしての被害者意識があります。保守勢力も進歩主義者も、自由主義者も民主社会主義者も、コンミュニストもそれぞれ精神の奥底に少数者意識あるいは被害者意識をもっている」。さらに、いまや万能のように見える大手マスコミも、日本を牛耳っていると思われている高級官僚も被害者意識の塊だ、と。官僚たちは、「役人というものは四方八方から攻撃され、政党幹部からは小突かれるし、新聞からは目のかたきのようにいわれるし、非常に割のあわない仕事だと本気で思っている」。

 

これは1957年6月の「岩波文化講演会」の言葉ですが、現代にそのまま当てはまるので、ちょっと可笑しいほどです。ここでダメ押し的に補足しておきたいのは、この少数者意識は特権的少数者、正しい(と思っている)側の少数者の気持ちであることです。

 

最近、保守系論壇誌『諸君』の編集長だった仙頭寿顕さんの『『諸君!』のための弁明』を読みました。本の帯には「反・体制」ではなく、「反・大勢」を目指して。」とあります。「朝日やNHKや岩波書店などがつくる「大勢」に対して、こんな見方も、こんな事実もあるんじゃないのと、揶揄したり、茶々を入れたり、時には真剣に徹底的に論破したり」することが『諸君』の仕事であったと。しかしおそらく、朝日や岩波書店はもとより、NHKだって、自分たちが「大勢」をつくれるとは思っていないでしょう。

 

保守と名乗る人、他人からそう呼ばれる人もいれば、リベラルを標榜する人、そう見なされる人もいます。わたしが彼らに聞いてみたいのは、保守かリベラルかではなく、特権的少数者としての被害者意識をもっているかどうか、です。安倍能成は正直な人なので、ああ、そう言えば、もっているな、と答えるにちがいありません。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.vol.271 

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