原発震災に対する支援への補足

ここ数年ほど細々とブログをやっておりましたが、このたび思いがけず私の論考「原発震災に対する支援とは何か」(以後「本稿」)に大きな反響を頂き、一時的にとは思いますが「細々」でなくなってしまいました。他のブログや私の書いたものをご覧いただくとわかりますが、私は、広い意味での医療や福祉に関する研究をしている者です。通常は本稿のような「一人称」の論考を書くことがない者で、今後このような論壇に登場することもないと思っています。とはいえ、私のことをたまたま本稿でお知りになった方につきましては、これも何かの縁ですので、以後お見知りおきを。

 

さて、以下ではこれまで頂いた意見を踏まえて少し補足的な説明をさせて頂こうと思います。といっても、個々のご意見に応答するというよりは、私が本稿に込めた意図を明らかにすることで、誤解の幅を小さくすることを目標にしておきたいと思います。その上で、あらかじめ断っておきたいことがあります。それは、私が私の主張の正しさにこだわっていないということです。自身の主張の正しさに固執するには、私はあまりに部分的事実しか知らず、また事態はいつでも流動的だからです。ご意見の中に「考えさせられる論点が多い」という評価を多数頂いたことは私にとっては大変有り難いものでした。というのも、私としては多少なりとも支援について建設的に考える種を読者に引き継いで頂いたように感じられたからでした。読者の皆さんには、是非とも、私の提出した論点などさっさと乗り越えて頂いて、より本質的な支援を読者の皆さん自身の手で考案して頂きたいと思います。

 

 

NPO/NGOなどの支援団体への提案として

 

まず、私が何より目指していたのは、原発震災に関する論争を、被災者への支援に結びつく形で有効に機能させるということでした。その際念頭に置いていたのは次のことでした。

 

まず今次の東日本大震災一般について、被災地の地元が提供したボランティアの受け入れ窓口は、社協(社会福祉協議会)のボランティアセンターであることが多かったわけですが、多くの方が指摘するように、従来ボランティアを使い慣れていない土地柄ということもあってか、コーディネーション機能(ボランティアの能力と被災者のニーズを適切にマッチさせる)が脆弱であったと言われています。これを補完してきたのが、NPO/NGOなどの組織的な支援の経験をもつ支援団体でした。実際、津波災害支援においてはこれらの団体は自らコーディネーション機能をもった団体として活動し、現地の経験不足を補ったのです。

 

ところが、これらのNPO/NGO諸団体は、こと福島に留まっている人々に対してということでいえば、避難所支援などを除いて必ずしも有効な支援をしてこなかったように思います。もちろん、彼らは決して福島の人びとを見捨てていたというわけではなく、原発震災という非常に複雑な性格をもつ事態に対してどのように対応すればよいかで悩んでいたというのが正確なところだったかもしれません。彼らの支援の基本にあるのはなんといっても基本的人権の保護です。そして、この観点からみると、被曝=人権侵害=被災地住民総退避という立場をとることになります。もちろんこのような考え方はそれが現実的な選択肢である限りは正当性を持ち得ます。ただし、被災地の人々が一挙に県外に避難・移住することがもはや非現実的であるということがはっきりした後でもこの立場に固執するとどうなるでしょうか。結果として、被災者を支援したいという彼らの意図に反する行動を取ることになってしまいます。

 

彼らの多くは除染に反対という立場をとってきましたが、その理由は、除染を支援すると、彼らの主張である避難を抑制することになるかもしれないからです。しかし、「総員退避」が現実性をもたない状況で、そのような立場に固執するとどうなるでしょうか。避難者は期待するほど増えない一方で、現地に残った住民の被曝が増大し、人びとの精神的負担に押しつぶされてゆくさまをなすすべなく眺める結果となってしまいます(外野から被災地自治体を批判してもほとんど効果はありません)。これはまさにNPO/NGOがコーディネーション不足を補完できていないことで「不利益」を受けている福島の現状を説明する構図です。

 

もちろん、私の提案には、支援団体の方々の信条に反する部分があるだろうということは充分察しがつきます。その意味では、受け入れ難いことを提案することになるわけですが、それでも、私としては、NPO/NGO諸団体に属する皆さんに、現実的な判断、被災者にとっての利益とは何かということをもう一度考えていただきたいと思って、本稿を書いたというわけです。

 

 

健康リスクの不確実に対抗する考え方の提案として

 

私たちには、現状で、今回の原発震災がどのような健康リスクを孕んでいるのかを正しく評価することはできません。それは私のような非専門家にとってはもちろんのことですが、専門家の間でも健康リスクの評価はバラバラで一方の極から他方の極まであらゆる主張が争鳴する状況となっているという意味では、専門家にとっても状況は同じです。このような状況においては、放射線の健康リスクの評価→対応策という経路で対策を考えることは充分な有効性を持ちません。というのも何らかの立場からリスクを評価し対応策を考えることはほとんど賭をしているのと同じだからです。すなわち、健康リスクの評価を基礎にして支援策を考えようとすると、大雑把にいえば1)リスク大に賭ける、2)リスク小に賭ける、3)賭を拒否するという3択が強いられるわけです。ところが大変悩ましいことに、これらの選択肢にとりあえず有害な結果を及ぼす可能性のない選択肢はありません。この困難な状況が多くの方々を支援の入口で跳ね返してきたように思います。

 

この状況に対し、私が提案したのは(そのようには読めなかったかもしれませんが)、とりあえず原発震災の健康リスクは大きいかもしれないしそうでないかもしれないという幅を許容しても、それでもなしうることを探そうというものでした。たとえば、現地に留まっている人々にとって除染は、1)健康リスクの低減(安全)、2)精神的負担の軽減(安心)の2面の効果を持ちます。とすれば、除染は、人びとが福島に留まっている限り健康リスクが大きくても小さくても有効な手段ということになります。

 

ただし、これは現状に対する判断からの提案であり、今後ともそうでありつづけるということを言いたいのではないということはご理解頂ければと思います。物事を柔軟に考えなければならないという点でいえば、私が最近接したツイートで大変感動したものがあります。「敢えて呟く。正しい計測のもと、全村で内部外部合わせて個人の被ばく線量が3mSv以下を現状で保てる村があったとする。ここで1mSv/年を目指すために除染に大規模なお金を掛ける?…もし…もし住民全体の合意があれば、そのコストをすべて医療サービスに転換、なんてこともあり得るんだよ…」(@fukuwhitecat, 2012/2/2)。

 

福島や被災の現実をよく検討すれば、これまで私たちを支援の入口で跳ね返してきた困難を回避する方法はいろいろとあるように思います。上のように小難しくいわなくとも、「やれることからやる」ということでも構いません。このような不確実性に対抗する支援の方策を考えてゆきましょう、というのが、私として読者の皆さんに提案したかったことの2番目です。

 

 

 

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