2011.03.30

東京電力福島第一原発の何が問題だったのか ―― その行政手続きを考える

橋本努 社会哲学

社会 #東日本大震災#原発事故#核燃料税引き上げに関する条例の改定案#佐藤栄佐久

東京電力福島第一原発の事故の真相は、まだ十分に明らかになっていない。おそらく、これから少しずつ事実が明かされ、またその過程で、責任の所在も明確になっていくだろう。この問題との関連で、『週刊文春』の最新号(3月31日号)は、佐藤栄佐久(前福島県知事)氏のある証言を載せている。それによると、東京電力は、福島県の副知事を脅かしたことがある、というのである。

「あらゆる手段をもっても潰します」

2002年、福島県が「核燃料税引き上げに関する条例の改定案」を公表すると、東電の常務から福島県の副知事のもとに、このような電話があったという。

背後にあるストーリーは、こうである。国および電力会社は、原子力発電所の設置や安全管理をめぐって、受け入れ先となる地方の合意を得て、原発政策を進めなければならない。原発に対して批判的な知事がいると、事業そのものが滞ってしまう。そこで国および電力会社は、さまざまな手段を使って、知事や副知事に揺さぶりをかける、というわけである。

実際、佐藤栄佐久氏もまた、つくられた汚職事件によって、辞職に追い込まれてしまったという(現在、上告中とされる)。

佐藤栄佐久氏は、1939年生まれの政治家であり、東大法学部卒業後、日本青年会議所での活動を経て、1983年に参議院議員として初当選。1987年に大蔵政務次官、1988年に福島県知事に選出されると、以降、2006年までの約17年間を、福島県政に捧げてきた。県民から絶大な支持をえてきた氏は、原発その他の問題では「闘う知事」として名を馳せた。

その佐藤栄佐久氏が起訴された経緯については、自著の『知事抹殺』に詳しい(2009年に平凡社より刊行。現在絶版だが、原発事故を受けて増刷中とされる)。本書を読むと、原発行政の問題点が、さまざまな角度から見えてくる。以下では本書に依拠しながら、原発事故の背景について考えてみたい。

無責任の体制

1989年1月6日、東京電力福島第二原発の三号機は、手動で止められた。原子炉の冷却水再循環ポンプ内部に、最大30キロの重さの金属片が落下し、それらが原子炉内に流入するという事故が発生したためである。

ところが東京電力は、この事故を正月のあいだずっと隠しつづけた。また、その時点では異常を示す警報を鳴りっぱなしにして、7時間も原子炉を稼動していたという。この事件は、まず東京電力の本社に伝えられ、つづいて、通産省の資源エネルギー庁から福島県に伝えられ、最後に地元の富岡町に伝えられた。県や町は、原発事故に対して、何も権限がないことが露呈したのであった。

しかも事故後の経過説明で、東京電力の池亀亮原子力本部長(当時)は、「安全性が確認されれば、炉心に流入した座金が回収されなくても運転はありうる」と答えたという。この発言は、地元自治体や県議会の猛反対を呼び、住民と電力会社の信頼関係に、亀裂が走った。

こうした一連の事態に直面して、佐藤栄佐久知事(当時)は、ひとつの大きな教訓をえたという。すなわち、国は、安全政策について、何の主導権もとっていない。事故が起きても、国は電力会社の役員を呼びつけてマスコミの前で陳謝させるだけで、それ以上のことはしない。事故を教訓にして「防止策を考えよう」ということにはならない。すべては電力会社に任され、県も地元も、原発に対して口出しする権限がないのであった。

まるで阿片のような原発

1991年には、こんなことが起きた。東京電力福島第一原発の地元である双葉町の町議会は、原発増設の要望を議決した。双葉町は、すでに原発が二基あるおかげで、財政的には恵まれていたはずである。しかし30年から40年の単位で考えると、原発のある地域は、新たに原発をつくらなければ、財政的に厳しくなる。

双葉町はその後、2008年には、福島県内で財政状態がもっとも悪い自治体となっていた。新しい町長は、税金分以外無報酬という事態にまで追い込まれた。原発とはつまり、地元経済にとっては、麻薬のような効果をもっている。もっとつくらなければやっていけないという、原発依存症の自治を生み出してしまう。

答責性のない官僚制

1993年、東京電力は、福島県に次のようなお願いをした。東京電力福島第一原発の敷地内に大きなプールをつくって、その水のなかで、使用済みの燃料を一時的に保管したい、というのである。原子力発電の問題のひとつは、使用済みの燃料を処分する場所がない点にある。この問題をめぐって東京電力は、一時的な保管を福島県に求めてきた。

この要請に対して、当時の佐藤栄佐久知事は、通産省の担当課長に問い合わせ、「2010年から再処理工場が稼動するので、同年からは原発敷地内の使用済み燃料を運び出していきます」との確認をえた。そのうえで佐藤栄佐久知事は、使用済み燃料の一時的な保持を了承した。

ところが翌94年になると、国の原子力政策を決定する原子力委員会は、方針を変えてしまった。2010年までに処理するのではなく、「2010年ごろに、再処理に関する方針を決定する」という具合に、大きく政策を転換したのである。

佐藤栄佐久知事はこのとき、すぐに通産省の課長と連絡を取った。ところがその課長は、すでに異動していた。約束は「なかったこと」にされていた。国の役人には、顔がない。後で非難されても、人事異動を通じて、答責性を免れることができる。結果として国は、福島県をだましたことになった。

国も隠蔽する

2002年8月29日、経産省の原子力安全・保安院から、福島県の原子力担当部局に18枚のFAXが送られてきた。その内容は驚くべきものだった。「東京電力福島第一・第二原発で、原発の故障やひび割れなどの損傷を隠すため、長年にわたり点検記録をごまかしてきた」と書かれている。隠蔽された損傷は、炉心を支える部分や、原子炉本体の主要な配管にも及んでいた。この内部告発の報告は、その二年前に国に通知されていたというが、この時期になってようやく、福島県に通知されてきた。

国はこのとき、内部告発の取り扱い方を誤ったようである。国(保安院)は内部告発を受けて、本来であればすぐに立ち入り検査をし、告発内容を検討すべきであった。ところが保安院は、その内部告発の内容を東京電力に口頭で伝えて、照会していた。すると東京電力の側は、「報告は告発内容と一致しなかった」として、内部告発の訴えを退けてしまった。しかも悪いことに、保安院はその後、告発者の氏名や資料などを、東京電力に渡していたという。

こうした問題が起きてから、内部告発は、保安院よりも福島県庁に対して報告されるようになった。「一番信頼できるのは福島県だ」、と関係者たちのあいだで囁かれたという。福島県はこのとき以来、内部告発の報告を受けて、国の原発政策の責任を、厳しく問うことができるようになった。

同年9月2日には、原発検査記録改ざんの責任をとって、東電の南直哉社長が辞任、あわせてプルサーマル計画が凍結された。東京電力福島原発10基のうち、問題のあった3基の運転は、9月下旬から停止。さらに保安院によって、他の原発でも次々とトラブル隠しが明らかとなり、2003年には、安全点検のための停止を含めて、10基すべての原発が停止する事態になった。

福島県はこうして、佐藤栄佐久知事の下で、原発の安全性を優先して、その稼動を制御することができた。けれども、国と東京電力のトップは、「メンツ丸つぶれ」である。やがて佐藤栄佐久知事に対しては、「つくられた汚職事件」が生み出されることになる(ただしつくられたかどうかは係争中とされる)。

破局に向かって走りきる

2005年、国の原子力委員会は、今後10年程度の原子力政策の基本方針「原子力政策大綱」を発表する。しかしこの方針には、福島県が提出した意見は、まったく反映されていなかった。佐藤栄佐久氏は、この大綱の問題性について、次のように記している。

「この大綱を決めた原子力委員並びに策定会議委員一人ひとりに、この核燃料サイクル計画が本当にうまく行くと思っているのかと問えば、実は誰も高速増殖炉がちゃんと稼動するとは思っていないだろうし、六ヶ所村の再処理施設を稼動して生産されるプルトニウムは、プルサーマル程度では使い切ることはできないと思っているだろう。使用済み核廃棄物の処分方法について具体案を持っている人もいないのである。

しかし、責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走りきる決意でも固めたように見える。つい60年ほど前、大義も勝ち目もない戦争に突き進んでいったように。私が『日本病』と呼ぶゆえんだ。」(『知事抹殺』106-107頁)

佐藤栄佐久氏の眼には、原発の新たな政策指針は、破局に向かって走る戦争のように映ったのであった。

同年、それまで一度も改定されたことのなかった原子力発電所の耐震指針が、25年ぶりに見直されている。原子力安全委員会の耐震指針検討分科会は、4月にその原案をまとめて、国民にパブリックコメントを求めた。すると726通もの意見が寄せられ、そのなかには重大な修正を求める意見もあったという。ところが分科会は、改定案を少し見直しただけで、8月には結論を取りまとめてしまった。このとき、委員の一人であった神戸大学教授は、地震学者として抗議の辞任をしている。

いまとなってみれば、当時の耐震指針の改定は、不十分であっただろう。すでに2007年7月、新潟県中越沖地震が起きている。この地震は、設計で想定された値の5倍をこえた威力で、柏崎刈羽原子力発電所を襲った。原発のなかの1基は、炉心冷却装置が故障し、放射性物質を含んだ水がプールから漏れ出した。また同発電所は、褶曲(しゅうきょく)活断層のうえに立てられていたことも指摘されている。

蛇足ながら、2007年の新潟沖中越地震は、わたしたちが原子力発電所の耐震基準を根本的に見直すための、よい機会を与えていた。にもかかわらず、わたしたちは有効な耐震政策をとることができなかったのである。

以上、佐藤栄佐久氏の著作から、さまざまなエピソードを紹介してきた。原発行政の問題点について整理すると、次のようになるだろう。

(1) 国は、安全政策の主導権をとっていない。事故が起きても、それを教訓に生かすことができない。

(2) 原発のある地域の地元経済は、自立できない。30-40年単位で考えると、また新たに原発をつくらなければ、やっていけなくなる。

(3) 国の役人には、顔がない。後で非難されても、人事異動を通じて、答責性を免れることができる。

(4) 内部告発をうまく生かすことができれば、原発の安全性は改善され、県は原発の稼動と停止を制御することができる。

(5) 使用済み核燃料の処分方法については、だれも実効的な案をもっていないにもかかわらず、政府は新たな原子力政策の指針を立てている。

(6) 原発の耐震指針改定をめぐる立法手続きは、十分に機能しなかった。

これらの指摘は、いずれも、原発行政をめぐる重要な問題を提起している。もちろん、佐藤栄佐久氏の著作は、一定の価値観点から書かれているので、もっと中立的な、あるいは別の観点からの検討も必要であろう。

いずれにせよ注視すべきは、はたして佐藤栄佐久氏が失脚することなく、現在もなお福島県知事であったとすれば、今回の原発事故をどこまで防ぐことができたのか、という問題だ。たとえば、福島県の原子力担当部局は、その後、どこまで原発の安全性を優先し、そして制御できたのであろうか。あるいは今回の事故は、どれだけの人為的なミス(隠蔽工作を含む)とともに引き起こされたのだろうか。こうした問題の解明は、今後の原発政策にとって、必要である。わたしもひきつづき、関心を寄せていきたい。

推薦図書

佐藤栄佐久氏によれば、「国と電力会社は同じ穴のムジナ」であるとしても、「奥に隠れて出て来ないほうのムジナ」、すなわち国こそが問題である。「本丸は国だ。敵を間違えるな」という立場で、氏は国と向き合っていた。

原発事故の問題をめぐっては、他の立場の意見にも、十分に耳を傾ける必要がある。その意味で、本書をベースにした本稿は、紹介に基づく暫定的な試論であることを断っておかねばならない。

それにしても今回の原発事故で、本書の意義は増したといえる。国の原発政策(ならびに地方分権をめぐる諸政策)に対して楯をついたがゆえに知事が抹殺されたとすれば、由々しき事態である。わたしたちは佐藤栄佐久氏が辞職するにいたった経緯を、もっと丁寧に知らなければならない。現在上告中とされる裁判を見守りたい。

プロフィール

橋本努社会哲学

1967年生まれ。横浜国立大学経済学部卒、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、北海道大学経済学研究科教授。この間、ニューヨーク大学客員研究員。専攻は経済思想、社会哲学。著作に『自由の論法』(創文社)、『社会科学の人間学』(勁草書房)、『帝国の条件』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)、『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、『自由の社会学』(NTT出版)、『ロスト近代』(弘文堂)、『学問の技法』(ちくま新書)、編著に『現代の経済思想』(勁草書房)、『日本マックス・ウェーバー論争』、『オーストリア学派の経済学』(日本評論社)、共著に『ナショナリズムとグローバリズム』(新曜社)、など。

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