「食育」って誰のもの?
五十嵐 有機野菜とか地産地消って、「食育」ってすごくセットで扱われやすいんですが、遠藤さんは、「食育」をすごく茶化されていますよね。
遠藤 そうだね(笑)。あれも、うさん臭いんだよね。
五十嵐 よく言われる「食育」って、一言で言えばハイスペック過ぎるように感じます。地元の美味しい野菜を使って、すごい手のかかった料理をつくって、そうじゃないと「食育」と言えないような。でも、それって本当に、一般家庭に届いているのかとなると、違うのかなとおもっています。
たとえば、深夜にスーパーにいくと、若いお母さんが5歳くらいの子どもを連れて、清涼飲料水とパンとカップラーメンだけを買って帰っていくような光景ってよくみるとおもうんです。
その働いてるお母さんにとっては、本当に時間もないし、ぎりぎりでやっているので、仕方ないんですよね。真の意味で「食育」が必要なのは、そんな子どもたちであるはずなのに……。実際は、今の「食育」の動きって、「正しい食」を目指し過ぎるものになっています。そのことで、ハイスペックな食が規範化され、本当に食育が必要とされている人たちが置いてきぼりにされてしまう危険性があるんじゃないでしょうか。
遠藤 そうねぇ。結局、食育基本法で、理想の食事を提示したとしても、一番困るのは今のお母さんみたいな方ですよね。ウチのかみさんも会社員なんですが、帰ってきて来て食事できるのが23時くらいなんて珍しくないんです。もともと、そういう労働条件や環境の問題があるはずなのに、そちらを片付けないで、「食育」だけを強調したって、できっこないですよ。
コンビニ弁当を否定したところで、結局夜遅く働く人が困ってしまうだけなんだよね。それで本当に「食育」って言えるのかなと、おれはずっと疑問に感じています。
五十嵐 イギリスの新聞で面白いとおもった記事がありました、イギリスって昔から階級社会ですけど、ロンドンの貧困マップって19世紀も今も地域があまり変わっていないようです。
19世紀に飢餓で苦しんでいた貧困地帯が、現在はなんのマップと重ねられるかと言うと、ジャンクフード由来の糖尿病の発症率なんです。低所得の方はフィッシュ&チップスと、ハンバーガーとコーラばかりの生活になってしまうからなんですね。日本もこれから格差が広がると、似たような事態が起こってしまう可能性があります。でも、そこで「食育」って、ファストフード自体を悪として切り捨てる方向になりがちで、それではあまりに現実から乖離してないかと。
遠藤 そうそう。先進国で食事のモデルをつくる時、「標準的家庭」というのを想定して政策を決めるわけです。でも、決めた瞬間、それ以外は切り捨てられるんですよね。
そういうなかでは、一人ひとりがどっかで、こういう食生活がしたいというストーリーを自分で考えて、そこに有機野菜などを位置付けていかないといけないのかもしれませんね。
五十嵐 ぼくたちがやっている「安全で美味しい食」を提供する取り組みはすごく大事なことだとおもっています。でも、これからは、ファストフードとしての地産地消もそろそろ考えてもいいかなとおもったんですよ。
遠藤 ああ、なるほど。面白いね。
五十嵐 さっきいった、スーパーのお母さんみたいな方に、どうハードルを低くして、地域の野菜を手に取ってもらえるのかを考えなければとおもうようになってきたんです。たとえば、コンビニの弁当って揶揄されがちですが、柏の野菜を柏のコンビニ弁当の漬物に使ってもらえるようになると、一気に手に取るハードルが下がりますよね。また、直売所から出される廃棄野菜を惣菜にして、すごく手に取りやすい値段と、流通方法で提供していくなんてことも検討する価値があります。
ストーリーをつくってブランディング、高い値段で楽しく消費していこうという方向とは逆に、コンビニのように手に取り易い場所で誰しもが手に取れるようにする。ロハス業界から叩かれそうな気もしますが(笑)。でも、もっとハードルを下げていかないと、本当の「食育」ってできない気がするんですよ。実際そのニーズがあるからこそ、生鮮食品をおくコンビニはどんどん増えてきているわけで、その流通を地域内の循環としてやっていくことを、ぜひ考えていきたいです。
遠藤 面白いね。今まで、有機野菜を買う人って、農薬を使った野菜とか、コンビニ弁当とかは許さない、妥協しないわけですよ。「敵」みたいなもんだしね。でも、コンビニで販売されて、気軽に手に取れて、口にする機会があったら、だんだん有機野菜を買う人も広がっていくとおもうんだよね。食は習慣だから。
一般の消費者からみても、有機野菜って、値段が高めですよね。そんな野菜を毎日食べる必要はないの。一週間に一度食べるだけでもいいし。実際、有機野菜のキュウリより、農薬を使った味の薄いキュウリの方が好きだという人もいるから、有機野菜を押しつける必要はないとおもいます。
一週間に一回、ご馳走気分で食べてみる。コンビニで手に取ってみる。そんなところからはじまるものもあるだろうね。
五十嵐 その辺の発想を柔軟にすることって大事ですよね。今は、ストーリーづけることはされているけど、ライフスタイルやシチュエーションを提案することまで踏み込んでみるのも面白いとおもっています。
さっきも言ったように、地域の農業を地域だけで支えるって無茶な想定をしてなお、柏のようなところではすべての食事を地元の野菜にする必要なんてないんです。コンビニ弁当も、外食もいつも通りして、でも、日曜日だけは、柏の野菜料理を楽しんでみる。そういうライフスタイルの提案ってすごく現実的ですよね。それくらいでいいという軽さがあっても良いんじゃないかなって。
それには、品目で分ける必要があるともおもっています。柏で言えば、全国に安定供給できる規模がある三大作物のカブ・ネギ・ホウレンソウは、地域限定のプレミアをつけるブランディングをしていきながら、地域の生産者の側が交渉力を持つかたちでコンビニなどに入れてもらう。有機農家の方がされているような、少量多品種の珍しい野菜などは、日曜日にみんなで楽しみながら食べてみようと提案する。柔軟に地域特性や品目を考えながらやっていくと、実現できる可能性はあるとおもいます。
遠藤 生活って惰性に陥りやすいものだから、消費者に「一週間に一回くらいは、柏の美味い野菜を食べてみたい」というのをどこで感じてもらえるかって重要だよね。従来のロハス的な傾向の雑誌には、ストイックなことが書いてあるんですけど、この人たちは毎日これ食っているのかなって(笑)。実際に、食っていたらそれは素晴らしいことなんだけど。その人たちだけがそれを食っていたところで、しょうがないよね。
メディアは、それぞれターゲットとする層にアタックしていくから、すごく良いもの食っている層と、コンビニ弁当ばかり食べている層と、提供される情報も違っていて、混ざらないんだよね。
もうちょっと、時間もカネもあまり余裕のない人たちが簡単に手に取れるような雑誌で、「一週間に一回、有機栽培の野菜を食べようよ!」みたいなことになれば、すごく楽しくなるだろうね。
五十嵐 そこへいくと、地域というのは本来好きでもないヤツと暮らしている場所ですからね。地域という多様性のある場をベースに考えるからこそ、いろんな人が、層を越えて食を楽しんでいくあり方を考えなきゃいけない。それを繋げるために、地域だからこそできる可能性ってあるんじゃないかなと、最近考えはじめているところです。
(2013年2月3日 『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』刊行記念イベント「どうすれば『みんなで決める』ことができるのか?」「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? 我々はみな<社会的>に食べている」より)
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