社会運動は「戸惑って」いるのか? あるいは、「失われたもの」をどのように取り戻すのか?

(5)政府と社会を媒介するということ

 

第五の疑問は、政府と社会との媒介経路をどのように考えるかというものである。本書の重要な貢献として、社会運動が「草の根」からの政策革新を試みる場合に、日本の地方自治の政治制度の特徴を踏まえるべきことを示唆していることがある。具体的には、条例制定における「審議会方式」への(批判的)注目である。つまり、本書では、審議会を通じた条例づくりが各地で批判の対象になったことが描かれているのである。

 

ここで確認しておくべきことは、日本の地方政治における二元代表制という制度的特徴である。審議会方式が議会からの批判に遭遇する可能性は、このような制度的特徴ゆえに高まると考えられる。日本において、中央レベルの議院内閣制とは異なり、地方レベルでは、首長(執行府)と議会(立法府)とが独立しており(選挙で別々に選出され)、正しくチェック・アンド・バランスの関係にある。そのため、男女共同参画に限らず、議会多数派と首長(およびその影響下の諸機関)が対立することはあり得ることである。

 

そこで問題は、このような二元代表制の下で、「草の根」からの政策革新を行うためにはどうすればよいのか、ということである。政治的決定を行うためには、社会と政府とが、何らかの回路によって媒介されることが必要である。その際、もしも著者たちが示唆するように二元代表制の一方(首長サイド)にだけ依拠する戦略に問題があるとすれば、当然、二元代表制の他方、すなわち議会と政治家と社会(あるいは運動)との間をどのように媒介するのかということが重要な課題となるはずである。

 

とはいえ実は、著者たちがフェミニズム運動は議会・政治家へのアプローチを真剣に検討すべきだとまで考えているかどうかは、本書の記述の範囲内では、それほど明確ではない。たしかに著者たちは、保守派が「議会制民主主義自体を重視する方向性」を持っていると指摘している(194頁)。しかし、フェミニズム側もそのような方向性を共有するべきだと述べることは、慎重に回避されているように見える。

 

フェミニズムがどのような政治的回路を利用するべきなのかについての著者たちの立場を示していると思われる表現は、「丁寧な語り合い」や「地道に問題を拾い上げるプロセス」(333頁)、あるいは「実効的な活動」(334頁)などに止まっている。あるいはここに、第7章のテーマであるメディアやインターネットの積極的活用も含まれるのかもしれない。しかし、フェミニズムと政党や政治家との関係についての提案らしきものは見当たらない。

 

その理由として推測されるのは、次の二つである。第一に、著者たちは、政党や政治家との回路を作ることを「体制保守化」(330頁)への道と考えているのかもしれない。そもそも社会運動にとって、既存の議会制民主主義との関係をどのように考えるかということは、根本的かつ永遠の課題であるように思われる。

 

たとえば、最近ある雑誌で行われた小熊英二と湯浅誠の対談を見てみると、両者の立場の違いがまさに社会運動と既存の制度との関係をめぐる立場の違いを如実に表していることがわかる(小熊・湯浅 2012)。湯浅が議会や行政の中に入って「調整」に関わることの重要性を説くのに対して、小熊は、既存の行政や議会制民主主義のあり方そのものを問題にしなければならないと述べている。湯浅が民主主義の「面倒くささ」を説くのに対して、小熊が運動の「楽しさ」を強調するべきと述べるのも、実に対照的である。

 

この対談に照らした場合、本書の著者たちは、どのような立場と位置づけることができるだろうか。著者の一人の山口は、別の論文で行政発信・学者主導型の「男女共同参画」の中で、「運動にあったラディカルさやパワー、そしておもしろさも、だんだん消えていってしまったような気がする」と述べている(山口 2006: 264)。同じことは、行政だけではなく、議会や政治家についても当てはまり得る。しかし、それは、政府や議会制民主主義の中に入ることの代償である。「面倒くささ」(湯浅)と「楽しさ」(小熊)のどちらを取るのか。それはそのまま、議会制民主主義と運動との回路をどのように作るのかという問題につながっている。

 

第二の理由として、そもそも女性や性的差別に関する問題が、政治家にとって、それほど重要とは認識されていないという問題もあげることもできそうである。先に、著者たちが、保守派は議会制民主主義自体を重視する方向性を有していると書いていることに触れた。しかし、本書から同時にわかるのは、保守派の場合にも、議員たちが必ずしもジェンダーや男女共同参画に関わる問題に関心を持っているわけではないということである。

 

たとえば、ある保守系メディアの編集者によれば、多くの保守系議員は、票になりにくいために、教育問題、女性問題、家庭問題に興味関心を持っておらず、関心を喚起しようとしても「ほとんど振り向く人がいない」ので、興味を引き付けるべく、あえて「極端な表現」を使用したということである(84頁)。

 

このことが示しているのは、男女共同参画や女性に関わる政策課題は、そもそも議員にとって優先順位が決して高くない問題だということである。中央政府レベルの政治過程の話ではあるが、政治学者の堀江孝司も、政治アクターのほとんどにとって「女性イシュー」は「マイナーなテーマ」であることに注意を促している。マイナーであるがゆえに、女性に関する争点については、他の(より優先度の高い)政策に従属して政策決定が行われたり、取引の材料にされたりすることがあると言う(堀江 2005: 3)。

 

「審議会方式」が用いられてきた背景には、このような政策課題としての優先順位の差異を、政治過程のアクターたちがある程度認識していたことがあるのかもしれない。ともあれ、政党・政治家との回路を形成する際には、そのような関心の低さないし優先順位の低さを逆転させるような戦略とは何かが問われるのではないだろうか。

 

(6)「対話」の条件

 

第六の疑問として、「対話」は可能なのか、あるいは、「対話」を行うとはどういうことなのか、という問題をあげておきたい。つまり、本書で明らかにされた保守派の「具体像」をきちんと見ると、「論点ごとの正面からの対話」(327頁)が可能になると言えるのか、ということである。

 

著者たちは、「実生活の面では様々な妥協点も見つかるようになる」(331頁)と述べている。第2章では、保守系メディアの編集長が保守派とフェミニズムの対立構造を「不毛」と言い、「その対立から双方が何かを学ぼう、対立軸から共通軸を探そう、そして社会をより良くしていこうといった前向きな発想がないのではないか……対立そのものが目的化すらしてしまったのではないか」と述べたとも書かれている(99頁)。「対話」のためには、このような相互的な姿勢が必要であることは疑いない。

 

ただし、その場合には、「差別をなくす」(219頁)という観点で、あるいはフェミニストが考える意味での「差別」や「ウーマン・リブ」的価値観を当然の基準として対話ができるとは限らない、という認識をフェミニズム側が持たなければならないだろう。

 

たとえば、著者たちは、「保守系のアンチフェミニストは、性別役割分業への信念が強く、それを実践している」と思い込んでいたが、実際にはそういう実践は見られなかったと書いている(94頁)。また、「根本的な女性差別の状況や女性の経験について、フェミニストたちが十分に伝えることができていないのではないかという思い」(97-98頁)を持ったようである。

 

しかしながら、フェミニストの側から「根本的な女性差別の状況や女性の経験」が提起されれば、「保守系のアンチフェミニスト」がそれを受け入れるとは限らない。何が「差別」であるかは、それ自体論争的な問題である。フェミニストにとって、「根本的な女性差別」や「女性の経験」であるものが、そうではない人々にとっては、そのようには認識されないというのは、十分に予想されることである。

 

そうだとすれば、「対話」のためには、フェミニストが「根本的な女性差別」と認識するものを、それをいかに伝えようとも、そうではないと認識する人々もいるというところから始めなければならないのではないかと思われる。その時、フェミニズムは、どこかの部分で問題の限定や妥協を行う必要が生じるはずである。「対話」を掲げるならば、このことをも併せて認める必要があるだろう。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

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