憎悪表現(ヘイト・スピーチ)の規制の合憲性をめぐる議論

日本国内で想定しうる法規制の手法

 

現在の日本社会でみられる過激な憎悪表現は、既存の法制度のなかで規制することが可能なのだろうか。また、諸外国の規制例を参照した場合、現在の日本で採りうる規制手法にはどのようなものがあるのだろうか。ここでは、既存の法令を憎悪表現に適用するパターンと、新規の法制度を設けて憎悪表現を規制するパターンの双方に言及しておく。

 

第一の手法は、刑事法規を使って憎悪表現を規制するというものである。イギリス、カナダ、ドイツ、フランスなどでは、この手法で規制を行っている。

 

日本の現行法の刑法関連規定のうち、憎悪表現に対して適用できそうなものとして、脅迫罪(刑法222条)、名誉毀損罪(刑法230条)、侮辱罪(刑法231条)などがあげられる。しかし、これらの規定は「○○人はみな犯罪者だから○○国へ帰れ」といったタイプの憎悪表現に対して適用するのは困難である。

 

これらの刑法規定を適用することのできる表現は、原則的には特定の個人に向けられた表現に限定されるのであって、不特定多数の人々の集合体である「○○人」という人種・民族的な集団に向けられた憎悪表現には適用されない。そのため、もしも日本において刑事法によって上記のような不特定多数に向けられた憎悪表現の規制を設けるのであれば、たとえば、脅迫罪、名誉毀損罪、侮辱罪等の概念を応用して人種・民族的な集団に対する名誉毀損や侮辱を規制対象にするといった新たな手法を採るか、憎悪表現の規制のための規定を新たに創設するという手法を採る必要がある。

 

ところで、刑事司法体系は、法律上に「罪」となる行為を明記した上で、その行為を行ったとされる者を裁判所に呼び出し、裁判所で審理を行った上で、「有罪」であれば「刑罰」を科すという構造を有している。したがって、もしも憎悪表現を規制する刑事法規を設けた場合、違反者(すなわち憎悪表現を発信した者)は裁判所で審理された上で、有罪と判断された場合は刑罰を科されることになる。

 

不適切な内容の表現を発信したことを理由として個人に罰を科すという手法は、表現の自由の保障への重大な脅威であり、本来、できるかぎり回避されるべき手法である。そのような脅威を緩和する方策であると言いうるのが、次にあげる第二の手法である。

 

第二の手法は、人権法を新たに制定して、人権法体系のもとで憎悪表現を規制するというパターンである。カナダやオーストラリアなどでは、この手法が用いられている。日本の民主党政権下で導入が模索された人権法(人権擁護法)もこの手法の一例である。

 

刑事司法体系と人権法体系とには大きな差異がある。刑事司法体系が上述のとおり「法に違反した者を、司法府(裁判所)が審理して、有罪ならば刑罰を科す」という構造であるのに対し、人権法体系は、「違反者を、行政府に設けられた独立の機関(人権委員会等)で審理した上で、違反が認定された場合は、被害者への救済策を講じる」、という構造をもつのが一般的である。

 

人権法体系が目標としているのは、違反者を罰することではなく、被害者を救済することである。つまり、人権法による憎悪表現規制は、うまく機能した場合、表現者を罰することなく被害者を救済することが可能となるという画期的なものなのである。

 

しかし、人権法による表現規制にも重大な難点がある。刑事司法体系のもとでは、厳格な構成要件を満たす表現行為のみが規制対象となるのに対し、人権法体系のもとでは、一般に、規制対象となる表現行為が幅広くなりがちである。さらに、刑事司法体系のもとでは、加害者とされる者(被疑者・被告人、ここでは憎悪表現の発信者)の権利を保障するための手厚い予防策が講じられているのが一般的であるのに対し、人権委員会のもとでは、そのような手厚い権利保護のための対策は設けられていないのが一般的である。

 

このように、表現発信者の権利の保護が万全ではない制度のなかで幅広い表現が規制対象となって、表現発信者が(犯罪としてではないとはいえ)社会的に責められることになる点において、表現の自由の保障への重大な脅威となりうる危険性がある。

 

第三の手法として、デモという表現手法による憎悪表現の伝播という場面に限定して考えると、たとえば都道府県の公安条例にもとづくデモの許可条件を厳格化することで、憎悪表現の伝播を抑制するという手法が考えられる。より具体的に言えば、たとえば、憎悪表現を宣伝するデモについては許可をしないという手法や、デモの許可の際にデモを行う場所や時間についての条件を付して、一定の場所でのデモを認めないという手法である。

 

この手法は、表現行為に対して直接刑罰を科すわけではなく、あくまでも「表現の機会を与えない」ということにすぎないゆえ、一見すると、表現の自由の保障のもとで何らの問題もない対応であるかのように思われるかもしれない。しかし、デモ行為は、これまで、効果的な意見伝達手段を持たない一般市民が自己の意見を世間に知らしめる手法として、表現の自由の保障を存分に受けるべきものだと考えられてきた表現形態なのであり、伝統的な理解では、デモで発信するメッセージの内容の不適切さを理由に不許可とすることは許されない。

 

第四に、憎悪表現の発信を民事上の不法行為として理解した上で、被害者に損害賠償請求の機会を与えるという手法もありうる。しかし、従来の理解のもとでは、不特定多数の人々で構成される民族・人種的な集団全般に対する攻撃発言を不法行為とみなす余地はあまりなく、この手法での対処は困難である。

 

このように、既存の法制度のもとでは、不特定多数で構成される集団に対する憎悪表現に対処することは困難である。そして、仮にそのような憎悪表現を規制するための新しい法律を制定したとしても、今度はそのような規制が表現の自由の保障に対する脅威となるおそれが拭えない。このような難点を念頭におきつつ、以下、諸外国が憎悪表現の蔓延という事態に直面してどのような対応策を選んできたのかを見ていきたい。ここでは、規制違憲派のアメリカと規制合憲派のカナダの2カ国を見ていく。

 

 

 

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vol.2019.4.15 

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