憎悪表現(ヘイト・スピーチ)の規制の合憲性をめぐる議論

カナダの状況

 

カナダでは、1960年代に反ユダヤ主義や反黒人主義の動きが広がり、白人優越主義集団の活動が活発化したことが社会問題となった。そのようななか、連邦議会は、1970年に刑法典に憎悪表現(hate propaganda)を禁止する条項を設けた。

 

その後の改定を経た現行の連邦刑法は、肌の色、人種、宗教、性的志向などの指標によって識別される集団に対する憎悪を煽動する意見を公然と伝えることを禁止するとともに、プライベートな会話以外の場面で特定集団に対する憎悪を意図的に促進する意見を伝えることを禁止する。そして、免責条件として、(a)真実性の証明がある場合、(b)誠意をもって宗教上の題材に関する意見を述べた場合、(c)公共の利益のためになされた場合、(d)憎悪感情の除去を目的としていた場合という4つの場合を規定している。

 

カナダでは、刑事法に加えて人権法による憎悪表現規制も行っている。カナダの人権法は、人種、肌の色、宗教等の事由によるさまざまな形態の差別「行為」を禁止する法律であるが、その第13条において、電話や通信システムを利用して憎悪表現を発信することを禁止している。

 

カナダの連邦最高裁は、1990年の判決において、連邦刑法と連邦人権法の規制について、いずれも表現の自由に対する正当な制約であるがゆえに合憲であると判断している。連邦最高裁は、憎悪表現が個人や社会に与える強い害悪を認定し、さらに、その害悪の防止を必要とすることの重要性も認めた上で、そのような害悪を防止するという立法目的を肯定し、そのような害悪を防止するために表現規制という手段を採用することを肯定している。

 

もっとも、21世紀に入り、カナダにおける憎悪表現規制をめぐる状況に変化が生じている。2007年以降、イスラム教を批判する複数の表現物が憎悪表現であるとして人権委員会に申し立てられたことを契機に、とくに人権法にもとづく憎悪表現規制の廃止論が強く唱えられるようになったのである。そして、2012年6月、連邦議会下院は廃止法案を可決し、現在(2013年5月)、同法案は上院で審議中である。カナダの上院は公選制ではないがゆえに下院の法案を否決しない憲法習律が存在しており、今後、人権法13条の廃止案は上院でも可決される見込みである。

 

 

アメリカ、カナダの経験から学びうること

 

カナダの連邦最高裁が、現実社会における差別構造や差別意識の存在を直視し、歴史上の反省点を振り返り、憲法や国際条約上の表現の自由や平等の価値を考慮しつつ、憎悪表現規制を合憲であると判断したことには一定の意義が認められるように思われる。そして、カナダが、刑法にもとづく厳格な構成要件にもとづく憎悪表現規制に加えて、人権法による調停機能や救済機能を特色とする人権委員会や人権審判所を通した憎悪表現規制を設けることについても、一定の意義があるように思われる。

 

しかし、規制を設けることには慎重さが必要である。慎重さが要求される理由についてはすでに述べてきたところであるが、ここではさらに3つの理由をあげておく。

 

第一に、表現の自由のもつ「社会の安全弁」としての機能(=何らかの事柄に不満をもつ者が、実力での破壊行為ではなくたんなる言論行為で鬱憤を晴らすという意味において、表現は社会の安全弁としての役割を果たしているという考え方)を強調する立場からは、憎悪表現を規制してしまうと、憎悪思想を抱く人々が鬱憤を晴らすための手段が閉ざされることとなり、その結果、憎悪感情にもとづく過激な犯罪行為の発生につながるおそれがあると指摘される。

 

第二に、社会的な弱者を守ることを目的として導入した憎悪表現規制であっても、弱者の言論を取り締まるために活用されてしまうおそれも指摘される。たとえば、憎悪表現にさらされた社会的弱者が発信する反論のなかに社会的強者を攻撃する憎悪表現が含まれていた場合に、当該弱者の言論を取り締まるために規制が用いられてしまうという構図である。第三に、合憲的な規制たりうるためにはごく限定的な一部の憎悪表現のみを対象とせざるえないことを踏まえると、ほんのわずかな効果のために表現の自由の保障全体を揺るがすような規制を設けることを正当化できないという指摘もある。

 

さらに、アメリカやカナダで見られる規制反対論のなかには、伝統的に表現の自由の保障を重視してきた論者による反対論に加えて、政治的な対立を背景にした反対論があることにも留意しておく必要がある。たとえば、アメリカの連邦最高裁は憎悪表現規制を違憲と判断しているが、同最高裁が憎悪表現の生み出す害悪を認めつつもなお規制を許さないという考え方をとった背景には、「Political Correctness(政治的妥当性)」を追求する動きに対する保守派判事の反発感があったと言われることがある。

 

また、近年のカナダにおける人権法の憎悪表現規制廃止の動きは、保守派のなかで規制反対の声が強まった結果、保守党政権の主導で進められているのである。憎悪表現をめぐるこのような政治的な対立構造を目の当たりにすると、そもそも表現内容規制が許されないとされる理由、すなわち表現内容規制には政府による恣意的な表現規制の危険性がつきまとうという指摘が現実味をもつようになり、憎悪表現への法的対処の困難さが浮き彫りになる。

 

憎悪表現の広まりに対して国家として何をすべきなのか。何ができるのか。本稿でみてきた憎悪表現規制をめぐるアメリカとカナダの対応の経緯は、われわれにもさまざまな示唆を与えていると思われる。

 

 

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