人々を自閉症とみなす社会――自閉症スペクトラム概念の拡大を考える

自閉症スペクトラムへの高い関心

 

最後に「日本では自閉症やアスペルガー症候群への関心が高い」ということについて指摘しておきたい。日本で住んでいるとこのことは感じようも無いのだが、実は重要なことなのだ。

 

データでみてみよう。

 

データとして使うのは書籍出版数である。出版されている書籍数を英語と日本語で比較する(*5)。日本語で自閉症スペクトラム障害の関連本は執筆段階で383冊、英語書籍は5327冊であった。日本語よりも英語の文献が多いというのはどの分野でも当てはまるので、自閉症スペクトラムでも同様のことがみられている。

 

(*5)日本語書籍については国立会図書館NDL-OPACを使用。検索条件と使用したキーワードは以下のもの。

・うつ病

・自閉症スペクトラム or アスペルガー症候群 or 広汎性発達障害

・注意欠陥 or 多動

 

英語書籍についてはOCLC WorldCatを使用。検索条件と使用したキーワードは以下のもの。

・kw:”depression”

・kw:”Autism spectrum” | “asperger” | “pervasive developmental disorder”

・kw:”Attention Deficit Hyperactivity Disorder” |”attention deficit disorder”

 

次に、最も有名で有病率の高い精神障害であるうつ病と比較してみよう。加えて、神経発達障害の中で有病率が最も高い注意欠陥多動性障害(ADHD)の書籍数も比較グラフに加えた。

 

 

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自閉症スペクトラム障害とうつ病を比較する。自閉症スペクトラム障害の書籍はうつ病に比較して、英語では13分の1であるが、日本語ではおよそ3分の1である。英語での出版を英語圏と言うのは多少適切性に欠けるが、英語圏よりも日本において自閉症スペクトラム障害の注目度は高いことがわかる。

 

さらにADHDとの比較では、面白い傾向が見られる。日本語では、ADHDよりも自閉症スペクトラム障害の関連本がおよそ2倍出版されている。一方、英語では同程度である。むしろADHDの方が多いくらいである。

 

日本でADHDの知名度が低いという訳ではない。またADHDが珍しい訳でもない。自閉症スペクトラム障害の有病率が0.6~1.2%程度なのに対して、ADHDは5.29% (Polanczyk et al. 2007)と高い割合で一般人口に存在している。一方で、自閉症スペクトラム障害はどちらかというと珍しい部類の精神障害なのだ。

 

日本における自閉症スペクトラムへの関心は高い。しかもそれは知名度でも有病率では説明がつかないようなのだ。

 

 

アスペルガー症候群と日本文化

 

高い関心というのは自閉症に対するものではない。どういうことかというと、知的障害を持った自閉症はレオン・カナーによって1943年によって報告され、1960年代から70年代には広く知られた神経発達障害になっていた。もう数十年も前から、言葉だけは一般的に知られている。

 

従って、近年の爆発的人気は、自閉症ではなく知的障害を伴わないタイプ、つまりアスペルガー症候群への着目だったといえる。

 

言葉は多くの人が使うようになると、意味が拡散し、本来の使い方とは違ったものに変質していく。アスペルガー症候群でも同じことが起こっている。

 

近年、ウェブの記述や日常用語でアスペルガー症候群という用語は使われるようになってきている。省略された形の「アスペ」という言葉の方が多く使われているかもしれない。そして、類似した意味として「コミュ障」という言葉もよく使用されている。

 

一般的に「アスペルガー症候群」と「コミュ障」は同じもの、よく似たものだと誤解されている。ここで、「誤解されているから良くない、正しい理解をしよう」と言いたいのではない。

 

その誤解が生じることによってアスペルガー症候群への注目度が上がったことが重要なのだ。日本の空気を読む文化の存在は、アスペルガー症候群への関心を高める非常に大きな原動力になったと考えられる。

 

コミュニケーションがうまくいかないのは何かの障害ではないだろうか。コミュニケーションの障害を持つアスペルガー症候群というものがあるらしい。では、うまくいかないコミュニケーションの障害はアスペルガー症候群だからなのではないか……。おそらく人々の間ではこのような推論が行われてきたのだろう。日本では拡大された意味の自閉症スペクトラム障害が受け入れられる文化的土壌があったのだ。

 

日本文化にはコミュニケーションに対して特殊な注意を払う文化がある。「アスペ」や「コミュ障」は逸脱と見なされるのだろう。空気の読めないことは「問題だ」という意識が人々に共有されているからだ。従って、それが「できないこと」は逸脱となるのだ。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

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