人々を自閉症とみなす社会――自閉症スペクトラム概念の拡大を考える

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自閉症スペクトラムの拡大

 

この文化的土壌にさらに拍車をかけたのが、自閉症から健常までを連続帯で捉える、拡大された自閉症スペクトラム(DSMの自閉症スペクトラムにあらず)の概念である。この概念を採用すると、空気が読めないことや場違いなことをやってしまうこともスペクトラムの中に入れることができる。そしてコミュニケーションが苦手な人に「自閉症スペクトラム」という脳機能障害のラベリングが可能になるのだ。

 

自閉症スペクトラムという考え方は異常も正常を分けない考え方であるなら、「異常とは何か?」を考える機会を与えてくれる概念ではある。しかし、なぜ世の中の人々を精神障害で切り分ける必要があるのかということをこの概念は教えてくれない。

 

加えて言うならば、自閉症スペクトラム概念は、異常と正常を分けないかもしれないが、段階的に人々を精神障害の概念で分けている。

 

本田は広く考えると10人に1人が自閉症スペクトラムだと述べていたが、10分の1と10分の9との間で線引きを行っている。自閉症スペクトラムは正常と異常を分けないと言いながら、結局きっちりと分けるのである。

 

きっちりと分けるというと誤解を招くかもしれない。連続的ではっきりした分断線はないという論法でぼかすのだ。異常と正常の間を消失させることは、一見すると非常に良いアイデアのように思える。しかし、結局、最終的にはどこかの時点で人々を分けることになる。しかも脳機能障害があるという形で。

 

もちろん、人々を脳機能障害で評価していくことが間違いだとは言えない。どのような捉え方をしようとも人の価値観で、好みなのだといってしまえば、それまでだからだ。

 

しかし、私が持つ根本的な違和感は、なぜ私たちの感情や生活態度が「病気」や「障害」といった言葉で表現され、ラベリングされるのか、ということだ。

 

それによって治療や介入ができれば意味もあるのだろうが、コミュニケーションが上手くなる薬などあるはずもない。

 

心理的・療育的介入でも同じことだ。自閉性は直感的に社会のルールを学ぶことが難しいため、基本的な社会ルールを学ぶSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)が有効である。しかし「空気が読む」といった高度なコミュニケーションを身に付けたくても、単純なソーシャル・スキルをつけるためのSSTでは役にたたない。

 

拡大された自閉症スペクトラム概念は生産的概念なのだろうか。おそらく、唯一の有用な機能は、自閉症へのスティグマ(社会的に負の烙印を押されることや、未知のものであるという恐怖感など)を軽減することができるという点だろう。自閉症概念がカジュアルになることで、自閉症へのスティグマが緩和されるだろう。

 

確かに人口の10人に1人が自閉症スペクトラムであれば、社会は自閉症を特殊なことだと思わなくなるかもしれない。しかし、自閉性は「空気が読めない」といったものとはまったく質的にことなる体験であるという最も基本的な自閉症への理解が抜け落ちることになる。

 

この自閉症がカジュアルになることは2つのベクトルを持った理解を生み出す。

 

「空気が読めない」ということの類似現象として自閉症がみなされることによって、自閉性の困難性が理解されないというのが第1のベクトルだ。細かい議論は割愛するが、福祉の枠組みで対応するためには、当人が一般的な人とは質的に異なる体験をしていなければならない。統合失調症が精神障害者年金等の福祉の対象であるのは、彼らの体験が異質であり、かつ、生活をする上で支障があるからである。

 

もちろん、このような考え方には批判はある。しかし現行の制度において「空気が読めない」程度の人に対して、支援の枠組みを作ったり、福祉的な財政出動をするのは不可能である。

 

10人に1人程度まで拡大された自閉症スペクトラムを使い続けていくと、福祉の充実を訴えても説得力を欠くことになる。極論を言えば、話が理屈っぽい人や特定の作家の漫画に熱中する人に対して、なぜ支援をしなければならないのかということだ。支援の充実を考えたときに、自閉症をカジュアルにすることは得策とは言えない。

 

第2のベクトルは新しいスティグマを作り出すことだ。

 

コミュニケーションが下手なことを逸脱とみなす日本の文化と拡大した自閉症スペクトラム概念が結びつくことによって、コミュニケーションが下手なことは脳機能障害である、とみなされるようになる。今まではコミュニケーションが下手という程度の理解であったものが、脳機能障害であるという新しいスティグマが押されるようになってしまう。

 

自閉症のカジュアル化は、DSM-5などが指し示す自閉症スペクトラムのスティグマを和らげるだろうが、新たに10人に1人程度の人々に対して新たなスティグマを作り出す。

 

拡大された自閉症スペクトラムという言葉は、副作用があまりにも大きいように感じる。

 

少なくとも言えることは、拡大された自閉症スペクトラム概念を使うとしても、使う度に注意を払いながら使うべきものだということだ。コミュ障や空気を読めない人に対して無頓着に使うべきではないし、その言葉が新しいスティグマを生み出すということを念頭においておくべきだろう。

 

参考文献

 

・Baird G, et al., 2006, “Prevalence of disorders of the autism spectrum in a population cohort of children in South Thames: the Special Needs and Autism Project (SNAP).” Lancet, 368(9531): 210-215.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16844490

・Fombonne E et al., 2001, “Prevalence of Pervasive Developmental Disorders in the British Nationwide Survey of Child Mental Health.” Journal of the American Academy of Child & Adolescent Psychiatry, 40(7):820-827.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12745327

・本田秀夫、2013『自閉症スペクトラム』ソフトバンククリエイティブ

・宮本信也,2009『アスペルガー症候群 高機能自閉症の本―じょうずなつきあい方がわかる』主婦の友社.

・村田豊久、2007、(石川元・川原ゆかり)座談会「崎市男児誘拐殺害事件「アスペルガー症候群」報道が臨床に投げかけたもの」『アスペルガー症候群歴史と現場から究める』至文堂。

・Polanczyk G, et al., 2007, “The Worldwide Prevalence of ADHD: A Systematic Review and Metaregression Analysis.” American Journal of Psychiatry, 164:942-948.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17541055

・Wing L., 1988, “The continuum of autistic characteristics.” In: Schopler E, Mesibov G, eds. Diagnosis and assessment in autism. New York: Plenum : 91-110.

・Wing L., 1997, “The autistic spectrum.” Lancet, 350(9093): 1761-6.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9413479

 

サムネイル「Questioned Proposal」Ethan Lofton

 

 

 

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