「体罰は許されない」では解決しない理由

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体罰は有効なのか?

 

しかし、なぜ彼らはそれほど体罰にこだわるのだろうか。

 

学術的には、体罰が教育やスポーツ指導の手段として有効かどうかについて以前からさまざまな研究が行われている。多くはなんらかの弊害を指摘するもののようだが、有効性を支持する研究も存在する。「場合によるが有害である場合は少なくない」とは言えるが、「議論の余地なくすべて有害で、有益な場合などひとつもない」とまではいえない、といったところだろうか。

 

 

・「体罰で精神疾患の可能性高まる、米研究」(AFP2012年7月6日)

http://www.afpbb.com/articles/-/2887637?pid=9213189

 

子どもの時に尻や体を叩かれるといった体罰を受けたことがある人は、そうでない人よりも成人後に気分障害や不安障害、依存症などの精神疾患で悩まされる可能性が高くなるとしたカナダの研究が、2日の米小児科専門誌「ペディアトリクス(Pediatrics)」で発表された。

 

 

・Simon T. Powers, Daniel J. Taylor, and Joanna J. Bryson (2012). “Punishment can promote defection in group-structured populations.” Journal of Theoretical Biology vol. 311: 107-116.

http://arxiv.org/abs/1206.4476

 

Contrary to the suggestions of previous work, we find that anti-social punishment can prevent the evolution of pro-social punishment and cooperation under a range of group structures. Given that anti-social punishment has now been found in all studied extant human cultures, the claims of previous models showing the co-evolution of pro-social punishment and cooperation in group-structured populations should be re-evaluated.

 

 

・Mark D. Seery (2011). “Resilience: A Silver Lining to Experiencing Adverse Life Events?” Current Directions in Psychological Science 20: 390-394.

http://cdp.sagepub.com/content/20/6/390.abstract

 

… (S)ome theory and empirical evidence suggest that the experience of facing difficulties can also promote benefits in the form of greater propensity for resilience when dealing with subsequent stressful situations.

 

 

実際のところ、体罰に走る指導者の行動に影響を与えているのは、これらの研究というより、自身の経験だ。彼らは体罰を受けてもその弊害をそれほど感じずにすんだか、あるいはそれを上回るメリットがあったと感じているのだろう。一方で体罰に苦しむ人があり、もう一方で体罰に前向きな意義を見出す人がいるというのはどうもすっきりしない話だが、多様な事例があること自体は事実だ。客観的には誤認である例が多いのかもしれないが、「自分にとって体罰が有効だったと考える人は愚かだ」と頭ごなしに決めつけ、彼らの主観までも否定するのはやや傲慢な態度であるように思われる。

 

一方、有力なスポーツ選手や名監督、名コーチなどと呼ばれた人たちの中には、体罰不要論ないし有害論を唱える人たちがいる。

 

 

・「スポーツに暴力は必要か」(山口香 / 体育学)(Synodos2013年9月9日)

https://synodos.jp/society/5523

 

体罰に頼って作り出される人間は体罰によってしか動かない。そんな人間を社会は必要としていないことを指導者もスポーツ界も認識する時期にきている。

 

 

・「『体罰は自立妨げ成長の芽摘む』桑田真澄さん経験踏まえ」(朝日新聞2013年1月11日)

http://www.asahi.com/edu/articles/TKY201301110314.html

 

私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。

 

 

・「大阪・高2自殺:体罰問題 桜宮高元顧問「有罪」 元プロ陸上選手・為末大さんの話」(毎日新聞2013年9月26日)

http://mainichi.jp/select/news/20130926dde041040029000c.html

 

体罰がなぜいけないのか。それは、指示待ち人間を作るからです。体罰を受けた選手は萎縮し、指導者の顔色ばかりうかがうようになる。暴力で追い込むと、選手の競技力を向上させるどころか、将来の人生にも悪い影響を与えるのです。

 

 

赫々(かっかく)たる成果を挙げたこのような方々に体罰を否定していただけるのはたいへん心強いわけだが、だからといって安心してはいられない。スポーツ選手や指導者は、彼らのような優れた才能を持つ人たちばかりではないからだ。もし彼らにとって体罰が効果のないものであったとしても、すべての選手にとって同じである保証はない。

 

彼らのようなトップアスリートは、もちろんスポーツ界を代表する存在ではあるが、より広く、裾野まで含むスポーツ選手全体の中では特殊な部類に属する少数派だ。彼らは才能があったから体罰を受けることなく才能を開花させることができたのではないか、彼らのような優れた指導者の下には優れた選手が集まってくるがゆえに、体罰に頼ることなく成果を出すことができたのではないか。そうした疑問への答えは、彼らの主張からは必ずしも読みとれない。

 

そもそも、本当にまったく有益でないなら、厳しい競争を繰り広げているスポーツ界の人々の間でなぜ体罰がこれほど根強く、広範に残っているのだろうか。しかもそれは、競技によってはナショナルチームレベルのスポーツ指導者も行っていたわけで「体罰では強くならない」と主張しても建前論のように聞こえてしまう。少なくとも、上記のような体罰不要論はスポーツ界に全体としては浸透していない。

 

 

・「柔道女子・園田前監督を訓戒処分 刑事処分は見送り」(産経新聞2013年4月26日)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130426/crm13042617160010-n1.htm

 

園田前監督は「五輪で勝ってもらうために強く育てる過程で、ある程度の有形力の行使は許されるという指導理念があった」と釈明。

 

 

しつこいようだが、だからスポーツ指導における体罰を容認すべきだといいたいのではない。体罰は犯罪だと脅してやめさせようというアプローチも、体罰は指導方法として有効ではないと説得してやめさせようというアプローチも、それだけでは有効な対策にはならないということだ。

 

彼らは自身や周囲の経験から、体罰の有効性をかなりの程度信じており、目的達成のためには一定の体罰もやむを得ないと考えている。熱心さゆえの行為で「信頼関係」がベースにあると思っているから罪悪感がない。社会的には認められないことを知っていても、当事者が黙っていれば隠せると思っている。ハイレベルの実績を持つ人が含まれているから、体罰は効果がないとか有害だとかいっても、それだけでは説得力がない。研究成果も玉虫色ときている。

 

したがって、彼らを頭ごなしに否定するのではなく、選手の技能を向上させたり真剣に取り組ませたりするという点において体罰には有効性がある場合もあるかもしれないということを前提としたうえで対策を打たなければならない。仮に有効な場合があったとしてもなお、数々の事件や事故の例が示す通り、無視できない弊害が生じるリスクが小さくないがゆえに、体罰は指導手法として採用してはならない、ということだ。

 

体罰は個々の指導者や選手の心がけや倫理観だけの問題ではない。スポーツ全体のあり方やその構造に根ざした問題ととらえるべきであって、それは彼らを理屈で論破したり激しいことばで黙らせたりすることでは変わらない。したがって、その解決のために行うべきなのは、指導者たちが納得して行動を変えたくなるような具体的な対策を打ち出し、スポーツ界の構造を変えていくことだ。

 

指導者の糾弾ばかりしていれば、指導者に過剰なリスクを負わせることになる。上記の「ガイドライン」も、「諸条件を客観的に考慮して判断すべき」としていくつかの例を挙げるものであって、あらゆる場合を網羅したルールではもとよりないから、現場での判断には必ずリスクが伴う。指導者の意図や配慮が選手にきちんと伝わらない可能性があるからだ。

 

たとえば「ガイドライン」に許される行為として例示された「バレーボールで、レシーブの技能向上の一方法であることを理解させた上で、様々な角度から反復してボールを投げてレシーブをさせる」ことと許されない行為として例示された「生徒が疲労している状況で練習を継続したり、準備ができていない状況で故意にボールをぶつけたりするようなこと」は現場でどの程度明確に区別しうるのか。許される行為として例示された「計画にのっとり、生徒へ説明し、理解させた上で、生徒の技能や体力の程度等を考慮した科学的、合理的な内容、方法により、下記のような肉体的、精神的負荷を伴う指導を行う」ことと、許されない行為として例示された「パワーハラスメントと判断される言葉や態度による脅し、威圧・威嚇的発言や行為、嫌がらせ等を行う」こととは、具体的にどこがどうちがうのか。

 

たとえ体罰の疑いがかけられても、もし身に覚えがないなら事後的に調査してもらえばよい、という考え方もあろう。しかし現在のように、いったんトラブルが起きれば糾弾の声がどんどん高まり、一方的に断罪する声が指導者としてのキャリアに致命的な傷をつけかねない環境の中では、早晩指導などしていられなくなるだろう。ただでさえボランティアが多く、人数も不足しがちな指導者が現場を去ってしまったら、それこそスポーツにとっても教育としてもかえって望ましい結果にはなるまい。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.265 

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