「体罰は許されない」では解決しない理由

スポーツを神聖視しすぎないこと

 

これらの対策はスポーツ界と周囲の関係者が協力してとっていくべきもので、実際にこうして方針が実行に移されるなら、一定の効果は期待できるかもしれない。しかし、これで充分なのかといえば、充分ではないのではないかという気がする。この問題の根幹は、スポーツ界の中というよりむしろ外にあるのではないかと思うからだ。私たちの社会の中に、「熱心」なスポーツ指導者を体罰に走らせる「空気」があって、非公式かつ暗黙裡のプレッシャーが彼らを圧迫しているのではないか。そしてその「空気」を生み出しているのは、スポーツに過剰な期待を寄せる私たちの目なのではないだろうか。

 

もっとはっきりいえば、私たちはスポーツを神聖視しすぎなのではないか、ということだ。私たちの社会にはスポーツ観戦を趣味とする人が多くいる(私もその1人だ)わけだが、どこかスポーツ選手や指導者を一種の求道者としてとらえ、彼らのスポーツに対する無限の献身を当然のように期待しているところがある。

 

そうした、スポーツに「感動」、選手に「ストイックさ」を求める私たちの無邪気で無慈悲な好奇心と期待が彼らをどれだけ追い詰めているか。体罰やそれに起因する諸問題だけではない、スポーツをめぐるさまざまな問題がここから生まれている。

 

 

・「済美・安楽の熱投が問いかけたもの。高校野球における「勝利」と「将来」。」(Number Web2013年4月4日)

http://number.bunshun.jp/articles/-/391492

 

高校野球の報道には「感動主義、批判排除」の風潮がある。高校野球のフィールドでは、批判は避け、感動を推進していこうというようなものだ。取り決めがあるわけではないが、長い歴史の中で、そうした報道が当たり前になっている。だから2回戦での232球の熱投も、好意的に見るメディアが多かった。

 

 

・「“天性のヒール”出産発表の安藤美姫にフィギュア界から吹き荒れる逆風」(日刊サイゾー2013年7月4日)

http://www.cyzo.com/2013/07/post_13781.html

 

1日に放送された『報道ステーション』(テレビ朝日系)で、今年4月に女児を出産していたことを明かしたフィギュアスケート選手の安藤美姫に、フィギュア界から逆風が吹き荒れている。

 

他にも、競技生活で無理をした結果、健康を害する選手が後を絶たない、といった問題もある。ドーピングの影響で健康を害したり、若くして亡くなったりしたと思われる選手は複数いる。先日は朝日新聞が「女性トップアスリートの4割は月経異常」と報じた。

 

 

・「女性トップアスリート、4割月経異常 学会が治療支援へ」(朝日新聞2013年10月3日)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201310020139.html

 

調査対象は、ロンドン五輪の選手と47競技団体の強化指定選手の計683人。2011年4月~12年5月の受診記録を分析した。この結果、40・7%にあたる278人が月経周期に異常があり、うち53人は無月経だった。また、15歳までに初経がなかった選手は12・6%で、都内の高校生を対象にした過去の調査の0・3%より大幅に高かった。

 

15歳を過ぎても初経がなかったり、月経が3カ月以上、止まったりすると無月経と診断される。体内の女性ホルモンが減ると骨がもろくなる。今回の調査でも、月経が正常な10代では疲労骨折の経験者は1割だったが、無月経では4割近くが疲労骨折の経験があった。

 

確かに彼らはこうした苦しみを自ら選び取っているにはちがいないが、だからといって、選手の勝手だと突き放すのはあまりに無責任というものだろう。プロでもアマでも、スポーツ選手に対する経済的支援や機会の多くは、それらを与える政府や企業などの意思決定メカニズムを通じて、選手たちの競技を見て熱狂する私たちの「感動」と深くつながっているからだ。同じことは指導者についてもいえる。選手のパフォーマンスは選手自身だけでなく、指導者のキャリアにも大きく影響する。

 

彼らの苦しみは、必ずしも報いられるとは限らない。ごく少数のトッププロや幸運にも指導者として収入を得る立場を得ることに成功した一部を除き、現役引退後の生活に苦労する元選手の話は枚挙にいとまがない。セカンドキャリアに不安を抱えるからこそ指導者に絶対服従して競技に自らのすべてを投じるしかなく、それが体罰を許容する土壌ともなる。プロはともかく、学生を含むアマチュア選手たちに栄光への夢を煽り、彼らを酷使して過剰な献身を強いたあげく、その大半を競技生活終了後に放り出して平然としている社会は異常というほかない。

 

競技への常軌を逸した献身を賞賛する考え方と、スポーツ指導において違法な体罰も辞さないという考え方とは通底するものがある。その意味では選手だけでなく指導者も、スポーツに熱狂する私たち大衆の無邪気で無慈悲な好奇心と期待の犠牲者だ。1人で230球を投げ抜いた高校生投手を賞賛し、まだ10代の選手に「金メダル確実」とはやしたてるメディアは、そうした自らの態度がスポーツ指導の現場で体罰を生む温床だという自覚はあるのだろうか。私たちは、周囲のプレッシャーから自らに命を絶つという最悪の「体罰」を下した円谷幸吉の悲劇から何も学んでいないのではなかろうか。

 

多くの人にとって、スポーツは見て楽しい娯楽であり、また自分でプレイしても楽しい余暇活動、あるいは健康増進活動だろう。それが一部の人にとって自分を向上させるものであり、そのまた一部の人にとってはすべてを捧げても追求したい道であるわけだ。しかし、一部の人にとって何より大事であったとしても、社会全体としてはそうではない。スポーツは、聖域化して外部では通用しないルールを平然と適用していい場ではないし、勝利を追求するために人生を棒に振ることを美談にすべき場でもない。

 

必要な対策をとり、行動を変えていくのはスポーツ界だとしても、体罰を許容する風土の改革は、彼らだけに任せておくべきものではない。考えを改めなければならないのは、選手や指導者というより、むしろ私たち自身なのではないだろうか。

 

サムネイル「Gymnasium, Rokugo elementary school」keyaki

http://www.flickr.com/photos/keyaki_no_kokage/2092873823/

 

 

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