2020東京オリンピック・パラリンピックは何を目指すのか

2020年大会の招致プランとLegacy

 

2013年9月8日、1964年以来2度目となる2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、2020年大会)の開催が決まった。周知のように、東京都は2005年に2016年大会の招致を表明し、リオデジャネイロに敗れたものの、東日本大震災直後の2011年7月16日に「復興五輪」を掲げて再び招致を表明し、今回の決定にこぎ着けた。

 

前回の1964年東京オリンピック競技大会(以下、1964年大会)もローマに敗れた後の2度目の立候補であり、意図的ではなかろうがその記憶が重なる。東京都にとってはある意味当然とも言える2020年に向けた招致活動の継続は、震災を経たことで大きな転機を迎えていた。このことは最後に述べたいが、東北地方をはじめとする地域の震災復興と東京の開発・再開発という異なるベクトルを共存させたという意味で重たい十字架を背負い込んだように思われる。

 

本稿は1964年大会が東京に何を残したのか=Legacyを確認しながら、2020年大会が何を目指して開催されるのか、それはどのような社会的意味をもつのかについて社会学的観点から考えていきたい。

 

まずLegacyについて説明しておきたい。この言葉は、受け継がれ、遺されていくもの=遺産という意味をもつが、商業主義に開かれた大会として有名な1984年のロサンゼルスオリンピック以降、オリンピック招致・開催の文脈で頻出するようになった。IOC(国際オリンピック委員会)がオリンピックに託した、スポーツ、都市再生、環境などの広範なパッケージを表現する言葉となった(Gold & Gold 2011)。開催立候補都市の増加によって、またIOCによる選考基準への積極的な位置づけによって、Legacyは肯定的評価に埋め尽くされていくのである。後述するように、使われなくなった競技場や無駄/過剰なインフラ整備は、負の遺産として都市や地域に存在し続けるが、そのこと自身を問うことのできないスキームが作られていると言える(石坂・松林編 近刊)。

 

そもそもなぜオリンピックの開催がこれほどまで注目されるようになったのだろうか。これまでのオリンピックは、経済成長をとげた新興国の都市が国威発揚を目的として開催してきたが、ロンドンをはじめとしてグローバル・シティによる開催が新たな動向を生んでいる。いわゆるスポーツ・メガイベントが「乏しい想像力」において都市の開発を正当化し、多くの問題を思考停止に陥らせる手段として利用されてきたと言える(町村 2007)。

 

ロンドンオリンピック(以下、ロンドン大会)を手本に掲げる2020年大会も上記の文脈に乗っている。この大会はどのような動機と目的で開催され、どのようなLegacyを作り出そうとしているのか、2013年1月にIOCに提出された立候補ファイル(*1)から眺めていこう。

 

(*1)この立候補ファイルは東京オリンピック・パラリンピック招致委員会HPで見ることができる。(http://tokyo2020.jp/jp/plan/candidature/index.html

 

このファイルは大会開催動機とビジョンの提示から始まる。なぜ東京オリンピックを開催しようとするのか、その一番重要とも言える動機を立候補ファイルから明確に読みとることは案外難しい。

 

例えば、冒頭に登場する「世界で最も先進的で安全な都市の一つである東京の中心で、ダイナミックなスポーツの祭典とオリンピックの価値を提供する」ことや、東京大会の基礎となる「高い質と最高の恩恵が保証される大会開催」、「ダイナミックさと温かい歓迎で世界中の若い世代に感動を与える祭典」、「日本が誇る創造力とテクノロジーを駆使し、スポーツとオリンピックに寄与する革新性」という文言はビジョンであり、動機ではない。

 

これがIOCに向けられた文書であることを勘案すれば、そのような先進性や革新性を備えた大会をオリンピックのために開催し、発展に寄与することが動機であると読めるかもしれない。では東京のためにこの大会はどのように位置づけられているのであろうか。

 

このことは2016年招致の際に作成された申請ファイル(IOCに提出される開催計画概要。これにより立候補都市がしぼられる)から探ることができる。申請ファイルでは以下のように明確な開催動機が語られていた。

 

 

私たちは今、歴史的転換点に立っている。日本は、現在、戦後経験した経済復興、社会復興に匹敵する大きな課題に直面し、その解決に取り組んでいる。だからこそ、2016年の大会を開催することに、1964年を超える意義がある。高度な都市化、高齢化、成熟社会といった課題を、世界で最初に、大規模に経験しつつある都市東京、日本。われわれの新しい挑戦は、こうした問題を解決し、新しい未来に向けて生まれ変わることである。

 

 

東京都が2006年12月に策定した都市戦略『10年後の東京』で語られた問題意識(*2)がこれに通底している。すなわち、大気汚染やごみの急増、道路の渋滞や鉄道の混雑、震災、テロといったいわゆる「20世紀の負の遺産」とも言える大都市問題の解決が新たなオリンピック開催に託されていたのである。これら負の遺産は1964年大会に向けた急ピッチの開発が生み出した問題としてとらえられている。

 

(*2)『10年後の東京』では「水と緑の回廊で包まれた、美しいまち東京を復活させる」、三環状道路(首都圏中央連絡自動車道、東京外かく環状道路、首都高速中央環状線)の整備と渋滞の解消、スポーツを通じて次代を担う子どもたちに夢を与えることなど、8つの目標が掲げられていた。

 

これに比べると2020年大会の立候補ファイルでは都市開発/戦略の視点が後景に退いたように見える。しかしながら、このことは「大会のビジョンは、2011年に東京都によって策定された、新たな長期都市戦略である『2020年の東京』と完全に一致している」という控えめな一文に集約されている。この『2020年の東京』とは2011年5月に東京都が策定した長期都市戦略であり、『10年後の東京』を充実・強化したものである。このようにオリンピックの開催動機は、東京都の都市開発/再開発のねらいに即して組み立てられてきたのである。

 

立候補ファイルから全体像を模索する作業はこれくらいにして、来るべきオリンピックがどのようなものになるのか、1964年大会との比較から明らかにしていこう。

 

 

 

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vol.2019.4.15 

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