新春暴論2014:なにが「大人」と「子ども」をわけるのか?――「大人試験」について考える

2012年の正月にシノドスで「新春暴論」というのを書いたら、少しは受けたのか、2014年も「新春暴論」というテーマで書いて欲しいという依頼を受けた。正月というのは暴論にふさわしい時期なのかもしれない(というか正月ぐらいしか暴論が許される時期はないということだろう)。

 

というわけでさっそく、暴論スタート。

 

 

「大人」ってなんだ?

 

大人を認定するための試験をやったらいい、という話は、あちこちで語られる、いわば定番の与太話だ(ウソだと思うなら「大人試験」とか「大人免許」のようなキーワードで検索してみるといい)。

 

もちろんまじめに語られることはめったにない。まあたいていは「最近の若い者はだめだ」論がセットでついてくる主張であって、真顔で言うと「どうかしてる」と思われるから表立った場では口に出さないのが常識というものだ。ネタとしてもいわゆる「政治的に正しくない」部類に属するから、居酒屋談義のネタがせいぜいといったところだろう。

 

ところが、そういうネタ議論が、実は世間で正論とされるものと意外に近い、なんていうことがよくある。ちょっと違ったカバーをかぶせてあったり、少しアレンジしたものだったりすると、ああそうだよねまったくその通りだ、という反応になったりする。そういう人が愚かだといいたいのではない。もともと、議論の余地なく正しいとかまちがいとかいう話はそうそうないのだ。正しいとされる考え方が実は視点をずらすとけっこうあやふやな根拠しかなかったり、一見暴論としか思えないものが、よく考えてみるとそうでもなかったりすることはけっこうよくある。「大人試験」もそんなケースではないかと思う。

 

そもそも「大人」とは何か。大上段に構えると、いくらでも議論の余地があるわけだが、多くの場合、その条件とは一定の年齢に達することであり、いくつかの項目では、これが法律で定められている。

 

選挙権や被選挙権を得る年齢、国民投票権を得る年齢、民事上の完全な責任能力を得る年齢、結婚が可能になる年齢、刑事責任を問われる年齢、タバコや飲酒、パチンコなど許される年齢、成人向けとされる書籍や映画などが許される年齢。他にもあるだろうがまあこのあたりで。

 

これらは項目によって異なる場合もあるし、国によってもちがったりするが、暴論らしく乱暴にまとめるなら、概ね20歳前後だ。人間の肉体的、精神的に成熟するのがそのあたりだからなのだろう。

 

分野や国によって法定年齢は上下に数年ずつ幅があるが、そもそも人間の成熟プロセスは完全変態する昆虫などとちがって連続的なものだから、社会的環境の変化に伴うものを除けば、その数年間で許容しがたい差が生じるということでもないはずだ。であれば、その範囲内でどこに定めるかは、はっきりいって大きな問題ではない。ポイントは、「大人」かどうかが基本的には年齢で判断されるということ、そしてそういう決め方を社会が概ね受け入れているということだ。

 

 

なぜ「大人」と「子ども」にわける?

 

一方、「大人」を試験制や資格制にしている国は、知る限りない。参政権についていうなら、少なくとも現時点で、主だった国(これをどう定義するかにはいろいろ議論があろうが)はほぼ例外なく普通選挙制をとっている。いうまでもなく、これは世界の人々が自由と権利を求めて戦ってきた成果であるわけで、いまどき制限選挙がいいとか言い出せば、「何を考えてるんだ馬鹿野郎」と古今東西の賢者の皆様に集中砲火を浴びること必至だ。

 

参政権以外の部分も、概ね似たようなものだろう。喫煙や飲酒に免許が必要になる、なんていう法案が出たらどんな激しい反発を受けるかは想像してみるまでもない。

 

年齢による「大人」認定を是とする「根拠」は、いくつかあるだろう。3つほど挙げてみる。

 

 

(1)平均的にみて子どもは大人より能力が劣る

あくまで平均的にみればという話だが、体力、知力、経済力、いずれにおいても、子どもは大人より未成熟であり、劣るのがふつうである。それを大人と同等に扱えば何かと実害が生じるのはいうまでもない。弱者たる子どもを保護するためにこそ権利の制限が必要なのだ。

 

(2)コストを節約できる

もちろん能力は個人差が大きい。12歳で優れた能力を発揮する人もいれば、35歳で全然だめな人もいる。しかし、個々人の能力を1人1人見分けるのは大変なので、その代理指標として、簡単に把握できる年齢を用いるわけだ。個別にみればそぐわない取り扱いを受けて不満を持つ人もいるだろうが、全体としては概ね適切な結果が期待できるから、不満を持つ「例外」の皆さんには我慢してもらおう。

 

(3)制度や慣習と整合的

このような考え方は古くから受け入れられてきたもので、現在の私たちの社会の制度や慣習も、この考え方を前提としている。仮に現状で何らか問題があるとしても、そこから動かすこと自体がコスト増加や弊害などの新たな問題を生むおそれがある。

 

 

以上を抽象化してまとめるとこうだ。「平均的にみて能力が劣ると思われるグループの人々は自由にさせると危ないから権利を制限すべきだ。個人レベルでは例外もあるだろうが1人1人能力を測定するのはコストがかかるから、たとえ不満があってもあきらめてもらおう。社会がそういうしくみでできてるんだし、いいよね? よね?」

 

 

 

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