「公安テロ情報流出事件」裁判――警察はあらゆる個人情報を自由に集められるのか

この捜査の何が問題か

 

さて、皆さんはこれらの資料を見てどのようにお感じになるでしょうか。日本国内のテロを予防するためにはこういう捜査が必要だと感じる方もいるでしょう。確かに、世界各国でイスラム過激派による国際テロが発生していることは事実です。また、テロを予防するため、何らかの捜査活動が必要であることもまったくその通りでしょう。

 

しかし、この捜査には重大な問題があります。

 

例えば、ごく一部の日本人がある国際テロを起こしたとします。皆さんが海外に居住しているとして、自分が日本人であるという理由だけで、住んでいる国の公安警察から捜査の対象とされ、良く行く日本人コミュニティの溜まり場や日本の食材を売っているお店などが一日中見張られ、これらの場所に一度でも出入りすれば徹底的に警察に尾行され、日常生活の一挙手一投足を記録され、自分の周囲の人から人となりや交友関係について聞き込みをされ、ネット通販や銀行取引の情報も収集され、家族についての詳細な情報を含む、ありとあらゆる個人情報を収集された場合でも、「自分と同じ日本人がテロを起こしたのだから仕方ない」と我慢することができるでしょうか。

 

集められた情報は誤っているかもしれませんが、訂正することはできません。尾行され、監視されているように感じるけれども、確信は持てないので真正面から問いただすことはできません。いつ尾行され、誰に自分の話を聞かれているかも分かりません。友人に相談すれば、気のせいじゃないか、証拠はあるのかと言われてしまいます。もちろん、警察に相談することはできません。悪いことをしたと疑われるだけの事情があればやむを得ないかもしれません。しかし、監視されている理由は、日本という特定の国の出身者であることだけです。このような状態に陥った時に、強いストレスや反発を感じないでしょうか。

 

警察は、犯罪を予防したり、犯人を捕まえるための組織です。そのために、他の組織には与えられていないさまざまな権限が与えられています。適切に使われている限りは問題ありません。問題は、警察は良かれと思ってやっているけど、その手法が犯罪捜査にまったく役立っていなかったり、少しは役立つとしてもそれにも増して弊害が大きい場合です。

 

例えば、犯罪の疑いがまったく無い人に対して、職務質問をしたり、自宅のガサ入れをすることは法律上許されません。また、犯罪の予防や犯人の逮捕に役立つ手法であれば何をしてもよいわけではありません。例えば、犯人の検挙に役立つからといって、現場付近にいた人間を全員逮捕することなどは許されません。これは「警察比例の原則」といって、目的を達成するために必要かつ相当な手段のみを用いることができるという、警察権の暴走を防ぐため、近代国家に当然に存在するルールです。警察法や警察官職務執行法といった警察に関する法律でも、冒頭にこのルールが明記されています。

 

特定の属性を持つ人を「犯罪者予備軍」又は「犯罪関係者」とするということは、犯罪の疑いがまったくないとしても、その属性を有していることのみを理由として、捜査の対象にするということです。「犯罪の予防」を根拠にこのような情報収集を許せば歯止めは一切なくなります。世の中に、「犯罪の予防」に全く役立たない情報は、ほとんどないからです。そしてこのような犯罪予防のための捜査は実際に犯罪が起きるまで、半永久的に無批判に継続され、ただひたすら情報が収集され続けることになるのです。

 

歴史を紐解けば、洋の東西を問わず、警察はときに市民の権利を侵害するような行為を行ってきました。その態様は2つに分けられます。ひとつは、意図的な権限の悪用です。これは言語道断です。しかし、もうひとつの侵害の歴史を忘れてはなりません。それは言わば、目的が手段を正当化してきた歴史です。捜査機関は、「正義」の実現を目指す組織です。犯罪の予防や捜査は、正しい目的です。国民の生命や財産を守ることは極めて重要な目的です。しかし、その崇高な使命のために、組織内部で、さらには組織の外部の多数の市民が、警察のあらゆる権限行使を正当化してしまい、結果として警察が暴走してしまうことがあるのです。

 

ひとたび目的が手段を正当化して警察のルール違反が黙認されれば、他の事件でも同じように破られることを、過去の歴史は教えてくれます。捜査機関の暴走は例外を許してはなりません。警察を含む行政権が守るべき大原則を国家の基本法として定め(憲法)、警察とは独立した機関が憲法に基づき適切なルールを定め(法律による行政)、そして、具体的な警察権が行使される事前と事後に、政治部門から離れ国民のパニックから遠ざけられた機関(裁判所)が、冷静な視点からチェックする必要があります。

 

ムスリムに対する網羅的な捜査活動は、警察比例の原則に反します。その手法は、犯罪捜査にまったく役立っていなかったり、少しは役立つとしてもそれにも増して弊害が大きい場合にあたるのです。冷静な視点を有する裁判所が、憲法や法律を適切に適用することで、今回の捜査に異議を述べなくてはいけません。

 

 

提訴

 

原告は、裁判において大きく分けて次の2つの主張をしました。

 

1つは、捜査資料の漏えいに関するものです。上述のとおり、流出した資料には、原告の詳細な個人情報が含まれていました。また、原告がテロリスト予備軍またはテロリスト関係者であるかのような記載がなされていました。そのようなセンシティブな資料がインターネット上にばらまかれたのです。このような情報は極めて厳重に取り扱われなければなりません。センシティブな情報を取り扱う捜査機関として、今回の資料の保管態様には本来守られるべき基準を満たさない違法がある点を主張しました。

 

もう1つは、捜査の態様に関するものです。テロ対策の美名のもとに、すべてのムスリムの信仰や思想を含む詳細な個人情報を収集することが許されるのかという点を、真正面から問題視しました。このような個人情報の収集は、憲法で認められるプライバシー権、平等権、そして信教の自由に反する違法なものであり、許されないと主張しました。

 

この「プライバシー権の侵害」について、少し敷衍します。個人情報と一口に言ってもさまざまな内容があります。氏名や住所、生年月日などは、ある程度公開されることが予定されています。他方、信仰する宗教、支持政党、よく読む本、好きなサイト、性的嗜好、前科・前歴、出自など、人格のあり方と密接にかかわる情報は、一般に公開するものではありません。仲の良い友人であっても、これらの情報は互いにほとんど知らないものです。こうした情報を、誰にどの程度明らかにするかは、個々人の人生観に委ねられています。これらの情報は、それぞれの人生と分かちがたく結びついているのです。

 

国家は原則としてこれらの情報に介入してはならず、必要不可欠な場合に限り、最小限の範囲で、収集し、利用することが許されるにとどまります。今回の捜査活動は、この限界を超えるものであり、憲法の定めるプライバシー権に反するものです。

 

また、今回の捜査はテロ対策のために行われたにもかかわらず、警察は個人情報の収集後、捜査対象者がテロとまったく無縁であることが明らかとなった場合でも、個人情報を廃棄していません。ただひたすらにムスリム及びOIC諸国出身者に関する情報を集め、巨大なデータベースを作成しています。

 

現代では膨大な情報を容易に管理することができます。ソートをかければ一瞬で必要な情報だけを抽出することができます。そのため警察は、理想を言えば、すべての国民のすべての個人情報を把握し保管したいと考えていいるのでしょう。そうすれば犯罪は起きないし、起きたとしてもすぐに逮捕できると考えているのです。実際、ここ数年、何の法的根拠もなく、警察に逮捕された人は任意に唾液を提供させられています。DNAを取り、保管するためです。国民すべてのDNAを保管し、データベース化することを、警察は目指しているのです。

 

警察がムスリムの情報を収集していたのはテロ対策のためと言うのであれば、テロとまったく無縁のムスリムについては、情報を廃棄するべきでした。しかし、恐らく警察は現時点において一切廃棄をしていません。すなわち、警察は、「今後、必要があれば利用しよう」という程度で詳細な個人情報を収集し、保持しているものと考えられます。このような事態は、「国民の私生活上の自由」は、憲法13条に基づき、「警察権等の国家権力の行使に対しても保護される」と判断した過去の最高裁判所の判例に反するものです。

 

以上を整理すると図1のようになります。

 

 

【図1】

【図1】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.273 

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