ビットコインをめぐる共同幻想と同床異夢

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取引需要の不在

 

通常の通貨は、その通用する地域の中に経済圏を有している。たとえば日本では円で物品やサービスが取引される経済圏があり、同様に米国にはドル、西欧にはユーロで取引される経済圏がある。こうした国内(域内)市場では、その通貨建ての物品やサービスの価格は、それほど大きく動かないのがふつうである。たとえば1985年のプラザ合意で円がドルに対して2倍近くに高騰した際も、それによる日本国内の物価変動は比較的小さなものであった。

 

アダム・スミスは『諸国民の富』(いわゆる『国富論』)において、「人々が貨幣を欲求するのは、それ自体のためではなくて、その貨幣で購入しうるもののためである」と指摘した。海外旅行時にその旅行先の通貨を持っていくのはそこで買い物をするためである。同様に、仮想通貨が保有されるのも、一般的にはその仮想通貨でしか買えないものがある場合である。航空会社のマイレージを貯めるのはそれが航空券と交換できるからであり、『人生ゲーム』や『モノポリー』においてプレイヤーがおもちゃの通貨を求めて競い合うのはゲーム内で建物等を購入するために必要だからである。オンラインゲームなどの仮想通貨も、同様の目的で保有される。そこにはそれぞれの通貨の経済圏が存在する。

 

しかしビットコインには、そうした「国内」市場はなく、ビットコインでしか買えないものは存在しない。ビットコインでの支払いを受け付ける事業者はいるが、それらはあくまで「ビットコインで支払ってもよい」ということであり、最終的には現実通貨との交換が前提となっている。そもそも、ビットコインでの支払いを受け付ける事業者は、増えているといわれるが、全体からみればまだ皆無に等しいため、実際のところビットコインの使い道はほとんど存在しない。すなわち、ビットコインを欲求するのは、ビットコインそのものを保有する目的ゆえなのである。極論すれば、ビットコインにはケインズがいうところの貨幣需要のうち取引需要が存在せず、ほとんどすべてが投機的需要であるといえる。クルーグマンは上記コラムで以下のように指摘しているが、この点をふまえたものだろう。

 

 

What we want from a monetary system isn’t to make people holding money rich; we want it to facilitate transactions and make the economy as a whole rich. And that’s not at all what is happening in Bitcoin.

 

 

ビットコインが採用した、通貨の供給を制約し市場の状況に合わせたコントロールを行わないことで通貨の価値が安定するという考え方は、こうした投機的需要の存在を無視したものといえる。すなわち、金になぞらえたこと自体が、通貨というものの経済学的性質に対する理解を欠いた設計であることを露呈しているのである。

 

 

共同幻想としての通貨

 

通貨の価値がいわゆる共同幻想だとする考え方がある。岩井克人著『貨幣論』のように、「貨幣が貨幣として流通するのは、それが貨幣として流通しているからである」 といった自己実現的な存在として貨幣をとらえる考え方である。これはまさにその通りであって、信用をベースに成り立つ現代の通貨は、それが通貨として信用されているがゆえに信用されるという構造となっている。

 

この見方を援用して、ビットコインもまた、利用者の間で「価値がある」とみなされるがゆえに価値を認められる存在なのであるから、円やドルのような通貨との間に基本的な違いはないと主張する人々がいるようだ。

 

 

「ビットコイン―人間不在のデジタル巨石貨幣」(斉藤賢爾2013年12月31日)

http://member.wide.ad.jp/tr/wide-tr-ideon-bitcoin2013-00.pdf

 

 

もちろん、理屈上は確かにそういう表現もできなくはない。しかし、実態を考えると、これはいささか乱暴な議論といわざるを得ない。貨幣の価値が共同幻想だというのは、確かに乱発によって自国通貨の価値が暴落してしまった国のことを考えるとわかりやすいが、現実に各国で使われている通貨の多くは、このような急激な暴騰や暴落をしていない。それは、繰り返すがそれぞれの国の中央銀行や政府、ときにはIMFや世界銀行といった国際機関などが、通貨の価値を保つためにさまざまな管理を行っているからであって、一般的な通貨の価値に関する共同幻想はこうした制度や関係者の努力の上に成立しているものである。これを、そうしたしくみがまったく存在しないビットコインと同等に考えるのは不適切だ。

 

もちろん、ビットコインの価値もまた共同幻想であること自体を否定するものではない。しかしビットコインの価値を支える「幻想」は、現実通貨の価値を支える「幻想」とは異なる種類のものと考えるべきである。ビットコインには、その価値を下支えする資産や信用力、制度的な通用力の保証などは何もない。ビットコインが「採掘」されたことを示す数列を紙に印刷しても、それを金と同じように「おお美しい」と愛でる人はいないであろうし、産業用資材として使えるわけでもない。すべては利用者の中にある純粋な「幻想」に支えられているのである。では、その「幻想」とはどのようなものなのであろうか。

 

 

ビットコインをめぐる同床異夢

 

実際のところ、ビットコインをもてはやす人々の中には、いくつかのタイプがあるように思われる。1つのグループは、コンピュータやネットに詳しい、いわゆる「ギーク」と呼ばれる人々である。インターネットは、国境を越え、国家の干渉を受けず人々が自由に情報をやりとりできるある種の理想郷として誕生した。ギークの人々の中には、こうした初期のインターネットに対する信仰、いい換えればリバタリアン的な思想が根強く残っている。

 

ビットコインの概念もまたこうした考え方に親和性の高いものであることは、ビットコインの基本概念を示した2008年のサトシ・ナカモト名義の論文からも伺える。通貨は今や物理的実体から離れ、デジタルデータとして世界中を飛び回るものとなっているが、ネット上のさまざまな情報と異なり、通貨は依然として政府などの強い監視下に置かれている。上記のような考え方からすれば、ビットコインの登場によって、ネット時代にふさわしい通貨がやっと生まれた、ということなのであろう。そこにあるのは、ビットコインが広く使われるようになることが、社会が彼らの「理想郷」に近づくから、その価値を認めたいという「幻想」なのではないか。

 

 

Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System (Satoshi Nakamoto

https://bitcoin.org/bitcoin.pdf

 

 

しかし、このような考え方は、もともと初期のインターネットがそうであったように、ある意味性善説に立脚したものである。制約を受けず自由に利用できるということは、その分だけ不正な利用者を誘引する力も強い。上記の「シルクロード」は摘発され消滅したが、ビットコインを闇取引に使う人々は他にも数多くいるだろう。実際のところビットコイン自体は必ずしも匿名性を保証するしくみとはなっていない(むしろアカウント単位であれば個々のアカウントのビットコイン保有量はすべて公開されている)が、国境がないという利点を活かし、さまざまな国や地域の法や制度の隙間をついて、闇取引のニーズを満たそうとする動きは今後も続くと思われる。もちろん、それを規制しようとする権力側とのいたちごっことなるはずだが、完全な統制が不可能であることは、インターネットにおける情報の流れをみれば明白である。

 

もちろん、実際にビットコインには上記のようなさまざまな利点がある。特に、さまざまな国で使え、送金などの手数料も安くすむというのは、2つめのグループ、国際的に活動する人々にとっては大きなメリットである。実際、国によって通貨が異なる状況は国境を越えて活動する人々には大きな不便を強いており、また国際送金の手数料の高さは、少額の送金をする個人にとっては暴力的なほどである。

 

もちろん、現在の金融のしくみは、セキュリティその他、他人のお金を扱う事業者として備えるべきさまざまな条件をしかるべき水準でクリアするために必要なコストがかかっており、利用の際の手数料もそれを反映したものではある。しかし、ごく少額のやりとりを行う個人のレベルでそこまで必要かといわれれば、必ずしもそうではない、という考え方もあろう。Paypalのような少額決済のしくみが世界で広く受け入れられているのは、現在の金融サービスが個人にとって「牛刀をもって鶏を割く」類のオーバースペックなものになってしまっている可能性を示唆する。ここにあるのは、手軽に安価に使える決済手段があれば旅行や買い物に便利だからビットコインには価値があるという「幻想」である。

 

しかし、こうした利便性を必要としている人々は、現在のビットコインの利用者全体からみればあまり多くはないのではないだろうか。ビットコインが今これほど大きな注目を集めているのは、それを取引に使いたいからというより、驚異的な値上がりをしていたからである。すなわち、3つめのグループは、投機的需要に基づいてビットコインを保有する人々であり、これが昨今のビットコインの人気を支える大きな原動力となっている。

 

その「成功」を見て、ビットコインと同様の、あるいは「改良」したと称するいくつもの類似サービス(「暗号通貨」などと総称される)が導入され、ビットコインの高騰に乗り遅れた人々を惹きつけようとしている。当然ながら、ここで利用者が抱くのは、その値上がりにより保有者が豊かになるからビットコインには価値があるという「幻想」であろう。

 

 

「続々生まれる新手の「暗号通貨」」(読売新聞2014年1月15日)

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/fx/tokudane/20140115-OYT8T00664.htm

 

 

すなわち、ビットコインの価値や将来性を認める人々は一様ではなく、そこには明らかに同床異夢と呼べる状況が存在する。そしてそれらの少なくとも一部は、あまり相性がよくない。国家の管理を受けないことは、ネットの自由を理想とする人々や闇取引に使いたい人々にとっては欠くべからざる必須の条件であるが、安価にやりとりできる国際通貨として便利に使いたいだけの人々にとっては必ずしもそうではなく、安全性とコストとの兼ね合いの問題としてとらえられるであろう。

 

また価格の乱高下は投資対象としてビットコインをみる人々からは歓迎すべき条件(暴落は歓迎しないだろうが)であるが、通貨として便利に使いたい人にとっては、価値はむしろ安定している方が便利であろう。その価値を認める部分では同じでも、ビットコインを支持する人々の「幻想」はその細部において一様ではなく、そこには摩擦があるのだ。

 

ビットコインに寄せられる多様な期待の中には、多くの善良な人々からなる現実社会との相性がいいものもあればそうでないものもある。犯罪や闇取引に使うために政府の関与を嫌う志向は、社会からは是認されにくいものであろう。実際、金融機関によるビットコインの取り扱いを禁止してしまった中国を始め、取引業者に届出義務を課す米国など、各国でビットコインの流通に関して何らかの制度的な枠組みをはめようとする動きが広がっている。これは取引上の利便性ゆえにビットコインを利用する人たちにとっては必ずしも嫌われるものではなく、むしろ歓迎されるかもしれない(地下金融の利用者がもともと多い中国では規制は不評のようだが)。

 

ビットコインが今後どうなっていくかは、こうした利用者のニーズのそれぞれに対してどう応えていくかによって異なってこよう。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

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