「尊厳死法案」をめぐる議論の論点整理――「国民的議論」活性化の一助として

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このような法律は時期尚早か?

 

前出の日弁連の会長声明では、現在の法案の前身である「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」が2007年に出されたときに出した意見書を引いて次のように述べられている。

 

 

「「尊厳死」の法制化を検討する前に、(1)適切な医療を受ける権利やインフォームド・コンセント原則などの患者の権利を保障する法律を制定し、現在の医療・福祉・介護の諸制度の不備や問題点を改善して、真に患者のための医療が実現されるよう制度と環境が確保されること、(2)緩和医療、在宅医療・介護、救急医療等が充実されることが必要であるとしたところであるが、現在もなお、(1)、(2)、のいずれについても全く改善されていない。」[*20]

 

 

それゆえ「「尊厳死」の法制化の制度設計に先立って実施されるべき制度整備が全くなされていない現状において提案されたものであり、いまだ法制化を検討する基盤がないというべきである。」[*21]と結論されている。

 

これについて、筆者は次のように考える。上記3.でも述べたように、本法案で実質的に保障されるのは、終末期に関わる患者の治療拒否権である。これは、上記(1)に述べられているインフォームド・コンセントの原則の一部であるため、むしろ日弁連は本法案を積極的に支持すべきように思われる。この点は、会長声明でも次のように認められている。

 

 

「そもそも、患者には、十分な情報提供と分かりやすい説明を受け、理解した上で、自由な意思に基づき自己の受ける医療に同意し、選択し、拒否する権利(自己決定権)がある。この権利が保障されるべきは、あらゆる医療の場面であり、もちろん、終末期の医療においても同様である。」[*22]

 

 

たしかに、本法案で保障される治療拒否権は、終末期医療の、しかも延命措置の差し控えおよび中止に限定されたものであるが、治療の差し控えと中止について医療現場で混乱が起きている現在においては、この治療拒否権を保障することは患者が適切な医療を受ける上で非常に大切なことであるように思われる。

 

日弁連は、上記の(1)、(2)が改善されない限りこのような法案を認めないという態度を取るのではなく、本法案の検討を終末期医療の改善の一歩と見なして、患者の権利を保障するよりよい法案となるよう協力していくべきだと思われる。

 

 

あえて立法化する必要はないか?

 

前出の射水市民病院事件によって延命措置の差し控えや中止に関する法的地位が不明確になったことを受け、厚生労働省は2007年に「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を公表した[*23]。また、各種学会も終末期における治療の差し控えおよび中止のガイドラインを出した[*24]。厚労省のガイドラインや学会ガイドラインは、特定の法的根拠を持たないため、実際に所定の手続に従って治療を差し控えたり中止したりした場合に医師が免責されるかどうかは明らかでないが、一部の論者は、こうした行政あるいは学会のガイドラインがあれば十分であり、あえて立法化するまでもないと主張している。

 

たとえば前出の青木志帆氏は次のように述べている。

 

 

「現在のところ、厚労省ガイドラインが適切に運用されており、またそれによって大きな問題が発生しているように見えません。尊厳死協会の推奨するリビングウィルと、厚労省ガイドラインが推奨する医療者との話し合いに基づけば、今でも十分納得の行く最期をむかえられるはずです。」[*25]

 

 

たしかに、このガイドラインが公表されて以降、射水市民病院事件のような目立った事件はほとんど報道されていない。しかし、2012年に行なわれた厚労省の調査では、本ガイドラインを知らない医師が3人に一人に上ることが示されており、必ずしも本ガイドラインが「適切に運用」された結果ではないように思われる[*26]。むしろ、医師が法的責任を問われることを恐れて治療中止を行なわなくなった結果とも考えられる。

 

たとえば、末期患者における人工呼吸器の中止に関して、救急医対象に会田らが2006年〜2007年に行なったインタビュー調査では、「末期患者における人工呼吸器の中止に関して対象医師が最も懸念していたのは、それを行った場合の刑事訴追の恐れと、それに関連する報道問題であった。」としている[*27]。この調査は厚労省ガイドラインの公表前後に行なわれたものであり、必ずしもガイドライン公表後に医師たちが同じ意見を持っていたか明らかではない。しかし、上記のガイドラインの周知率に関する調査を見るかぎり、ガイドラインの策定で事態が大きく好転したと考えるのも楽観的に過ぎるだろう。質問紙等によるより規模の大きな調査が望まれるところである。

 

一度法律を作ると変更が難しいとか、医療現場の事情に即した法律を作ることは難しい等の理由で、法制化に反対する主張もある。筆者も、理想的には関係学会や医療機関がガイドラインを作成し医療現場を自律的にコントロールする方が望ましいと考える。しかし、射水市民病院事件以降、延命措置の中止や差し控えが適法なのかどうかがグレーになり、医療従事者が警察の介入や法的責任の追及を恐れて患者の意向を尊重できない現実があるのだとすれば、そのような現状においては、何が適法で何がそうでないかを本法案によって明確にする意義は非常に大きいと筆者は考える。

 

 

おわりに

 

その他にも、まだ論じるべき問題がいくつかあるように思われるが、別の機会に譲りたい。本稿では本法案を大枠で支持する観点から、先行する論文等のいくつかの論点についてやや批判的に見てきたが、少なくとも一点は大いに同意するところがある。それは、本法案に関する「国民的議論」が十分に尽くされていないことだ。

 

そもそも、法案作成に関してどのような議論が行なわれているのかが不明瞭だ。本法案をウェブで検索するとすぐに気付くことだが、法案全文を記載しているのは本法案に反対するサイトだけであり、そもそも本法案の作成に関わっている国会議員等のサイトが出てこない。まだ国会に提出していないことも関係しているのかもしれないし、法案に関する「公式サイト」を作るのも考えにくいのかしれないが、厚労省や文科省などの省庁が委員会を作って審議する場合と比べ、議員立法の場合はあまりに情報公開が行なわれていない。法案作成に関わる者は、法案に関して国民の議論を喚起するために、十分な情報提供を行なうべきである。

 

本法案に関わる国会議員はメディアやシンポジウム等で積極的に発言する機会を持つことで、本法案についての適切な理解を国民の間に広げるとともに、広範な議論を通じた法案の改善に努める責任がある。本稿が議論の活性化の一助になれば幸いである[*28]。

 

(※本稿は、2014年4月23日に脱稿しました)

 

[*20] 上掲注16参照。また、同様の論点については、上掲の青木志帆氏の論文も参照せよ。

 

[*21] 同上。

 

[*22] 同上。

 

[*23] 以下を参照。http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/s0521-11.html

 

[*24] 上記の日本学術会議の報告書を参照せよ。

 

[*25] 上記注6参照。

 

[*26] 「指針「周知不足」 終末期医療、体制整備を 厚労省検討会」産経新聞2014.3.24 http://sankei.jp.msn.com/life/news/140324/bdy14032423080001-n1.htm; なお、この調査結果を受けて、厚労省医政局は2013年7月にガイドラインの周知を求める依頼を各種医療機関に出している。たとえば以下を見よ。http://www.jcma.or.jp/news/association/post_545.html; 厚労省の報告書は以下で見ることができる。「終末期医療に関する意識調査検討会報告書及び人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書の公表について」2014.04.02 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000042776.html

 

 

[*27] 会田薫子、甲斐一郎「末期患者における人工呼吸器の中止-救急医に対する質的研究-」『日本救急医学会雑誌』20(1):16-30 (2009)

 

[*28] 本稿の執筆後に日本医師会第XIII次生命倫理懇談会が「今日の医療をめぐる生命倫理–特に終末期医療と遺伝子診断・治療について–」(平成26年3月)という報告書を公表した。本報告書は終末期における治療の中止に関して医療現場で混乱があることをある程度認めながらも、厚労省や関連学会および医師会のガイドラインの遵守を強調し、法制化には慎重な態度を示している。本報告書は以下から読むことができる。http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20140402_3.pdf

 

サムネイル「”11/52″ The puzzle of life」Tim RT

https://flic.kr/p/dWqVJq

 

 

 

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