2012.09.12

生き延びるための「障害」―― ルポ「支援する言葉」たち

荒井裕樹 日本近現代文学 / 障害者文化論

福祉 #地域生活相互支援大山田ノンフェール・くらねぇ#くらねぇ

いま、日本各地のNPOや各種有志団体のなかには、この閉塞的な世相の闇に喰われまいと揺らめく蝋燭のように、小さな明かりを灯し続ける人たちがいる。「使命感と疲労感」、「張り詰めたような真剣さと間の抜けたようなゆるやかさ」、「意気込みの熱さとフトコロの寒さ」を抱えながら、日々の激務にうろたえつつも、「もう少しだけ生きやすい社会」を目指して歩き続ける人々――その姿を拙い言葉にうつし出し、ささやかな希望の光を伝えることも、この時代に筆を持つ者の仕事なのかもしれない。手始めに、本稿では1つのNPOの試みを紹介したい。

「生きていたい」という意志を支える

医療や福祉の現場で、これまで叫ばれてきた「地域」という言葉に、不思議な熱がこもるようになってきたように感じている。たとえば、長らく「地域移行」が問題になってきた精神科医療の現場でも、入院の長期化傾向と33万とも言われる病床数とが改めて省みられ、近年では長期入院者を「地域」へと送り出す方策が様々に模索されている。「人は地域で生きるべき」という基本的な方針を支持することに異存はない。しかしながら、単純に患者を「病院外」に出せばすべての問題が解決するというわけでもない。

退院する長期入院者たちは、多くの場合、グループホームなど一時的な施設に入り、医療・福祉職員のサポートのもとで「社会生活」へのリハビリを重ねてから、アパートでの一人暮らしへと移っていく。人によっては、生活保護などの福祉制度や訪問看護などの支援制度を利用しつつ「地域」へと復帰していくことになるのだが、そこにもいくつかの問題がある。

たとえば長期入院者のなかには身寄りがなかったり、あったとしても種々の理由で疎遠になっていたりなど、基本的な人間関係の基盤を持たない人も少なくない。場合によっては訪問看護の日以外は布団に潜り、耐え難い孤独な時間をやり過ごすという話も耳にする。医療・福祉の関係者たちも、退院者を孤独にしないように、病院のデイケアや就労支援の作業所などで様々に苦心してはいるが、皮肉にも「退院後も医療・福祉の関係者にしか繋がりがない」ということが退院者の自尊心に暗い影を落とすこともある。

そもそも福祉制度は、「健康で文化的な最低限度の生活」(生存権)を保障するために存在する。そして個人的には、この「最低限度」とは、「“この世界のなかに生きていたい”という形で、自らの人生に対する肯定的な意思を保ち得る最低限度」であって欲しいという希望を持っている。それが困難な理想論であることを自覚した上で言葉を継げば、「生きていたい」という意思を支えることこそ本当の支援なのではないかと思うのであるが、それをカバーするのは福祉の職域を超えてしまう。

このように書いたからといって、殊更に福祉制度を批判したいというわけではない。ただ、個別の事情は書きかねるが、長期入院者の問題だけでなく、虐待・DV・貧困などのために、公的な支援の網目にもかからず、「生きる意思」も消えかかりつつある孤独者たちの様子を、やりきれない痛みと共に見聞する機会が増えてきたことを少しだけこぼしたくなったのである。では、そのような孤独者たちを支援するためには、どうすればよいのだろうか。そもそも「人が人を支援する」とはどういったことなのか。

「言葉」をやりとりする場

栃木県那須郡那珂川町大山田――福島県境に近く、日本でも有数の清流が流れるこの山間部で、「NPO法人地域生活相互支援大山田ノンフェール・くらねぇ」は3年前から活動を始めた。「くらねぇ」とはこの地方の方言で「苦労はない、なんとかなるさ」というほどの意味であり、「ノンフェール」とはフランス語で「何もしない」を意味する。この言葉は、パリ市内の精神科病院メゾン・ブランシェで、移民系フランス人看護師クリスティアン・サバスによって始められたアトリエ「L’Atelier du Non-Faire」に由来する。

精神科病院の管理的で制度化された治療に疑問をもったサバスは、同じ病院の敷地内で「何もしないための活動」を始めた。そのアトリエでは、参加者が絵画・音楽・詩作などにふけりながら、思い思いに時間を過ごす。「何もしない、何の意味もない、何の価値もない」ように見える時間こそ、自分という存在を見つめ直すためには必要であるということなのであろう。

余談だが、病気や障害をもっていて生きにくさを感じている人ほど、その言動の隅々にまで「意味」が求められているように思うことがある。たとえば障害者が絵筆を持った途端、まず「その描画行為に治療的効果があるのか」が問題にされ、次に「作品が所得に繋がるかどうか」が問題にされる。これらに合致しない場合には、「障害者が頑張ることによって人々に勇気を与える」という人道的な「意味」が設定されることが多く、「ただ単純に描きたいから描く」という動機は想像以上に受け入れられにくい。

話を「くらねぇ」に戻そう。昔ながらの農村地帯であるここ大山田では、地縁・血縁が根強く残り、夏の陽にあぶられた草いきれのように濃密な人間関係が息づいている。しかし一方で、その草いきれが荒れた休耕田から吹き下りてきたものであることに気付く時、ここも全国の過疎地と同じ問題に直面していることを思い知らされる。若者は仕事をもとめて都市部に移り、先祖伝来の家と土地を守る者だけがこの地に残る。高齢化と産業の空洞化が進み、周囲には「限界集落」と呼ばれる地区も散在している。共同体内の関係性が、濃密でありながら空洞化するという二つの力が同時進行しているのだが、いずれにしても、土地も人間も時間と共に確実に衰えていく。

問題なのは、濃密な関係からも、また空洞化した関係からも、孤独や生きにくさを抱える者は生み出されるという点である。それらは絆の弱いところにだけ生まれるのではなく、強いが故に生み出される場合もあり得る。「地域」という言葉が金科玉条のごとく叫ばれてはいるが、そもそも「地域」という名の地域はなく、その内実は様々である。それぞれに特異な事情を抱えた土地で、その文化・風土の特性を活かしながら(あるいは制約を受けながら)、孤独や生きにくさを抱えた人々を支援するのは至難の業といっても過言ではない。

この土地で「くらねぇ」を立ち上げたのは、牧師としての経歴を持つ二人の人物である。説教師として人間の心の闇を見続けてきた人物と、東南アジアの人身売買問題など人権問題の最前線(ということは「人権事情の最底辺」)に取り組んできた人物が、それぞれの迷いや葛藤の果てにこの地にたどり着き、廃校となった大山田小学校を借り受けて活動を始めた。「余所者」の参入などほとんどないこの土地では、「くらねぇ」の誕生は一つの事件でさえあっただろう。

「くらねぇ」の主な活動は、病気・障害・人間関係・家庭環境など、様々な理由で孤独や生きにくさを抱えている人たちの生活支援である。ただし「支援」といっても、就労や社会復帰など明確な「目的のある支援」ではなく、むしろ「無目的の支援」である。「無目的」という言葉が悪ければ、「生きることそのもの」と言い変えてもよい。具体的な活動内容を列挙すれば、ステンドグラス工房、機織り、草木染め、影絵、絵画、ダンス教室、野菜栽培、移送ボランティア、精神科医による健康相談、家庭事情や人間関係に疲れた人のための休息施設の運営など、「ノンフェール」という割には多岐にわたる。

筆者にとって「くらねぇ」の活動が興味深い理由は、「言葉」の存在を大切にしているからである。たとえば、各自がお題を出し合って言葉の「描写表現」を練習するワークショップ「言葉のデッサン」や詩集『ノンフェール詩』の発行など、様々な形で「言葉をやり取りする場」が設けられている。ここでは「生きにくさを抱えた人ほど言葉を積み重ねる必要がある」との認識が共有されているように感じられるのだが、では、「人が人を支援する」際に何故に「言葉」が必要なのか。あるいは、かくも膨大な量の「言葉」を積み重ねて立ち向かおうとする「生きにくさ」とは一体何なのか。

「何の意味もないことをする」ことの重要性

そもそも「ノンフェール」とは、その意味するところを正確に表現すれば「まったく何も行動しない」ということではなく、「意味や目的のないことをすることの大切さを見直す」ということである。現代社会では、人間は「何か意味のあることをする」ことと引き換えに「存在する」ことを許される。しかし「ノンフェール」の精神が作りだそうとするのは、「何の意味もないことをしながら存在することを認め合う」ような関係性である。

人間が「できること」と「できないこと」は、その人の置かれた関係性に大きく影響されるのだが、「くらねぇ」の不思議な活動を眺めるともなく眺めていると、人間は「ノンフェール」な関係のなかにあってこそ、はじめてできることがあるようにも思えてくる。紙数の都合上、強いて2点だけ挙げるとすれば、1つは「声にならない声をこぼす」ことであり、もう1つは、自分のなかに根付いた「常識」を相対化し、生きにくさの根本を見つめ直すことである。

まずは前者について説明しよう。これは大山田に限ったことでもないのだが、厳しい農作業と濃密な人間関係を維持してきた農村地の人々は、概して質朴で我慢強く、その口から自身の苦境を訴える言葉が漏れ出ることは少ない。3代前の家族構成まで熟知し合っているような間柄では、「家」の体面が重んじられ、家庭内のトラブルが口外されることはほとんどない。「困った時はお互いさま」という互助のメンタリティが息づく土地でも、「私的な困ったこと」はあくまで個人の問題として処理することが前提となる。

このような関係性のなかでは、仮に家庭内暴力に悩む女性がいたとしても、誰にも相談せずに黙って抱え込んでしまうことが多い(痛みを黙って抱え込まなければならない状況に置かれた人は、たとえ周囲の人たちと頻繁に接する機会があったとしても十分に孤独である)。こうした痛みは行政や自治体が設置した支援の網目――たとえば「DV被害電話相談窓口」など――にかかることは少なく、むしろ気の置けない人との茶の席で、何気ない愚痴やため息と共にこぼれ落ち、そこから大変な事態が判明するという場合が多いようである。

そしてこのような愚痴やため息は、「ノンフェール」な空間のなかで、日々「ノンフェール」な時間を共通していて、はじめてこぼれ落ちることができる。(多少大げさな表現だが、愚痴やため息が生命を繋ぐこともある。)

後者について説明するには、少し入り組んだ助走が必要である。

かつて障害者運動の一部では、「障害者は労働してはならない」という主張がなされたことがあった。これは「不自由な体で労働すれば体を壊す」という注意喚起ではなく、「労働は悪であるからしてはならない」という強い拒絶であった。「労働によって自らを養う者が一人前であり自立した人間である」という価値観に虐げられてきた障害者は、ともすると、そのような価値観の達成を過剰に追い求めてしまう。

その結果、「健常者」並みの労働ができずに虐げられている「軽度障害者」が、自分よりも労働ができない「重度障害者」を虐げ、相対的に「健常者」に近づこうとすることで差別を再生産してしまう。虐げられた者が自分を虐げる価値観に染まり、それをより弱い者に転嫁してしまうという負の連鎖を断つために、日本の障害者運動は「労働=善」という常識的な価値に背を向けることを宣言した。「被虐者の心理」を熟知していたからこその主張であったと言えるだろう。

フランスの本家「Non-Faire」も、大山田の「ノンフェール」も、おそらく同じようなことを目指しているように思われる。皮肉な言い方だが、「何か意味のあることをする」ことが常識となった現代だからこそ、「何の意味もないことをする」ことの重要性を訴えることが必要なのかもしれない。なぜなら「何か意味のあることをするという常識」がどこかで誰かを傷付けているかも知れず、「何の意味もないことをする非常識」を通じてその欺瞞に気付くことができるのであれば、それは非常に有意義なことだからである。

この点についても、もう少し説明を重ねた方がよいだろう。たとえば「幸せになることは良いことだ」という一見あたり前な価値観も、どこかで誰かを傷つけてしまうことがある。仮に、幼少期に虐待を受けた人が、虐待の痛みを知っているがゆえに「幸せな家庭」を作りたいと願ったとしよう(実際には家庭というものに絶望する人も少なくない)。あるいは、パートナーからの暴力に苦しむ人が、自分の子どもだけは良縁に恵まれ、幸せになってほしいと願うことがあったとしよう(もちろん色んな理由でそのようには思わない/思えない人もいる)。虐待や暴力などによって「幸せ」を奪われた人が、「幸せ」を得たいと願うことは自然な心理であるが、ことはそれほど単純ではない。

幼少期に「幸せ」の原体験を与えられなかった人は、そもそも「幸せ」の具体的なイメージを持ち合わせていないことがある。そのような場合、メディアのフィクショナルな「幸せ像」に安易に影響されてしまったり、他者との比較・競争で勝つことに「幸せ」を見出してしまったりすることがあるのだが、その手の「幸せ」は追いかければ追いかけるほど疲労感と焦燥感が積み重なっていく。

深く冷たく傷付けられた人が、「幸せを得たい」と願うあまり、「幸せになってこそ生きる意味がある」という思いに駆られ、「幸せになり切れない自分」を更に傷つけてしまったとしたら、それはあまりにも悲しい事態である。また「幸せ」を求める気持ちが強すぎるために、パートナーや子どもに「完璧な幸せの実現」(「完璧なパートナー・完璧な子どもの体現」)を求めすぎ、結果的に痛みや息苦しさを押しつけてしまったとしたら、これほどやり切れないことはない。

関連して付言すれば、不幸な境遇を生き延びた人は、その境遇を生き延びるために「不幸に耐える自分」という自己像を作りあげていることがあり、一般的な「幸せ」のイメージにどうしても馴染むことができず、複雑な葛藤を覚えることも少なくない。「幸せになることは良いことだ」という常識は、誰もが「幸せ」になりたいわけではないということを覆い隠してしまうこともある。

自分が得たい「幸せ」とは何であり、自分を苦しめる「幸せ」とは何なのか。それを求めるあまり誰かを傷つけてしまったかもしれない「幸せ」とは何なのか。自分が感じている生きにくさのなかに、このあまりにも平凡な言葉がトゲのように刺さっているのだとしたら、その裏側に張り付いた「自分だけの生きにくさ体験」を見つめ直す必要がある。このような見つめ直しを、「くらねぇ」では「言葉を裏返す」と表現し、驚くほど膨大な量の言葉がやり取りされている。

「ゆがんだ麦」を育てる

何らかの生きにくさを抱えた人ほど、「世間」や「一般社会」の常識や価値観に敏感なことがある。そのことで、「世間並み」「一人前」でない自分を傷付けることもある。そんな生き方が痛くて苦しいのであれば、一度「ノンフェール」な時と場に足を止めることが必要なのかもしれない。「くらねぇ」は、そのような時と場を作りだそうとしている。

断っておけば、「くらねぇ」が見習うべき模範的なNPO団体だなどと指摘するつもりはない(むしろ毎日のように問題に直面している人たちだが、その問題を誠実に楽しむことができる不思議な人たちでもある)。ただ、医療や福祉などの既成の支援制度(支援概念)ではカバーし切れない生きにくさに寄り添い、共に語ろうとする人々がいるということは、小さな希望の灯として誰かが書き伝えてもよいことだろう。もしかしたら、その地道な活動のなかから「新しい形の支援」が生まれるかもしれない。

少なくない紙数を費やして同団体を紹介してきたが、「ノンフェール」の精神を伝えるには、以下に引く不思議な「設立趣意書」を読んでもらった方が早かっただろう。

おまえが失ったものを/取り返そうなどと考えてはいけない/かなしみは/失われたものにあるのではなく/奪われたおまえにあるのだから

おまえが失ったものは/たかだか給料の半年分ほどだと/やつらは計算し/いつでも返せる気でいる/だからもう/取り返すことなどできはしない

おまえが失ったものは/「たとえば狐の皮ごろも」/たとえばいたちの隠れ蓑/であったとしても/奪われてしまったおまえのかなしみは/消えはしないだろう

カシオペアが何百回と回転し/白鳥が何千回と/西のそらに沈んでいっても/もう/取り返すことはできない

だが/おまえの肩をゆさぶりながら/おれに言わせてくれ

そんなかなしみを抱いている/おまえにできることは/失ったものを取り返すことではない/やつらからおまえを取り戻すことではない

おまえが/やつらのいる世界をやめさせられないかと/言っているのだ

おまえが 知らなかったおまえを/未来に描き出すことはできないかと/おまえの震える背中に向かって言っているのだ

おまえは/おれと/旅立たないか

あそこの/まとまった名前などない土地に行き/打ち棄てられたモミを拾い集めて/ゆがんだ麦を/植えてみないか

            (野毛 一起「那須地人協会設立趣意書・終章」より)

強く健やかな麦を育てることが「常識」で「意味のあること」だというのなら、あえて「ゆがんだ麦」を育てるという「非常識」で「意味のない」ことをしてみよう。その先に、いま生きるのがつらい人たちにとって、少しだけ生きやすい世界があるかもしれない。もしかしたらないかもしれないが、それでも「ゆがんだ麦」を育てるのは、たぶん、きっと、それなりに楽しいことなのだろう。

プロフィール

荒井裕樹日本近現代文学 / 障害者文化論

2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。

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