「生活保護通報条例」に反論する 

「要保護者(保護が必要な生活困窮者)」への通報

 

この条例では「要保護者(保護が必要な生活困窮者)」への通報も盛り込まれている。

 

しかし、「駅前にホームレスがいる」「車上生活している人がいる」などの、住所不定の生活困窮者への「通報」はすでに現在も福祉事務所によせられている。一方で、住所不定ではない生活困窮者は、「生活保護利用者」と同じで、どの人が生活に困っているのかは傍から見ても判別がつかない。こちらは「通報」のしようがないのが現状だ。

 

ここでより実効的な方法があるとするならば、就職や借金問題などの総合相談会の実施や、各種制度利用促進のための広報などの「来てもらう」アプローチと、孤立死防止などの取り組みで提言されているライフライン(電気・ガス・水道等)の滞納者情報の共有などによる「見守り」アプローチだろう。これらは、行政機関を中心にさまざまな地域の支援機関が連携して体制を組んで行っていくアプローチであって、「通報」とはあきらかに性質が違うものである。

 

 

「ギャンブル等の浪費」を防ぐには

 

報道などの影響もあって、生活保護利用者をはじめ、ギャンブル等の浪費をして生活が成り立たなくなっている人が多いという印象があるかもしれない。

 

もちろん、実際にギャンブルにのめり込んでいる方もいるだろう。しかし、その方たちはきちんと病院で診断を受ければ「ギャンブル依存」などの精神疾患の診断を受ける可能性が高く、やめたくても止められない状態(病気)になっている場合も考えられる。

 

「ギャンブル依存」などの方には(アルコール依存など他の依存症の方も同じだが)、医療的なサポートや金銭管理などの生活支援を行うことによって、そういった「浪費」や「生活の破綻」を防ぐことができる。それは「生活保護利用者」であっても「一人親家庭(シングルマザー/ファザー)」も同じだ。

 

いま求められているのはそういったギャンブルにのめり込んでしまう「状態」を、個人の資質の問題=自己責任で片づけるのではなく、社会全体として支えて行こうという視点である。

 

 

「通報」ではなく「支援」へ

 

ここまでいくつかの論点から「通報」の実効性について考えてきた。

 

「生活保護利用者」も「一人親家庭(シングルマザー/ファザー)」も「要保護者(保護が必要な生活困窮者)」であっても、それぞれが一人ひとり違った人生を歩み、さまざまな要因が重なって生活困窮に陥り、公的な社会保障給付によって生活を支えられている。

 

一概に○○だから□□だというものではないし、その状況になっているのには「理由」があり、それを個人的な資質の問題と言ってしまうのは社会の問題に蓋をすることだ。たしかにせっかく給付されたお金を「ギャンブル」に注ぎ込んでしまうのは決して良いことではない。しかし、ただそれを「間違っている」「自己責任だ」と言うのは安易にすぎる。

 

ギャンブルにのめりこむ人が、もし何らかの社会環境の変化によって違う選択や状態になることができるのであれば、それを担保していくのが社会の務めではないだろうか。

 

いま必要なのは「通報」ではなく「支援」である。こういった「通報」が一般化してしまうと制度利用に対しても「スティグマ性(制度利用に引け目を感じてしまうこと)」を負わせしまう可能性が高く、制度利用の抑制は「いのち」の問題に影響してくる。

 

一人ひとりの困難な状況に対して社会は一体何ができるのか。何を担保し、その方の選択肢をいかに増やしていくことができるのか。少なくともそれは「通報」ではないだろう。「支援」の輪を広げていくことは、いまは関係ないと思っているすべての人にとっても選択肢を増やすこと(社会をユニバーサルデザインすること)につながってくる。

 

 

 

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