「生活保護通報条例」に反論する 

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「管理」ではなく「共生」を

 

小野市のHPを見るとこの条例に関して小野市長は、

 

 

全国どこでも起こり得る課題に対して、「言われてからやるのではなく、言われる前にやる」、まさに、「後手から先手管理」への転換を実践する。

 

 

と話している。

 

「管理」という言葉をどういう文脈で使っているのかは分からない。しかし、「管理」という言葉は「通報」と密接にリンクしている。不正受給やギャンブル等への浪費も、その人の抱える「困難さ」であることは間違いない。それを「通報」というかたちで社会の問題として共有し、地域の目で「管理」していこうという発想であれば恐ろしい。

 

またそれが怖いのは、そういった自分たちと違う他者(困難さをもったマイノリティである存在)に対して、「困った人だ」といった視点で「管理」することによって社会の一員として招き入れることである。

 

昨今、ソーシャルインクルージョンという言葉の訳として「社会的包摂」や「社会的包容力」などといった言葉が認識されるようになってきた。これは、個人の資質の問題だけではない、さまざまな社会的要因により、一人ひとりが生きづらくなってしまう状況を(社会的排除にあっている状況)を、社会全体の問題として解決していこうという概念である。

 

「通報」という発想も、社会全体の問題として考えて解決を図るという意味では「包摂」と言えるのかもしれない。しかしそれは、困難さを抱えた社会的少数者(マイノリティ)を「管理」することによって「包摂」しようとするものだ。

 

「管理」から「共生」は生まれない。いまわたしたちがするべきことは、社会全体の共通の課題に対して「管理」することによって解決を図るのではなく、さまざまな違いや困難さを認めた上で、どうやったら「共生」することができるのかを考えることだ。それは社会の在り方の「前提」であり、わたしたちの「立ち位置」の問題でもある。

 

4月1日から「条例」は施行される。「通報」によって何が生まれ、何が失われるのか。この「条例」を許容する社会であってはならないと思う。わたしたちはいまこそ広く議論の場を開いて、社会のあり方、本当に必要な支援について、「共生」していく未来について、深め合っていく必要がある。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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