生き延びるための「障害」 ―― 「苦しみ」の行き場がない社会

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「苦しいこと」と「苦しみ」の違い

 

昨年(2011年)秋、5日間という短い会期ながらも、静かに熱い、不思議な感動に包まれたアート展が開催されていた。東京精神科病院協会が主催する「心のアート展」である。このアート展は、都内の私立の精神科病院に入院・通院する人々が、主に病院内で制作したアート作品を集めた展覧会である。

 

近年では、精神科医療の臨床現場でも、治療の一環としてアート活動を採りいれることが広がりつつあり、「アートセラピー」という言葉も珍しくなくなってきている。ただし、病院内でのアート活動はあくまで医療行為の一環であり、生み出された制作物もいわゆる「作品」ではなく、院外に持ち出されることは基本的にはない。場合によっては表現者の心のナイーブな部分に触れる自己表現を、不特定多数の人目に触れる公共の場に展示することには慎重であるべきだとの判断が働くのだろう。

 

それに比べると、この「心のアート展」は少し主旨が異なっていたように思われる。作品は公募で集められ、2次にわたる審査が課せられている。厳しい審査を通過したという自信であろうか、あるいは日頃の地道な制作活動への自負であろうか、出展者の多くは実名であり、キャプションにもかなり踏み込んだ内容が見受けられた。展示作品数も300点近くにのぼり、いわゆる「福祉展」というイメージには収まらない展覧会であったように思われる。

 

「うつ」をはじめとした「精神疾患」が国民の「5大疾患」に組み入れられた現在でも、「精神科」に対する偏見の壁はまだまだ高い。しかしながら、実名を付した迫力ある力作の数々は、精神科医療を生活の一部としながら、厳しい社会を生きる人々の「心」の様子を、ぐっと身近に感じさせてくれた。

 

筆者は研究の都合上、精神障害者の自己表現活動に携わってきた。その縁もあって「心のアート展」にも少しばかり関わっているのだが、実は出展作品の中に、非常に気になって忘れられずにいる一点がある。ハガキサイズのポストカードが真っ黒く塗りつぶされ、数十枚ランダムに組み合わされた作品であった。その作品はどうやら一種の「日記」らしく、一日一日の「思い」を綴っては、誰にも読まれないように塗りつぶしたものであった。ランダムな展示は、そのカードをカレンダーの日付け通りに配列し直したものである。

 

塗りつぶされた「思い」が、具体的にどのようなものであったのかは想像の域を出ない。ただ、ところどころ大変な筆圧がかけられていることから、それが必ずしも心地よいものでなかっただろうことは察せられる。作者は自作紹介で「過去は白紙にならず塗り重ねられていく。嫌なことも全て白紙にはならない、白紙にしてはならない」と述べていた。心の中の「嫌なこと」は、塗りつぶすという行為によって吐き出され、一時のカタルシスを導くのだろう。しかしながら、塗りつぶされたカードは棄てられることなく、作者の手元に大切に保管されてきた。それは澱のように積もった「嫌なこと」を吐き出すことで心の傷を休めつつも、その傷の疼きも大切な心の一部として飲み込んでいくような、いわば「吐き出す」ことと「飲み込む」こととが背合わせになった表現であった。その作品と向き合っていると、一日一日を生き抜くための切実な「心の息遣い」が聞えてくるような思いがしたのである。

 

この作品を見ていて、私はふと不思議な感覚にとらわれた。カードに綴った「嫌なこと」を塗りつぶすということは、それらを誰にも見られたくないという気持ちがあるのだろう。しかし塗りつぶしたカード自体は、誰かに見せるために展示されている。(少なくとも、私は一人の観覧者として、この作品が発する存在感に呼び止められたわけであるから、この作品を「見せられた=魅せられた」のである。)この不思議な感覚を、どのように説明すればよいのだろうか。

 

おそらくこの作品は、「苦しいこと」と「苦しみ」の違いを象徴的に伝えているのではないか。(このように乱暴に整理すると、あの作品の持つ深みを削ぎ落してしまいそうで怖いのだが。)塗りつぶされた「嫌なこと」は「苦しみ」に該当する。私の勝手な想像だが、そこには極めてプライベートな人間関係や、トラブルの原因と結末、傷付けられた具体的なやり取りなどが綴られていたのではないか(少なくとも、私が同じことをしようとしたら、そのような事柄を綴るだろう)。それらの込み入った心の中身は容易に他人に見せられるものではないし、できれば本人も思い出したくないものだろう。

 

対して、塗りつぶされたカードを展示するという行為は「苦しいこと」に該当する。自分が抱えている「苦しみ」の中身は説明できない(それは複雑な人間関係が絡むから説明できなかったり、そもそも言葉にすること自体が難しかったりする)。しかし、いま自分が大変な状態にあり、「苦しいこと」は分かって欲しい――。人間が直面する「苦」は、このように重層的で複雑なものなのだと、あらためて考えさせられたのである。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.265 

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