障害者介護保障運動から見た『ケアの社会学』 ―― 上野千鶴子さんの本について

『ケアの社会学』の評判と違和感


上野さんはフェミニストとして、もっとも有名な人だろう。著作を出すごとに論壇、文壇をにぎわしているし、テレビにもしばしば出演する。あまり学問とか研究に関心ない人でも、上野千鶴子という名前を聞いたことのある人は多いだろう。

 

その上野さんが、ここ10年余りの研究の成果として、『ケアの社会学』(太田出版、2011年)という大著を出された。

 

大きめサイズで約500ページの大著だから、普通の人はひいちゃうんじゃないかと思うけど、ぼくの知ってる介護関係の人々の間でも、この本は話題になっているようだ。残念ながら(?)読んだという人はあまり聞かないけど、読んでみたい、という人はけっこういるようだ。

 

論壇における評価は、かなり高い。中島岳志さんなどによって新聞各紙の書評でとりあげられているし、本田由紀さんなんかは、「震災後の日本の指針提示」の一冊として、この本を取り上げ、「フェミニズムと介護の問題に長く取り組んできた著者の集大成ともいうべき本書は、高齢化の進む日本にとって繰り返し参照される原点となるだろう」と述べている。

 

また、ケアに関心のある研究者たちもこぞってこの本を読んでいるようだ。知り合いの院生たちが、『ケアの社会学』の読書会を丁寧に各章ごとに開いている、なんて話も聞く。東京大学、ケアに関心のある研究者たちの集う研究会では、「新著『ケアの社会学』を手がかりに上野千鶴子とケアの社会科学をきわめる」という立派なタイトルのイベントも行われていた。「きわめる」はいいすぎだろう、と思った。

 

そして上野さん自身も、もはやアイドル的なひっぱりだこ状態。ある講演会では、フロントに上野さんへのお手紙ボックスがもうけられていたそうである。

 

ぼく自身といえば、上野さんのフェミニズム関係のものはほとんど読んでいなかったのだけど、『at』(太田出版)という雑誌に上野さんが連載していたころから「ケアの社会学」には関心をもっていた。数か月前に上野さんのケア研究がついにまとめられると聞き、これは重要な本になる、ケア関連の本の中では原典的な取り扱われ方をする本になるだろうと直感し、ぜひともまとめて読んでみたいと思っていた。

 

そして本を購入し、普段あんまり本は読まなくて大部な本は苦手なんだけど、わりと関心ある領域のことなので、なんとか最後まで読み通した。

 

しかし、読んでみた感想は、かんばしいものではなかった。読みながら「これではあかんのちゃうか」という思いがしばしば湧いた。

 

大著であり、ケアに関連する諸分野をほとんど網羅している。それなりに見事に整理している。これだけの仕事をやるのはやはり相当の才能と労力が必要だ。だけど、「ケアの社会学」というには、何か画竜点睛を欠いている。どこか大切な部分が見えてこない。

 

そして、この本がこのまま手放しに賞賛され、原典としての取り扱いを受けては困る、という思いにかられた。

 

どうしてそう思ったのか、違和感の所在はどこなのか、そこらへんのことについて、以下述べていく。その前に、ぼくが普段何をしていて、どういう立場からこの文章を書いているか、そうした自己紹介をしておこう。

 

 

『当事者主権』の物足りなさ

 

『ケアの社会学』は、「当事者主権の福祉社会へ」というサブタイトルがついている。この「当事者主権」という用語と思想は、上野さんが障害者自立生活運動から学んだものだ。2004年に『当事者主権』(岩波新書)という本を上野さんは、中西正司さんという障害者自立生活運動のリーダーと共著で出している。

 

ぼくは普段、この障害者自立生活運動の中で介助者、支援者として生息している。京都のJCILという自立生活センターで働き、また運動にもそれなりに活発に関わっている。とりわけ介護保障問題にはかなりの関心があり、行政交渉などにも積極的に顔を出している。障害者の介護保障を求めるかたわらで、介助者・支援者の生活保障も必要だと考えて、「かりん燈」という団体をつくって介助者の立場から自分たちの生活保障を行政に求める活動もしている。

 

介助をはじめてからは10年以上たち、自立生活センターに就職してからも7年くらいたっているから、それなりに現場経験も重ねてきた。

 

上野さんの礼賛する「当事者主権」の実践現場のわりと先端にいるんではないかな、と思っている。

 

そして自分の立場から上野さんの本を見るとき、これではものたりない、という思いを抱くのである。この本に書いてあることは、少なくとも障害者自立生活運動がすでに一通り経過してきたことのように思う。だから、自立生活運動の界隈にいる人たちに対しては、とりたてて新鮮なことはないから特に読む必要もないよ、などとも語っている。

 

さらに、これではまずい、と思うのは、上野さんが自立生活運動の表層のみをなぞり、深層にまで達していないと感じるからだ。一口に自立生活運動といっても一枚岩ではない。上野さんにはたぶん、運動のある一面しか見えていないのではないか(ぼく自身も、その深層はまだうまく語れないのだけど)。

 

 

 

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