全ての人の「生」を肯定する――生活保護はなぜ必要なのか

全ての人に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する生活保護制度。本来生活に困窮する全ての国民を守るために作られた制度だが、利用者への強い偏見から、利用をためらう生活困窮者は多い。利用者に対するスティグマの言説は、どのように築かれたのか。スティグマが蔓延した社会的背景とは。東京都内で生活困窮者の支援に携わっている「つくろい東京ファンド」代表理事で、立教大学大学院特任准教授の稲葉剛氏に伺った。(取材・構成/増田穂)

 

 

生活保護の利用は「恥」?

 

――日本の生活保護では、受給漏れが問題になっています。本来であれば生活保護を受けられる人が、そのセーフティネットから漏れてしまっている。漏れている人の割合は要件を満たしている人のうち7、8割に達するとありますが、稲葉さんはこうした日本における生活保護利用のハードルとして、利用に対しての社会的なスティグマが強いことを指摘されていますね。

 

ええ、イギリスやその他のヨーロッパ諸国では、低所得者を公的に支援する公的扶助制度は権利として社会全体に認められているのですが、日本ではそうした認識が非常に低い。生活保護を利用するということが、何か「お上の世話になる」ような、恥と考える傾向がとても強いんです。

 

2012年にはお笑い芸人の親族の方が生活保護を受けているのがけしからんという話があって、テレビをはじめ週刊誌などでも生活保護バッシングが行われました。あの時も片山さつき議員をはじめ、自民党の議員から「生活保護を受けることを恥だと思わなくなったことが問題である」といった発言が繰り返され、「生活保護=恥」という言説が広がってしまいました。

 

このように偏見が強くなってくると、生活に困窮していても、生活保護利用者になることが恥ずかしくて、申請を踏みとどまる方も出てきます。路上生活者の中には70代、80代の方もいて、体力的にもかなり厳しい生活ですから、私たち支援者としては生活保護の申請を勧めるのですが、身体が動く内は人の世話にはなりたくない、と拒否される方が多いんです。

 

こうした心理的なハードルを乗り越えて利用にいたっても、今度は自分が生活保護を利用していることに引け目を感じて、周囲の人や以前関わりのあった人には打ち明けられないといった話はよく聞きます。

 

 

――ご著書『生活保護から考える』(岩波新書)の中では当事者の方ご自身が生活保護を利用していることをなかなか受け入れられないといったお話もありました。利用者自身が自分に対して強いスティグマ、拒絶感を持ってしまっているように感じました。

 

世間の偏見やマイナスイメージがとても強いため、そのことをご自身も内面化してしまって、恥ずかしいとか、後ろめたいといった気持ちを抱かれる方は多いですね。さきほど申し上げた生活保護バッシングの時も、世間からの生活保護利用者への風当たりが大変強くなりました。我々生活困窮者支援団体も、当時、生活保護利用者へ向けた緊急の相談窓口を開設して、当事者の方たちの不安や悩みを相談できるようにしたのですが、当事者の方からは、バッシングキャンペーンが広がってからは周囲から見られているのではないかと恐怖を覚えたり、結果として外出できなくなったといった声もたくさん上がってきました。

 

生活保護バッシングをはじめ、多くの人が生活保護に対してこうした負の印象を持っていますが、本来生活保護は生活が困ったときに権利として利用できる制度なんです。これは2006年頃から私たちが行っている反貧困運動の中でも広報に努めているのですが、議員発言をはじめ、なかなかそうした認識が広まっていない、それどころか事実に反するような言説が広まってしまっている。

 

 

広がる無理解、福祉事務所職員にも

 

――稲葉さんは日本では生活保護の「権利」が「恩恵」、つまり「やってあげる」ものとして認識されていることの問題は常々ご指摘されていますね。

 

ええ。日本国憲法の25条には、「健康で文化的な最低限度の生活を保護する」という内容の規定があります。この規定は生存権と言われていますが、基本的人権の視点から、どんな人であろうと無条件に人間らしく生きることを保障するものです。生活保護は、この条文に基づいて生活困窮者の最後のセーフティネットとして存在しています。特に戦後、1950年に生活保護法の抜本改正が行われた時には、欠格条項、つまり「こういう人は生活保護を受けられませんよ」という規定はすべて取り払われ、無差別平等に生活に困っていれば誰でも制度を受けられるようになったんです。ですから生活保護は、本来は年金や失業保険と同じように、必要な人は誰でも引け目などを感じずに権利として利用できるものなんです。

 

しかし現実の運用としては、福祉事務所の職員により恣意的な判断がされていたり、水際作戦で追い返されたりして、無差別平等には支給されていない。そればかりか、現場では窓口に相談に来る人を不正受給や犯罪の予備軍と見なすような対応、発言などがされ、スティグマ強化に一役買ってしまっている。本来生活困窮者に寄り添うはずの制度、そしてそれを運用する側の人間が、利用者に対して差別や偏見の視線を向けてしまうことが非常に多いのです。

 

 

――福祉事務所からは、例えばどのような対応があったのでしょうか。

 

少し前のことになりますが、例えば2012年には東京都目黒区の総合庁舎において、「受付窓口での不当な要求や暴力に対する訓練」と称して、「生活保護の申請に来た来客に対して、職員が申請書を確認したところ、要件に該当しなかったことから受理を拒んだところ、来客者は、受理されないことに腹を立て興奮状態となり、刃物を出して振り回すという想定」のもと「危機対応訓練」が行われました。

 

そもそも福祉事務所の窓口には申請の受理を拒む権限はなく、仮に生活保護の要件に該当しない場合でも、調査をした上で却下決定を出すべきであり、申請自体を受け付けないというのは違法行為なのですが、そうした前提で訓練が行われた上、「支援を必要としている人」を犯罪予備軍とみなし、偏見を増長するものでした。

 

今年1月には小田原市の福祉事務所職員が「保護なめんな」と書かれたジャンパーを長年着用していた、という問題も発覚しましたが、こうした福祉事務所職員の無理解や偏見も生活保護行政が抱える大きな問題のうちのひとつです。

 

 

――本来制度を熟知して、当事者たちに寄り添うはずの職員が、なぜこのような対応をとってしまうのでしょうか。

 

福祉事務所の職員が、専門職採用でないことが大きな要因だと考えられます。横浜や川崎など一部の地域では、福祉事務所で専門職を採用していますが、全国ほとんどの自治体で専門職採用は行われていません。着任するまで全く別の職務にあった人、例えば税金の徴収窓口にいた人がいきなり福祉の窓口に回されるといったことが起こっています。当然、生活保護に関する専門的な知識は持っていない上に、一般の人が抱いているような負のイメージをそのまま持って業務をこなしていたりする。結果として、窓口で違法な対応がとられたり、申請者に対して不当な対応がとられたりするんです。

 

 

――窓口の職員自身が生活保護をめぐる問題をしっかりと理解していないと。

 

ええ。本来福祉事務所での生活保護の相談というのは、かなり多分野にわたる知識が必要な職務です。ホームレスの方をはじめ、知的障害や傷病を抱える方、DVや虐待の被害者など、複雑かつさまざまな問題を抱えた方がいらっしゃる。それぞれがセンシティブな問題で、専門的な知識を必要とするのですが、申し上げたように専門知識のない人が対応することになり、研修も不充分なので、申請の意思を挫くような発言や対応がとられたりする。そういう話が生活困窮者の間で広まって、余計に申請に行くのをためらう人が増えたりしています。

 

また、近年の生活保護利用者の増加に職員の数が追いついていないので、特に都市部の福祉事務所職員はオーバーワークになっています。そのため、福祉事務所は役所の中で不人気職場と言われており、ベテランが育たないという話もよく聞きます。

 

 

最低限の生活を保障する制度

 

――2013年には生活保護基準の引き下げが行われました。今あったような偏見や無理解が広まっていることもあり、引き下げに肯定的な意見もあちこちから聞こえていますが、引き下げが実行されたことでどのような問題が起こるのでしょうか。

 

生活保護基準の引き下げは、最低生活費の基準を下げることを意味します。最低生活費とは「ナショナルミニマム」とも言われ、国が国民に対して保障する生活の最低水準のことです。このナショナルミニマムの基準をもとにして、さまざまな社会保障制度が成り立っているます。つまり、生活保護の引き下げによりナショナルミニマムの基準が引き下げられるということは、「社会保障の岩盤」が崩れ、その他のいろいろな社会保障制度の基準が厳格化されることを意味します。

 

2013年の引き下げの際、私たちが国に問い合わせたところ、影響を受ける制度は38に上りました。1番影響を受けたのは就学援助の基準です。就学援助とは、生活保護世帯に限らず、低所得者世帯のお子さん向けに修学旅行費や学用品代等が支給される制度です。自治体によって支援額が異なるのですが、大体生活保護基準の1.1倍とか1.3倍に設定されているところが多い。つまり、生活保護の基準が下がるということは、就学援助の基準も厳しくなるということになります。場合によってはそれまで支援を受けてギリギリでやりくりしていた子供が支援を受けられなくなるということもある。生活保護基準の引き下げは、言うなれば日本の社会保障制度全体の地盤沈下なのです。

 

 

――生活保護費が年金よりも高いのはおかしい、といった声も聞かれますが、そのあたりはいかがでしょうか。

 

それはよくある誤解ですね。確かに、生活保護の基準と基礎年金の基準を比較して、生活保護基準が年金よりも高いことを指摘したり、最低賃金でフルタイムで働いた金額よりも生活保護費が高いことを指摘する声はあり、だからこそ生活保護基準を下げるべきだ、という意見はよく耳にします。

 

しかし生活保護の趣旨とは、「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」というものです。ですから年金収入や労働収入があっても、その収入では健康で文化的な生活を維持できない、というのであれば、足りない分だけ支援を受けるということも可能なんです。「補足性の原理」といいますが、これがあまり知られていない。

 

資本主義の世の中ですから、健康で文化的に暮らすには、どうしてもお金が必要になります。そのための最低ラインを決めているのが生活保護なんです。ですからそのラインに達していなければ、日本社会に暮らす全ての人たちが利用できる。こうした制度が理解されず、不正受給や年金との公平性などについての議論で生活保護基準を引き下げようというのは筋が通りません。そもそも、賃金との公平性などを議論するのであれば、最低賃金を上げることで公平性を担保すべきです。

 

 

――不正受給も実はとても限定的なんですよね。

 

ええ。予算ベースでいうと全体の0.5%以下です。ごく一部なのですが、あたかもそれが蔓延しているかのような印象が植えつけられている。メディアでも生活保護の問題が取り上げられる、といえば不正受給の話になりがちで、受給漏れの問題はほとんど取り上げられません。【次ページにつづく】

 

 

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