全ての人の「生」を肯定する――生活保護はなぜ必要なのか

扶養義務強化の課題

 

――生活保護の厳格化については、生活の困窮は家族で助け合うものとして扶養義務を強調する動きもあります。

 

芸能人をめぐるバッシングを受けて、2013年に生活保護法が改正され、民法上の扶養義務者、つまり親族への圧力を強化することを可能にする法改正が行われました。日本の生活保護制度は、各国の公的扶助制度、貧困対策に比べて、非常に家族主義的な側面が強い。これは民法で家族はお互いに助け合わなければならない、ということが定められているからなのですが、このため、生活困窮者に対しても、親族による扶養が生活保護に優先する、という規定があるんです。

 

従って、生活保護を申請すると、扶養照会といって、家族に問い合わせが行く。それが嫌で生活保護の申請に踏み切れないという方は結構いらっしゃいます。特に家族との関係が悪い方はこうした傾向が強く、事実上制度から疎外されてしまう。厚労省はDVや虐待などの事情があれば家族には連絡しないと言ってはいるのですが、当事者の方から話を聞くと、家族との関係に問題があるので連絡しないでほしいと言ったにもかかわらず連絡を取られそうになり、結果的に申請を諦めざるを得なかったということもあります。扶養義務の強調は、制度から排除される生活困窮者を増やすことになりかねません。

 

 

――DVなどは、連絡がついてしまうと大変ですよね。

 

そうなんです。確かに家族で助け合って、困難を乗り切るというのは美しい話かもしれませんし、実際に助け合っている家族もたくさんあります。しかし、生活に困窮している人の中には家族関係に何らかの問題を抱えている人が非常に多いのも事実です。たとえばDVだったり虐待だったり、家庭内で暴力や支配といった問題を抱え、それが精神的な疾患につながり働けなくなっている人もいます。

 

家族というのはブラックボックスなんです。何か問題を抱えていても、外からはわからないことが多い。40代50代になっても親との間の支配的な関係から抜けられず、精神的にコントロールされていることもある。障害年金などの収入を搾取されている場合もあります。逃げようと思って親元を離れても、他につながりがなくて、生活に困窮すると吸い寄せられるように親のところに戻ってきてしまったりする。

 

そうした状況にある人にとって、家族の助け合いを促すというのは支配関係を継続させ、貧困状況を引き延ばす要因になりかねません。自立を促すためにも、生活保護を利用して家族との距離を置き、困窮した生活状態から脱するための足掛かりにすることもあるんです。

 

 

――家族間での扶養を強調することで、子供が親の生活を支えなければならず経済的余裕がなくなり、結果的に貧困の世代間連鎖が起こるという話もあります。

 

ええ。ここ数年、貧困の世代間連鎖を断ち切ろうということで、子供の貧困対策が進んでいます。生活保護などの貧困世帯の子供たちへの無料学習支援も広がってきました。こうした一連の支援のおかげで、貧困世帯の子供たちの進学、就職にも一定の成果が出てきています。

 

しかし、家族の助け合いが強調されるようになると、進学して、独り立ちして、収入を得るようになった子供は、今度は親を養わなければならなくなる。教育支援や就労支援により、子供は生活保護から抜け出せても、どんどん年を取る親が生活保護から脱するのはかなり難しい。そうすると子供は延々と親の扶養という責務を負い続けなければならなくなります。その分、経済的に圧迫を受けることになり、生活が苦しくなったり、夢を諦めなければならなくなったりする。一方で経済的に余裕のある家庭に生まれた子供は、親の扶養から事実上、免除されています。子供たちの人生における公平性から考えても、家族の助け合いを制度化することには問題があると言わざるを得ません。

 

 

――家族だけでどうにかしようとした結果、一家で生活に困窮し、餓死した状態で発見される、といったニュースもありましたね。

 

生活保護に限らず、日本の社会保障制度全体に言えることですが、家族主義の弊害が出てきていると思います。介護でも、家族が介護するのを当たり前とするような社会的認識があって、制度もそうした家族主義を前提に取り決められているところがある。結果的に一人で負担を抱え込み、介護殺人に発展するようなケースもあります。生活困窮者の支援を行っている立場からすれば、家族に過度な負担がかかりすぎている現状があります。

 

自民党などの保守派には家族の助け合いを憲法にも盛り込もうとする動きがありますが、とんでもないことです。逆に社会が家族に押しつけてしまっている過分な負担をどう社会全体で分担するのか、といった視点で社会保障を組み立て直さなければならない、と考えます。

 

 

見えない稼働能力の有無

 

――生活保護に反対する論調として、生活保護を支給すると、利用者が働かなくてもお金がもらえると甘えてどんどん自立しなくなる、というものがありますが、この意見、現場の方としてはどのように感じますか。

 

稼働能力のある人、つまり働くことができる人の生活保護利用については、特に厳しい意見がありますね。2008年のリーマンショックで失業者が増えて生活保護利用者が増加したことで、働ける者が怠けて生活保護を受けるのはけしからん、楽をしていて許せない、といった論調が広がりました。確かに事実としてリーマンショック後、一時的に働ける年齢層の人たちの生活保護利用は増えました。しかし、これはその後、失業率が下がる中で減ってきています。そもそもナショナルミニマムを守ろうとする生活保護の趣旨から考えて、失業者が増えれば、その分生活が困窮する人も増えますから、利用者が増えるのは当然で、怠けているいないの問題ではないんです。稼働能力があるか否かと、稼働する場があるかは別の問題です。

 

現在、生活保護世帯のうち約8割は高齢者、障がい者、傷病者、母子世帯で占められています。それ以外の世帯を「その他の世帯」と区分し、稼働能力のある人たちの世帯はここに含まれます。「その他の世帯」への生活保護の支給は全体の2割弱を占めますが、世間ではその2割があたかも全員バリバリ働けるようなイメージで語られている。しかし実際には年齢としては50代くらいの方が多かったり、現時点では福祉事務所が傷病や障がいを認知していないだけで、実際には何らかの隠れた症状を抱えている人が多いんです。

 

例えば東京都立川市では2015年12月に、40代の生活保護を受けていた男性が就労指導に従わなかったとして保護を打ち切られた翌日に自殺するという事件がありました。現在、法律家やNPO関係者による調査団を組んで事実確認を行っているところですが、彼はよく周囲に「死にたい」と漏らしていたという証言もあり、うつ病を発症していた疑いがあります。しかし精神科の受診には至っておらず、福祉事務所は稼働能力がある前提で男性に接していた。福祉事務所としては、男性が働けるにもかかわらず仕事探しが不充分であった、という理由で保護を打ち切っているのですが、結果として精神的に追いつめてしまい、自殺という悲劇につながってしまったのではないかと思っています。

 

 

――診断されていないだけで、実際には働けない状況にある人も多いのですね。

 

一般的には、働ける人と働けない人を機械的に2つに振り分けることは簡単だと思われがちですが、現実的にはそこははっきりわかれているものではないんです。特に昨今は労働市場全体が、労働者に対して高いスキルを求めているので、精神疾患や発達障がいを抱えている方は一見して働けるように見えても、就労が難しいこともある。

 

高度経済成長期のような経済状況、労働環境であれば、多少の知的障がいを抱えていたり、字が読めなかったりしても、仕事に就くことができました。身体的に健康で、重労働を厭わなければ、肉体労働で働くことができたんです。しかし今は時代が変わって、産業構造が変わったため、人とのコミュニケーションが苦手な人はなかなか仕事に就けません。また職場環境も変わり、例えばメールやレポートでの業務報告が必須になっているため、字を読んだり書いたりするのが苦手な人にとって就労は困難になりました。

 

時代の変化とともに労働市場に参入するハードルが上がっている。従来のように単純に体が動くからとか若いからといった理由で、働ける働けないを分類できなくなっています。こうしたグレーゾーンの人たちの状況をきちんと踏まえて就労支援をする、寄り添い型、伴走型の支援が必要だと思います。

 

 

生活保護と人権

 

――冒頭でイギリスをはじめ外国では公的扶助は権利として社会全体に認知されているという話がありました。確かに日本ではそうした認識が薄いと感じるのですが、その理由はなんだと思いますか。

 

生活保護や社会保障の問題に限らず、やはり日本社会では基本的な人権が無条件に保障されるべきであるという認識が低いと思います。つまり当人が良い人か悪い人かということは関係なく、尊厳は守られ、最低限の生活が守られるべきだという価値観です。

 

日本での生活保護は、権利としてではなく、品行方正な弱者に対する恩恵として受け取られがちです。例えばリーマンショックの影響で2008年から2009年にかけて派遣切りが問題となり、メディアで貧困問題に関する報道が急増したことがありましたが、当時の報道の主流は、「これまで一生懸命働いてきたのに急に仕事を失って、生活に困窮している。それでも健気に生きている」という悲劇の美談なんです。もちろんその話自体は嘘ではないのですが、話の持っていき方が「かわいそうだから助けなければならない」という運びになっている。

 

これは裏を返せば「かわいそうに見えない人は助けなくていい」ということになりかねない。それが例えばホームレス問題に限らず、貧困高校生へのバッシングなどにもつながっているのでしょう。私たちの社会が「助けられる人」に対して、無意識のうちに「清く、正しく、美しく」あることを求めてしまっている。だからちょっとでも自分が持っている「“かわいそうな人”像」から外れると、徹底的に攻撃する、ということになるのではないかと思います。

 

確かにこうした美談的なストーリーを私たちのような支援関係者が利用することもありますし、そこをとっかかりに貧困や生活保護に関する問題を考えてもらえるのは有難いことです。しかし、繰り返しになりますが、生活保護は全ての人に最低限度の生活を保障するための制度なんです。これは全ての個人の「生」を無条件に肯定するという、基本的人権の価値観にもとづいたものです。

 

素行が良いか悪いか、勤労意欲があるか無いかは、客観的には判断できません。こうした指標を生活保護の利用に規定すれば、それは役所の窓口での恣意的な選別につながりかねない。そうした選別や排除が起こらないように、生活保護では欠格条項を全て廃止し、必要な人に無差別に支援をするように取り決めているのです。「かわいそう」に見えるかどうかで選別をするという日本人の社会保障に関する恩恵的な意識の背景には、人が生きるということを条件付きでしか肯定できない感性が蔓延しているのではないかと思います。

 

 

生活保護を正しく理解するためには

 

――ご著書の中あった「私たちの社会がいかに生活保護利用をめぐる偏見やスティグマにとらわれているかに気付かされる。それは当事者の身近にいるはずの支援者をも浸食している。」という一文が印象的でした。稲葉さんは、これまでこうした生活困窮者の方々に寄り添って支援をされてきたわけですが、どのような時にこうした支援者の中にある、無意識のスティグマをお感じになりますか。

 

私は「生活保護の利用は権利である」ということを本で書き、講演でも言っていますが、例えば将来、自分が生活に困窮し、生活保護が必要になった時に正々堂々と申請できるか、というと、おそらく葛藤すると思います。「落ちぶれた」と見られるのではないかと意識するでしょうし、申請したことを引け目を感じずに周囲に打ち明けられるかどうかも、あまり自信がありません。それは私自身も偏見やスティグマから自由になっていないからだと思います。

 

支援者の間でも、生活保護に「陥る」という表現がなされることがあります。それに対して当事者の方から「陥る」という表現にはマイナスイメージが付きまとうので、やめてほしいという意見が表明されたこともありました。

 

言葉や表現の問題は結構重要だと思います。私は生活保護を「利用」するという言葉を積極的に使うようにしています。「受給」だと、「恩恵を受けるもの」という受け身の印象が強い。そうした印象をなくすためにも「権利」として生活保護を「利用」する、という言葉を使うように気を付けています。

 

日弁連も「生活保障法」と名称変更をすべきではないかという提案を行っていますが、「生活保護」という名前も変えた方が良いと思います。「保護」という言葉は、受け身で守られているというニュアンスがつきまとうからです。韓国では「国民基礎生活保障法」と名称変更をしています。

 

もちろん名前を変えるだけで問題が解決するわけではありませんが、これだけマイナスなイメージがついてしまっている以上、名前を変えるのも一つの手かもしれません。

 

 

――そうしたところからスティグマや誤解を解いていくための努力をしていかなければならない。

 

そうですね。あとは何よりもまず、正確な情報を伝えるということです。私たちもネットやパンフレット、漫画などさまざまな媒体を通して発信していますが、こうした正しい情報が増えることが重要だと思います。

 

もう一つ重要だと思うのは、労働環境の改善です。これは本当によくある誤解なのですが、生活保護に対して「働かなくてお金がもらえていいですね」といったイメージを抱く方が多い。実際は、稼働能力のある人が生活保護を利用する場合、厳しい就労指導も行われているので、就労から免除されているということはないのですが、そうしたイメージがついてしまっているんです。

 

正しい情報の発信でそうした誤解は解いていかなければならないのですが、同時にそうしたイメージが蔓延する背景には、現在の労働環境自体が非常に劣化していることがあると感じています。著書の中では「徴兵逃れ」という表現を使っていますが、現代の社会では、労働がある種、兵役のような重いものとして人々の上にのしかかっているのではないかと。だからこそ、その「兵役」から逃れているように見える生活保護の利用者に対して、非常に厳しいバッシングが起こるのではないかと思います。ですから、生活保護に対する偏見を払拭するためには、劣悪な労働環境を変えていくことも同時に必要だと感じています。

 

 

――確かに、みんな自分が必死だからこそ、楽しているようにみえる人を許せない、という部分がありそうです。

 

そうなんです。生活保護のバッシングをしている方も、多くの方は毎日仕事や生活を頑張っているんだと思うんですよ。我慢して辛いことを頑張っているから、楽しているように見える人や、権利を主張して自分を守ろうとする人に辛く当たりたくなってしまうのではないかと思うんです。

 

ただ、私たちとしては、辛いなら自分のために声を上げていいんだよと伝えたい。今、全国29都道府県では生活保護基準引き下げは違憲であると当事者の方々が裁判を闘っています。スティグマや偏見が非常に強い中で彼らが声を上げるのはものすごく勇気のいることだったと思います。さらなるバッシングを受けることもあるでしょう。しかしこうした活動を通じて、自分も自分の生活や権利のために声を上げてもいいんだと思える人がひとりでも増えていけば、社会の雰囲気は変わっていくのではないかと思っています。

 

 

――生活保護を守るということは、ひいては自分の生活を守るということになるんですね。稲葉先生、お忙しいところありがとうございました。

 

 

稲葉氏

稲葉氏

 

 

※本稿はαシノドスvol.220からの転載です。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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