ファッションが日本の福祉を変える

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障害者と健常者が自然に混ざる社会を目指して、ファッションの現場から活動を行っているネクスタイド・エヴォリューション代表の須藤シンジさん(49)。「ピープル・デザイン」という新しい概念のもと、世界のトップクリエーターとコラボし、障害の有無を問わずハイセンスに着こなせるアイテムや、障害者を街に呼び込むためのイベントをプロデュースしている。

 

大学卒業後、丸井に入社し、販売、宣伝、バイヤーなどを歴任。次男が脳性まひで生まれたことで同社を退社し、2000年にマーケティングコンサルティング会社フジヤマストア、2002年にネクスタイド・エヴォリューションを設立。かつてない斬新な手法で、日本の福祉社会を本質から変えようとしている。(聞き手・構成/編集部・宮崎直子)

 

 

「意識のバリアフリー化」を目指して

 

―― 日本の障害者に対する考え方は、先進国のなかでも遅れていると聞きます。

 

一言で障害者といってもその障害の種別や度合いはさまざまで、ひと括りに語れるものではありません。私の次男は身体障害と知的障害をもっており、この10年ネクスタイドの活動を通して知り得た身体、知的、精神障害の方々を、このインタビューでは「障害者」と定義してお応えしていきたいと思います。

 

個人的にはある意味で高度成長期前夜の意識のまま、とめおかれているのではないかという印象をもっています。4年前の北京オリンピックの頃から、急速に発展を遂げる中国の都市部の様子を伝える時に、近代化の進む建造物の陰で、古く汚い場所や部分を塀で囲い、見せたくないものを全て隠しているというニュースがよく報道されていました。しかし、先進国においてそうした報道は見られません。日本の障害者に対する意識を考えると、この中国を報道した時の状態と似ていると感じています。

 

日本には健常者が生きている空間をオンステージとし、障害者ならびにマイノリティの人たちがとめおかれている領域がオフステージであるかのような意識が、まだ潜在的にあるのではないでしょうか。日本の教育現場では、一般クラスと障害者クラスに分かれています。私が子供の頃は、障害者クラスは「特別学級」や「特殊学級」と呼ばれていました。最近は「特別支援クラス」と呼称だけは変わりました。

私達夫婦は次男を中学校時代の3年間ニュージーランドの公立中学校に通わせていたのですが、日本同様英国の教育体系をベースに構築されたニュージーランドの学校運営のシステムでは、英語を補習する「特別クラス」はあるものの、障害の有無でクラスを分けるという形態はとっていませんでした。障害者も健常者もみんな一緒になって教育を受けていました。

なので、子供たちはさまざまな障害児を前にして「なんで足がないの?」「義足触ってもいい?」とか平気で聞いちゃうわけです。そして義足を触りながら「超かっこいいね」なんていってすぐに打ち解け、お互いの「違い」を容認するようになります。共存のカルチャーが初等教育の段階から当たり前のようにできているのです。

 

帰国後次男は現在、県立の養護学校に通っています。本来の養護学校校舎施設の収容定員に対して、入学対象者が大幅に膨れ上がり、最近は県立高校の空いた教室の一画を「分教室」として借りています。現場の先生方は、既存の県立高校(普通科)の教室を「借りている」養護学校分教室の立ち位置を、常時必要以上に気にされているように見えます。

障害者と健常者の違い、障害児と健常児の違いは、主幹省庁の縦割りの仕組みと制度の中で「大人達」によって幼少期から子供達に刷り込まれているように思えてなりません。いずれにせよ、障害の有無に差異をつけずマイノリティとの共生を前提に制度が構成されている諸外国に比較すると、日本の現状はとても特徴的であると考えます。

 

 

 

 

もう一つ例をあげます。日本では電車の駅のホームで、駅員さんが車いすの方の乗車を手伝っている光景がよく見られます。アナウンスを流しながら、3人がかりで車いすを持ち上げて、ときには電車の発車時間を遅らせることもあります。かたやヨーロッパでは、バスに乗ろうとしている車いすのおじいさんを、たまたま隣に居合わせた中学生がさっと持ち上げる。そうした場面が、自然に何ごともなく過ぎていきます。

 

施しではなく手伝うことが当たり前という価値観ができれば、たとえハンディがある人でもどんどん街に出ていくことができるのです。日本では、障害者はまるで違いが際立つスポットライトをずっと当て続けられているかのごとく、習慣を受け入れて過ごしているか、あるいは逆に全く無視されるかという状況が多いのではないでしょうか。

企業が善意の仕組みとして行っていることが、結果的に違いの意識を再生産している側面も同時に存在すると考えます。日本の道は都市部においては特に平らででこぼこが少ないですね。1991年にいわゆるハートビル法が施行させて以来、公共的な空間においても同様のことがいえます。バリアフリー化を進めるために政府が莫大な税金を投入しました。しかし、ヨーロッパでは石畳の道を平らにしようなんて誰も思っていません。むしろ石畳を残し、歴史的な建造物や文化を守ろうと考えています。

 

 

 

 

道が平らになり、盲人用の点字ブロックが設置され、ハード面でバリアフリー化が進んだといっても、障害者が街に出やすくなったわけではないのです。障害者はみな「外に出る」ことに恐怖感をもっています。慣れ親しんだ地域の中で、親族などが助けてくれるのを待つというふうにどうしてもなりがちです。

 

必要なのは、障害者と健常者双方の「心の壁」を壊すこと。私はそれを「意識のバリアフリー化」と呼んでいます。日本は両者の接触頻度が少ないので、ただ単に「慣れてない」という要素も大きい。白杖をついている視覚障害者が横断歩道の前にいたら「何か手伝いましょうか」と普通にいえる、そんな社会にするためには、もっとお互いに接する機会を増やせればいいと私は考えています。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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