2018.04.19

福祉は「性」とどう向き合うか――障害者・高齢者の性・恋愛・結婚

米村美奈 社会福祉学・臨床ソーシャルワーク

福祉 #障害者の性

後藤潔さん(仮名・22歳)は重度の身体障害者なので、外出もままならない。また、話し相手といえば学校の先生か保護者しかいない日々を送ってきたため、他者とのコミュニケーションに自信がない。女性との出会いを求めて街コン等に行きたいと思っても、以前ヘルパーに、にべもなく同行介助を断られた経験があり、今では頼む気すら失っている。

一般的に恋愛等は個人的な問題であり、周りはとやかく言うものではないと思われている。しかし、上記の後藤さんのような場合、個人の努力だけでは如何ともしがたい点があるのではないだろうか。以下、障害者・高齢者の性・恋愛・結婚と福祉との関わり方について考察する。

福祉現場のいま

 

社会福祉とは、生活上に何らかの障害がある者が、日常生活を維持・回復、さらにはよりQOLの高い生活が実現できるよう、サービス利用者とともに取り組む支援のことである。

WHO(世界保健機関)で採択されたICF(国際生活機能分類)には「障害と生活機能分類」という項目があり、そこでは性のノーマライゼーションが取り上げられているものの、福祉現場でそれらに積極的に取り組んでいるともいえない。福祉現場では、性に関するトラブルが起きると、多くの福祉従事者(以下、従事者)は、個人的な問題として受け止めて、根本的な解決に導びこうとせずに時間が過ぎるのを待つのが現状である。なお、個人的な問題というのは、利用者の問題としてではなく、従事者の問題として捉えてしまうことを指している。

たとえば、従事者がサービス利用者から性的な感情を伴う好意を持たれ、相手からの言動によって利用者に嫌悪感までも抱くことがある。また、業務経験の少ない若い介護士がケア中に身体を触られるが、利用者が認知症高齢者であるために言葉で制しても効力がなく、涙を流し耐え続けたりする。

あるいは、特別養護老人ホームで、判断能力の乏しい女性の認知症高齢者の部屋へ忍び込み、性的関係を持とうとする男性利用者に対して注意をするものの、事実関係がわからないため時の過ぎるのを静かに待っている……。今、現場には、このような従事者が多数いると思われる。

性のことでなければ、「ヒヤリハット」(重大な事故に至らない事例の発見)に記載して、今後危険や問題が起きないように組織的に対応するかもしれない。しかし、性に関することであれば、大きな問題にならないように静かに時の過ぎるのを待つということになりやすい。セクシュアル・ハラスメントと考えられることでさえも、表面化していないものも含めて、多くの課題が発生していると思われる。

一方、旭(1993:129‐145)は「施設介護における『性』」において、「性のニーズを発信させてもらえない、発信しても拒絶される否認を体験する」と、構造上の問題を取り上げながら、サービス利用者側からのニーズを論じている。たとえば、施設入所の際には、家族構成や趣味や嗜好など、さまざまな聴取を従事者が行い、日々の生活支援に役立たせていく。

しかし、その質問の中に性に関する質問事項はほとんどない。踏み込まれたくない人もいるからという考え方もあるだろうし、支援に役立たせることができなければ質問が興味本位なものにしかならないために、質問しないことが現状から妥当とも言えるだろう。こうして、入所当初から利用者の性に関心が寄せられないまま、生活全般を施設が支援することになり、そこに性のニーズがあっても表面化しない。

中には、サービス利用者から従事者が性行為の相手を依頼されて、愛のない行為はしたくないという自らの真の気持ちを伝えるための話し合いをして、誠実に対応する従事者もいる。突然、身体的障害のない認知症高齢者の男性から、覆いかぶさられ胸を触られた際に、力ではねのけると転倒する危険があると考え、冷静な対応をした若い女性介護士もいる。彼女は、専門的な対応によって対処すべきことだと考えている。こうしたことも事故事例として考えられるが、いかに適切に対応するかは、ほぼ個人的力量に委ねられているところが大きい。

熊坂(2008:50‐61)が行った高齢者施設職員への調査でも、4人に1人の職員が入所者同士の性的接触場面に遭遇しているが、その対応は施設全体ではなく従事者本人に任されていると結論づけている。たまたま担当したサービス利用者から、性に関することで対応が求められた従事者が、個別に対応するしかないといったふうに、性に関することが施設全体で受け止めるべきニーズと捉えられていないのが現状である。

 

福祉教育の現状

また、従事者を養成する学校の教育課程において、性のニーズやその支援について学ぶ機会は、ほぼ皆無と言ってよいであろう。強いて言えば、欲求のコントロール障害である「性的逸脱行為」として医学的側面から教授されるくらいかもしれない。

一般的な福祉の教科書で利用者のニーズや支援という角度から、性について取り上げられることもなければ、教員が特別に教えることもほとんどないまま、福祉現場に学生たちを従事者として送り出しているのが、現在の福祉の教育現場である。なぜ、このようなことが起こっているのであろうか。サービス利用者の性に関するニーズは皆無であるという認識があるからなのだろうか。それとも、性に関するニーズは福祉サービスの対象になり得ないと考えているからであろうか。

しかし、そのニーズ把握や支援対象に関する議論さえも乏しい現状がある。それゆえ、性に関することを学ばずにいるために専門的な判断ができずに、たんなる個人の価値観だけで、従事者も考え行動していかなければならなくなる。教育上の基礎的なベースがないために専門的な知識や技術を、従事者同士でも共有すること自体も難しい。

とくに性に関することは、プライベートなことであり、人前で話す内容ではないという常識的な判断から、職場で何が起こっても個人の胸に収めてしまう事柄となりやすい。だが、何も学べずに従事者になれば、性に関することを支援するという視点も、そもそも生まれないとも言えるであろう。

 

福祉従事者による性のニーズの支援における障壁

また、上記で取り上げられていない、さまざまな従事者が悩む事例からも、支援上の課題が見えてくる。その一つが社会規範の観点で、これは性的な行為の介助という面でわかりやすく出てきやすい。つまり、道徳的にも、食事介助や排泄介助の延長線上に、性的な介助が認められるものではないという考えである。

性に関することはどこまでも「快楽」であって、「権利」という側面で考えにくい。いくら介護の業務上に発生し、業務上の人間関係から性のニーズが発見されても、従事者が性に関する介助は業務上行えない。それに対して、どのように関わるべきなのかを示す指針もない。社会福祉という公的資金が導入されている施設やマンパワーにおいて、性のニーズ、とくに性的行為への介助などを、従事者が満たすということに国民の同意があるわけではない。

たとえば、介護保険制度において、訪問介護(ヘルパー)サービスでは、草むしりなどは生活上に必要性があっても保険外のサービスとなる。ギャンブルや飲酒のための外出の介助も適応外であり、社会通念上適当ではないと考えられる。法令上規定される内容の場合もあるが、はっきりした線引きがなく、主観を伴う価値観が判断の基準となることもある。

国民の同意が得られない(と思われる)サービス提供は、社会通念上不適当と考えられるのである。あくまでも社会で対応すべき問題ではなく、プライベートなことと捉え、公共財を使用せずに私的に解決すべきだとする考え方である。したがって、プライベートだと現在考えられているものが社会的な課題として取り上げられるためには、それ相応の深い議論や時間が必要となる。

2つ目に、利用者の判断能力がつねに課題となる。利用者が自律的に考え行動できる場合は、利用者の自己決定の上で支援できる可能性もあるだろう。だが、判断能力の乏しい利用者への対応は複雑になる。こうした場合は、性のニーズへの支援とともに考え整理しなければならない課題も大きく、支援が難航する。

3つ目に理論的な根拠がない点である。これは1つ目の課題との関係とも深いが、前述したように、「快楽」を求める支援まで福祉のニーズとして考えられるのかどうかという点である。つまり、性に関する支援は、食事の提供のように生死に関わるニーズではなく、より高い生活上の欲求の充足を実行するのかどうかということである。

ただし、性のニーズを充足することについて、すべて「快楽」のみの充足であるという性急な判断をしてはならない。どのようなニーズが、その利用者にあるのかをアセスメントする必要性がある。性のニーズを利用者が表明したとしても、真のニーズは性欲ではなく、「精神的な人とのつながり」である可能性も十分に考えられるからだ。とはいえ、性に関する支援の指針づくりは、利用者にとっても従事者にとっても必要となるであろう。 

高齢者や障害者の性に関する欲求

どんなことでも個人差があるように、性のニーズも高齢者、障害者と十把一からげに語ることはもちろんできない。当然、高齢者や障害者の性のニーズも多様性がある。

高齢者の利用が増えたためにシニア割引を始めたり、バリアフリー化するラブホテルも増加している。ED治療薬を処方している人の内、40%近くが65歳以上の男性であるという病院もある。熱心に性風俗店に通う高齢者の姿も珍しくない。反対に高齢者の夫婦間で性生活を求めてくる夫を毛嫌いし、介護施設へ入所させてほしいと懇願する高齢の妻もいる。

手足が動かせない頚椎損傷の障害者は、勃起するが夢精はない。また、性欲は健常者同様にある。しかし、マスターベーションが自力でできないために、飽きるまでアダルト動画を見続けるしか性欲を解消する方法がないという。あるいは、自慰グッズに自助具が取り付けられれば1人でマスターベーションが可能となる男性もいるが、自力で取り付けられない場合には介助が必要となる。一般の性風俗店でも、障害者を受け入れているところもある。数は少ないが障害者専用の性風俗店を利用する人もいる。

また、全身性の障害をもつ人々で中高年になっても、実際に女性の裸を見たこともキスをしたこともなく、一度でいいから女性の身体を触わりたかったと言いながら亡くなっていく人もいる。また、勃起や射精機能が失われていても、擬似恋愛を愉しむために性風俗店を利用する人もいる。一方、本人の希望を叶えるために、やっとの思いで子どもを性風俗店に連れて行く親もいる。反対に、寝た子を起こすなという発想から、そうしたことに触れないようにしている親もいる。

以上の性のニーズへの支援を考える際には、性的接触や性行為そのものという狭い範囲でとどまるのではなく、その前提(出会いの支援等)となるニーズ、すなわち、そばに寄り添ってくれる人がほしい、恋人との出会いやデートをするなどといった、障害のない人たちがごく一般的に可能な行為が含まれている可能性も考える必要があろう。

 

利用者の性のニーズを取り巻く障壁

ここまで高齢者、障害者、従事者の性のニーズに関する現状や課題をみてきた。ここまで取り上げてきても、どこかこのテーマを「問題視」する視点から主題化していることに気づく。それは当の本人ではなく、周囲がそれをどう解決するのかという対策的な見方である。

たとえば、高齢者の恋愛は特異なものと認識されており、身辺の自立もままならない状況の中での性のニーズは、二の次だと考えられている。一見、積極的にアプローチする理由は見当たらない。この現状を乗り越えるための視座を検討するために、以下、改めて利用者の性のニーズを取り巻く障壁を整理しておきたい。

1つ目が人間関係構築への障害である。障害者の中には、「恋をしてはいけない」と厳しく親から言われたり、その自由を制限される者がいる。性を考えるときに相手の存在は非常に重要だが、障害者への差別や偏見も含み、人間関係を構築し深めること自体が妨げられている。人間関係を構築し、個人的な性的関係を持てる相手にめぐり合う道のり自体に障害があるのである。

2つ目が情報弱者になりやすい環境である。インターネットの普及で随分便利になったが、インターネットの使用自体に介助を必要とする場合には、情報入手において困難が生じる。また、施設利用者であれば、限られた人から限られた情報しか収集できないことがある。

3つ目に障害や年齢による身体的な機能障害である。これも個人差が大きい問題だが、性行動上の大きな障壁である。

4つ目にプライベートな事柄だが、施設利用者は性に関する事柄においても未然防止的に施設で管理される対象となり、自由な選択が難しい。ここでは、密室的な部屋の確保ができない施設の物的環境の障壁もある。

以上にあげた障壁は、単独で起こっているのではなく、重なり合って現状を作り出している。障壁に対して、従事者はどのように考えていくのか。まずは、障壁そのものを認識し、障壁除去について議論のテーブルに載せることが肝要であろう。

福祉従事者の支援に求められるもの

 

(1)自己決定に対する「ノー」

福祉実践の中で従事者は、環境を整え有用な情報提供をしながら、どのような生活を利用者が営んでいきたいのか、利用者が自己決定できるように支援すべきと考えられている。利用者が何らかの事情によって自己決定が困難な場合、従事者は「困難」を取り除かなければならないのだ。

とくに、他者の介助なしには生活が成り立たない、または施設でしか生活できないという選択肢が狭い状況に、障害者や高齢者が置かれている背景を十分に考慮した対応をしなければ、従事者の側が決定権を持って主導したつもりではなくても、従事者の価値観を押し付け、利用者の自己決定を妨げる行為をしてしまうだろう。

とはいえ、自己決定の尊重に重きを置いた支援を考えたとしても、介助者である従事者が「実践すべきではない」「実践に躊躇する」と感じるものや、必要ないと感じるものに対し、それでも支援しなければならないとは言えないだろう。

たとえば、「ソープランドへ行きたい利用者の希望」をそのまま叶えることに、従事者が疑問をもち二の足を踏む場合があろう。専門職である従事者自身がやりたくないと感じたり、不適切だと考える支援が、福祉現場において適切に継続的に誰にでも実施できる普遍化された支援になっていくとも考えにくい。福祉実践では個別性の尊重も重要だが、一方で支援の普遍性も考え、「公共財」としての社会福祉を考えることも必要となる。

支援を展開する場合に利用者はもちろんであるが、支援に携わる従事者の気持ちや考えをも考慮していかなければ、福祉実践は成立しないと考えられる。これは、従事者が支援の展開の中でぶつかる倫理的ジレンマとしての側面もあるが、このような問題こそ、公に論議していく意味があると考えられる。

つまり、従事者の考え方や気持ちを伝えた上で、支援内容を吟味することが必要であり、そこで行われる利用者との対話が、支援そのものに発展していくと言えるのである。従事者の気持ちも大切にすると同時に、利用者の気持ちや状況を十分理解すべく、利用者の話をじっくり聴かなければならない。

しかし、「利用者の要望に応えられない理由」が「何となくしか説明できない」や「個人的な好みの問題」ということで、利用者の判断した自己決定の要望に応えられないと言って、ニーズを無視することは専門職としては許されるわけではない。一人ひとりの生活を豊かにすることを目指す福祉実践において、利用者の生活上に発生したニーズに対し、どのように対応していくのかをないがしろにはできない。

サービス提供するかどうかという決定だけではなく、その決定に至るプロセスも大切にしたい。現在、利用者と従事者が他の生活上のニーズと同様に、福祉現場で性のニーズに関する話し合い(対話)がどれくらい行われているか、真摯に考えてみる必要があるのではないか。

(2)福祉従事者の当事者性と自己開示

宮本節子は、社会福祉が性に関することが深められないのは、性の当事者性の問題からだと指摘している(宮本2013:97)。

それは、以下のように考えられる。福祉施設に勤める職員は、高齢者でも障害者でも児童でもなく、当たり前であるが、支援対象となる当事者ではないため当事者性が乏しい。そのため、対象者の抱える問題に対し、立場性を超えて自分に引き寄せて考えることに限界が起こりやすい。

たとえば、性に関する何らかの課題をもつ利用者が多いとされる婦人保護施設において、性に関することに携わる際に、従事者には性がないとはもちろん言えない。だが、性の問題を当事者として考えることができていない。

誰しもが、性を持つ存在として生きているのである。そうした当事者性を問わないのであれば、真正面から利用者と性について語り実践することや、性を利用者のニーズや課題として取り上げる事はできないだろう。

つまり宮本は、対人援助の原理として、当事者性をもつことを重要視しているのである。「婦人保護施設内で性を課題とするときに、自己と他の職員の当事者性といかに向き合うかが大きな課題となる。自己の性意識をおびやかされず、傷つかずにはすまされない、地雷原を渡るようなものとなる」(宮本2013:106)。

さらに宮本は性に関する課題提起として、「課題意識による実践の積み重ねはあまりなく、これからの大きな課題となろう」(宮本2013:107)と実践課題を指摘している。これは従事者の自己開示の課題としても考えられるであろう。従事者として、どのように自らは考えるのかを表明していく必要が出てくるのである。

事者は、困っている人が目の前にいるときに無関心でいられずに手を差し伸べる。この行為が他者に対する援助の根本的な動機として存在する。

実践家でもあり社会福祉学者でもある阿部志郎は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分かち合いながら、その人びとのもつ『呻(うめ)(うめ)き』への応答として深い思索を生み出す努力であるところに、特徴がある」としている。「『呻(うめ)き』を全体的=全人格的に受けとめ、いかに主体的な自己の存在をあげて対応するかが問われるので、知識や技術をどう活用し生かすかの『態度』と『精神』の問題となる。『呻(うめ)き』は、局部の痛みというより魂の痛みだからである」とも述べている(阿部2008:8)。

他者の痛みや苦しみを全人格的に受け止めるとは、他者の痛みをまるで自分の痛みのように感じ取り、受け取るということである。それは、他者の痛みに共感し、思わず手を差し伸べる精神にほかならない。他者に対し、当事者性をもって相対することが支援の基盤なのだ。

要するに、当事者性をもつということは、従事者自身が自分のことを抜きに考えるのではなく、内省する態度が不可欠になるということである。評論する態度で相手をみるのではなく、自分の課題として考える姿勢を従事者がもつことで、新たな支援関係が生まれる可能性もある。

従事者が当事者性をもって、支援を展開する事例が多く生まれてくることによって、福祉分野としての性に関する事例研究が進むと考えられる。こうした知の蓄積の中で、一つひとつの事例を丁寧に分析し、さらには事例から学ぶという姿勢が、従事者や教育・研究者に求められていると考える。

引用・参考文献

・旭洋一郎(1993)「障害者福祉とセクシュアリティ――問題の構造とケアの課題」『社会福

祉学』34(2)、129‐145頁。

・阿部志郎(2008)『改訂版 福祉の哲学』誠信書房。

・熊坂聡(2008)「『高齢者施設入所者の性』に対する職員の認識と対応についての考察――

山形県内施設の調査から」『介護福祉学』15(1)、50‐61頁。

・宮本節子(2013)「差別、貧困、暴力被害、性の当事者性――東京都5施設の実態調査から」

・須藤八千代・宮本節子編著(2013)『婦人保護施設と売春・貧困・DV問題』明石書店、

97‐106頁。

・結城康博・米村美奈・武子愛・後藤宰人(2018)『福祉は「性」とどう向き合うか――障

害者・高齢者の恋愛・結婚』ミネルヴァ書房。

プロフィール

米村美奈社会福祉学・臨床ソーシャルワーク

淑徳大学総合福祉学部社会福祉学科教授。学部卒業後に大学病院にてソーシャルワーカー(社会福祉士・精神保健福祉士)として15年間ほど相談支援業務に従事し、現職に至る。 

研究領域は社会福祉学・臨床ソーシャルワーク。著書に『臨床ソーシャルワークの援助方法論 人間学的視点からのアプローチ』、『長谷川よし子の生涯 マハヤナ学園と共に』、『総合福祉の基本体系』、『ソーシャルワーカーのための病院実習ガイドブック』、『福祉は<性>とどう向き合うか』など多数。

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