福祉は「性」とどう向き合うか――障害者・高齢者の性・恋愛・結婚

高齢者や障害者の性に関する欲求

 

どんなことでも個人差があるように、性のニーズも高齢者、障害者と十把一からげに語ることはもちろんできない。当然、高齢者や障害者の性のニーズも多様性がある。

 

高齢者の利用が増えたためにシニア割引を始めたり、バリアフリー化するラブホテルも増加している。ED治療薬を処方している人の内、40%近くが65歳以上の男性であるという病院もある。熱心に性風俗店に通う高齢者の姿も珍しくない。反対に高齢者の夫婦間で性生活を求めてくる夫を毛嫌いし、介護施設へ入所させてほしいと懇願する高齢の妻もいる。

 

手足が動かせない頚椎損傷の障害者は、勃起するが夢精はない。また、性欲は健常者同様にある。しかし、マスターベーションが自力でできないために、飽きるまでアダルト動画を見続けるしか性欲を解消する方法がないという。あるいは、自慰グッズに自助具が取り付けられれば1人でマスターベーションが可能となる男性もいるが、自力で取り付けられない場合には介助が必要となる。一般の性風俗店でも、障害者を受け入れているところもある。数は少ないが障害者専用の性風俗店を利用する人もいる。

 

また、全身性の障害をもつ人々で中高年になっても、実際に女性の裸を見たこともキスをしたこともなく、一度でいいから女性の身体を触わりたかったと言いながら亡くなっていく人もいる。また、勃起や射精機能が失われていても、擬似恋愛を愉しむために性風俗店を利用する人もいる。一方、本人の希望を叶えるために、やっとの思いで子どもを性風俗店に連れて行く親もいる。反対に、寝た子を起こすなという発想から、そうしたことに触れないようにしている親もいる。

 

以上の性のニーズへの支援を考える際には、性的接触や性行為そのものという狭い範囲でとどまるのではなく、その前提(出会いの支援等)となるニーズ、すなわち、そばに寄り添ってくれる人がほしい、恋人との出会いやデートをするなどといった、障害のない人たちがごく一般的に可能な行為が含まれている可能性も考える必要があろう。

 

 

利用者の性のニーズを取り巻く障壁

 

ここまで高齢者、障害者、従事者の性のニーズに関する現状や課題をみてきた。ここまで取り上げてきても、どこかこのテーマを「問題視」する視点から主題化していることに気づく。それは当の本人ではなく、周囲がそれをどう解決するのかという対策的な見方である。

 

たとえば、高齢者の恋愛は特異なものと認識されており、身辺の自立もままならない状況の中での性のニーズは、二の次だと考えられている。一見、積極的にアプローチする理由は見当たらない。この現状を乗り越えるための視座を検討するために、以下、改めて利用者の性のニーズを取り巻く障壁を整理しておきたい。

 

1つ目が人間関係構築への障害である。障害者の中には、「恋をしてはいけない」と厳しく親から言われたり、その自由を制限される者がいる。性を考えるときに相手の存在は非常に重要だが、障害者への差別や偏見も含み、人間関係を構築し深めること自体が妨げられている。人間関係を構築し、個人的な性的関係を持てる相手にめぐり合う道のり自体に障害があるのである。

 

2つ目が情報弱者になりやすい環境である。インターネットの普及で随分便利になったが、インターネットの使用自体に介助を必要とする場合には、情報入手において困難が生じる。また、施設利用者であれば、限られた人から限られた情報しか収集できないことがある。

 

3つ目に障害や年齢による身体的な機能障害である。これも個人差が大きい問題だが、性行動上の大きな障壁である。

 

4つ目にプライベートな事柄だが、施設利用者は性に関する事柄においても未然防止的に施設で管理される対象となり、自由な選択が難しい。ここでは、密室的な部屋の確保ができない施設の物的環境の障壁もある。

 

以上にあげた障壁は、単独で起こっているのではなく、重なり合って現状を作り出している。障壁に対して、従事者はどのように考えていくのか。まずは、障壁そのものを認識し、障壁除去について議論のテーブルに載せることが肝要であろう。

 

 

福祉従事者の支援に求められるもの

 

(1)自己決定に対する「ノー」

 

福祉実践の中で従事者は、環境を整え有用な情報提供をしながら、どのような生活を利用者が営んでいきたいのか、利用者が自己決定できるように支援すべきと考えられている。利用者が何らかの事情によって自己決定が困難な場合、従事者は「困難」を取り除かなければならないのだ。

 

とくに、他者の介助なしには生活が成り立たない、または施設でしか生活できないという選択肢が狭い状況に、障害者や高齢者が置かれている背景を十分に考慮した対応をしなければ、従事者の側が決定権を持って主導したつもりではなくても、従事者の価値観を押し付け、利用者の自己決定を妨げる行為をしてしまうだろう。

 

とはいえ、自己決定の尊重に重きを置いた支援を考えたとしても、介助者である従事者が「実践すべきではない」「実践に躊躇する」と感じるものや、必要ないと感じるものに対し、それでも支援しなければならないとは言えないだろう。

 

たとえば、「ソープランドへ行きたい利用者の希望」をそのまま叶えることに、従事者が疑問をもち二の足を踏む場合があろう。専門職である従事者自身がやりたくないと感じたり、不適切だと考える支援が、福祉現場において適切に継続的に誰にでも実施できる普遍化された支援になっていくとも考えにくい。福祉実践では個別性の尊重も重要だが、一方で支援の普遍性も考え、「公共財」としての社会福祉を考えることも必要となる。

 

支援を展開する場合に利用者はもちろんであるが、支援に携わる従事者の気持ちや考えをも考慮していかなければ、福祉実践は成立しないと考えられる。これは、従事者が支援の展開の中でぶつかる倫理的ジレンマとしての側面もあるが、このような問題こそ、公に論議していく意味があると考えられる。

 

つまり、従事者の考え方や気持ちを伝えた上で、支援内容を吟味することが必要であり、そこで行われる利用者との対話が、支援そのものに発展していくと言えるのである。従事者の気持ちも大切にすると同時に、利用者の気持ちや状況を十分理解すべく、利用者の話をじっくり聴かなければならない。

 

しかし、「利用者の要望に応えられない理由」が「何となくしか説明できない」や「個人的な好みの問題」ということで、利用者の判断した自己決定の要望に応えられないと言って、ニーズを無視することは専門職としては許されるわけではない。一人ひとりの生活を豊かにすることを目指す福祉実践において、利用者の生活上に発生したニーズに対し、どのように対応していくのかをないがしろにはできない。

 

サービス提供するかどうかという決定だけではなく、その決定に至るプロセスも大切にしたい。現在、利用者と従事者が他の生活上のニーズと同様に、福祉現場で性のニーズに関する話し合い(対話)がどれくらい行われているか、真摯に考えてみる必要があるのではないか。

 

 

(2)福祉従事者の当事者性と自己開示

 

宮本節子は、社会福祉が性に関することが深められないのは、性の当事者性の問題からだと指摘している(宮本2013:97)。

 

それは、以下のように考えられる。福祉施設に勤める職員は、高齢者でも障害者でも児童でもなく、当たり前であるが、支援対象となる当事者ではないため当事者性が乏しい。そのため、対象者の抱える問題に対し、立場性を超えて自分に引き寄せて考えることに限界が起こりやすい。

 

たとえば、性に関する何らかの課題をもつ利用者が多いとされる婦人保護施設において、性に関することに携わる際に、従事者には性がないとはもちろん言えない。だが、性の問題を当事者として考えることができていない。

 

誰しもが、性を持つ存在として生きているのである。そうした当事者性を問わないのであれば、真正面から利用者と性について語り実践することや、性を利用者のニーズや課題として取り上げる事はできないだろう。

 

つまり宮本は、対人援助の原理として、当事者性をもつことを重要視しているのである。「婦人保護施設内で性を課題とするときに、自己と他の職員の当事者性といかに向き合うかが大きな課題となる。自己の性意識をおびやかされず、傷つかずにはすまされない、地雷原を渡るようなものとなる」(宮本2013:106)。

 

さらに宮本は性に関する課題提起として、「課題意識による実践の積み重ねはあまりなく、これからの大きな課題となろう」(宮本2013:107)と実践課題を指摘している。これは従事者の自己開示の課題としても考えられるであろう。従事者として、どのように自らは考えるのかを表明していく必要が出てくるのである。

 

事者は、困っている人が目の前にいるときに無関心でいられずに手を差し伸べる。この行為が他者に対する援助の根本的な動機として存在する。

 

実践家でもあり社会福祉学者でもある阿部志郎は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分かち合いながら、その人びとのもつ『呻(うめ)(うめ)き』への応答として深い思索を生み出す努力であるところに、特徴がある」としている。「『呻(うめ)き』を全体的=全人格的に受けとめ、いかに主体的な自己の存在をあげて対応するかが問われるので、知識や技術をどう活用し生かすかの『態度』と『精神』の問題となる。『呻(うめ)き』は、局部の痛みというより魂の痛みだからである」とも述べている(阿部2008:8)。

 

他者の痛みや苦しみを全人格的に受け止めるとは、他者の痛みをまるで自分の痛みのように感じ取り、受け取るということである。それは、他者の痛みに共感し、思わず手を差し伸べる精神にほかならない。他者に対し、当事者性をもって相対することが支援の基盤なのだ。

 

要するに、当事者性をもつということは、従事者自身が自分のことを抜きに考えるのではなく、内省する態度が不可欠になるということである。評論する態度で相手をみるのではなく、自分の課題として考える姿勢を従事者がもつことで、新たな支援関係が生まれる可能性もある。

 

従事者が当事者性をもって、支援を展開する事例が多く生まれてくることによって、福祉分野としての性に関する事例研究が進むと考えられる。こうした知の蓄積の中で、一つひとつの事例を丁寧に分析し、さらには事例から学ぶという姿勢が、従事者や教育・研究者に求められていると考える。

 

 

引用・参考文献

 

・旭洋一郎(1993)「障害者福祉とセクシュアリティ――問題の構造とケアの課題」『社会福

祉学』34(2)、129‐145頁。

・阿部志郎(2008)『改訂版 福祉の哲学』誠信書房。

・熊坂聡(2008)「『高齢者施設入所者の性』に対する職員の認識と対応についての考察――

山形県内施設の調査から」『介護福祉学』15(1)、50‐61頁。

・宮本節子(2013)「差別、貧困、暴力被害、性の当事者性――東京都5施設の実態調査から」

・須藤八千代・宮本節子編著(2013)『婦人保護施設と売春・貧困・DV問題』明石書店、

97‐106頁。

・結城康博・米村美奈・武子愛・後藤宰人(2018)『福祉は「性」とどう向き合うか――障

害者・高齢者の恋愛・結婚』ミネルヴァ書房。

 

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