2020.11.26

ALS嘱託殺人という出来事――なぜ異性介助が問題とならないのか

河本のぞみ 作業療法士

福祉

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気を、どのくらいの人が知っているだろうか。

難病中の難病と言われたりする。日本で約10000人(平成27年9430人)罹患しているが原因は不明だ。徐々に全身の筋肉が動かなくなり、それはやがて嚥下や呼吸をする筋にも及ぶ。

こう聞くと、恐ろしさでいたたまれなくなるが、多くの人は(私も含めて)自分は罹らないと思っている。だが、誰でも罹りうる病気だ。

当事者はどんなふうに暮らしているか

私は訪問看護ステーションで仕事をする作業療法士だ。訪問看護の利用者の疾患でALSはちっとも珍しくない。厳しい病気であることには違いないが、病態は様々で、10年以上呼吸苦もなく電動車いすで一人で外出して暮らせている人も居れば、半年くらいの間に立ち上がれなくなり嚥下ができなくなる人も居る。機能低下の最中にある人は日々その症状に直面するのだから、不安は大きい。もちろん家族も介護という仕事がどこまで大きくなるのか考えるだけでも気持ちは押しつぶされそうになるだろう。

私たちの仕事は、病状に対するケア‐リハビリテーション職であれば、コンディションを整えるための四肢胸郭のストレッチや運動、動作がしやすくなるための環境調整、つまりベッドの高さや家具の配置などから住宅改修、車いすや便器の仕様、様々な福祉用具の適合調整、そしてどんなことになっても暮らせるよ、ということを伝え、その方法を提案していくことだ。

実際、全く動けなくなっても自宅で暮らしている人たちが居る。食事は胃ろうから注入し、人工呼吸器を装着し、痰の吸引をし、重度訪問介護という制度で家族ではなくヘルパーの長時間の介護で暮らしを支える。その中で、仕事をしたり旅を楽しむ人も居る。最近では国会議員になった舩後靖彦氏が、知られた存在だろう。2018年に亡くなった物理学者のスティーブン・ホーキング氏は最も有名なALS者でもある。

有名な力ある人だから、特別な才能があるから、身体が動かなくなっても自宅で暮らせるということではない。だれでもそういう暮らしは可能だし、私たち(在宅ケア支援者)は普通の市民がALS者として普通に、家族と(家族介護によらず)、あるいは一人暮らししている例を少なからず知っている。とは言えそれは、自分の身に起こった経験としてではなく、支援者として限られた時間を共有している時に様子を垣間見るだけだ。また、そういう暮らしが落ち着くには、それなりの葛藤や修羅場や奮闘があることも事実だ。(あの頃は地獄だったという回想を聞いたことがある)。

当事者というのは、その立場を引き受けざるを得ない、一瞬たりとも替わりがない人のことだ。初めて直面することがらに一人きりで対峙する(家族も当事者家族として直面する)。はたで見て動きが悪くなってきたとわかるずっと以前に、当人は動きがおかしいと気づき、それを口に出さずにいる時間がある。その間、何と孤独だろう。そしてALSの診断がついて、その後もずっとできなくなるという経験が続く。

「まだ飲み込めます。今のところはね」「今のところは、なんとか座っていられます。」彼/彼女らは、そんな風に「今のところはね」と言う。軽く言っているように聞こえるが、「今のところ」は常に注意深く自身によりチェックされ、重い唾を飲み込んでいる。

リハビリテーションで進行を遅らせることはできない。様々な努力をされていて進行が遅い人はいるが、努力にかかわらずそういう病態なのであって、進行が速い人は努力が足りなかったわけでは決してない。(だからといってリハビリテーションの技術が無効というわけではない。呼吸に関するケア、そして機能低下に応じて有効で実際的な環境調整と介助方法の提案、特に低下の速度が速い場合は、その速さに間に合うように素早く環境を変えていかないといけない。これはかなり時間勝負となる)。

厳しい病気になると、なぜ自分が?と思い、何か悪いことをしただろうか?と問う。病気はなにかの罰ではないのに、そう思ったりする。また、知人がこの病気になったと知らされたら、なんと声をかけていいかわからなくなり距離を置こうと思ったり、当人に原因があるのではないかと思ったり、気の持ちようだなどとお角違いの慰めを言ったり、代替療法を勧めたりする。インターネットでいち早く多数の情報を得る人もいるし、それを伝えてくる人もいる。ありがたいこともあり、ありがた迷惑なこともまたあるだろう。

日常生活というものは、厳しい病気の最中でも普通に流れていく。患者として病院にいる間は、治療中という仮の状態で、生活を一時棚上げして病人仕様の環境で過ごす。だが、家では、今までの日常の続きにいる家族の中に、動けなくなっていく身体を持って参入していくから、大いに波風が立つ。いら立ち、怒り、困惑、無力感、繰り返されるなぜ?そして疲労、、、。傷つく。本人も、そして家族も同様に。

それでも生活というものは小さないつものことで成立している。飼い犬のいつもの仕草に「先にチコに餌やって」と家族に言うとか、シャンプーは前使ってたものの方がよかったとか、サキちゃんが欲しいランドセルの色は薄紫なんだって!とか、あのチェックのシャツ出してとか、マッサージ用イボイボ付き肩たたき、お父さん(ALS本人)がいいって言ったから自分用に買っちゃった(妻)とか、そんな些細な家族共通の話題と、ベッドから車いすに移乗するのが命懸けとか、むせが激しいから食事形態を変えるとか、胃ろうからの注入を1日3回にするとか、夜間の吸引が3時間続き寝不足とか、そういうハードコアなことが併存する。

もちろんハードコアの部分が、生存に関わる事柄で、当人にも家族にも1番重くのしかかる。だが、日常の些細なことが暮らしを支える大事な要素に違いなく、それは当人と家族、介護者との関係から生まれる小さな油のようなもので、暮らすということへのエネルギー供給に作用している(ように見える)。

支援に入る私たちは、どこまで行っても生活の断片を垣間見るのに過ぎない。他人の私との会話で見せる顔とは違う顔で、夜中に暗闇を見つめているに違いないと思う。うかがい知れない部分だ。

死にたい気持ちはよくわかる、と割と簡単に私たちは言う。

だが本当にそうだろうか?

当事者ではないということは、身体の自由を失うプロセスを経験しておらず、日々その不自由さに折り合いをつけるという手間を経験しておらず、その経験の中にある発見ということを知らず、いずれ呼吸苦が来たらどうするか考える、あるいは考えないようにするという重い課題が目の前になく、景色が違って見えることを知らず、微細になっていく身体の感覚を知らない。

身体の内部にじっと目を凝らす時間を持たず、身体の信号に耳を澄ます機会を持たず、この身体の条件で何ができるか延々と思いを巡らすことをせず。ただ単に、今ある自由さや仕事をしている自分を基軸に、もしこれができなかったらと一足飛びに寝たきりの自分を想像し、それはつらいわ、生きてる甲斐ないわ、と言ってしまう。

だが多分、当事者とは全然違う立ち位置にいるままで、そう言い放っている。

京都でおこった事件

一人暮らしをしていたALSの女性、林優里さん(当時51歳)が嘱託殺人で亡くなられていたことが、その容疑者が逮捕された報道で衝撃的に伝えられた(2020年7月23日、医師二人逮捕)。

殺人をしたのは安楽死を肯定する医師で、SNSで知り合い、面識はなく、当人の依頼により殺人のためだけに2019年11月30日夕方マンションを訪れた。ヘルパーは林さんに促されて退室し、約10分後に二人の訪問者は帰り、ヘルパーが室内をのぞくと林さんは意識を失っていた。彼らは初対面の林さんに、鎮静作用のある薬物を胃ろうから大量投与したとみられている。

二人の容疑者、大久保愉一、山本直樹両医師には、ヤマモトナオキ名義の口座に11月21日と23日、2回に分けて計130万円が振り込まれている。彼らは報酬を得、宮城と東京から京都にやってきて、目的を遂行して帰った。これは、「殺し屋」という職業のそれと違わない。

だが、この二人の医師が、殺人者として非難ごうごうというわけではない。それは、奇妙な景色だ。依頼人は、殺された当人。死にたい気持ちわかる、自分で死ねないなら、訴追覚悟で死なせてあげたのは勇気ある行為だ、と心の中で思った人は少なからずいる。元東京都知事で作家でもある石原慎太郎氏が、業病からの解放を手助けしたと言って医師を讃え、弁護したいとツイッターに書き、炎上し謝罪した。謝罪はしたが、考えは変わってないだろう。彼は今まで何回もマイノリティへの差別的発言をしている。

この事件の後、いろいろな声がALS当事者や介助者から出た。なぜ、生きる方向でなく死ぬ方向に行ってしまったのか。人工呼吸器をつけて在宅で暮らしてる人のことをもっと知ってほしい。安楽死(尊厳死)容認せよという声が出てこないか、そこが心配だ。本人は誰か心を許して話せる近しい人はいなかったのだろうか……。

林優里さんは高齢の父親(79歳)がいるが、家族への負担がかからないように、1人暮らしを選び、24時間の介護(重度訪問介護)を利用して暮らしていた。だが、当初24時間分のヘルパーが確保できなかったときは、ヘルパーのいない時間父がケアに入った。父は文字版でのコミュニケーションのやり取りや慣れない痰の吸引、車いすをおしての散歩も行った。(京都新聞2020年7月28日)

ALS患者はいずれ呼吸障害が出たときに、人工呼吸器をつけるかどうかを考えておくことを求められる。彼女は当初は人工呼吸器をつけると言っていたが、その後つけないという意思表明をしていた。人工呼吸器を使用するかしないかの意思表明は、生きるつもりかそうではないかを表明することと同義である。ここがALSの決まり事というか、最近はやりのACP(advanced care planning-終末期のケアの方法を、意識がはっきりしているうちにあらかじめ決めておく)の先駆けではある。

だが、当事者が「生き死に」のことを決めるという人生上の突出した大問題が、人工呼吸器という機械を挟むことで、あたかも問題は呼吸器をつけるつけないのことであるかのように姿を変える。ここで、生きるという選択は、ケア提供者にとっては人工呼吸器をつけた人のケアというスキルに変換する。

人工呼吸器をつけないと決めても、そのあといつでも変更可能(やっぱり生きることにした)であることは繰り返し告げられ、定期的にカンファレンスで確認される。ケア提供者にはお馴染みの光景だが、一歩引いてみると異様なことである。生きたいですか? 生きなくていいですか? という確認。

ここでは人工呼吸器は、延命という言葉と結びつけて使われている。そうではなく、身体を楽にして暮らすために、気管切開をしない非侵襲的陽圧換気療法(noninvasive positive pressure ventilation:NPPV)の人工呼吸器を早めに導入する、それにより生活の質が上がることがあることも厚生労働省の出した指針には出ている。だが、ほとんど検討されずに「延命」だけが異様にクローズアップされるのが、ALSと人工呼吸器の関係だ。(筋萎縮性側索硬化症の包括的呼吸ケア指針―呼吸理学療法と非侵襲的陽圧喚起療法(NPPV)平成20年)

林さんは人工呼吸器をつけないと決めていたが、定期的なカンファレンスで医師やケアマネジャーに呼吸器装着の有無を繰り返し尋ねられること、「生きるかどうかの選択を何度も迫られるつらさ」を、泣きながら父にぶつけていたという。

だが彼女は、殺人が起きた時点では命にかかわるような呼吸機能低下をきたしていたわけではなかった。父親は、「自力で呼吸ができる状態で、(死にたいと聞いていれば)当然、止めていた。後悔が残っています」と語っている。他に何と言えようか。娘が実は安楽死を望んでいたと後から知らされる親の気持ちは、誰とも分かち合えないだろう。

父は「娘が納得して選んだこと」と自分に言い聞かせるように語り、支えたヘルパーへの感謝の気持ちを語った一方で、容疑者に対しては「娘の生死をまるで商売みたいに扱って、犯人にくそったれと思う、悔しい、許せない。なんでこんな卑劣なやり方をするんや」と声を大きくしたという。(京都新聞2020年7月28日)

彼女が自力で呼吸している間は生きるつもりでいるという前提で支援していたケアチームも、当然ショックを受けた。当日、見知らぬ男が二人訪問し、林さんに席を外すように指示されて別室にいたその日のヘルパーは、訪問者が帰った後の彼女を見て、またそこで行われたことを知って、混乱に陥っただろう。作業療法士として何人かのALS者のケアチームのメンバーである私は、その場面を想像するたびに、どす黒いもので胸のあたりが重くなる。

彼女の主治医によれば、胃ろうからの栄養摂取の中止による安楽死を主治医に求めることがあったが、日本では法的に認められないことを伝え、30人からなるケアチームとともに話し合いを重ね、最適なケアのあり方を模索していた。ヘルパーが彼女に代わってペットの猫を飼い連れてきたり、スタッフがベッドサイドで合奏を試みたり、外出を計画したり、職種の枠を超えて彼女が生きる気持ちになれること、楽しめることを探していた。(京都新聞 2020年7月27日、30日)

だが、そんな風に暮らしながら、彼女は視線入力のパソコンを駆使し、SNSを通して命を終わらせる準備を着々と進めていった。その間、ケアスタッフと彼女はともに過ごす時間のなかで、全く違う景色を見ていたのだ。

彼女は自分の意思で死んだ。少々、変わった方法で。彼女は24時間のケアを受けていた。ケア体制は十分だった。だから彼女の死は全身が動かないという病気のつらさによるもので、死にたくなるのも理解できる。そう思われている。だが、本当はどうだったのだろうか。

2013年当初はケアに入っていたのは3事業所だった。それが2018年には17事業所に増え、1日に4から7事業所のヘルパーが入っていたという。数時間で交代するスタッフ、夜間は8時間継続で入るが、男性スタッフも入った。彼女はブログに「万年のヘルパー探しはかなりのストレス いつ穴が空くかわからない不安にいつもさいなまれている 人の手を借りないと指一本動かせない自分がみじめでたまらなくなる」(2018年6月)と投稿。同性ヘルパーの介助を望んでいたが、ままならず「男性にトイレ介助をしてもらうのがつらい」と支援者に話していたという(京都新聞2020年8月14日)。

当事者が身体を張って作ってきた制度をどうやって守るか・女たちの反応

重い障害がある人が、施設や病院から出て、家を借りて家族介護に頼らず暮らすという暮らし方は、1970年代に始まった自立生活運動という当事者たちの身体を張った実践により、時間をかけて制度を整え実現していった。自立生活センター(CIL—center for independent living)という当事者が運営する事業体(運動体でもある)が各地にあるが、ここが自立生活実現の牽引役になってきた。この当事者の運動により、重度訪問介護という長時間の介護サービスが制度化された(2006年の障害者自立支援法、2013年より障害者総合支援法という法律にのっとっている)。

CILは、自立生活のノウハウの情報提供や当事者の権利擁護、行政への働きかけなどの運動とヘルパー派遣事業などもやっており、介助は同性介助を原則としている。女性利用者には女性ヘルパー、男性利用者には男性ヘルパー。私は自立生活の取材をしてきて、男性には男性ヘルパーがトイレ介助も食事介助もしている場面を見てきたが、現実には男性が女性ヘルパーによる介助を受けることは多々ある。それを男性利用者が絶対に嫌といえば当然配慮されるだろうが、介護介助というのは女性が伝統的に担ってきた仕事なので、女性に介助を受けるのは男性にとって受け入れられないものではない(逆に女性ヘルパーを希望する男性は普通にいる)。

だが、女性にとっては男性ヘルパーによるトイレ介助や入浴介助は、とても受け入れられるものではない。重度訪問介護は家と言う密室の中で、1対1で行われる。無防備で全身動かない身体で居るところに、8時間男性ヘルパーと過ごすことは恐怖ではないだろうか。いくらそのヘルパーが研修を受けた良い人であっても。

いや、人柄とかそういう問題ではないのだ。密室での異性介助、特に男性が女性の身体介助をするとは人権にかかわることではないか。

京都新聞にこの介護体制の記事が出たのは2020年8月14日、そして、その記事が女性障害者ネットワークが管理するメーリングリスト(たんぽぽネット)(注)に載ったのは8月18日。投稿者は現役のヘルパーであり、研究者(障害学)の立場も持つ松波めぐみさんだ。京都在住の彼女は、全国紙には載ってないこととして記事を紹介し、こう書いている。

(注)たんぽぽネットはDPI女性障害者ネットワークが運営するメーリングリストで登録者数は230名、障害や難病の当事者をはじめ様々な人が性別を問わず登録し情報交換に利用している。投稿は非公開。本文での引用は投稿者の同意を得ている。DPI女性障害者ネットワークのサイトはhttps://dwnj.chobi.net/?page_id=8

「私はこれまで20年以上、兵庫・大阪・京都の自立生活センターで介助をしてきましたが、原則「同性介助」でした。この「同性介助」も性の多様性ということからすると、もっと丁寧に語るべき点はあるにしても、少なくとも女性が望まない相手からの介護を受けないでいいようにすべき、暴力防止、という切実な動機からできてきたものだと言えます。」

「できるだけ自分で情報収集して主体的に生きようとしていた(そして24時間介護体制を組んでいた)女性が、こんな苦痛を受けていたことに、大きなショックを受けています。どれほどつらかっただろう。本人が「知られたくないこと」でもあったかもしれないと思うと、いっそう心が痛みます」

この投稿をきっかけに、ALS当事者でパフォーマンスアーティストのイトー・ターリさんが、8月21日次の投稿をした。

「松波さんの投稿を読み、胸が締め付けられました。まさに、私の悩みがそこにあったからでした。私の居住している街には夜間の巡回介護をやっている事業所がなく、近隣の市にあっても男性の介助者だと聞かされているのです。林さんも嫌だったのですね。これからどんどん介助が必要になる私はヘルパーの不足が身に迫ってきて惨憺たる思いでいるのです。これから私の闘いが始まるのです。林さんが味わった情けなさを力にして、問題を明らかにして行きたいです。今はこれ以上書けませんが、林さんの死を無駄にしたくないという思いでいっぱいです。」

8月22日には、自立生活運動の先駆者として有名な安積遊歩さんが投稿し、70年代からの自立生活運動により重度訪問介護の制度まできたが、結局ヘルパー確保に至らない現実に対して、この殺人はシステム不備による異様なものと喝破している。

制度が出来上がるまでは、運動として当事者と介助者(支援者)が繰り出す暮らしというアクションは熱をもち磁場ができる。人が人を呼ぶということもある。だが、こういう活動は終生継続するにはしんどすぎるし、限られた人しかできない。制度ができたら、磁場を作れる特別な人ではなくても、運動をしなくても暮らせるはずだった。

だが、制度はできても資源がないままなのだ。ヘルパーが集まらない。私の住む街では、自立生活センターのヘルパー事業所は、当事者主体の理念があって安心だが、ヘルパー獲得が難しい。そして全国展開の会社組織の事業所は重度訪問介護しますと謳っているが、同性介助は保証しない。「夜間8時間体制組みますよ、男性でよければ」というわけだ。、

林さんが、もう生きなくていいと思ったのは「指一本動かせない自分が惨めだったから」だろうか。「17事業所から数時間交代で来るヘルパーに心を砕き、男性ヘルパーによるトイレ介助を受けねばならなかった」からではないだろうか。

最初3事業所のヘルパー体制でスタートした一人暮らしは、最終的に17事業所となった。これは異様な多さだ。だが、そうなるにはそれなりの事情があり、ケアプランを作るケアマネジャーや相談員の苦労も並大抵ではなかったろうと思う。介助という仕事は、本人のこうしてくれという指示で成立するが、身体にかかる行為は本人とヘルパーが息を合わせるという要素がある。息が合わない場合は、訪問するヘルパーは緊張し、受ける本人もストレスになる。それが高まるとヘルパーは辞める。即人手不足になる。スキルを身に着けるのは、個人差もあり時間がかかる場合もあるが、ケアプランは待ってくれない。

ALSという病気は、進行する。いずれ誰にでも来る死というものが、臓器ではなくて運動ニューロンによる筋力低下というところが、他の疾患と様相を異にする。死が近くにあるようでいて遠くでもあり、死との距離が測れない。人工呼吸器はつけないと決めたとしても、だからといって死がすぐ近くにいるわけでもない。

こんなことならもう死んでしまいたい、という気持ちと、いや、もう少し生き延びて何かを見届けようという気持ちは、行き来しているのではないか。ALS協会の元会長、橋本操さんは26年前から人工呼吸器を付け一人暮らしだが、彼女は健常者が思う死とはずれていると断ったうえで、「私の死は私の一部になっていて、死と共に生きているようなもの」という。(ALSマニュアル決定版、日本プランニングセンター2009年)

そういう生。

ささいなこと、春の風がほほを撫でた、という一瞬で生に引き寄せられるが、今日のヘルパーは男性と思うだけですべておじゃんになる。こんなことが続くなら、もう生きていなくていいと思う。ここだけは、私もリアルに想像できる。

介助体制の不均衡

林さんの事件で異性介助、男性による介助が苦痛であるということが、あまり問題となっていないのはなぜだろうか。NHKが「クローズアップ現代+」で特集「ALS嘱託殺人~当事者たちの声」(2020年10月14日放送)が組まれた時も異性介助は話題にならなかった。そこに横たわっているのは昔からある障害者への偏見の一つ、性をなきものと考える癖からぬけないのだろうか。

障害があっても市民として普通に暮らすという、当事者が作ってきた暮らし方が、踏みにじられた事件だった。そして、女性はさらに生きにくいのだと、実感した事件だった。

林優里さんが決めたことは、彼女の決断として、胸に収めるとしよう。だが、ヘルパー体制が同性介助だったら、その決断をするまで追い詰められなかったかもしれないという思いが、残念感と共に残る。

ここまで考えてくると、おかしな使命感をもって嘱託殺人を引き受けた二人の医師は、全く幼稚な頭脳の持ち主に見える。元都知事も同様に。

私は2012年から、重い障害があって一人暮らしをしている自立生活の当事者たち9人の取材をし、2020年3月に本にまとめた。キーワードは「それは可能だ」。私が仕事をする上でのスローガンでもある。林さんの事件のあと、このキーワードが女性にも使えるか思いめぐらせている。

現実に私が仕事でかかわる筋ジストロフィーの女性が、呼吸器をつけて自宅に帰る意思表示をしている。重度訪問介護の女性ヘルパーを見つけるのは難しいと相談員にくぎを刺されている。だが、私はこれから策をねる。スローガンを下すつもりはない。

プロフィール

河本のぞみ作業療法士

作業療法士として訪問看護ステーション住吉(浜松市)に所属。重度障害者9人の暮らしを取材し、「当事者に聞く自立生活という暮らしのかたち」を2020年3月三輪書店より上梓。看護とリハ、重い障害と車いすといったテーマで取材、執筆をしている。演劇者(里見のぞみ)として路上演劇という活動にも従事。

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