アートで心を〈癒す〉―― 第4回「心のアート展」開催にあたって

「表現」が「表現者」を超える

 

―― 治療の一環としてアート活動を行うことにどのような効果があるのですか?

 

とてもむずかしい質問ですね。よく「絵を描くだけで病気は治るのですか?」と聞かれることがあります。わたしは医療者ではありませんから、医療的な観点からお答えすることはできません。ただ、このような研究に携わってきた経験の範囲内でお答えするならば、どうやらこの質問には、ふたつの答えを用意する必要がありそうです。

 

ひとつめは、「絵を描くだけでは治りません」という答え。一口に「心の病」といっても、さまざまな症状があり、それぞれに発症の経緯があり、一概に説明できるものではありません。しかしながら、心を病む人の周囲には、家庭・学校・職場など、生活の根幹にかかわる部分で、とても閉塞的で息苦しい(=生き苦しい)人間関係が存在する場合が多いということは、わたしの乏しい経験からでも事実だと言えそうです。

 

「心の病」というものは、その症状自体は個人の心身にあらわれたものなのですが、実際には、「その人を取り巻く人間関係自体が病んでいる」と表現した方がよい場合もあります。人間関係自体の「病み」が、「弱い立場に置かれた人」や「やさしい気づかいをしなければならない役回りを負わされた人」の心身を通じて噴出している、とかんがえたくなることさえあります。あたりまえのことですが、医療のサポートを必要とする人は決して自分で勝手に苦しんでいるわけではありません。必ず「苦しめられている」部分があるわけです。

 

ここで問題にしている「絵を描く」というのは、単に「紙に線を引いて色を塗る」ということではなく、「自分の気持ちをさらけ出す」という要素を含んだ行為を前提にしています。ですから、ひとつの作品が生まれるためには、自分の気持ちを表現しても受け止めてくれる人がいるという安心感が必要です。テーマについて相談したり、画材の使い方を一緒に考えたり、絵筆を動かしながらグチを聞いてもらったり、ときには率直に意見を言い合えるような、何気なくも温かな人間関係が大切なのです。そのような関係性の蓄積が、結果的に、病み疲れた心を良い方向へと導くのだと思います。

 

この点を踏まえて、先ほどの答えを表現しなおすと、「絵を描くだけでは治りませんが、安心して絵を描けるような環境がなければ治りません」ということになるかと思います。もちろん、適切な医療ケアは不可欠です。

 

ふたつめは、これはうまく説明しないと大きな誤解を招いてしまうのですが、「「治る」とはまた別の道を探すことも、場合によっては必要なのではないか」という答え。

 

「心の病」が「治る」という際、多くの人は、つらい症状が除去された状態をイメージするのではないでしょうか。しかしながら、いま申し上げたように、心を病む人の周囲には非常に生きづらい人間関係が存在する場合があります。

 

かりに、職場での激務や学校での人間関係に疲れ果てた人が医療機関を受診し、入院したり通院したりする必要が生じたとします。その後、薬などの効果によって際立った症状が出なくなった。でも、当人の周りで息苦しい環境が相変わらずつづいている場合、それは「治った」と言い切ることができるのでしょうか。「人間関係自体が病んでいる」ような場合、「個人の心の病が治る」というのは、どのような事態を意味しているのか、とてもむずかしいように思います。

 

医療や福祉の適切なサポートは必要ですが、それらは万能ではありませんから、すべての問題を解決できるわけではありません。多かれ少なかれ、つらい環境のなかをサバイバルしつづけなければならないわけです。だとしたら、医学的な処置によって症状を除去する「治す」とは別に、つらい状況を抱えつつも一息つきながら生き延びる〈癒す〉という考え方も必要になってくるのではないでしょうか。アートというのは、自分を〈癒す〉ことの手助けになるのではないかと思っています。

 

もちろん、これらはわたしの経験に基づく個人的な見解であって、医療者の方には医療者なりのお答えがあると思います。

 

 

―― 実行委員としてアート展にかかわってこられたなかで、印象的だったことはありますか?

 

わたしがとても興味深いと思っているのは、このようなアート展をやっていると、「表現が表現者を超える瞬間」に出会えることがあるという点です。

 

たとえば、こういうことがありました。ずっと親御さんと息苦しい関係で生きてきた方がいた。「お前はダメなやつなんだ、一人前じゃないんだ」と、一人の人間として認めてもらえなかったようなのです。その方が作品を出展することになり、勇気をだして会場に親御さんを呼んだ。そうしたら、多くの観覧者がこの方の作品に魅入っている。その様子を親御さんが見て、とてもおどろいたようです。

 

「あの子は自分がいなければダメなんだ」と思い込んできたのに、自分の知らないところで成長し、輝いている当人がいた。ずっと癒着してきた親子のあいだに、はじめて風が通ったというのでしょうか。これをきっかけに、親子の関係は少し改善されたそうです。この場合、この方の絵の前で足を止めていた観覧者も、知らず知らずのうちに、親子の「生き直し」をサポートしていたことになるのかもしれません。

 

また、こんなこともありました。「心のアート展」では、作品によっては実行委員がそれに似合った手作りの額を用意します。ある出展者が、額装された自分の絵を見て驚いていました。「自分はもっと暗くて陰鬱で救いようのない絵を描いたつもりだったのに、実際に額装された絵を見たら、思っていたより柔らかだった。もしかしたら、自分は捨てたものじゃないのかもしれない」とおっしゃっていました。

 

「表現」というのは、「表現者」の意図を超えた力を持つことがあります。最近よく思うのですが、「アーティスト」というのは「自分の思いを正確に表現できる技術を持った人」のことではなく、むしろ「自分の表現に自分自身が驚くことができる感受性を持った人」のことなのかもしれません。

 

さきほど、なにをもって「良い絵」とするかはむずかしいと言いましたが、もしかしたら「良い絵」というのは、展示したときに、描いた人にとっても観る人にとっても、予想外の出来事が起こる絵のことなのかもしれませんね。会場に足を運んでくれた方と出展者とのあいだで、なにか予想外の面白いことが起こるのを期待しています。

 

 

「大変さ」を表現できる社会へ

 

―― これまでアート展を見に来た人たちの反響はいかがでしたか?

 

おおむね好評をいただいたと思います。これまでのアート展では「心のハガキ」という企画を行っていました。来場者に一枚のハガキをお渡しし、「自分の心のイメージ」を描いてもらうというものです。絵を「見る‐見せる」という一方通行の関係ではなく、相互交流型のアート展にしたいという思いではじめた企画です。多くの方が好意的に描いてくださったのですが、そのなかで、いくらお願いしてもまったく描いてくれなかった方々がいた。40~50代の背広を着た男性たちです。もしかしたら「心を表現するのが恥ずかしい」「絵を描くなんて大の大人がやることではない」と思っていたのかもしれません。

 

「障害」というのは、わたしなりに定義すると、「ある文脈のなかで、みんなが普通にできることができないこと」です。だとしたら、あの文脈に合わせると、「心のイメージ」が描けなかった人たちは「自己表現障害者」になるのかもしれません。もちろん、少し皮肉を込め過ぎた言い方です。ただ、「心のイメージ」を描けなかった、描くことに抵抗感を覚えた、ということをきっかけに、「自分は本当に大変な時に、大切な人に助けを求められるだろうか」ということを考えてもらえたらいいですね。

 

「「だれかを励ます言葉」のバリエーションをいくつお持ちですか?」という質問をしたら、「頑張れ」とか「負けるな」と答える人が多いのではないでしょうか。きちんと統計を取っているわけではありませんが、おそらく両者ともトップ5には入ると思います。ただ、大変な思いをしている人はすでに十分頑張っていますし、勝ち負けの論理とは異なるところで困っていることもあります。そうすると、これらは「励まし表現」としては、あまりゆたかな表現ではないようです。

 

そもそも、「頑張れ」とか「負けるな」というのは、だれかを叱りつける際にも用いる言葉ですよね。つまりわたしたちは、純粋に人を励ます言葉の持ち合わせが少なくて、人を叱りつける言葉を文脈に合わせて援用しているわけです。「励まし表現」のバリエーションが少ないわけですね。3.11と昨今のいじめ問題などもあって、「一人じゃない」という言葉が「励まし表現」として社会的に共有されつつあるように思いますが、あれだけの惨事を経験して、ようやくひとつの新しい表現を生みだすことができたのかもしれません。

 

「励まし表現」のバリエーションが少ないということは、裏返すと、大変な思いをしている人たちが、その「大変さ」を表現するバリエーションも少ないということなのかもしれませんね。多くの人は、自分が抱えている「大変さ」を表現することが苦手だったり、あるいはそもそも表現してはいけないと思っているのではないでしょうか。「自分だけ大変だなんて言っちゃいけない」「大変って言ったらその時点で負けなんじゃないか」と思っているわけです。堂々と「大変さ」を表現する人がバッシングを受けるということも少なくありません。

 

生きにくい人、苦しい人、つらい人、弱い人、困っている人などなど、この社会のなかには、さまざまな「大変さ」を抱えた人たちがいます。そういった人たちもふくめて社会をゆたかにし、少しでも「生きやすい社会」をつくっていくためには、一人ひとりが抱えている「大変さ」に対する想像力や感受性を耕していくことが大切です。ちょっとおおげさですけれど、そのような想像力や感受性といったものを「社会資源」にまで育てていく必要があるわけですね。もしかしたら、アートにはそのような役割を果たせる可能性があるのではないでしょうか。そういった意味でも、「心のアート展」のような試みは意味があると思っています。

 

こんなことを言うと、「心のアート展」では、暗くて深刻な作品ばかり展示されているような印象を持たれる人もいるかもしれませんが、実際の会場では、可愛くてほほえましい作品も、ユニークな作品もあります。作者によるギャラリートークや座談会も企画されています。入場無料でやっておりますので、近くをお通りの際は、ぜひぜひ、お気軽に立ち寄ってみてください。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

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