『五体不満足』から遠く離れて

14年前に『五体不満足』を出版され、さまざまな活動をされてきた乙武洋匡さんと、大学院生の頃に突然難病を発症し、2011年に『困ってるひと』を出版された大野更紗さん。二人はいま、障害や難病になにを思うのか。(構成/金子昂)

  

 

「みんな違ってみんないい」

 

大野 乙武さんが『五体不満足』を出版されて、14年が経ちます。14年というと、当時生まれた子供が中学生に、あの頃『五体不満足』を読んでいた人の中には結婚してお子さんを持たれているという方もいるかと思います。

 

いままでに何万回、何億回と同じような質問を繰り返し訊ねられてきたかと思いますが、この14年間、どんなことを思って活動を続けてこられたのか、改めてお聞かせください。

 

乙武 そうですね。14年間あまり変わっていないような気がします。ぼくが『五体不満足』を書いたのは、金子みすずさんの詩の一節でもある「みんな違ってみんないい」というメッセージを広く伝えていきたいと思ったからです。その気持ちは、小学校の教員として活動していたときも、メディアで発言していくうえでも変わりません。「一人ひとり違って当たり前だよね」というメッセージを伝えていくことが活動の中心です。

 

 

「子どもが育つ」ことへの大人の役割の重要性

 

大野 ある時期を境に教育分野に力を割かれるようになられましたが、具体的なきっかけがあったのでしょうか?

 

乙武 大学を卒業して7年間はスポーツライターとして働いていました。その間に、長崎市で当時4歳の男の子が中学1年生の男の子に連れ去られ、駐車場の屋上から突き落とされて殺害された事件、佐世保市では小学校6年生の女の子がクラスメイトをカッターナイフで切り殺す事件がありました。10代前半の子どもたちが、被害者だけでなく命を奪う側に回ってしまう事件が相次いで起こってしまったんです。

 

当時のメディアは「凶悪犯罪が低年齢化している」「最近の子どもはどうなってしまっているんだ」と、子どもたちだけに責任を求めるような報道をしていました。でもぼくは「かわいそうだな」と思っていました。もちろん一番かわいそうなのは命を落とした被害者であり、ご遺族の方々であるというのは承知しています。でも事件を起こしてしまった少年少女たちに対しても、かわいそうだだという感情を禁じ得なくて。

 

というのは、彼らだって辛かったんだと思うんです。人間は誰しも、生まれたときには、「幸せになりたい」「よりよく生きたい」と願って生まれてきているはずです。それなのに、生まれ育った環境や経験した出来事など、様々な要因によって悲惨な事件を起こさざるをえない苦しい状況に追い込まれてしまった。きっとそこに至るまでに彼らもSOSのサインを出していたと思うんです。それはもしかしたらわかりにくいサインだったかもしれない。だとしても、周りの大人はそのサインに気がついてあげられなかったのか。サインに気がついていたら、そして軌道修正をしてあげられていたら、あのような事件を起こさずにすんだかもしれません。

 

そう考えると、「子どもが育つ」ことへの、大人の役割や影響の大きさはすごいものがあると思いました。そして自分が子どもだった頃の周りの大人を改めて振り返ってみると、両親や学校の先生、近所のオジチャン、オバチャン、本当に恵まれていたことに気がついたんです。だからこそ、今度はぼくが大人という立場で「恩返し」――というよりは「恩送り」のつもりで、次の世代、子どもたちのために力を尽くしていきたい。そこで29歳のときに、もう一度大学に入り直して、教員免許を取得しました。

 

大野 子どもたちがどういう環境に置かれて生きていくのかについて、強い関心を持たれていたのですか?

 

乙武 そうですね。

 

ぼくは20代まで、社会という水槽の中で自由に楽しく泳がせてもらっていたイメージがありました。そして20代が終わるころに、そろそろみんなが社会の水槽を自由に楽しく泳げるように尽力していく番ではないかと思いました。それが一番大きかったです。

 

 

障害者の代表と捉えられること

 

大野 私自身は25歳のとき、大学院に進学したばかり、これから研究者として頑張ろうと決意した瞬間に難治性疾患を発症しました。その後、難病だけでなく、さまざまな障害や病を抱えている当事者の方々の話を聞くようになってから、先天性の疾患や障害を持っている当事者の親御さんたちにとって、乙武さんが社会のメインストリームにいてくださることは、心理的なインパクトが相当大きかったことを知るようになりました。

 

特に障害をもつ乳幼児のお父さん、お母さんたちは、まだ意思表示のできない子どものケアを、完全に自分たちに託されている状態にあります。そういう親御さんたちが、「乙武さん」と口にされる光景を何度も見てきました。

 

乙武 ぼくが自分の体や人生を肯定的にとらえて、ほぼ毎日楽しく生きていることは、ある意味で成功例だと思います。ぼくをみて、希望の光のように感じてくださり、「ああやって生きていける可能性もあるんだ。前向きに子育てしよう」と思ってくださる方がいらっしゃることはとても嬉しいです。でも一方では、「あれはまぐれだ」とおっしゃる方もいます。

 

大野 非常にまれな偶然が重なったケースだと。

 

乙武 ええ、その「まぐれによる成功例」であるぼくが、頑張りの押し付けになってしまったり、比較対象となって、辛い思いをされている方も少なからずいらっしゃる。ぼくが障害者の代表のようにとらえられて、誤解を与えかねないポジションになってしまっていることについてはずっと気をつけるようにしてきました。

 

大野さんも『困ってるひと』では、ご自身の病気を、ユーモアを交えて書かれていますよね。きっと多くの人が読んでくれて、病気に対する理解が深まったというプラスの側面が大きいと思います。でも「同じような病気で苦しんでいるのに、ユーモアを交えるなんてけしからん! 苦しんでいる俺の気持ちを考えないのか」という声もあるかもしれない。

 

大野 初めのうちは、どちらかといえば圧倒的にそういう声のほうが大きかったかもしれません。「パンドラの箱」の1つを開けてしまったのかもしれないと思うときもありました。

 

乙武 あっ、そうなんだ!

 

大野 難病というのは、あくまでこれまで医学的な「研究の対象」であって、一部の疾患への医療費助成制度などはその見返りとして行われてきたという歴史的経緯があります。きわめて苛烈な状況にも関わらず、今日まで、社会政策の対象としては捉えられてこなかった。そういう苦しい状況下で、体中ぼろぼろで、いまにも死にそうになっているのに「頑張っている」方がたくさんいる。だからこそ、潜在的なマイナスの反応を一気に誘引したような気がしています。

 

乙武 うーん……。

 

大野 はじめは、相手の苦しさがわかるから、どうすればいいのか悩んだこともありました。苦しい状態の人たちが「苦しい」と発することは当然で、それを発する回路すらなかったのだということについて、現実に打ちのめされるような思いでした。いまは、どうしたらその状況を少しでも変えられるのかということを考えるようになりました。

 

 

ototake

 

 

 

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