2015.05.15
文化政策の基礎知識――国は文化にどう関わるのか?
日本に文化政策はあるのか。そういう疑問をお持ちの方も多いと思う。文化は大切であるという一般論には多くの方が賛同されるだろうが、実際の範囲や価値となると人によって考え方に大きく違いがある。
また、文化の多くは、必ずしも市場で成り立つわけではなく、何らかの支援が必要だということになるが、一方で、自由な表現である文化活動にそもそも支援が必要なのかという疑問もある。芸術家はハングリーでなければならない、というわけだ。
また、支援が必要であるとしても、誰の負担で、どこまで、どのようなかたちで支援するべきか、といった様々な論点が出てくる。ここでは、日本の文化政策に関し、実際に何を目指して、どのようなことを、誰が行っているのかを簡単に紹介し、課題や方向性について述べたい。
わが国における文化政策の歩み
公共政策とは、国や地方公共団体などの政府機関が、なんからの政策目的をもって行う行為である(もちろん、何もしないという選択肢も含まれるが)。文化政策もまた、文化を守り育て、次世代に継承していくことを目的とした公共政策であるといえる。
日本において、国による文化政策がもっとも強力に行われたのは、おそらく明治維新の後であろう。当時、植民地化を避け、西洋列強諸国にキャッチアップするため、西洋文明の導入が急ピッチで進められた。文明開化と呼ばれるこの動きのなかで、西洋にルーツをもつ芸術もまた積極的に取り入れられた。現在使われている「文化」は「文明開化」に由来する造語であるとも言われている。実際、この影響がいかに大きかったかは、今日ほとんどの日本人が西洋音階を理解し、30を超えるプロフェッショナルオーケストラが日本で活動していることからもわかる。
一方で、開国後待ったなしで行わなければならなかったのは、固有の伝統文化の保護だった。優れた美術品の海外流出に歯止めをかけるために、守るべきものをリストアップすることから始まった文化財保護は、廃仏毀釈によって荒廃した寺院などへの支援、史跡や天然記念物の保護といった独自の展開を遂げ、現在の文化財保護法とその体制につながっていく。
第二次世界大戦後、日本は、平和で文化的な国家の建設をスローガンに掲げたが、実際には経済的な発展に邁進した。戦前の文化に対する国家検閲の反省もあいまって、文化に関わる政策はきわめて控えめなものであった。それでも、経済社会の大きな変化のなかで、人々の意識も大きく変わっていった。
モノの豊かさよりも心の豊かさを求める人々が多くなるのは1980年代以降であり、各地にミュージアムや劇場などの文化施設が地方自治体によって建設された。ハコモノ批判も根強いものの、公の施設を民間の能力も活用して運営し、住民サービスの向上や経費縮減を目指す「指定管理者制度」の導入を契機に、効率的な運営の試みが進んでいる。指定管理者制度については、現場での批判も強いが、住民サービスの視点が明確化されたことは、今後、文化施設が地域連携を進める上で重要なことであろう。
一方、文化財保護に関しては、戦前の仕組みを統合して、世界的にも先進的な制度を構築した(文化財保護法:1950年制定)。例えば歌や踊りなどの無形文化財を保護するために、「わざ」を体現している人をいわゆる人間国宝(保持者)とすることで、そのわざを次世代に繋げようとした。この仕組みは、その後の無形遺産条約の成立にも大きく貢献した。また、文化財は現状変更を許さない保存が基本だが、近年では、歴史的な建物について、外観を中心に保存し、建物内での人々の生活や生業と折り合いをつけながら、文化財として保護する仕組みも出来てきた(重要伝統的建造物群保存地区など)。
文化芸術振興基本法による政策対象の明確化
公共政策には、一般に、政策目的を達成するため、規制や助成、指導、直接給付(例えば国立の劇場やミュージアムでサービスを提供するなど)といった様々なツールが用いられるが、最強ツールは法律である。
従来、文化政策の分野では、著作権法や文化財保護法などの個別法があったが、とくに芸術文化活動の振興に関しては財政的な支援で対応してきた。しかしながら、例えば教育政策に教育基本法があるように、文化政策にも、目的や対象分野、国や地方公共団体の役割といったことを明らかにする基本法の必要性が指摘されていた。
このような基本法が成立するのは、21世紀に入ってからである(文化芸術振興基本法、2001年)。この法律は自民党から共産党まで、超党派の議員連盟が中心となって制定され、ここに至り、政策としてのかたちを整えることになった。
とはいえ、この基本法は、権利義務の付与といった強力な施策を盛り込むのではなく、文化振興の重要性を社会的に認知する宣言法としての性格が強い(文化庁予算は当時若干増加したが)。ただ、国が基本法をつくったことにより、地方自治体が文化振興条例をつくりやすくなり、また文化政策を住民や関係者に説明しやすくなったことは実感されている。
また、この基本法の特筆すべき点の一つは、従来の行政分野を踏襲したかたちではあっても、政策対象となる文化の分野を、芸術やメディア芸術、文化財、伝統芸能といった区分で例示したことで、これらの分野に限定されるわけではないが、政策対象の「文化」の大まかな範囲が明示されたことにあるといえる。
文化庁は何をしているのか?
国レベルで文化政策を担う機関は、文部科学省の外局にあたる文化庁で、教育政策と一体的に実施するという体制になっている。ちなみに、例えばフランスでは文化・コミュニケーション省が中心であり、お隣の韓国では、文化財保護とスポーツ観光を一体的に所掌する機関(文化体育観光部)によるなど、それぞれの国で違いがある。
文化庁リンクの所掌範囲は、大きく分けて、文化財保護、芸術文化振興(宗務行政や国語の振興を含む)、インフラ整備としての著作権保護となろうが、実際の予算や行政事務のボリュームから言えば、先に述べた明治近代化の時期の動きにも連動して、大きく二つに分けられるだろう。
一つは日本の伝統文化の保存継承を中心とする文化財保護の分野であり、文化財指定や修復などの助成、史跡買い上げといったことが含まれる。もう一つは主として、明治期に導入された西洋芸術を含む芸術文化振興で、ときに現代舞台芸術とも言われるオペラやオーケストラ、バレエ、演劇などの公演や、ミュージアムへの助成、芸術家支援などである。
国立の文化施設の運営も大きな部分を占める。例えば新国立劇場は、現代舞台芸術を公演する劇場だが、歌舞伎や能、文楽といった伝統芸能を公演するのは、ここ国立劇場である。いずれも国が建設した劇場だが、それぞれ必要とされる設備や装置が異なり、同一の劇場で公演することは難しく、管理運営主体も分かれている。
この他、文化庁の施策のなかで特筆すべきは、文化勲章や文化功労者といったかたちで社会的にその業績を認知する顕彰制度であろう。芸術家の海外派遣などの支援とともに、人材育成の観点からも重要なものである。
日本の文化予算は多いのか、少ないのか?
それでは、今現在、どのくらいの予算がこの文化政策のために使われているのか。文化振興を目的とする文化庁予算は、例年、約1000億円、国の一般会計予算の約0.1%程度で推移している。2014年度予算では、文化財保護の予算が4割強、国立の美術館・博物館などの文化施設関係で約3割、芸術文化の振興が約2割である。
単純に人口で割れば、国民一人あたり年間800円強となるが、これは少ないのだろうか。ここでよく国際比較がなされるが、国によって考え方も仕組みも随分違うため、一概に比較するのは難しい。アメリカのように民間主導で、多数のNPO法人の活動や寄付に対する税制優遇措置を中心に組み立てる国もあれば、フランスのように中央政府が大きな役割を果たし、国家予算の1%を充当するという国もある。とはいえ、日本は、その国力に比して少ないことは否めない。
一方、文化庁以外にも多くの省庁で、文化への支援がなされている。地方振興策の一環として総務省がこれまで多くの支援を行ってきたが、近年は、まちづくり(国土交通省)や、観光振興(観光庁)などで積極的な施策が行われており、様々な政策分野で文化の重要性が高まっていることを反映しているといえる。
国に加えて、地方自治体も多くの予算を文化振興に当てている。2012年時点で、約3000億円強、文化庁予算の3倍にのぼる。ただ、ピークだったのは、バブルが弾けた後の1990年代で、9000億円を超えていた。このときに比べれば3分の1になったわけだ。
地方自治体の文化予算は、国と異なり、文化財関連は少なく、主に芸術文化経費で、なかでも1700を超えるホールや、4000を超える博物館など、文化施設の建設維持管理である。市町村数が約1700程度であることを考えれば、全国どこに行ってもなんらかの文化施設があるわけで、文化活動のインフラは整ったと言ってもよいだろう。これらをどのように活用して、住民サービスや地域の活性化につなげていくのかが喫緊の課題である。2012年にはいわゆる劇場法リンクも成立し、劇場のあり方とともに、人材養成や地域連携に向けた方策が示されている。
近年の大きな変化は、国や地方自治体だけでなく、文化を支える民間の存在が大きくなったことであろう。企業・企業財団による芸術文化支援(企業メセナ)は、音楽や美術分野を中心に幅広く行われ、総支援額は約950億円と推定されている。
また、阪神淡路大震災を契機として成立した特定非営利活動促進法に基づくNPO法人のうち、学術、文化、芸術またはスポーツの振興を図る活動を行うものは約17000、全体の3割を超える。法人改革と合わせて、寄付がしやすい税制も導入されつつあるなか、先にも述べたアメリカの事例が示すように、寄付へのインセンティブや、文化支援が行いやすくなる制度づくりも、文化政策の重要な政策課題である。
文化の潜在的な可能性と文化政策領域の拡大
これまで述べた狭義の文化政策に加え、先に述べたように、近年はまちづくりや観光に関連する各種政策の重要性が高まっている。グローバリゼーションと海外への生産拠点の移動は世界的な潮流だが、とくに地方経済に与える影響は極めて大きい。人口減少、高齢化のなかで、工場誘致や公共事業だけでなく、どのように雇用を維持し、創出するのかは喫緊の課題である。
一つの大きな可能性は、国際的にも成長産業である観光産業である。日本の長い歴史のなかで育まれた生活文化を含む伝統文化、そして各地に残る文化財は、国際的競争力もあり、観光の大きな魅力となりうる。
2度目のオリンピックに向けて、文化プログラムの重要性も認識されるようになった。しかし、振り返ってみれば、高度経済成長期、初めてのオリンピックを迎えた東京では、短時間で安価に物流の改善をはかるため、重要文化財でもある日本橋の上に高速道路を架けた。このことが後に大きな論争を呼んだのは周知の通りだが、当時の資料からは、この建設に反対する人はほぼ皆無だったことがわかる。
いったん失われた景観を取り戻すにはさらに大きなコストがかかる。こういった事例は全国で枚挙に暇がない。文化的景観や歴史的町並みを、住民サービスとともに観光資源として活用しようという熱気を強く感じるようになった昨今だが、オリンピックの後に何を残していくのか(オリンピック・レガシー)まで考えた対応が必要だろう。
一方で、芸術活動への期待も大きい。金沢21世紀美術館のような現代アートの持つ誘客力やイノベーションに期待する声もある。最近では文化芸術の「創造性」を活かして産業振興や地域再生につなげようとする、「創造都市」といった概念も語られるようになった。
文化創造都市と創造産業
素晴らしいウォーターフロント、トレンディなバーやレストラン、寛げるカフェ、そして豊かな芸術文化など、都市が提供する文化的な環境が人を惹きつけるという認識が、国際的にも高まっている。クリエイティブ・クラスと呼ばれる、個人の才能を元に経済的な豊かさをもたらす職業人(建築、芸術、ビジネス、法律など)を惹きつけることができる都市こそが発展できるといった主張もある。
一方で、個人の創造力に大きく依拠する産業を、成長セクターとして育成することに力を入れる事例も出てきた。英国では、広告や芸術、デザイン、ファッション、映画・映像、コンピューターサービスといった分野がこれら創造産業であるとされ、実際、創造産業が粗付加価値の5.2%を産出、総労働者数の5.6%にあたる170万人の雇用を創出したと推計されている。
国際的な都市間競争が激化するなか、とくに産業空洞化や経済衰退に直面する欧米諸国では、文化や芸術を含め、個人の創造性に依拠する新たな成長産業への期待は大きく、EU産業政策の主要な対象分野の一つとなり、UNESCOにおいても、創造都市ネットワークの構築も始まっている。
文化と創造性をめぐるこれら魅力的な考え方は、しかしながら、その定義さえ統一されておらず、客観的な検証はこれからだ。そもそも、産業構造の高度化に伴って、全産業で創造性やイノベーションの重要性が高まるなか、どの産業、職業が創造的なのかといった線引きは現実にはかなり難しい。
また、統計データによればやや違った様相も見えてくる。少なくとも日本では、21世紀初頭において全産業の生産額や粗付加価が微増するなか、いわゆる創造産業は縮小した。また、中核をなす動画やゲームなどのコンテンツ産業の市場規模も直近で約12兆円、成長しているとは言い難い。
さらに、情報系のサービスは大都市に集中しており、とりわけインターネット関連で圧倒的なシェアを占めるのは東京である。また、市場規模が大きなファッション産業はすでに製造拠点の多くが海外に移され、伝統工芸産業はといえば、ここ20年で生産額、従事者数ともに6割以上減少した。芸術家も圧倒的に都市部に集中しており、大きな経済と市場(仕事)のある所に集まっていることがわかっている。
文化と経済を結びつける考え方は必ずしも新しいものではなく、これまでもいろいろなかたちで試みられてきた。かつての基幹産業を代替するような新産業を育成するのは決して容易ではないものの、生活の質の向上や、地域コミュニティの一体感の醸成などといった社会的な効果は大きく評価されている。
文化の社会的意義とベネフィット
文化や芸術の中心的な価値は、市場で取引しにくい。基礎科学や研究などと同様、すぐにお金にならないどころか、長期にわたり継続した投資が必要であり、また、その価値を市場価値に変えていくためのノウハウや仕組みも必要である。しかし、ここにこそ文化政策の本来的な役割があると思う。そして、この役割は変化しているように思われる。
文化予算は到底十分とはいえない一方で、各種世論調査からは、多くの人々が文化を大切に思い、誇りに思っていることがうかがわれる。このギャップはなんだろうか。この素朴な疑問に応えるべく、多くの調査を行った結果わかってきたのは、まず、文化を守り育てることに対しては、多くの人々が一定程度賛同するということだ。
その理由は、市場ではなかなか取引できない遺贈価値やまちの魅力を高めるといったことにある。耳慣れない言葉かもしれないが、遺贈価値とは、将来世代に残したいという気持ちである。そして、この推定総額はかなり大きく、文化予算を一定程度拡充することにはコンセンサスが得られるのではないかと思われる。
ただ、重要な点は、この支払いにすべての人が納得するわけではないということである。つまり、社会のごく一部の人たちが文化を非常に大切に思い、多くの支援をしたいと考える一方で、大多数の人々はそれなりの支援意志の表明にとどまっている。このことが、政府の文化予算拡大を阻む一つの理由ではないだろうか。
実際、財政状況が逼迫すると真っ先にカットされるのが文化予算である。また、ここから導かれるのは、文化を大切に思う(大きな便益を感じる)人々から、応分の負担を得る仕組みを構築することの重要性であり、このための条件整備がこれまで以上に求められるだろう。
おわりに
文化は、政治的争点になりにくく、言ってみれば、政党レベルではなく、議員個人レベルでの活動に終始してきた。実際、党派を超えて集まった議員による文化芸術振興議員連盟は、先述の文化芸術振興基本法や劇場法の成立にも大きく貢献している。しかし、このままでよいのだろうか。
文化大国として知られているフランスが、なぜ多くの国家予算を使って文化振興をしているのか、これはパリ大学の研究者から聞いた話である。
第二次世界大戦において、フランスでは、ナチスドイツの侵攻により傀儡政権が成立、多くの有志がレジスタンス活動を行った。そのとき、レジスタンス戦士たちは、フランスがドイツに容易に占拠された理由(の一つ)として、国民がフランスという国を自らの命をかけてまで守るべきものと思わなかったことがあると理解したそうである。この反省が戦後フランスの文化政策の底流にある考え方となった。文化は国を守るのではなく、守るに値する国をつくるものである、と。
今日、日本は大きな転換期に直面している。東北大地震とその後の原子力発電所の崩壊により、これまでのような大量エネルギー消費の生活を見直し、持続できる社会をどう築いていくのか、考えざるを得ない状況となった。このなかで、自然環境や歴史性を大切にし、既存の文化的ストックを活かしながら、文化的価値を新たに生み出し、心豊かな生活を送っていくことの大切さ、さらには、将来に何を残していくのか、考えてもよい時期が来たのではないだろうか。
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プロフィール
垣内恵美子
東京大学法学部卒、シドニー大学大学院経済学修士、東京大学大学院工学博士。文部省(現 文部科学省)入省。衆議院、国連大学、一橋大学教授などの役職を経て、2004年より現職。専門・研究分野は、文化政策、文化資本の評価・保護、文化と地域の持続的発展。論文・著作多数。