未来へ向けて選ぶべき戯曲はどれだ!?――第60回岸田戯曲賞をめぐって

去る1月、第60回岸田國士戯曲賞(白水社主催)の候補作8作品が発表されました。若手劇作家の奨励と育成を目的とし、新人の登竜門とされることから「演劇界の芥川賞」とも呼ばれる岸田戯曲賞。ならば、芥川賞のように賞のゆくえを予想し、作品についてあれこれ語ってもいいではないか!ということで、若手劇評家による岸田賞対談をお届けします。8つの戯曲と向き合うのは、演劇研究・批評の山崎健太さんと、劇評家で演劇賞の審査員も務める落雅季子さん。受賞作の予想もします。選考会および受賞作の発表は2月29日です。

 

 

岸田國士戯曲賞(岸田賞)とはどんな賞ですか?

 

山崎 よく「演劇界の芥川賞」と呼ばれますが、大きくはズレていないと思います。

 

落 演劇の賞としては、読売演劇大賞や菊田一夫演劇賞のような大きなものから、私も審査員を務める「CoRich舞台芸術まつり!」のような小劇場を対象としたものまでいくつかありますが、たとえば読売演劇大賞には俳優部門や演出家部門などがあるのに対して、岸田賞は「戯曲」を対象とする賞なんですね。

 

山崎 芥川賞と似ているのは「新人賞」だというところですね。しかし、あらためて過去の受賞者を見ると、総じてその後も活躍しているよね。

 

落 演劇の初心者にとっては、岸田賞をとった劇作家をまず見に行くのがおすすめですね。

 

山崎 作家の経歴を勘案して「そろそろあげておこう」みたいなところは、まったくないとは言わないけど、芥川賞ほどはないと思います。選考の際に、作品そのものに対する評価にウエイトが置かれていて、特にここ最近はその傾向が強い。

 

落 それはやはり、選考委員たちの、演劇というジャンルそのもの、戯曲というジャンルそのものに対する心意気が強いからだと思うんですよね。

 

 

選考委員はどんな人?

 

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《選考委員》

岩松了、岡田利規、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、野田秀樹、平田オリザ、宮沢章夫(50音順)(白水社サイトより)

 

 

落 今年から、松尾スズキさんと松田正隆さんが抜けて、平田オリザさんが選考委員に入りました。

 

山崎 過去10年分の選評を読み直してきたんだけど、今の選考委員は、「読める」だけでなく、自らの読みを言葉として表に出すことにも長けている、批評的な能力にも優れた人が多い。どんなタイプの戯曲にも対応できる柔軟な人たちだと思う。そういう前提があったうえで、たとえば岡田利規さんは、自らが上演至上主義だからこそ、逆に戯曲に与える賞であることの意義を強く意識している。

 

落 たとえば58回(2014年)は飴屋法水さんの『ブルーシート』が受賞したんですが、あれはいわきの高校生たちとつくるということが大きな意味を持っている作品でした(注)。作品がよくなければノミネートされることはないので、すぐれた作品であることは間違いないと思うけど、そういう作品に戯曲の賞をあげるのはどうなのか。という問題提起をした回でしたね。そういうふうに岸田賞は、演劇と戯曲の定義を問い直す、1年に1回の大きな機会だと思います。

 

(注)福島県立いわき総合高校の演劇コースを選択している生徒たちと共同作業をし、同校のグラウンドで二日間上演された。

 

落 もうひとつ芥川賞との大きな違いは、(同時発表される)「直木賞がない」ということです。岸田賞に相当するエンタメ戯曲の新人賞がないので、すべて同じ土俵で評価される。だからこそのごった煮感があって、評価が割れるということはあると思います。

 

山崎 『ブルーシート』の翌年が『トロワグロ』(山内ケンジ、城山羊の会主宰)だったんですが、この二つの作品はタイプが全然違う。大震災と真摯に向き合った『ブルーシート』に対して、『トロワグロ』はすごくよくできた下ネタブラックコメディ。じゃあ単に直木賞的なエンタメ作品かと言うと、日本語表現の特徴をうまく使ってセリフが書かれていたりして、そういう意味では芥川賞の要素も入っている。

 

 

今年のノミネート作品

 

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白水社サイトより)

 

 

落 ひとつずつ見ていきましょうか。

 

山崎 今回、個の対談のために候補作の戯曲はひと通り読んだけど、上演は全作品見ているわけではないんだよね。二人とも、神里雄大『+51 アビアシオン,サンボルハ』、タニノクロウ『地獄谷温泉 無明ノ宿』、山本健介『30光年先のガールズエンド』、三浦直之『ハンサムな大悟』は見ている。

 

落 そうですね。過去の作品も含めて一度も見たことがないのは、柳沼昭徳さん。烏丸ストロークロックという劇団を主宰していて、京都を中心に活動している人です。

 

山崎 じゃあ、見たものからいきますか。

 

 

山本健介『30光年先のガールズエンド』

 

あらすじ:18歳の女子高生 4 人組ガールズバンド・ワンドエイトとその12年後、30歳になった彼女たち。スタジオでメンバーの一人を待つ彼女たちとそこに居合わせた人々とのやり取りは未来を思い描く過去と過去を振り返る未来をシームレスに行き来する。描き出されるのはそれぞれが立つ「現在」の姿だ。(山崎)

 

山本健介:1983年生まれ。埼玉県春日部市出身。早稲田大学第二文学部卒。The end of company ジエン社 主宰、劇作家、演出家。

 

 

落 山本健介さんの作品の特徴は「同時多発会話」です。セリフが重なる。台本もずれがわかるように、視覚的に書かれていますね。

 

山崎 同時多発会話と言えば平田オリザの青年団ですが、青年団の同時多発会話が自然さを作り出すことに一役買っているのに対して、山本さんのジエン社では、別々のところに属しているはずのものが舞台上で同時に起きることによって何か別の効果を生み出す、ということが行われます。それも、3カ所4カ所で同時にしゃべっていたりとか、属する時空間も複数だとか、誰がどこで何をしゃべっているのかわからなくなるぐらいのことが舞台上で起きる。

 

落 部屋の中と、町の雑踏での会話が、同時に起きたりする。

 

山崎 しかも、混線して聞こえるように調整しているところがある。こっちのセリフの頭が、こっちのセリフのお尻とつながったりとか。そうすることによって本当だったら会話をしてない人たちが会話をしているように見えたり。

 

落 時間と空間の使い方が巧みですよね。

 

山崎 今回の『30光年のガールズエンド』では、シチュエーションが音楽スタジオに限定されていて、時も現在と過去の2種類しかないので、いつもに比べて非常に整理されています。

 

落 だけど、18歳という「過去」から30歳という「未来」を振り返るようなねじれを持っている。でも、そのねじれを逆にストレートに描いているとも言えるのかな。

 

山崎 12年を挟んだ二つの時間を行ったり来たりするんだけど、18歳の時点で出会う大人からの「そんなことやっててもどうにもならないよ」という上から目線と、18歳の女の子たちが30歳になって大人としての自分から過去の自分を見る視線、二重になっているんですよね。18歳の彼女たちも30歳の自分を思い描いたりする。そういう視線の多重化が構造としてうまい。それぞれに「現在」の自分を見つめて、どう生きるかということを真剣に問うている。

 

落 あと、砂川という音楽スタジオの経営者がいて、彼は18歳の女の子たちをドヤ顔して見下さない大人。そういう2種類の大人の対比も見えますね。

 

山崎 一方で、ドヤ顔している大人にももの悲しさや苦さみたいなものがある。だから、人生というか、人間の複雑さから逃げてないなと思うんです。

 

落 タイトルもロマンティックでキャッチーで、いいよね。

 

山崎 18歳と30歳だから本当は「12光年先」じゃないかとも思うんだけど(笑)。初演時から12年前というと震災前になるわけで、過去に向ける目線という意味ではここに書かれている以上の射程も含んでいると思う。前からジエン社を見ている人は、山本さんの最も尖った作品とは思わないかもしれないけど、いいところがわかりやすいかたちでまとまっていることは間違いないと思います。

 

落 私もそう思います。私の2015年のベスト5(http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/20151231/p1)に入れたぐらい、すばらしい作品でした。

 

 

神里雄大『+51 アビアシオン,サンボルハ』

 

あらすじ:ペルー移民の祖父母を持つ、神里雄大のルーツをめぐる旅をもとにした作品。大正時代の演劇人・佐野碩や、ペルーに移民向けの施設をつくった実業家・神内良一など様々な人物が登場し、幻惑的な雰囲気を醸す。タイトルは、ペルーの国番号と、神里の祖母の家がリマのサンボルハ地区アビアシオン通りにあることに由来する。(落)

  

神里雄大:1982年生まれ。ペルー共和国リマ市出身。早稲田大学第一文学部卒。岡崎藝術座 主宰、作家、演出家。

 

 

落 この作品の特徴は登場人物たちの長い独白の台詞が続くということですね。

 

山崎 神里さんは一つ前の『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』でも岸田賞の候補になっているんだけど、そのあたりからモノローグ主体のつくりになったよね。前からその傾向はあったけど、よりいっそう過激になった。

 

落 『〜ブラックコーヒー』のあたりから、一人称の長台詞において、語りかける対象を要請してくる感じが強まってきてます。なので、観客とのダイアローグだとも言えるんですよね。こちらの首ねっこをつかんで話しかけてくるような……。それが『〜アビアシオン』で強く認知され、最新作の『イスラ!イスラ!イスラ!』でさらに強まった。

 

山崎 強まりすぎて、それだけになってしまった(笑)。『イスラ!〜』は役名も何もなくなって、最初から最後までモノローグの作品。

 

落 『アビアシオン〜』に話を戻すと、神里さんは、おじいさまおばあさまがペルー移民なんですね。ご両親は日本で出会われて結婚したんですが、お父さんの仕事の都合で神里さんはペルーのリマで生まれた。今もペルーにお住まいのおばあさまに会いに行ったり、おじいさまのルーツである沖縄をめぐったり、という体験が反映されています。相当取材している。

 

山崎 この作品がうまいのは、自伝的ではあるんだけど、演出家・佐野碩と実業家・神内良一という二人の人物を引っ張りこむことによってさらに射程を広げているところ。

 

落 体験は神里さんの個人的なものだけど、それは戯曲の言葉を走らせる装置にすぎなくて、彼じゃないと演出できないわけじゃない。私は、他の人が翻案して上演するのを一度見てみたいです。

 

山崎 『イスラ!〜』は特にそう。戯曲から少し離れるけど、岡崎藝術座の舞台を見ると、俳優の謎の存在感だけが印象として残るみたいなことが往々にして起こる。

 

落 極彩色の油絵みたいな舞台だよね。

 

山崎 異様な迫力がある。上演からは特に感じるし、戯曲だけ読んでもやっぱり言葉だけで存在感が際立ってる。言葉だけでこの存在感というのはやっぱりすごいと思う。

 

落 岡崎藝術座の作品に「共感」を見いだすことは難しい。「うんうん、わかる」と言いたい人にはたぶん面白くないです(苦笑)。でも、知らないものを圧倒的に見せてもらえる感じがあって、「自分に見えているものだけを世界だと思うなよ!」みたいな強烈なメッセージをいつも浴びる。その経験は私にとってはすごく重要なものですね。

 

山崎 使われてる言葉自体が強烈。

 

落 比喩とか、言葉の選び方が独特ですよね。

 

山崎 まったく意味がわからないわけではないんだけど、引っかかるところがあちこちにある。

 

落 たとえば、116ページ(新潮2015年6月号)の上の段、「演劇を通じ、乳首を出した社会を見つめ」とか。

 

山崎 ごめん、そこは本当に意味がわからないわ(笑)。

 

落 あと、最後に主人公が劇場に見に行く芝居のタイトルが強烈。『人類皆右傾化(男根主義)』っていうやつ(笑)。そうかと思えば、会話でいきなり「そうかいそうかい創価学会」とか言い出す。こんなにグローバルな題材なのにギャグが完全に日本語依存っていうね。

 

山崎 自分に対しても茶々を入れるようなところがあるんだと思うんだよね。神里さんの「本気かどうかわからない感じ」というのは、けっこう大事だと思う。『アビアシオン〜』では特に、演劇をやっている人自体を相対化するような、ちょっと虚仮にするような言葉も出てきて、どこまで本気で言っているのかわからない。政治的なイシューも確実に主題を構成してるんだけど、真正面からメッセージをぶつけるような作りには絶対にならない。

 

落 演劇というもの自体が政治的であるということを実践している。

 

山崎 それをするためにギャグが必要になってくるということだと思う。本気かどうかわからないということは、本気かどうかを考えさせられるということだから。さっき「わからないわけではない」と言ったけど、作品全体としては「なんだったのかわからない」というような印象が、やっぱり残るよね。

 

落 だけど面白い。「わからないのに面白い」って最強!

 

 

三浦直之『ハンサムな大悟』

 

あらすじ:生まれた時に父を失った大悟は、父の眠る地面に触れることで愛を感じる少年だった。恋を繰り返す博愛的なママ、成長をともにする同級生たち、そしてふしぎな手を持つ大悟に惹かれたたくさんの女の子の姿を通して、愛するものに触れることの優しさとせつなさを描く、大悟の一代記。(落)

 

三浦直之:1987年生まれ。宮城県出身。日本大学藝術学部演劇学科中退。ロロ主宰、劇作家、演出家。

 

 

山崎 『ハンサムな大悟』の上演はすごく面白かった。

 

落 面白かったですね。

 

山崎 でも、戯曲を読んでみて思ったのは、かなり構えとして大きい作品ではあるんだけど、前半がちょっときついかなと。「大悟」はロロの篠崎大悟という俳優から来てて、実際に篠崎大悟が演じてる。でも、創作はそこからスタートしたのかもしれないけど、作品としては、篠崎大悟という個人を超えた普遍性を獲得している。しているはずなんだけど、この書き方だと閉じた作品に見えちゃう可能性があると思うんだよね。

 

落 でも、「大悟」的なピュアネスを持ったハンサムさの人でないとこれはできないと思う。

 

山崎 演じる人の問題というよりは戯曲の内容の問題で、三浦さんが在学していた日本大学芸術学部が出てきたり、制作の前説が戯曲に組み込まれてたりして、それが内輪ネタのように見えてしまうのは損だと思う。

 

落 でもグルーヴ感のある戯曲だなと思います。俳優が声に出して演技をするということを前提としている書き方。

 

山崎 そこも含めて上演としては魅力的だったんだけど、戯曲として読むと悪ふざけめいたやりとりが延々続くだけのようにも読めてしまうんだよね。戯曲賞としては、戯曲だけで見たときに弱い部分がある作品というのはどうしても不利になる。この作品は、「大悟」を通じて人の一生を描いていながら、それを超えた部分を描いているのがいいと思うんですよ。それが効いているのは、後半、すごい勢いで時間が加速していくところ。子どもが生まれたと思ったらあっという間に育って孫が生まれて妻は死んでしまう。

 

落 たたみかけるように。

 

山崎 ラストはたぶん大悟自身も死んでいる。

 

落 土に還っていく。

 

山崎 大地に包み込まれるようなイメージははじめからあるんだけど、それがラストで土に還っていく。上演だと地面が鏡になってる。鏡の効果で空と大地が反転することによって、「大地に還る」ことと「死んで星になる」ということが一緒になるようなイメージもあって、すごくイメージが広がる。上演ではそこがすごくよかった。ちょっと鳥肌がたつぐらい。

 

落 舞台上を覆っていた布が、ふわーっと浮き上がっていくのもよかったね。

 

山崎 それまで出会って死んでいった者たちと再会したり、生と死が循環していくイメージが随所に仕掛けられているんだけど、戯曲として読んでみると、あまり効果的ではないところもあるんじゃないかなと思った。特に前半は「やりたかったからやりました」というように見えるところが多すぎるんじゃないかな。

 

もうひとつ気になったのは語り。あれは古川日出男の影響かなと思ったんだけど、この戯曲は終盤まで「大悟は〜」という語りの数珠つなぎで場面が構成されてて、大悟が人生ですれ違う人たちがそれぞれの視点で大悟を語ることで時間的にも空間的にも広がりが出てる。で、最後は大悟自身の語りになるんだけど、ここでなぜ大悟が語り出すのかってところにもう一つ説得力がないんだよね。作品の構成としてはもちろん大悟自身の語りで終わるしかないんだけど。

 

落 でも確実にこれは一皮むけた作品だよね。私は上演台本買って帰って、翌日読み返してまた泣きましたよ。

 

山崎 三浦さんは、書こうと思えばもっと「巧く」書けるんだけど、劇団でやるときは「メンバーとやりたいことをやる」のを優先させているんだと思う。それでいいと思うし、上演はすばらしかった。でも戯曲としてはやはりこれはやりたい放題すぎるよ、というのが俺の意見です。

 

落 でも、いつか確実に岸田賞を獲る作家のひとりだと思います。5月にロロの新作があるので、これからにも期待してます。

 

 

タニノクロウ『地獄谷温泉 無明ノ宿』

 

あらすじ:北陸の温泉地の外れ、名もない湯治宿を訪れる人形師の親子。仕事の依頼を受けやってきたはずが宿の人間はいないという。バスは明朝までなく、親子は宿に留まることに。小人症の老いた父と闇を感じさせる中年の息子、そして異形の人形芝居。親子に当てられた逗留客たちの欲望が蠢きだす。(山崎)

 

タニノクロウ:1976年生まれ。富山県出身。昭和大学医学部卒。庭劇団ペニノ主宰。

 

 

落 次は庭劇団ペニノの『地獄谷温泉 無明ノ宿』にいきましょうか。

 

山崎 これも批評するのが難しい……。

 

落 そうですね。二人とも上演を見てしまっているので余計にそうなのかもしれませんが、「すばらしい作品でした」とまず言っておきましょうか。

 

山崎 真っ先に気になったのは、戯曲自体は独立して読めるんだけど、演じる俳優と切り離せないというか、俳優の裸が舞台上に提示されるということが極めて重要な作品だということです。

 

落 人形遣いは「小人症の老人」と台本に書かれていて、この役はコメディアン、手品師でもある俳優のマメ山田さんが演じました。

 

山崎 □字ックの日高ボブ美さんや劇団唐組の辻孝彦さんら、いろんな種類の体がバン!と舞台上にいるということが大きな意味を持つから、一度上演を見てしまっていると切り離すのが難しい。三助も、あの俳優さん(飯田一期)ありきじゃないかという気持ちもある。本当に、いろんな種類の体を用意しました、という感じはかなり強くあった。

 

落 たしかに、他の人がこの戯曲を使って上演する未来があまり想像できませんよね。4面の舞台美術も、ペニノ以外で再現するのは相当に困難のはず。

 

山崎 内容的にもわからない部分が多い。舞台は北陸の湯治宿で、戯曲の冒頭に「北陸新幹線の開業により消失した多くの生命に。」と書かれている。つまり、北陸新幹線の開通によって湯治宿がなくなってしまう直前に時間が設定されている。

 

この戯曲の中で何が起きているかというと、東京から人形師の親子がきて一晩を過ごすことで、北陸の鄙びた湯治宿にいる人たちに生命の畏れみたいなものを起こさせる。小人症の老人を見て三助が鼻血を出したり、欲情したりする。

 

最初はそういう嗜好を持っているのかなと思ったんだけど、よくよく読んでみると、その人形師親子の惨めたらしさを見ることによって、逗留客の中の生命みたいなものが呼び起こされる、ということが起きている。

 

落 そうだね。自分の中にうごめく生命力に、いったん気づかされてしまったらもう前の自分には戻れないじゃないですか。だから、そういう自分の欲望や生命力を知ることが幸せなのかそうでないのか……ということなのかなと思います。

 

山崎 でもその親子が東京からきているということをどう捉えればいいのかわからなくて。東京こそが惨めたらしいものだというふうに解釈することはできると思うんだけど。

 

落 私は東京からきたことより、主人公が異形の父親に人生を捧げる姿というか、学校にも行かせてもらえず抑圧されていることのほうが重要だと思ったかな。

 

山崎 単に田舎の宿で起きたことですという話ではなくて、東京との関係というのは下敷きにされていると思うんだよね。「年老いた体」は疲弊した地方と重ね合わせられるように思えるけど、でも親子は東京から来てる。しかも息子の体の方が「もっとむごい」と言われたりもする。すっきりと整理できるものではないと思うんだけれども。

 

落 深い余韻の残る作品ですね。

 

山崎 一方で見世物であることを絶対にやめないのがペニノのすごいところ。舞台が回り舞台になっていて、それをみんなでのぞきこむような構造になっている。

 

落 さまざまな体を持つ俳優さんを脱がせて、お風呂に入れてしまうわけですが、露悪的な感じがない。俳優さんたちの体それぞれに、生きてきた時間の堆積を感じました。年老いた体も女性の体もやせた体も太った体も、フラットに、染み入るように見えるんですね。そういう効果をつくるという意味で、こんなにすばらしい「脱ぐ芝居」は見たことがないです。

 

また、観客が凝視するように、巧みにつくられている。たとえば小人症の人や変な歩き方をする人が町中にいたら、見るのが申し訳ないような気がするじゃないですか。だけどペニノは、後ろめたさよりも快楽が上回る。倫理的なストッパーをはずされてしまう。

 

山崎 ナレーションもそれを助けている。おばあちゃんがやさしく、どうぞ見てくださいと語りかけてくる。

 

落 日本むかしばなしの市原悦子のような。

 

山崎 観ている観客の多くが東京近郊の人間だということもおそらく計算に入れられている。山奥の見捨てられたような温泉に強く視線を引きつける、強い欲望を持って見ることを観客にうながすというところが、やはりうまいですよね。【次ページにつづく】

 

 

 

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