全体と部分から世界の複層性を表現する――『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』

類似するモチーフが反復する画風が特徴的なN・S・ハルシャ。インド南部マイスールを拠点に活動する彼の初の大規模な個展『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』が東京の森美術館で2017年6月11日まで開催中だ。絵画、彫刻、インスタレーションなど多種多様な表現方法でさまざまな視点から世界を表現するハルシャ氏は、いったいどんな人物なのか。森美術館チーフ・キュレーター片岡真実氏に伺った。(取材・構成/増田穂)

 

 

複層的で両義的な世界を表現する

 

――森美術館はこれまでにもハルシャ氏の作品を展示していますが(注)、どのような方なのでしょうか。

 

(注)『チャロー!インディア:インド美術の新時代

2008年11月22日(土)から2009年3月15日(日)まで森美術館にて開催

 

生い立ちとしては、1969年インド南部のカルナーカタ州にあるマイスールの生まれです。故郷マイスールの大学で美術教育を受けた後、インド北部にあるヴァドーダラーの大学院で絵画の修士号を取得しています。その後マイスールに戻り、現在に至るまでそこで制作活動を続けています。作品はイギリス、アメリカ、ブラジル、オーストラリアなどを始め世界各国で紹介されており、日本でも福岡アジア美術トリエンナーレ(2002)、銀座メゾンエルメス(2008)、横浜トリエンナーレ(2011)などで作品を出品しています。

 

ただ、どんな人かと聞かれると説明するのが難しい方です。なかなかひとことでは表現できないので展覧会をやっているところもあるんですよ。

 

 

N・S・ハルシャ ポートレイト 撮影:御厨慎一郎 写真提供:森美術館

N・S・ハルシャ ポートレイト
撮影:御厨慎一郎
写真提供:森美術館

 

――作品のテーマとしてはどのようなものがあるのでしょうか。「チャーミングな国家」シリーズなどは政治性や社会性の高いものでしたが。

 

インド経済は1990年代初頭から自由化され、以後貿易や国外からの投資が盛んになり、グローバルな経済に取り込まれていきました。2000年代に描かれたいわゆる”ブラウン・ペインティング”と呼ばれる作品群には、そうした一連の動きの中でインドが抱える複雑な社会の様相が反映されています。《マクロ経済は日給30ルピーか60ルピーかで論争する》(2004)では農民と外国人投資家が交互に描かれ、《染まってゆく偉大なインド人》(2005)では田植えをする農民を投資家たちが自分たちの好きな色に染めようとしています。こうした様子はグローバル経済の影響を受けるインドや、マイスールの様子を象徴しているといえます。

 

ただ、ハルシャは二元的な対比としてグローバルビジネスと農村生活を描いているわけではありません。ハルシャが描き出している、社会の矛盾やその状況は、決して二項対立ではなく、より複層的で両義的な意味合いが込められているのです。

 

 

N・S・ハルシャ 《彼らが私の空腹をどうにかしてくれるだろう》(「チャーミングな国家」シリーズより) 2006年 アクリル、キャンバス 97 x 97 cm 所蔵:ボーディ・アート・リミテッド、ニューデリー

N・S・ハルシャ
《彼らが私の空腹をどうにかしてくれるだろう》(「チャーミングな国家」シリーズより)
2006年  アクリル、キャンバス  97 x 97 cm
所蔵:ボーディ・アート・リミテッド、ニューデリー

 

――《シャム双生児》(20072017)などは特にそうした両義性を感じました。投資に来るビジネスマンと農村部の人々の共依存的な関係と言いましょうか、複雑に事情が絡み合って繋がっている両者の関係を象徴しているような。

 

農夫とビジネスマンが結合双生児として描かれている作品ですね。したがって、ハルシャは海外投資家が畑の中にいることを批判しているわけではないんです。こうした状況が事実として存在することを、彼は第三者的な目線で対象から距離をとって注意深く観察している。そしてその光景を描いているのです。

 

“ブラウン・ペインティング”のシリーズはこうした社会的な事象が具体的に描き出されていますが、以後の作品では描かれる対象がより抽象的になります。しかしこうした社会の矛盾やその両義性を客観的な目で観察し、作品に投影していく手法は、その後の作品にも継承されています。

 

 

――「チャーミング」というと割りとかわいらしい印象だったのですが、実際は色合いも暗く、想像とは少し違いました。

 

そうですね。「チャーミング」は今回の展覧会のタイトルにも使っているキーワードですが、どちらかというと表面的なかわいらしさを代弁している言葉で、ぱっと見の表層的な部分で魅了されて入っていくと、少し違ったものが見えてくる。ハルシャにとって「チャーミング」とは未知の世界への誘いなのです。

 

「チャーミング」と言ったときに、果たして相手から見てもチャーミングなのか、という問題提起もあります。さまざまな矛盾を抱えているこの世界だけれども、それは批評すべき対象なのか、もしくは非常にユーモラスな、矛盾を抱えつつも愛すべき世界なのか。単にすばらしい世界とも、悲惨な世界とも言い切れない、両義性、多様性ということを「チャーミング」という言葉で表しているのだとも思います。

 

 

――というと、批評というよりは世の中のあるがままの姿を描き出そうとしているのでしょうか。

 

そう捉えることも可能だと思います。とはいえ、写真や写実主義絵画のようにあるがままを切り取っているわけではありません。ハルシャの具象的なモチーフの連続による絵画の構成は、通常は具象絵画と捉えられると思いますが、キャンバスの上に何を描き出すのか、画題を選ぶ作家の意図があり、その中には議論を呼び起こすような視点も混ざっています。ですから必ずしも批評性がなく、現実そのままの姿を描き出しているわけではありません。

 

彼は「Gaze(見つめる)」という言葉をよく使います。「Gaze」にはただ凝視するだけではなく、より深く対象へコミットしていくこと、そして同時に対象物から距離を置き、第三者的な目で物事を観察するという意味合いが含まれます。その姿勢はどこか自己を脱却し、宙を浮遊するような姿勢です。そうした意味では、物事の本質や関係性を、客観的にあるがままに捉えようという姿勢があるということもできるかと思います。

 

 

――作品のインスピレーションを受けるのは、やはり地元インドが多いのでしょうか。

 

もちろんマイスールに住んでいますし、影響は受けていますね。インスピレーションを受けるために何か特別なことをするような人でもありませんし、マイスールの市場に行ったり、家族と食事をしたりといった、日常に根ざした感覚が存在します。「チャーミングな国家」シリーズは地元マイスールを拠点に世界を意識して描いた作品です。ここで取り上げられているような現代社会の二面性やその両義性も、インドという国家やマイスールが起点になっています。

 

しかし「チャーミングな国家」シリーズ以降は、もちろん制作拠点としてはマイスールにいて、インスピレーションを受けているのですが、作品自体は、そこがマイスールでなくても成立するような、普遍性を持った作品が大体数を占めるようになります。

 

 

――そうした変化にきっかけはあったのでしょうか。

 

「チャーミングな国家」シリーズを描いていて、ソーシャルポリティカルアートとしての絵画に限界を感じたことがあると思います。ある時代や特定の地域に対する批評性を持った作品が、たとえば政治や社会の問題の解決に直結するわけではありません。そうしたある種の限界を感じて、むしろ絵画そのものの可能性を追求する方向性に進んでいったのでしょう。

 

 

――絵画そのものの可能性、ですか。

 

絵画はしばしば抽象画か具象画に分類されます。しかしハルシャの作品は具象的抽象画、つまりそのどちらでもなく、またそのどちらでもあるとも言えます。たとえばこの《無題》(2009)という作品は、左側は飛び散った絵の具のようにさまざまな色の線が描かれた、まさに抽象画です。しかし、その中央には具象的な人物群がいることによって、この絵は、絵画全体では具象でも抽象でもないものになっています。

 

 

N・S・ハルシャ 《無題》2009年 アクリル、キャンバス 182.9 × 365.8 cm 個人蔵

N・S・ハルシャ
《無題》2009年
アクリル、キャンバス
182.9 × 365.8 cm
個人蔵

 

実際にこの抽象部分が何なのかということはわかりません。《無題》では左側では色が散乱し、右側では一定の法則にのっとって描かれていますが、これを右から左に状態が移行していると読むことも、逆に左から右に移行していると読むことも出来ます。秩序と無秩序、構築と脱構築、コーディングとデコーディングの対比と読むこともできます。こうした関係性や両義性を考えさせられる作品です。

 

 

――観客にそうしたことを考えさせることが絵画の目的ということでしょうか。

 

観客の思考を促すのが目的というわけではないでしょうね。彼自身、世の中にはそうした相対するものが同時に存在することや、それをどう描くことが出来るのかということは考えて描いていると思いますが、それを観客に考えて欲しいという意図があるわけではありません。難しいことを考えずに、「かわいいから好き」と気に入ってみてくれればいい、というところもあるんです。

 

彼にとってアートとは何か目的を持ってやるものではなく、ごく自然に彼の内面で営まれ、外在化しているものなんです。そうして生まれた作品に対して、人がどう見るかということは気にしない。ハルシャ自身も「自分は料理人のようなもので、自分がいいと思って作ったものを提供する。食べた人がどう味わうかはその人の自由」といったことは言っています。【次ページにつづく】

 

 

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