2017.03.31

全体と部分から世界の複層性を表現する――『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』

森美術館チーフ・キュレーター 片岡真実氏インタビュー

文化 #森美術館#ハルシャ

類似するモチーフが反復する画風が特徴的なN・S・ハルシャ。インド南部マイスールを拠点に活動する彼の初の大規模な個展『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』が東京の森美術館で2017年6月11日まで開催中だ。絵画、彫刻、インスタレーションなど多種多様な表現方法でさまざまな視点から世界を表現するハルシャ氏は、いったいどんな人物なのか。森美術館チーフ・キュレーター片岡真実氏に伺った。(取材・構成/増田穂)

複層的で両義的な世界を表現する

――森美術館はこれまでにもハルシャ氏の作品を展示していますが(注)、どのような方なのでしょうか。

(注)『チャロー!インディア:インド美術の新時代

2008年11月22日(土)から2009年3月15日(日)まで森美術館にて開催

生い立ちとしては、1969年インド南部のカルナーカタ州にあるマイスールの生まれです。故郷マイスールの大学で美術教育を受けた後、インド北部にあるヴァドーダラーの大学院で絵画の修士号を取得しています。その後マイスールに戻り、現在に至るまでそこで制作活動を続けています。作品はイギリス、アメリカ、ブラジル、オーストラリアなどを始め世界各国で紹介されており、日本でも福岡アジア美術トリエンナーレ(2002)、銀座メゾンエルメス(2008)、横浜トリエンナーレ(2011)などで作品を出品しています。

ただ、どんな人かと聞かれると説明するのが難しい方です。なかなかひとことでは表現できないので展覧会をやっているところもあるんですよ。

N・S・ハルシャ ポートレイト 撮影:御厨慎一郎 写真提供:森美術館
N・S・ハルシャ ポートレイト
撮影:御厨慎一郎
写真提供:森美術館

――作品のテーマとしてはどのようなものがあるのでしょうか。「チャーミングな国家」シリーズなどは政治性や社会性の高いものでしたが。

インド経済は1990年代初頭から自由化され、以後貿易や国外からの投資が盛んになり、グローバルな経済に取り込まれていきました。2000年代に描かれたいわゆる”ブラウン・ペインティング”と呼ばれる作品群には、そうした一連の動きの中でインドが抱える複雑な社会の様相が反映されています。《マクロ経済は日給30ルピーか60ルピーかで論争する》(2004)では農民と外国人投資家が交互に描かれ、《染まってゆく偉大なインド人》(2005)では田植えをする農民を投資家たちが自分たちの好きな色に染めようとしています。こうした様子はグローバル経済の影響を受けるインドや、マイスールの様子を象徴しているといえます。

ただ、ハルシャは二元的な対比としてグローバルビジネスと農村生活を描いているわけではありません。ハルシャが描き出している、社会の矛盾やその状況は、決して二項対立ではなく、より複層的で両義的な意味合いが込められているのです。

N・S・ハルシャ 《彼らが私の空腹をどうにかしてくれるだろう》(「チャーミングな国家」シリーズより) 2006年 アクリル、キャンバス 97 x 97 cm 所蔵:ボーディ・アート・リミテッド、ニューデリー
N・S・ハルシャ
《彼らが私の空腹をどうにかしてくれるだろう》(「チャーミングな国家」シリーズより)
2006年  アクリル、キャンバス  97 x 97 cm
所蔵:ボーディ・アート・リミテッド、ニューデリー

――《シャム双生児》(20072017)などは特にそうした両義性を感じました。投資に来るビジネスマンと農村部の人々の共依存的な関係と言いましょうか、複雑に事情が絡み合って繋がっている両者の関係を象徴しているような。

農夫とビジネスマンが結合双生児として描かれている作品ですね。したがって、ハルシャは海外投資家が畑の中にいることを批判しているわけではないんです。こうした状況が事実として存在することを、彼は第三者的な目線で対象から距離をとって注意深く観察している。そしてその光景を描いているのです。

“ブラウン・ペインティング”のシリーズはこうした社会的な事象が具体的に描き出されていますが、以後の作品では描かれる対象がより抽象的になります。しかしこうした社会の矛盾やその両義性を客観的な目で観察し、作品に投影していく手法は、その後の作品にも継承されています。

――「チャーミング」というと割りとかわいらしい印象だったのですが、実際は色合いも暗く、想像とは少し違いました。

そうですね。「チャーミング」は今回の展覧会のタイトルにも使っているキーワードですが、どちらかというと表面的なかわいらしさを代弁している言葉で、ぱっと見の表層的な部分で魅了されて入っていくと、少し違ったものが見えてくる。ハルシャにとって「チャーミング」とは未知の世界への誘いなのです。

「チャーミング」と言ったときに、果たして相手から見てもチャーミングなのか、という問題提起もあります。さまざまな矛盾を抱えているこの世界だけれども、それは批評すべき対象なのか、もしくは非常にユーモラスな、矛盾を抱えつつも愛すべき世界なのか。単にすばらしい世界とも、悲惨な世界とも言い切れない、両義性、多様性ということを「チャーミング」という言葉で表しているのだとも思います。

――というと、批評というよりは世の中のあるがままの姿を描き出そうとしているのでしょうか。

そう捉えることも可能だと思います。とはいえ、写真や写実主義絵画のようにあるがままを切り取っているわけではありません。ハルシャの具象的なモチーフの連続による絵画の構成は、通常は具象絵画と捉えられると思いますが、キャンバスの上に何を描き出すのか、画題を選ぶ作家の意図があり、その中には議論を呼び起こすような視点も混ざっています。ですから必ずしも批評性がなく、現実そのままの姿を描き出しているわけではありません。

彼は「Gaze(見つめる)」という言葉をよく使います。「Gaze」にはただ凝視するだけではなく、より深く対象へコミットしていくこと、そして同時に対象物から距離を置き、第三者的な目で物事を観察するという意味合いが含まれます。その姿勢はどこか自己を脱却し、宙を浮遊するような姿勢です。そうした意味では、物事の本質や関係性を、客観的にあるがままに捉えようという姿勢があるということもできるかと思います。

――作品のインスピレーションを受けるのは、やはり地元インドが多いのでしょうか。

もちろんマイスールに住んでいますし、影響は受けていますね。インスピレーションを受けるために何か特別なことをするような人でもありませんし、マイスールの市場に行ったり、家族と食事をしたりといった、日常に根ざした感覚が存在します。「チャーミングな国家」シリーズは地元マイスールを拠点に世界を意識して描いた作品です。ここで取り上げられているような現代社会の二面性やその両義性も、インドという国家やマイスールが起点になっています。

しかし「チャーミングな国家」シリーズ以降は、もちろん制作拠点としてはマイスールにいて、インスピレーションを受けているのですが、作品自体は、そこがマイスールでなくても成立するような、普遍性を持った作品が大体数を占めるようになります。

――そうした変化にきっかけはあったのでしょうか。

「チャーミングな国家」シリーズを描いていて、ソーシャルポリティカルアートとしての絵画に限界を感じたことがあると思います。ある時代や特定の地域に対する批評性を持った作品が、たとえば政治や社会の問題の解決に直結するわけではありません。そうしたある種の限界を感じて、むしろ絵画そのものの可能性を追求する方向性に進んでいったのでしょう。

――絵画そのものの可能性、ですか。

絵画はしばしば抽象画か具象画に分類されます。しかしハルシャの作品は具象的抽象画、つまりそのどちらでもなく、またそのどちらでもあるとも言えます。たとえばこの《無題》(2009)という作品は、左側は飛び散った絵の具のようにさまざまな色の線が描かれた、まさに抽象画です。しかし、その中央には具象的な人物群がいることによって、この絵は、絵画全体では具象でも抽象でもないものになっています。

N・S・ハルシャ 《無題》2009年 アクリル、キャンバス 182.9 × 365.8 cm 個人蔵
N・S・ハルシャ
《無題》2009年
アクリル、キャンバス
182.9 × 365.8 cm
個人蔵

実際にこの抽象部分が何なのかということはわかりません。《無題》では左側では色が散乱し、右側では一定の法則にのっとって描かれていますが、これを右から左に状態が移行していると読むことも、逆に左から右に移行していると読むことも出来ます。秩序と無秩序、構築と脱構築、コーディングとデコーディングの対比と読むこともできます。こうした関係性や両義性を考えさせられる作品です。

――観客にそうしたことを考えさせることが絵画の目的ということでしょうか。

観客の思考を促すのが目的というわけではないでしょうね。彼自身、世の中にはそうした相対するものが同時に存在することや、それをどう描くことが出来るのかということは考えて描いていると思いますが、それを観客に考えて欲しいという意図があるわけではありません。難しいことを考えずに、「かわいいから好き」と気に入ってみてくれればいい、というところもあるんです。

彼にとってアートとは何か目的を持ってやるものではなく、ごく自然に彼の内面で営まれ、外在化しているものなんです。そうして生まれた作品に対して、人がどう見るかということは気にしない。ハルシャ自身も「自分は料理人のようなもので、自分がいいと思って作ったものを提供する。食べた人がどう味わうかはその人の自由」といったことは言っています。

複数の要因が絡み合い、一つの作品になる

――子供たちへのワークショップも開催されているようですね。

ワークショップというよりは、作品の一環ですね。彼が特に関心を持っているのは、人間という物質、もしくは生命体が、どのような方法で知識を蓄積していって、どのように発展していくのか、また、どのように知識と成長が関連していくのかということなんです。なので、ワークショップ、というよりはプロジェクトと言ったほうが語弊がないかもしれませんが、そうした活動を通じて、子供がどう考えているのか、子供の中にどのような創造性があるのかということを抽出しているのだと思います。

ですから、ワークショップといわれることもあるのですが、教育的な意図は全くないです。子供たちと一緒に何かをやりながら、彼らの中で知識や発想が生まれていくことを楽しんでいるのだと思います。

――子供たちとのプロジェクトもそうですが、本当に多様な方法でアートをされていますよね。今回の展示作品も彫刻や絵画やインスタレーションと多種多様で、同じ方が制作されているとは思えないほどでした。

そうですね。全体としては絵画が中心ですが、さまざまなメディアを往来しながら作品を作っています。とはいえ、その多くはハルシャにとっては絵画の延長とも言えます。たとえば、《ネイションズ(国家)》(2007/2017)は193台の足踏み式ミシンの上に、国連加盟国193カ国の国旗が配されたインスタレーションですが、とても絵画的な作品です。国旗は全て手描きで片面に書かれていて、敢えて手描きの風合いを残すことで国家という枠組みの曖昧さを示唆しています。

N・S・ハルシャ 《ネイションズ(国家)》 2007 / 2017年 193台の足踏み式ミシン、アクリル、キャンバス サイズ可変 展示風景:「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」森美術館、2017年 撮影:椎木静寧 写真提供:森美術館
N・S・ハルシャ
《ネイションズ(国家)》2007 / 2017年
193台の足踏み式ミシン、アクリル、キャンバス
サイズ可変
展示風景:「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」森美術館、2017年
撮影:椎木静寧、写真提供:森美術館

他にも、《レフトオーバーズ(食べのこし)》(2008/2017)は、食品サンプルで南インド料理の定食「ミールス」を作ったものですが、バナナの葉の上にいろとりどりの主菜や副菜が置かれた定食のレフトオーバーズ(食べ残し)がいくつも連なって床に配置されています。これも絵画ではありませんが、バナナの葉それ自体がキャンバスとも言えますし、ミールスと一緒に並べられる足跡の付いたマットは非常に絵画的です。

N・S・ハルシャ 《レフトオーバーズ(残りもの)》 2008 / 2017年 アクリル、プラスティック用樹脂、キャンバス サイズ可変 展示風景:「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」森美術館、2017年 撮影:椎木静寧 写真提供:森美術館
N・S・ハルシャ
《レフトオーバーズ(残りもの)》2008 / 2017年
アクリル、プラスティック用樹脂、キャンバス
サイズ可変
展示風景:「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」森美術館、2017年
撮影:椎木静寧、写真提供:森美術館

――ハルシャ氏の作品は反復するイメージが特徴的ですが、インドの伝統的な絵画の反復の特徴などから影響を受けているのでしょうか。

そうした側面もありますが、インドの伝統絵画全てに反復の要素があるわけではありません。また、ハルシャのアートはとても複雑で、因果関係を端的に結びつけることはできません。反復するイメージについても、さまざまな要素が絡み合っていると考えられます。

反復するイメージのルーツの一つには、たとえばチェンナケーシャヴァ寺院やホイサレシューヴァラ寺院など中世のヒンドゥー王朝の寺院に見られる細密彫刻の伝統があります。これらの様式では、壁の部分が階層ごとに区切られ、それぞれに力を象徴する象、勇気を象徴する獅子、速さを示す馬などの形象が反復して彫られています。

一方、彼の出身地であるマイスールのペインティングの特徴も、彼の作風に通じるものがあります。インドは多民族、多宗教、多言語の複合国家で、それぞれに独特の伝統や文化があります。ペインティングにもそれぞれの地域で異なる特徴があり、マイスール・ペインティングでは、画面一杯に人や動物の顔が重なって描かれる傾向があります。ハルシャの反復する形象の表現と共通性があるでしょう。

《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》(1999-2001)も複数の似た形象の反復により構成されていますが、その中の一つ《私たちは食べ》のモデルはヒンドゥー教の寺院でメガキッチンと言われているものです。メガキッチンでは、集まる巡礼者数万人のためにミールスを提供し、人々はそこで並んで食事をします。また、現在人口が12億におよぶインドでは、人が並んでいる光景をしばしば見かけます。

こうしたことを踏まえると、ハルシャのモチーフの反復による表現方法は、何か一つのスタイルを反映させているのではなく、さまざまな文化や歴史、社会の実情などが相まって生み出されているものだということがよくわかると思います。もちろん、ミニマル・アートやポップ・アートなど美術史的な参照も可能です。

――表現方法の成り立ちも複層的なんですね。

ええ。ハルシャの視点はGazeによる第三者的で包括的な目線と言いましたが、その視点は常にさまざまな場所へ移動します。その複眼的な視点や価値観が折り重なって、ハルシャという人物を作っている。今回の展示も、時代も地域も超えて、非常に多様な文脈を一つの作品に取りまとめるハルシャの複層性や、複数の視点や価値観で一つのものが形成されている様子を表現したかったんです。

――難しいですね……。

難しいですよ。でも、世界はそうして成り立っているんです。一人の人間では手に負えないような、無数の数え切れない価値観や多様性が折り重なって一つの大きなものが形成されている。ハルシャの作品を見ていると、そうした複雑な時代や世界を生きていることに気付くんです。

たとえば《ここに演説をしに来て》(2008)には、2000以上の人や動物が描かれ、世界中どこにでもあるプレーンなプラスチックの椅子に座っています。単なる人物像の繰り返しのように見えますが、この2000のキャラクターは全て異なります。単純なようで複雑な世界を示しているといえるでしょう。

N・S・ハルシャ 《ここに演説をしに来て》 2008年 アクリル、キャンバス 182.9×182.9 cm(×6)
N・S・ハルシャ
《ここに演説をしに来て》2008年
アクリル、キャンバス
182.9×182.9 cm(×6)
N・S・ハルシャ 《ここに演説をしに来て》(部分) 2008年 アクリル、キャンバス 182.9 ×182.9 cm(×6)
N・S・ハルシャ
《ここに演説をしに来て》(部分)2008年
アクリル、キャンバス
182.9 ×182.9 cm(×6)

先ほどの《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》も、全体を見ると同じような行動をする人物像が反復して描かれていますが、一方で《ここに演説をしに来て》同様、描かれている人物は誰一人として同じ人はいません。誰もが行う日常の基本的な動作が、いかに多様で個性のあるものなのかということに気付かされます。こうした全体としての統一性と、部分としての個別性も、ハルシャの中にある両義性でしょう。

N・S・ハルシャ 《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》(部分) 1999-2001年 合成樹脂絵具、キャンバス 172.1 x 289.3 cm、169.7 x 288.5 cm、172.2 x 289.2 cm 所蔵:クイーンズランド・アートギャラリー、ブリズベン
N・S・ハルシャ
《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》(部分)1999-2001年
合成樹脂絵具、キャンバス
172.1 x 289.3 cm、169.7 x 288.5 cm、172.2 x 289.2 cm
所蔵:クイーンズランド・アートギャラリー、ブリズベン

――移動する、寝る、食べるなど、人の生存の根本に関わる行動を切り取った作品が多いですよね。彼が人間のこうした活動に注目したのは何故なのでしょうか。

特別注目した、ということではないと思います。先ほども触れましたが、インスピレーションを受けるために何か特別なことをするようなこともありません。日々の生活の中で自然に目にしたことを自然な感覚で表現している。

今回も会場内に眠っている人の絵が床に置かれていて一見びっくりするかもしれませんが、インドに行ってみると、実際に路上で寝ている人々がたくさんいるんです。また、マイスールにはランゴーリーという床絵の伝統があります。日本の盛り塩のようなもので、毎朝新しい運気を入れるために、幾何学模様を床に描くんです。彼は母親がランゴーリーを描くのを毎日見ていました。ですから、床に眠る人々の絵を描くことは、彼にとっては極めて自然なことだったのです。

――特別何かがあって、ということではないのですね。

ええ。もちろん彼が置かれた状況は作風にも影響を与えていますが、その生い立ちが何か特別だったということもありません。彼のこうした視点や表現方法は、彼が実際に生きてきた中で、自然に確立してきたものなのでしょう。特別意識をしてきたものではないのです。

実際、彼にとってはそうした意識を言語化するということは非常に難しい作業のようで、今回の展覧会の作品解説のためインタビューを行ったときも、試行錯誤がありました。

今、最も躍動感のあるアジアに注目する

――森美術館はアジアの現代アートの展示に力を入れているんですよね。個人的には、近代的なビジネス街の六本木ヒルズでアジアの現代美術に注目しているというのが意外でした。

古いですね(笑)。今はアジアの方が断然若いエネルギーがあって、新しいものが起こっているんですよ。ヨーロッパやアメリカ、日本など先進国の経済成長は低迷してしまっています。ヨーロッパは自分自身を「We are sleeping beauty」と表現し、もう眠れる森の美女のように眠ってしまったものだと考えている。今、躍動的なエネルギーが生まれているのはアジアなんです。

アートにおける躍動感は経済的な発展とも連動しているところがあります。90年代から2000年代にはチャイニーズ・アートが世界中で注目されました。その後が、インド、中東、東南アジアなどです。経済的な成長率も一桁台後半から10%以上と、その成長に目を見張るものがある地域の現代アートが注目されています。日本の中ではよく西洋が進んでいて、アジアが遅れている、という価値観で語られがちですが、もうそんな時代じゃないんですよ。

――確かにそうした既成概念のようなものはありますね。

日本がそういう教育をしてきたということもあると思います。日本の美術界は、明治維新後はヨーロッパ、戦後はアメリカと、長らく西洋と日本のことだけに注目してきました。同時にアジア地域も自分たちと欧米のことにフォーカスしていたので、お互いに知識の共有はほとんどされていなかったんです。しかし90年代以降の現代アートはグローバル化した時代のアートといわれ、世界中が世界各国へもう一度目を向けてみようとしています。欧米でもラテンアメリカのアートを見直したり、アフリカのアートを見直したり、もちろんアジアも注目されています。私たちは今、そういう時代に生きているんです。

ですからもう、西洋が進んでいて東洋が遅れているとか、そういう感覚は全く時代に立ち遅れているんですよ。今、シンガポールに行っても、クアラルンプールに行っても、香港に行っても、日本は相当負けている印象を受けます。アートフェアなども主要なものは東京ではなく香港やシンガポールで開催されていますが、こうした事実自体、世界のアート界が注目しているのが東京ではなくそうした都市なのだということです。それをしっかり自覚しなければならないと思っています。

森美術館がアジアの現代アートに力を入れているのは、第一に、もちろん世界的に見たときに、地理的に自分たちが根ざしている日本、そしてアジアという地域についてよく学び、紹介していくことが当然のことだとの意識があります。しかし何より、これまでのように欧米のことだけ紹介していれば国際的な美術館になれた時代はとっくに終わっているんです。世界全体を俯瞰して見たときに、自分たちが属している、そして今最もエネルギーのあるアジアという地域に着目することはごくごく自然なことなんです。

――その中で今回ハルシャ氏に注目したのは何故なのでしょうか。

森美術館では、アジアの中堅作家を中心に紹介する個展の流れがあり、これまでベトナムや台湾、日本、中国などを取り上げてきました。その一環で、これまで、大国でありながら取り上げていなかったインドのアーティストの個展を開催しようと企画したんです。

その中でもハルシャを選んだのは、やはり彼のもつ両義性、多様性です。ハルシャのスタイルには、何が中心にあるのかわからず、非常に多様な視点が織り込まれています。こうした両義性・多様性をもつアーティストは、数点の作品を見るだけではなかなか理解できません。約1500平米という空間で、これだけ多様な彼の作品を展示することによって、初めて「N・S・ハルシャとは誰か」という答えが見えてくるのではないかと思います。

また、複眼的な視点を持つハルシャの作品通じて、今申し上げたような東洋と西洋、地方と首都、国内と国外といった単純化、一般化された二重構造的視点を脱し、世界を構成する複雑で複層的な視点を共有するきっかけにできるのではないか。そんなふうに期待しています。

――改めて、ハルシャとはどんな人なのかを問いながら作品を見てみたいと思いました。片岡さん、お忙しい所ありがとうございました。

■展覧会情報

N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅

会期:2017年2月4日(土)~6月11日(日)

会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)

開館時間:10:00~22:00(火曜日は17:00まで)

※いずれも入館は閉館の30分前まで

※会期中無休

観覧料:一般1800円 学生(高校・大学生)1200円 子供(4歳-中学生)600円 シニア(65歳以上)1500円

※前売りチケット 一般1500円 購入先:チケットぴあ[Pコード:767-995]

展覧会ホームページ

http://www.mori.art.museum/contents/n_s_harsha/

プロフィール

片岡真実森美術館チーフ・キュレーター

ニッセイ基礎研究所都市開発部文化・芸術プロジェクト担当研究員、東京オペラシティアートギャラリー・チーフキュレーターを経て、2003年1月より森美術館にて勤務。森美術館では、「六本木クロッシング:日本美術の新しい展望」(2004年)、「小沢剛:同時に答えろYESとNO!」(2004年)、「アイ・ウェイウェイ:何に因って?」(2009年/2012~2014年 北米の美術館5館を巡回)、「ネイチャー・センス展」(2010年)、「イ・ブル展:私からあなたへ、わたしたちだけに」(2012年)、「会田誠展:天才でごめんなさい」(2012年)、「六本木クロッシング:アウト・オブ・ダウト」(2013年)、「リー・ミンウェイとその関係展」(2014年/2015~2017年 台湾、ニュージーランドの美術館を巡回)「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」(2017年)などを企画。その他、第21回シドニー・ビエンナーレ(2018年)芸術監督、第9回光州ビエンナーレ(2012年)共同芸術監督、CIMAM(国際美術館会議)理事(2014年~)、小田原文化財団理事(2009年~)。ニューヨーク近代美術館・近現代美術国際キュラトリアル・インスティテュート修了(2014年)(撮影: Daniel Boud)

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