聴こえる”わたし”が見つめる、聴こえない両親の世界

2017年6月10日より全国の劇場で公開がはじまる映画『きらめく拍手の音』。イギル・ボラ監督のデビュー作となるこの作品は、耳が聴こえない両親をもつ彼女自身の視点から家族をとらえたドキュメンタリー作品である。「コーダ(聴こえない親をもつ子ども)」の視点から見た、ろう者の世界の魅力とは。コーダへの聞き取り調査や研究を行う成蹊大学准教授、澁谷智子氏と語り合う。(通訳=根本理恵 構成=萩野亮 採録=大久保渉)

 

■作品紹介

聴こえない両親をもつ娘の視点から、家族の“賑やかな”日常と「聴こえない世界」の美しさを描いたドキュメンタリー。母と父の出会い、子育ての苦難、そして「コーダ」としての自身の葛藤。早く大人になろうとした子どもたちはやがて20代になり、親から離れる時期を迎える。わたし(イギル・ボラ監督)と弟は外の世界を知ることで、音のない世界と音であふれる世界のはざまにいる自分たちを徐々に受け入れていった。

 

■「コーダ」とは?

「CODA:Children of Deaf Adults」とは、聴こえない親をもつ聴者の子どものこと。幼い頃から聴こえない親のもとで育つことから、親と社会をつなぐ役割を担わざるを得ない状況も含めたコミュニケーションの困難さにぶつかることも多い。コーダ同士でそうした体験を話し合う団体は、日本だけでなく世界中に数多く存在する。

 

 

左・イギル・ボラ監督、右・澁谷智子氏

左・イギル・ボラ監督、右・澁谷智子氏

 

 

ドラマや映画におけるろう者

 

ボラ 澁谷さんが書かれた『コーダの世界――声の文化と手話の文化』(医学書院)、ぜひ読んでみたいです。韓国ではコーダに関連したコンテンツがほとんどありません。私も『きらめく拍手の音』という、映画と同じタイトルの本を書いたのですが、そこには私自身の経験を元に読み解いていったことを書きました。しかし、論文などを読み込んで勉強したことがないので、知識として気になっていましたし、文化としてコーダのことがどう捉えられているのか知りたいと思っていました。

 

澁谷 私が本を書いたときにも先行研究は少なく、とりわけ日本語で書かれたものはほとんどありませんでした。最初は、大学院の博士論文のテーマとしてコーダを選んだのがきっかけだったんです。その前の卒業論文のときには、「デフフィルム」=ろう者が撮った映画や、聴こえる人の視点でろう者を描いた「手話ドラマ」について書きました。その時に、やはり自分は聴こえる人間なので、「ろうの人たちの感覚をどこまで理解できるのだろうか」と考えたんです。コーダの人たちは聴こえる世界にいながら、聴こえない両親を間近で見て育ち、その両面を知っているのではないかと思い、研究してみたいと思いました。

 

ボラ 韓国では障害者の人たちがでてくるドラマや映画はほとんどないですね。あったとしても脇役で、たとえばサスペンスで犯罪現場に居合わせたろう者が犯人を目撃していた、とかでしょうか。「耳は聴こえないが目が良い」というイメージで単純化されたものが多いですね。あるいは、教訓の対象にされることもあります。「障害者の人たちはかわいそう」「この子たちも頑張っているんだから、自分たちも頑張って生きよう」という描かれ方をされがちです。

 

澁谷 日本では数年前に手話ドラマが流行った時期がありましたが、やっぱり「主人公が障害を乗り越えていく感動の物語」として描かれたり、家族の絆やロマンスを扱う作品が多かったですね。それらと、ろうの人が撮った作品と比較してみると、描き方が全く違うことに気づかされます。

 

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私はコーダなんだ

 

ボラ この映画を撮った理由の一つは、子どもの頃からドキュメンタリーを観るのが好きだったということがあります。そしてもう一つは、「私の両親は“かわいそう”なのではなくて、ただみんなとは違う言語を使用しているだけなんですよ」と、きちんと周りに説明したかったからです。

 

私は子どものころから、両親について、常に周りに説明をしなければいけない立場にありました。父や母と外出するときも、「私の両親は聴覚障害があります。何かお話があれば私が通訳をします」と言わなければなりませんでした。その度に、相手からは色々な反応が返ってきます。びっくりして慌てふためく人もいれば、ポケットに手を入れて、同情と憐みの気持ちでお金を握らせてくる人もいました。いつも私は「どうして周りの人たちはこんな反応をするんだろう」と疑問に思っていたんです。

 

私の両親が話をするときの表現の仕方はとても豊かで、眉毛を動かしたり、表情をたくさん使って伝えようとしています。ろう者の世界は、みんながイメージしているようなものではなくて、もっと美しくて賑やかなものなんです。そのことを私の好きなドキュメンタリーで説明したいという思いから、この映画を撮ることになりました。

 

映画を作る前は「コーダ」という言葉さえ知りませんでした。でも、映画を作る過程において、「私はコーダなんだ」ということをはっきりと自覚できた気がします。そして、両親が住んでいるろうの世界と、私のコーダの世界、そして聴こえる人たちの世界というのは、別々にあるのだけれどもそれぞれが対等な存在なのだと、しっかりと知ることができました。一方、それぞれにやはり違う文化があるとも思います。母も、もちろんコーダのことを理解しようとするのですが、どうしてもお互い分かり合えない部分はあります。

 

澁谷 私がコーダの人たちに聞いて面白いと思ったことは、目の使い方です。ろう者の方は目を見て話をするので、コーダもそうした感覚を身に付けていて、それが色々な誤解を招いてしまう。見ている時間が長すぎて、「この人、僕のこと好きなのかな?」と勘違いされてしまったり(笑)。コーダ自身も聴こえる人の目の使い方に違いを感じることもあって、たとえば恋人と海辺のベンチで話をしているときに、彼は海を見ながら話しているのだけれど、目を見てくれないとなんだか物足りなく感じてしまう、という人もいました。

 

ボラ そういうことはありますね。コーダの人たちは自分の気持ちをとてもストレートに伝えます。私も第一言語は手話ですから、どうしても手話のような感覚で話をしてしまう。頭の中で手話をやって、ちょっと遅れて考えてから口で話す、というような。だからよく「礼儀がない!」と言われることがあります。

 

澁谷 コーダはストレートに言ってしまいますね。たとえば私が聞いた話では、髪を切って「似合う?」と聞かれたときに、「似合わない、前の方がよかった」と正直に言ってしまうという話がありました。そのコーダは、そういうときは「似合う」と言ってほしいのだなと後から気付いたと言っていました。また、社交辞令のような感じで「いつでも遊びに来て下さいね」と言われて、その日に遊びに行ったらすごくびっくりされたという話も聞きました(笑)。「それなら『いつでも遊びにきて』って言わなければいいじゃない!」と思ったんだそうです。

 

ボラ (笑)。ろう者のコミュニケーションの仕方で素敵だなと思うのは、やはり「目を合わせること」です。目を見てしっかりと話すということが、より純粋で、より嘘がつけない方法なのではないかと思います。それは、お互いの意思の疎通を容易にしてくれるものだと思っています。

 

 

 

 

子どもの泣き声が聴こえない

 

ボラ 両親が子育てをするときに一番困ったのは、夜中に子どもが泣いていても分からないことだと言っていました。夜中に子どもが泣いたら、親が起きてお乳をあげたりおむつを替えてあげたりしなければいけない。その泣き声が聞こえない。だからよく、ろうの両親から生まれた子どもは、よそに預けられてしまうんです。祖父母や親戚の家が引き取るケースが多いのだそうです。

 

でも、やはりそれはよくないと思います。両親と離れてしまったら両親の文化も分からないですし、手話を覚えるのも遅くなり、ろうの文化にも遅くなってから接することになる。そうなってくると本当の親ではなくなってしまうと思います。私の父は、補聴器を付ければなんとか少しだけ音が拾えたので、聞こえたらすぐに母を起こすというやり方で子育てをしてくれたみたいです。

 

澁谷 私がろう者の方々に聞いた話では、世代によって違いがあるなと感じます。やはり上の世代の人たちは、「本当に育てられるのか」「言葉はどうやって教えるの?」と言われることが多かったようです。しかし今の若い世代は比較的、「手話は言語だ」という考え方や、「自分は手話で子どもを育てるんだ」という意識を持つ親たちも増えてきて、そういう方々はすごく教育熱もあるんですよね。

 

他にも、世代差や地域差を感じるのは、たとえば上の世代の人ですと「聞こえる人は何でも分かる」と思いがちだったりすることです。だから、無理な通訳を子どもに期待してしまう。まだ幼稚園なのに、銀行へ行って口座をつくるための通訳をさせたり……。

 

ボラ 私にもそういった経験があります。今までは私だけだと思っていたのですが、世界にいるコーダは結構みなさんそういった経験をしているみたいです。『ビヨンド・サイレンス』(1996)という映画に出てくる主人公の子どもも、学校に行っているのに早退させられて、銀行に連れて行かれて通訳をさせられるというシーンがありました。

 

澁谷 あれを見て、はっとした人も多かったみたいですね。コーダで通訳を多くしてきた人たちはそういった経験を重ねていって、周りの子どもより早く大人になってしまう面もあるように思います。【次ページにつづく】

 

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