2015.03.13
『21世紀の資本』訳者解説――ピケティは何を語っているのか
700ページ以上の大作、さらに経済専門書にも関わらず、世界各国で100万部以上を売り上げた『21世紀の資本』。現在、空前の「ピケティーブーム」だ。なぜ、こんなにも注目が集まっているのか。そして、ピケティはいったい『21世紀の資本』で何を語っているのか。訳者・山形浩生と、経済学者の飯田泰之が語る。紀伊國屋ホールで行われた「ピケティ『21世紀の資本』刊行記念 山形浩生×飯田泰之トークショー 訳者解説プラス」より抄録。(構成/山本菜々子)
飯田 本日は、『21世紀の資本』訳者・山形浩生さんにお話を伺います。ピケティ大流行ですね! 米国では50万部売れたそうですが、現在、日本ではどのくらい売れているのですか。
山形 7刷か8刷で、13万部売れていると聞いています。
飯田 単価を考えると今世紀でいちばん売り上げた経済専門書になるのではないでしょうか。
山形 そうですよね。僕のところに翻訳しろという話が来たのも、まずこの本がそんなに売れるとは思われていなかったという証拠です(笑)。700ページもあって手間もかかるし、内容も専門的です。専門的ということはいろいろな学者さんがつつく可能性があります。その上、売れないし、それだったら収入にならないし、時間はかかるし、そんなのをやりたがるのは専門にやっている学者さんしかいません。翻訳家の方はなかなかやらない。
僕には本業があるので、売れなさそうでめんどくさそうな仕事がけっこう回ってきます。売れなくても、あいつは面白ければやると思われている。「売れる本を山形が独占してけしからん」と思っている方もいるかもしれません。ですが、こんなに売れるなんてぼくも意外だったので、そこら辺は誤解なきように(笑)。
なぜ流行したのか
飯田 さて、まずは月並みなお話ですが、なぜこんなにも『21世紀の資本』は注目されたのでしょう。まさに大流行という状況です。
山形 何年に一度かは訳の分からないものが流行る。たまたまみんなが欲しているときに、目先の変わったものを求めただけかもしれません。その一方で、多くの人が格差を感じていて、その背景を知りたいという思いがあったのでしょう。
これまで格差の本は、格差があるのは「自民党政権がいけない」「ブッシュがダメだ」という話で終わってしまいがちでした。ですが、『21世紀の資本』はそういう直情的でお気軽な理論でもなく、理屈だけの業界内部だけの話でもない。
そして、手っ取り早い答えを出している本ではないので、それが信憑性を高くしている面もあります。本書は各国の細かい統計を長期にわたり細かく追ったものです。ピケティ自身も「経済学と歴史学の間に空いていた穴を埋めた」という話をしていますので、コロンブスの卵のような発想の転換が評価されているのではないでしょうか。
飯田 特に格差論について冷淡だったアメリカで流行を見せましたよね。山形さんはなぜだと思いますか。
山形 僕もよくわからない。アメリカへ行って聞いてくれという思いです(笑)。
とはいえ、アメリカでは格差についての議論が、冷淡ではありながら、少なくともだんだんと進んでいました。ウォール街占拠の運動などは、ピケティの昔の論文を論拠に、「We are the 99%」をスローガンでやっていました。上位1%の富裕層がもうけ過ぎだ、と言っていたんですね。
一方で、エスタブリッシュメントや一般の人たちは反論をしています。格差なんてないから、誤解を招くようなことを言うなという話。また、格差は大きくなっているけど、それは皆が能力相当のものを得ているだけで、仕方がない。君たち頑張って能力を高めなさい、僻んじゃいけないよ、という立場。
これらの意見が対立していた中で、議論のベースになるような『21世紀の資本』が出てきた。
その直後にフィナンシャル・タイムズが突然、「ピケティの言っていることは間違っている、格差は拡大していない」という論文を出した。また、「ピケティの言うことは割り引いて聞け」という意見を載せたり……かなり反応を示しました。ウォール街占拠に参加した人だけでなく、フィナンシャル・タイムズ側にいる資本家の側も格差について気にしていた。それも流行の背景にあるのではないでしょうか。
飯田 特に、フィナンシャル・タイムズの矢継ぎ早の反論を見ていると、本当に格差は拡大しているのだろうなと勘ぐってしまいます。
山形 そう思われても仕方ない反応ですよね。どちらにしろ、皆が議論するに値するものだと考えていることは間違いないと思います。
それと、多くの人は分厚くてきちんと通読できていないので、つまみ食いで、あれこれ言える。いやな形だけれども、この本の人気が出ている理由の一つでもあるとは思います。
たとえば、「経済成長」についても、色々な読み方ができないわけでもない。r>gならば、gを増やしてもよいのですが、ピケティは「経済成長はあり得ない」ようなニュアンスで語っている。その意味でピケティを使って「反成長論」をすることもできる。間違っているとは思いますが。
飯田 さすがにこれだけの分量ですから、一部だけをつまみ食うと、何でも言えてしまいますよね。
山形 この本を読んでいると、格差解消に効くものとして、経済成長、インフレ、人的資源の教育、情報の普及、所得税、など、様々に検討しています。ですが、ピケティはグローバル累進資本課税を一押ししていますので、「グローバル累進課税はとにかく素晴らしいので、他のものはそれに比べたら全然だめだ」という論法で進んでいく。
だから、インフレ嫌いな人は「インフレだめだと言ってるじゃないか」と言うし、我々のようにインフレ好きな人は、「インフレいいと言ってるじゃない」となる。両方とも間違ってはいないけれども、(私は、正しいのは「インフレはよいと言っている」ほうだと思うのですが)、そこら辺は見方の違いになってしまう。注意したほうがいいと思いますね。
飯田 不思議なのは、「インフレ駄目だと言っているじゃないか」という人たちの顔をバーッと思い浮かべると、その一方でグローバル資本課税には反対しそうな人が多い。ピケティはどうでもよくて、単に金融政策批判をしたいだけなんじゃないかと感じてしまいます。
r>g
飯田 本書で最初に注目すべきところはどこでしょうか。
山形 この本が売れている理由の一つは、1行でまとめられる要約がある点でしょう。帯にあるようにr(資本の収益率)>g(経済成長率)。これにより、経済全体の成長よりも資本の成長のほうが圧倒的に大きくなってしまう。
資本を持っている側は資本所有をどんどん大きくしていけます。一方、それ以外の人は経済成長ほどの生活水準向上ぐらいしか期待できない。実際に300年前からデータを見てみると、本当にrがgより大きくなっている。実際は300年どころではなく、紀元0年~2000年の足跡を追っています。
これまでの経済理論の一部ではr=gを想定していたようです。それをひっくり返したと。私個人としては、「r=gって想定されていたの?」と驚いてしまいました。
飯田 それほど確立された経済理論ではないと思っています。1950年代にニコラス・カルドアによる「経済成長の定型化された事実(Stylized Facts)」が大本ではないでしょうか。当時の統計をみてrとgの成長率は同じ(具体的には要素分配率が安定的)になるのが普通だと言った。そして、大御所のカルドアが言っているなら間違いないと、r=gを前提に、モデルを組んでいった。そして、50年もたってしまうと、なぜイコールにしていたのかを皆忘れてしまい、理論的に重要な根拠があるのではと思い込んでいました。そう思うと、経済学史の研究は大事ですね。
山形 金融関係の人に話を聞くと、r>gは当たり前でしょうという感覚です。だって、株に投資すると失敗するリスクも背負うわけですから、そのぶんrに上乗せされているのは当然だと。
飯田 リスクを背負って投資をする場合と、リスクを背負わずに一般的な働き方をするので、収益率が同じだったら、誰も投資をしませんよね。
一方で、「収益率が高いなら投資したらいいじゃん」という話になりそうですが、そんな単純にはいきません。ピケティはお金持ちほどより高いrを得られることに注目しています。これは興味深い点です。
山形 そうですね。投資の本やファイナンスの本を読むと、超過利潤や超過リターンはないから、一時的によくても長期的には平均に近づいていくと書かれていますよね。本当に大規模な投資ほどrが高いのかは疑問です。
ですが、ピケティは実際にアメリカの大学の基金の運用実績を調べています。すると、大きいところは年平均で8%の実績を挙げているが、小さいところは6%しかあげていない。ハーバードやイェールなど大きな大学は10%を稼ぎ出している。理屈はどうであれ、データが示している。
飯田 「金持ちのほうが金融投資において有利」という話を聞くと、1回、2回失敗しても破綻しないので、リスクを取ったより危ないポートフォリオができるからだと、僕ら一般的な経済学者は考えます。危ないところに100カ所投資できると、そのうち1個ぐらいは大当たりする可能性がりますよね。ですが、ピケティはむしろよい金融サービスを受けられる方に注目しています。ちょっと意外でした。
山形 ファイナンスの講義では、各種ファンドマネージャなどは実はまったく超過利潤をあげられず、市場ポートフォリオを超える収益をあげるのは無理、と教わるんですがね。「よい金融サービス」の中には、リスキーなところに投資できるというのも入っているのでしょう。ですが、リスクの話はあまり出てきませんね。あくまでこれは歴史的データを見た結果ということになるので、リスクについてはっきり言及しないのかもしれません。
クズネッツのU字型曲線
飯田 かつて資本家と労働者がいた時代であれば格差は問題になりますが、現在だと資本家と労働者はそこまで厳密に分かれていないという議論もあります。
例えば、若いうちにはみんな財産がない。働いて稼いだ額の何割かを貯金して、年齢とともに資本所得のほうが大きくなっていく。だから、一生を見ればrとgは大した問題ではないという問題があると思います。世代格差の問題ついて、ピケティはどのように答えているのでしょうか。
山形 その可能性は認めています。一方で、彼は相続をすごく問題視しているんです。相続により、次の世代の若者が親のため込んだ資本を受け継ぎ、そこからさらに増えるようになってしまうと、今の話はあまり成り立ちませんよね。
飯田 確かにそうですね。今までは、「クズネッツの逆U字曲線」を経済史の授業で習う格差論の定番でした。資本主義がはじまると、最初は格差が拡大するけれども、例えば労働力が不足して賃金が上がるという形で、次第に格差が縮小していくと。だから格差を縦軸に、横軸に時間の経過をとるとグラフはU字の逆で、上がって下がるのだというのが定説だったわけです。これがどうも成り立たないという話になってきます。
山形 そうですね。ピケティは、「私はクズネッツのやったことをそのまま延ばしただけ」と言っています。クズネッツの時は、戦争により経済がかなり成長してくれた。もう一つは、ものすごい累進課税をかけられた。今まではできなかったけれども、「お国のため」と言われると、皆やる時代だった。人工的に施策をしたから格差は縮まったんだと分析しています。
飯田 クズネッツは、そうやって偶然に偶然が重なった、または戦争によって人為的に行われた格差縮小を、資本主義の一般原則のように捉えてしまった。しかし、超長期で見ると、幸せなクズネッツカーブは特殊な事例だというのがピケティの分析になるわけです。
山形 たまたま特殊な時代に限られた歴史的データをみているからで、実際にはそのようなことが起るわけではないというのがピケティの結論です。理屈や理論はどうであれ、データで示されてしまう。そう言われると、こちらも反論のしようがない。
飯田 標準的な経済学の議論の仕方だと、仮説を立て、理論モデルをつくり、それをデータによって検証して、理論モデルが正しいかどうかを考えます。ですが、『21世紀の資本』に関しては、理屈の部分はあまり重要視されず、データの提示をしている。ある意味では、そこが強みなんじゃないでしょうか。
山形 余談ですが、僕の本業は、ODAの開発援助です。その理論的な支柱は、まさにクズネッツの「経済発展で最初は格差が開くが、そのうち必ず縮まる。」というものでした。開発援助は貧困削減だの何だの言うけれども、基本は経済成長の促進です。経済が伸びればそれ以外は自然に解決することになっている。
ところが、ピケティによって、自然には解決できないことが示されてしまった。だとしたら、どう開発援助をしていけばよいのか。経済発展以外の援助は内政干渉なのではないか。そういった議論が、今後この業界で持ち上がる可能性があります。
経済理論は実際の世界にかなり影響を及ぼしているので、ひょっとしたらこの本が震源地になり、かなりいろいろなところに影響を及ぼす可能性がありますね。
飯田 アメリカだと、特に1980年代半ば以降、特に富裕層の税金を上げるという選択肢がほとんど議論の中に出てこない状態でした。仮にこの本の影響がもっと大きくなり、アメリカが例えば資産課税、または相続課税、所得課税をやり始めたら、実は世界の流れが変わると思います。
山形 そうですよね。よくクルーグマンが自分のコラムで揶揄していますが、アメリカは90年代以降、「不景気だから」「景気がよくなったから」「戦争するから」といって減税をしまくっています。しかも、実はてっぺんのほうだけ減税になり、下の方は増税になるようなことをやってみたり……たぶん、増税の話を真面目に考えなければいけなくなっているのではないでしょうか。
飯田 日本にもそういうところがありますね。景気対策のために富裕層を減税し、財政が危機的なので低所得者層に負担増する。増税のほうも減税のほうも、1個1個を見ると、その理屈づけには納得してしまいそうですが、二つ並べるとずいぶんと無茶な税制改革だと思うんですよね。【次のページに続く】
米国型、ヨーロッパ型、日本型
飯田 ここまで、r>gのお話をしてきましたが、注意すべき点があります。ピケティは米国型の格差とヨーロッパ型の格差の違いを指摘しているんです。
山形 ヨーロッパ型では、資本の占める比率がどんどん上がり、資本の格差がそれに伴い増えているのだと説明されています。
ですが、米国型の場合、資本の話はあまり出てきません。図を見ていただきたいのですが、r>gがどんどん増えているのは、どうもアメリカにはあまり当てはまっていない。
ですが、アメリカは所得格差がすごい。資本はさておき、会社の重役がものすごい高給取りになっているからです。これはフランスやドイツよりもはるかにひどい。アメリカでの格差の問題は、r>gとは少しずれてしまいます。アメリカは例外かもしれないけれども、それにしてもかなり大きい例外ではある。
ただ、ピケティに言わせると、今後は重役報酬でため込んだ人たちがそれを相続していけば、イギリスやフランスと似たようにことになる可能性があるとのことです。
飯田 この本自体がとんでもない超長期のデータを相手にしています。アメリカはまだ新しい国だから当てはまらない可能性があるというのがピケティのエクスキューズです。ちなみに、『21世紀の資本』では、日本のことにほとんど触れられていません。
山形 だいたいヨーロッパと似ているね、バブルがすごかったね、と言って終りです。
飯田 ピケティはアメリカ型とヨーロッパ型の格差があると言っていますが、ぼくはもう一つ日本型の格差もあるように思っています。
日本では上位10%の金持ちが全資産に占めるシェアの5割を切っています。これは世界でベルギーと日本しかありません。日本も資産に関しては、世界でトップ争いできるほどの平等な国でもある。
ですが、『21世紀の資本』が注目されるような、非常に強い格差感も日本社会にある。日本の場合、持ち家層・中くらいの資産を持っている人と、全然持っていない人の格差とが、意識として強いのではないでしょうか。これは、アメリカの1%対99%とか、ヨーロッパの資産家vs一般人とは違っているのではないでしょうか。
たとえば、この本への有効な指摘の一つとして、「資産の占める割合の大きさを問題にしているけれど、その資産の多くは金持ちではない一般の人の住宅じゃないか」とはいうものがありますが、この住宅ストックこそが日本の格差感の原因になっていると思うんです。
山形 なるほど。アメリカだとビルゲイツみたいな大金持ちを僻むことはない。普通の人たちが普通に生活できたらよいという文脈です。トップ1%を見ればそりゃ金持ちだろうけど、それで「資本主義の破壊」「民主主義が滅びる」となるのは言い過ぎなのではと、この本では批判されていますよね。
ただ、日本の場合は中間層でも持ち家のある人とない人がいる。日々の暮らしの中で、そういう差が見えているからこそ、強い格差感を持っている可能性はありますよね。
グローバル累進課税
飯田 さて、r>gの差を埋めるために、ピケティはグローバルな累積資本課税を推奨していますよね。それはどのようなものなのでしょうか。
山形 いま日本でも土地や家を持っていると固定資産税がかかります。あれを広げろという話です。固定資産税を払っている方はご存じだと思うけれども、土地が小さいと少しまけてもらえます。ですから、少ししか持ってない人は税率が低く、多く持っている人は税率が高くなる。同様の課税を、金融資産や他の事業資産にも広げてやろう。土地も、株も、事業資産も持っている人には高い税率をかけ、少ない人には低い税率にしようと提案しています。
ただ、それを一国でやろうとすると、皆ほかの国にお金を移したりするだけなので、世界で同時にやろう。あらゆる国で全部同じ税率をやろう。しかも、今はそれぞれの資産が不明なので、世界中の銀行同士でデータを共有して公開して、誰が何を持っているのか、完全に報告できるようにしようというのがこのアイディアです。
飯田 かなり壮大過ぎるので、納得しながら第3部までを読まれた人が、第4部の解決策の部分で戸惑ってしまう。
山形 現実的ではないと、どうしても思ってしまいますよね。
飯田 これって、一国革命論と世界革命論のような話になっているのではないか。一国だけで社会主義をするのは不可能であるが、世界同時革命により共産主義は可能なのだという議論に妙に結びつくところがあると思います。やはり「21世紀の資本『論』」のイメージも持ってしまいます。
山形 世界中にピケテルンをつくり、これを推進しましょうと(笑)。
飯田 なぜそれが重要なのか、自分なりに想像してみたら、税金を取れると税務署が血まなこになって捕捉してくれる。資産課税をアメリカが始めたら、アメリカの税務当局が必死で世界の財産をあさり始めるでしょう。意外と不可能ではないのではと思ってしまいます。
山形 彼も、グローバル累進資本課税を提案した次の文章で、これは空想だとわかっているけれども、まずベースラインとして検討しましょうよ、と述べています。その後だんだん、これもできているし、あれもここではできているし、これをもう少し延ばすとできるかもしれませんよと、出来るかもと思わせる構図で話を進めていきます。上手いなぁと思いますね。
飯田 僕も読んでいて、可能性はあるかもしれないと思ってしまう。その一方で、格差是正というと、ほかの手法もずいぶんあるわけですよね。それについてのピケティはずいぶん点が辛いと思います。
例えば、特にヨーロッパ型の格差の場合は相続が問題だと言っているのですから、相続税を上げれば良いと思うのですが。
山形 彼は、相続税は補足がいまいちだし、一世代に一回しか起きないという言い方をしています。ピケティが資本課税をやりたい理由は税収が目的なのではなく、誰が何を持っているかをきちんと捕捉できるようにしたいのでしょう。
それには相続税では足りないのですという話をします。僕の個人的な考えでは、格差解消を目指すのであれば、相続税は有効だと思います。グローバル累進資本課税だけではなく、色んな方法があるだろうと。あんまり他の方法をディスらないでほしいなとは思います。
飯田 さらに、累進所得税もそうですよね。どちらかというと、ニューディール政策以降、累進所得税のおかげで所得が平等化したと言っているのだから、ぜひ累進所得税も使えばいい。
マルクス、ケインズ、ピケティ
飯田 rがgより高いことが格差を生んでいるのであれば、資本の一部を公的に所有する、なんてアイディアが出てきそうです。いわゆる生産手段の公有化・社会化ってやつです。しかし、ピケティはその方向へは行かないのですね。
山形 本の中でも、公共の資本の民営化がどんどん進み、民間の資本がふくれあがっている、という分析が行われます。でも、「それを逆転しよう!」という議論にはなりません。
飯田 そこがピケティの新しさですよね。社会主義・共産主義としっかり距離を置いている。資本主義をほったらかすと、ろくなことにならないといいつつ、資本主義を前提に経済をうまく回している方法を考えている。そういったビジョンをみていると「21世紀の資本論」というよりも、扱っているテーマは別ですがケインズの『一般理論』に似たものを感じます。
山形 ケインズも、「貨幣改革論」(山形訳だと「お金の改革論」)で資本課税について話をしているので、そういう伝統にもつながっているのかもしれません。
飯田 ところで、山形さんが、「21世紀の資本論」と訳さなかったのはなぜなのでしょう。
山形 英語版がガーッと売れ始めたときに、あちこちで、「21世紀の新しいマルクス」「21世紀の資本論」という読まれ方をされていました。
ただ、ピケティ自身はインタビューで「マルクスは読んでない」と言ったりしているようです。でも、あれは絶対うそです(笑)。この本を読むと、マルクスの『資本論』の脚注にまで入り込んで議論をしている。だから絶対読んでいるのですが、一方でマルクス主義と関連づけられるのは明らかに嫌がっている。
やはり、特にアメリカなどでは、「おまえ、マルクス主義者だ」とか言われた瞬間に議論が止まってしまいます。本人としても『資本論』の話よりは、「資本」の話がしたかったのではないでしょうか。そこに配慮して、『21世紀の資本論』と訳さなかったんです。
飯田 ピケティ自身の受けた教育は、主流派の経済学ですよね。
山形 しかも超エリートです。22歳で博士号を取り、マサセッチューセッツ工科大学の先生にすぐなった。すごい学歴です。
飯田 その中から出てきた資本主義批判……。ただ、読んでみると、批判という形でもなく、どちらかというと淡々と資本主義下での所得の分配について書いている本だと思いました。
地道な研究に光を
飯田 これだけ話題になったことで、ピケティまたはパリ経済大自体が大プロジェクトとしてデータを集め始めると、もっともっといろいろなことが明らかになってくるのではないかと思います。
山形 ちなみに、彼はこの本で使用している統計のデータベースをつくり、ウェブで公開しています。ほかの経済学者も仕事ができるようなデータベースをつくってくれたのは、非常に重要な役割だと思います。(翻訳版 ピケティ『21世紀の資本』サポートサイト(β版))
大学生なんて、そこからデータをちょっとダウンロードして、相関を取るだけで卒論1本書けるから(笑)、ぜひやっていただきたいと思います。
飯田 それにもかかわらず、アメリカで主流派と呼ばれている経済学者たちは有効な批判ができていませんよね。
山形 ピケティが15年かけて集めたデータソースでやってきているし、それに対し1年や半年でデータを集めて反論しようというのは、なかなか……。
飯田 いわゆる主流派の経済学自体が、だんだん現実の重要な問題に対してもがいてチャレンジをしていく学問ではなく、型の美しさを競う品評会になりつつある。実際の経済には興味ないけど、モデルは好き――みたいなところまで来ているのではないでしょうか。
でも、もっと荒削りであっても社会の問題と格闘することが求められていると思います。まぁ、だいたい満身創痍で傷ついて終わることにはなるのだとは思いますが。『21世紀の資本』のように、社会の問題に直接格闘しにいき、問題を解決していたい、何とかしたいというのが感じられる経済学の本は久々だと感じました。
山形 彼の先人にあたるクズネッツがノーベル経済学賞をもらったとき、こういう経済統計をあさって積み重ねていくような地道な活動をもっと人気の出るものにしようという意図が選考委員にあったと言われています。
ただ、10年間ほこりの積もった書類と格闘するような世界です。いまいちファッショナブルではないので、どうしても人気が出てこなかった。今回、このようにピケティの地道な業績に日が当たったことで、泥臭いことをやっていても現実に繋がるような話をすれば、注目を集めることができる。その可能性を示してくれたのは、非常に有難い話だと思います。
飯田 この『21世紀の資本』を、月並みですが、どんな人に読んでほしいか、どんな形で読んで欲しいか伺えればと思います。
山形 「難しい」とか「分厚いからとっつきにくい」と皆さん言っていますが、読んでみるとそんなに難しくはありません。言っていることは非常に明快です。
本の中にはトリビアも豊富ですし、つまみ食いしながら読むなり、気が向いたら気が向いたところを手に取るなりしてもらえればと思います。ただ、それをもとに何か言うときには、その前後を読んで文脈は押さえていただきたいですね。
(グラフ出典 「ピケティ『21世紀の資本』 訳者解説 (v.1.1) 」)
関連記事
プロフィール
飯田泰之
1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。
山形浩生
1964 年東京生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程、およびマサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務するかたわら、科学、文化、経済からコンピュータまで、広範な分野での翻訳と執筆活動を行う。著書に、『新教養主義宣言』『要するに』(ともに河出文庫)、『新教養としてのパソコン入門』(アスキー新書)、訳書に『クルーグマン教授の経済入門』(日経ビジネス人文庫)、『アニマルスピリット』(東洋経済新報社)、『服従の心理』(河出書房新社)、『その数学が戦略を決める』『環境危機をあおってはいけない』(ともに文藝春秋)、『戦争の経済学』(バジリコ)、『雇用と利子とお金の一般理論』(ポット出版)ほか多数。