2014.03.02

財政政策に関する政策的・思想的・理論的課題――藤井聡氏からの再コメントへのリプライ

飯田泰之 マクロ経済学、経済政策

経済 #公共事業

藤井先生の再コメント(『乗数効果と公共事業の短期的効果への疑問──藤井聡先生へのリプライ』への追加コメント)において、土木・建設産業の供給制約問題についてはある程度賛同いただける部分があった点は非常に嬉しい限りです。そこで再度のリプライをさせていただければと思います。文中に読者の理解を助けるために、言わずもがなの説明が含まれている点、一部記号の変更・省略を行っている点は、公開議論と言うことでご容赦ください。

政策的課題

まずは、いただいた批判のメインの論点ではありませんが、実体経済にとっての重要度が高い(と私が考える)政策的な問題からお話をさせていただきます。

教科書的にも、

・十分に緩和的な金融政策姿勢、金利上昇を抑制するとの信頼ある中央銀行

の下では、マンデル=フレミング効果は観察されづらくなります。新しい日本銀行の下ではあまり心配する必要のある財政政策阻害要因とは言えないでしょう。そのなかで、財政政策の景気浮揚効果への足枷となるのが、

・土木建設業の供給制約問題

であるというのが私の懸念の中心です。その対応としての長期計画の必要性についてもある程度賛同いただける部分もあるかと存じますが、ここで問題になるのは、

・現在土木建設業が供給制約状態にあるなら、消費税増税による反動不況、より具体的には今年度から来年度にかけての緊急対応としては土木建設業への支出の有効性は低いのではないか

という点です。(長期的な土木・建設支出の拡大の是非はさておき)再び動き出した日本経済の芽吹きを摘んでしまわないための短期的な財政支出先としては、供給余力の大きい製造業・ソフトウェア産業への支出、サービス業への支出に結びつきやすい家計への直接給付の方が好ましいのではないでしょうか?

思想的課題?

財政政策、なかでもインフラ整備については思想的な隔たりの大きさを痛感すると共に、その結論部分についてはそれほどの距離がないのではないかと思う部分もあるというのが正直な感想です。コメントの「(4)終わりに」において、私の主張を

A)政府だけが無駄な投資をしているかのように論ずることは正当化し難いし、

B)民間が無駄な投資をしていないかのように論ずることも正当化し難いし、

C)「無駄な投資」が仮に(官民問わず)存在したとしても、それによって景況感にはもならない

とまとめられていますが、これは全くの誤解です。私は文中でこのような限定的な主張は全くしておりません。以下、まずはA)B)についてから説明したいと思います。コメント内の「(2)民間と政府の合理性についての論点」藤井先生は私の主張を、

(仮説1)民間企業は基本的に、合理的な投資を行う。

(仮説2)政府は基本的に、民間企業よりも非合理的な投資を行う。

とまとめられています。こちらは私が経済を考える際の出発点を適切にまとめていただいています。ただし、両仮説をもう少し正確を期した修正させていただくと、

(仮説1’)民間企業は平均的には、合理的な投資を行う。

(仮説2’)政府は平均的には、民間企業よりも非合理的な投資を行う。

となります。個々のプロジェクトをみれば、民間投資の失敗事例、公共投資の成功事例ともにいくらでも見つかるでしょう。問題は、その平均的なパフォーマンスです。仮説1’2’が成り立たないとしたならば、投資を社会的に管理すること、生産手段を公有化することによって経済のパフォーマンスが上昇することになってしまいます。

私は、自由主義経済が計画経済よりも優れた制度であるという事実に疑いをもっていません。政府のマネジメント(どれだけ正しい知識を現実の意思決定につなげられるかという問題)まで含めると、自由主義経済の優位性はさらに明確になるでしょう。

行動経済学的な知見から、個人の意思決定がファーストベストではないという指摘もありますが、それは個人の意思決定よりも集団的な意思決定が優れていることの証拠にはなりません。それが短期的なものであれ長期的なものであれ、個人・個別企業の便益を上昇させる方法を政府がよりよく知っているという仮説は立証困難でしょう。私は外部から明確に指摘・立証できるほど非合理的な個人が多いとは思いませんが……仮にそうだとして、その非合理的な個人から構成される組織が急に合理的になるというのも考えづらいのではないでしょうか。

このような状況で、政府支出を正当化するのは、

・民間にはやりたくてもできないことがある

という事実です。その典型例が社会インフラの整備です。政府によるインフラ整備が大きな重要性をもつのは、

・民間企業ではファイナンス出来ない大規模事業である

・消費の非排除性が強く、民間企業による供給は(対価の徴収面で)困難である

という公共財供給の場面でしょう。社会インフラ整備が未熟で、このような条件を満たす案件があふれていた高度成長期に較べると確かに減ってはいるでしょうが、現代の日本においてもこれらの条件が満たされる箇所は少なくないと考えています。東日本大震災を経てむしろ必要なものが明確になったと言っても良いでしょう。だからこそ、十分な費用便益分析をふまえ、長期的な(コミットメントのある)計画立案を行った上で社会資本の整備を行う必要があるという主張に繋がるわけです。

理論的課題

次に、藤井先生のまとめにある

C)「無駄な投資」が仮に(官民問わず)存在したとしても、それによって景況感には何の足しにもならない

についての議論をしたいと思います。私の主張は、

C’)「無駄な投資」と「所得移転」が景況感にあたえる影響は同じである

というものです。ここでひとつ謝らなければならないのは、私の前エントリ内での「自宅警備事業」という表現です。ネット上の議論のため、ついネット用語を使ってしまいましたが、自宅警備員というのは匿名掲示板などでニート・引きこもり状態にある(自宅で留守番をしている)方を差すスラングです。そのため、

β’:(自宅にずっと居る10万人に)10億円分の自宅警備事業を発注した

γ’:(自宅にずっと居る10万人に)定額給付金10億円を支給した

で人・物・金の動きに差はありません。同じ人が同じように自宅ですごしているところへ、1万円が振り込まれるだけです。にもかかわらず、10億円を支給する際の支出名目が異なるだけで、GDPへの計上額がことなってしまうことをもってGDP統計の問題点であると説明しているわけです。一方、

β:10億円分の穴を掘って埋める工事を発注した

γ:定額給付金10億円を支給した

ではどうでしょう。ここで労働の不効用(働いて疲れることによるマイナスの効用)、減価償却(生産設備の使用による価値低下)はひとまず捨象します。ちなみに両影響を考慮すると、βは厚生面でγより劣ることになりますし、職があることそのものに喜びを感じられるという場合には逆になることもあるでしょう。

10億円のうち、5億円が労働者に、3億円が重機のレンタル代に、1億円が事業主に、1億円が交通費に用いられるとしたならば、これは労働者に5億円、レンタル業者に3億円、事業主と運輸会社に各1億円の給付金を支給したのと同じことではないでしょうか。無駄な公共事業は支給先を限定した給付金であると考えられるのです。

正確には、小野善康先生が指摘するように穴を掘って埋める間これらの労働者・設備が他の仕事に就けないことによる超過供給解消効果=脱デフレ効果があるという議論があります。このような拘束効果を重視する場合には別の議論が必要ですが、ここで詳説するのは避けたいと思います。

ここでの私が主張したいことは、

δ:価値の高い公共事業ほど、経済厚生を大きく向上させる

という点です。労働の喜びや拘束効果を組み込んでも、できあがった物の価値が高い(前稿でいうWTP総額の大きい)公共事業ほど有効性が高いという点です。この点から、

“「γ=βである」と信ずる政策担当者と、「βの方がγよりも遙かに効果がある」と信ずる政策担当者がいたとすれば、前者よりも後者の方が遙かに、財政出動=第二の矢を重視した経済政策を展開することとなる”

について、私は「γ=βである」と信ずる政策担当者の方が経済厚生の観点で優れた政策を実施できると考えます。現下の財政状況において、または政治状況において財政支出額を無尽蔵に増加させることは出来ません。必ずや優先順位をつける必要がある。だからこそ、厚生の観点からみた経済効果はプロジェクトの内容に依存するのだという観点が必要であると思うのです。

おわりに

要職にある藤井先生からの

“飯田氏の論説……(中略)……に「同意しない」論者は、(飯田氏の論説)に「同意する論者」よりも、公共投資をデフレ脱却においてより軽視する立場をおとりになることは論理的に自明であります。”

については政治経済学的に重要なご意見だと思います。それでもなお、一私人である私は自身の思考をできる限り正確に伝え、それを受け止めた政治家・政策立案者の判断に期待するしかないと考えております。

繰り返しになりますが、私自身は脱デフレとそれによる日本経済の復活にかける情熱は人後に落ちることないと考えております。そして、財政政策と金融政策が歩調を合わせて、景気の回復に資することがその最大の近道であると考えております。これからも藤井先生のご活躍をお祈りすると共に、私のような若輩者(とは言いがたい年齢になってきましたが)との議論に時間を割いていただいたことを心より感謝いたします。

P.S.

現在(2月28日)、ネット環境が非常に悪い場所に滞在しているため、本エントリはシノドス編集部に委託し、掲載いただいております。誤植・誤記等への対応は3/11以降をお待ちください。

プロフィール

飯田泰之マクロ経済学、経済政策

1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。

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